「べつにそんなこと……」
と、不機嫌に口を尖らせた。
大きな音を立ててドアを閉めて車に乗りこむと、力まかせにギアを入れて発進させた。
暖機運転はしっかりとしている筈なのに、今朝のエンジンは機嫌がわるい。
ヨタヨタとした走りで少しもスピードが上がらない。
不本意ながら、チョークを一杯にひいた。
エンジンが急激に元気になり、スピードが乗った。
ところがすこし走ってすぐにエンストしてしまった。
駐車場から公道にでる直前だったことが不幸中のさいわいだった。
平日ほどではないにしても、車の行き交いはあるのだ。
いまも一台の車が通りすぎた。
「なに、どうしたの? 下手ねえ。もっとスムーズに運転してよ。点数、下がるわよ」
眉間にしわを寄せて、貴子が注文をつける。
(あんたの体重のせいだよ)と、こころの中で悪態を吐きながらも「はいはい、おことば通りにしますよ」と、答えてしまった。
何度かセルモーターを回してみるが、一向にキゲンが直らない。
キュルキュルという音が、空しく車内にひびく。
吸い込みの状態になってしまったと気づいた彼は、アクセルを二、三度踏み込んだあとに、改めてセルモーターを回した。
ようやく走らせることができたと思った瞬間に、またしてもエンストしてしまった。
暗たんたる気分のまま視線を落とすと、ギアがサードに入っている。
(これじゃ、エンジンが怒って当然だ)
舞いあがっている自分にたいして「落ち着け、おちつけ」と小さく呟きながら、深呼吸を二度ほどくりかえした。
ラジオから、♪恍惚のブルースよ♪と、流行りの歌がながれてきた。
ルームミラーの中には、まだ眉間にしわを寄せた貴子がいる。
(外国の歌が好きだった)と思い出してボリウムを落とすと、ようやく険が消えた。
普段ならば貴子から話しかけてくるのだが、彼が激しいドアの閉め方や乱暴なギア操作をしたことで(怒った顔に見えたかもな)と悔やむ気持ちになった。
(笑ってるよな、彼も……)
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