昭和の恋物語り

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長編恋愛小説 ~水たまりの中の青空・第一部~ (十) 男が、悪いんだ

2015-03-12 08:59:01 | 小説
「違う! 牧子さんが悪いんじゃない。男が、悪いんだ」
思わず彼は叫んだ。

「いいのよ、ボクちゃん。お姉さんが、馬鹿だったの。
男の嘘を見抜けなかった、お姉さんが悪いのよ。
『家庭を捨てることは出来ない。しかしお前も必要なんだ』なんて、今夜言われたの。
男のエゴに、そうそう付き合っていられないわ。ありがとうね、ボクちゃん。ありがとうね」

牧子は、彼をしっかりと抱き締めながら、何度も自分に言い聞かせるように呟き続けた。
”エゴ? 男のエゴ…そう言えば、父さんも…”
彼は、幼い日に聞いた言葉を思い出した。
いつもニコニコとしていた母親の、鬼女の如き表情を初めて見た夜のことを思い出した。

「貴方は満足でしょうとも。でも私は、後悔の念で一杯です。
私には好きな男性が居ました。いえ、今でもそうです。
その男性のことを知っていながら、貴方は金の力でもって父を屈服させました。
父だけじゃないわ、私に対しても。私の欲しがる物を目の前にぶら下げて、私を陵辱したのよ。
『お前なしでは生きていく意味がない』なんて言ったくせに。
それなのに、すぐに浮気三昧。子供が産まれたら、少しは収まるかと思っても。
離別も考えたけれど、子どものことを考えたら…。
私は、貴方を許しません。一生かけて、恨み続けます」

「お前が、俺のことを憎んでいることは知っていた。
表面上は貞淑な妻として振る舞っていても、心の奥底では憎んでいたことを。
まあいい、そんなことは。それを承知で、一緒になったんだ。
しかし浮気なんてのは、男の甲斐性だ。それをエゴだと言うなら、それもいい。
しかし男にとって、男のエゴが、生命の源だということは、覚えておけ」

本心ではなかった。二人の心の奥底には、互いを認め合い互いを支えようという思いがありはした。
しかしそれを見せることは、己の弱さをさらけ出してしまうことだと思ってしまった。
「男は弱音を吐くべきではない。女子どもに涙を見せてはいけない」
「女は夫に従うもの、信じて頼るべきもの」

両親の諍いは、幼子だった彼の記憶の中に残っていた。
恐ろしい光景として、残っていた。
「一生かけて、恨み続けます」
「男のエゴが、生命の源だ」
この二つの言葉を、鮮明に覚えていた。
そして自分が生まれたが為に、母親の苦悩が始まったということも。
その時から、父親に対する畏怖の念と、母親に対する従順が、彼の心の中に芽生えた。


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