「もしもーし。あ、奥さんですかあ? ぼくです、堀井です。奥さんを一番愛してる、一樹でーす」
「一樹くん? 何やってんのよ、あんたって子は!
今日は当番でしょうに、まったくもう。で、今どこなのお?」
甘ったるい声が、一樹の耳に入ってきた。
「実はですねえ、ぼくの奥さーん。カモをですねえ、引っかけられそうなんです。
ホントですよお。寝坊した言い訳じゃないですよお。証拠を聞かせますね」
水を運んできたウェイトレスに、携帯電話に出るよう手渡した。
怪訝そうな顔をしつつも、手を合わせて哀願する一樹に苦笑いしつつ「もしもし」と、呼びかけた。
「あなた、誰? 誰なの!」
「あ、あたしは、喫茶・ボヌールの者ですけど」
「いいわ、代わって!」。キツイ言葉が飛んだ。
「なんなの、この人」。一樹に頼まれて電話を替わっただけだというのに、と一樹をにらみつけた。
「ごめんごめん。コーヒー、一つね」と、ウェイトレスのお尻を軽く叩いた。
ウェイトレスは「キャッ!」と声を上げながら、満更でもなさそうに戻った。
「はい、はいー!」
「で、そのボヌールがなんなの?」
「ぼくの加代さあん、怒った声もス・テ・キ」
「いい加減にしなさい、一樹。仕事の電話なんでしょ!」
「うん。チカンの女を見つけたの。それで今、会社まで送ってきてね、これから張り込みます。
で、出社がおくれまあす。ということでーす」
向かい側のビルを凝視しながら、一樹のテンションの上がった声が加代の耳に届いた。
「ホントなのね。寝坊の言い訳じゃないわね! だったら、頑張んなさい。
みんなには上手く言っといてあげる。しっかり営業するのよ」
「お待たせしました」
「ありがとう! ぼくね、私立探偵なの。かっこいいでしょ?
向かいのビルからね、ターゲットが出てくるのを待つの、これから。よろしくね」
失笑するウェイトレスに対し、一樹が手を差し出した。
「はあ、ごゆっくりどうぞ」
そのまま立ち去ろうとするウェイトレスに、
「ええ! 握手してくんないのお?」と、甘ったるく迫った。
おずおずと差し出された手を握った一樹は
「うわあお! きれいな、小っちゃい手だ。
コーヒーのお代わりは、君が持ってきてね。名前は、なんて言うの?」と、すぐには離さなかった。
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いいか! 二時間でも三時間でも、ぜったいに離れるなよ。
丸一日かかっても、いい。何としても、自宅を突き止めろ。
“約束があったらどうする?”だとお。お前、今何人の客を持ってるんだよ。
まあ、いい。万が一かぶった時には、俺がなんとかしてやる。
“客を取られる?”だと。バカヤロー! そんなことしねぇよ。
日にちをずらしてもらえるよう、話をつけてやるんだよ。
そんな心配より、俺が言ったこと、分かってるんだろうなあ。
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