本日の朝日新聞社説は、「提言 原発ゼロ社会」と題した企画記事を1.5面にわたって載せている。
難しいことは理解できないが、まず!この60年余で朝日の社説は、大きく変わったという。
世界的背景も大きく影響しているようだが、
1948年2月3日社説は 「原子動力化に実現する年」として原子力発電への期待を表明した。
1954年3月4日社説
中曽根康弘氏らが、動いて原子炉製造に向けた修正予算案が国会に出された際、
学会をないがしろにする提案だと批判。原子力推進という同じ立場ながら、
どう進めるかで対立した議論。
1957年8月27日、茨城県東海村の原子炉に国内初の「原子の火」がともった日の社説も
「記念すべき一歩」とたたえつつ、米国の技術頼みに苦言を呈した、国策を叱咤激励する
日の丸原子力論だった。
1988年4月26日社説は 「立ち止まって原発を考えよう」と呼びかけた。
背景として、
・・・広島と長崎の被爆の影響が長引くことがわかり始めた。
1954年、第五福竜丸の核実験被曝事件。
1950年代半ばから、科学界でも放射能のリスクや原子炉の危険を直視する動きが強まった。
1979年 米スリーマイル島原発事故
1986年 旧ソ連チェルノブイリ原発事故
60~70年代に深刻になった公害と、しだいに高まった環境保護思想。
水俣病が世界に伝えられ、レイチェル・カーソン著「沈黙の春」などで、
生態系を守る意識が国内にも広がった。 ・・・
1996年12月2日社説は 見出しに「原発への依存ふやすな」とし、
放射能を帯びたゴミのつけが、後々の世代に回されると、原発の負の側面を警告した。
米ソ冷戦後の90年代には環境保護が国際政治の主議題となり、
二酸化炭素(CO2)などによる地球温暖化の心配が高まると、原子力推進側は原発を
CO2 排出減の決め手と位置づける攻勢を強めた。
2007年5月3日の「社説21」は、脱温暖化策を提案しながら
「日本の原発依存率は現状以下に抑えていく」とした。
2009年3月16日社説
太陽光発電の研究が次世代エレクトロニクスにもつながることなどを挙げ、
原子力を柱とする科学技術政策の見直しを迫った。
「この半世紀、巨大技術の危うさがわかり、人々の科学技術観も変わった。
それを感度良く、洞察力をもってつかめなかったか。反省すべき点は多い。」と結んでいた。
そして廃棄物の処理について
1966年、日本初の商業用原発、東海原発(茨城県)が営業運転を開始して以降
日本は大量の使用済み核燃料を生み出し、ため続けてきた。
廃棄物処理に大きく関係する「核燃料サイクル政策」。
使用済み燃料を再処理して、プルトニウムを取り出し、高速増殖炉(FBR)で
また燃料として使う仕組み。
ところが、その施設は巨額の費用を投じながら、見通しがたっていない。
六ケ所再処理工場(青森県)は1997年に運転開始の計画だったが、今なお試運転段階。
工程のトラブルが起き、何度も止まっている。
FBR原型炉「もんじゅ」(福井県)は、1995年のナトリウム漏れ事故以来、
ほとんど稼働していない。
2005年、「核燃料サイクル政策」は使用済み燃料を処理せずに埋設する方法より、割高だという試算が示された。
それでも政策を継続したのは、
”路線を変更すると過去の投資が無駄になり、新たな研究も必要。
立地地域との信用も崩れる”
という理由だった。
再処理のために電力各社が積み立てている2兆4千億円を超える資金や、
停止中でさえ一日5千万円かかるもんじゅの維持費にも、他の使い道が出てくる。
今まで国策として動いてきた「核燃料サイクル政策」を変えることで、施設を受け入れてきた地元の反発など、
さまざまな問題が出るだろうが、解決する道を探りたい。
ただ、核燃料サイクルを止めても、放射性廃棄物を処分する場所がないことに変わりはない。
日本をはじめ原発をもつ国々の多くは、こうした「原発のゴミ」は地下深くに埋めて、
人間社会から隔離した状態で管理する方針を打ち出している。
しかし、処分場の場所を決められたのは、北欧ぐらいしかない。
原発のゴミの始末は、原発の電気を使ってきた我々の世代が、責任をもって取り組むべき仕事だ。
経済協力開発機構(OECD)原子力機関も、1995年 原発のゴミの後始末を
「今の世代の責任」だとする原則を打ち出した。
次世代に丸投げしてはならない。
少なくとも国内で処理する道筋はつけなければならない。
原発を造ることではなく、廃棄物の処理に情熱を燃やし、世界をリードする。
そんな原子力技術者を育てていくことも必要だ。
他に、「高リスク炉から順次、廃炉へ」
「自然エネルギー政策」
「新たな電力体制」 で構成された本日の社説。
全部読むのは疲れる!!知らない事だらけだから・・・
無知は悲しいもの
それでも、少しずつ勉強するけど、勉強した先から忘れていってしまうという
これまた悲しい話
今日のレッスンから