東日本大震災のための 復興担当相!松本龍(名前負けだな)は傲慢・高飛車な言動
で結局、辞任。
この件を7月5日付け 読売新聞・編集手帳は取り上げていた。
・・・薄田泣菫はフランスの新聞を読んでいて、ある求人広告に目を留めた。
飼っているオウムの発音が悪いのでフランス語の家庭教師をつけたいという。
オウムの話す言葉ひとつをも、おろそかにしないお国柄に感心し、泣菫は
随筆に書いている。
岩波文庫「茶話」より。
<多くの代議士に狗(いぬ)のような日本語でしゃべらしておいて、黙って
それを聴く事の出来る日本人の無神経さがつくづくいやになる>
今ではもう、イヌのような言葉遣いの政治家はいないーーと思いきや、
永田町とは広いものである。
松本龍復興相には、オウム並みに家庭教師が要るかもしれない。
「知恵を出さないヤツは助けない」(岩手県庁で達増拓也知事に)。
「九州の人間だから、(被災地の)何市がどこの県とか分からん」(同)。
「お客さんが来るときは自分が(まず部屋に)入ってから(客を)呼べ」
(宮城県庁で村井嘉浩知事に)。
さぞかし心のこもった復興支援を講じてくれることだろう・・・とここまで
書いて反省が胸をよぎる。
たとえ比喩にしても「イヌのような・・・」は礼を失していよう。
世のイヌ諸君、ごめんなさい。
・・・
筆者に共感!
辞任会見で、「被災者に人一倍寄り添っているつもりだったが・・・」
どの口がこんなこと言わせているの???
こんな調子の政治家が少なくない世の中、どう?
薄田泣菫(1877~1945)
詩人、随筆家。
浅口郡連島村(現倉敷市)生まれ。
詩集 「二十五絃」「白羊宮」で、上田敏らの絶賛をうけ、
島崎藤村につづく時代の先駆的詩人として認められた。
また、大阪毎日新聞社に入社後、紙面に随筆を書く一方で
学芸部長として、菊地寛、芥川龍之介を起用し、新聞連載小説
に新鮮な局面をひらいた。
記念碑が出生地の連島と、
津山市長法寺 (代表詩 「公孫樹下に立ちて」はこの寺の
大イチョウを歌ったもの) にある。