あのオロナミンCドリンクとボンカレーでお馴染みの大塚製薬が、創立75周年記念事業として設立したのが、この「大塚国際美術館」。
大塚薬品の工場は紀伊水道に面していて、白浜海岸がずっと海峡まで続いており、その白砂でタイルを作り建築用として販売するつもりだったとか。1971年のこと。
1メートル角の陶板を歪みなしに作るということは非常に困難で、当時アメリカでは20枚中19枚が不良品になり、1枚だけが合格するという状態であったのに対し、当社は100パーセント合格の商品を完成させるに至った。
ところが、昭和48年(1973)石油ショックという異常事態の為、「陶板に絵を描いて美術品の方に移行しよう。」ということになり、1M×3Mという大きな陶板が無傷で焼けるようになった。
ここの陶板は1300度で特殊技術をもって焼くため、2000年経っても変わらないであろうとのこと。
見事だった。しかも展示作品が1000点を超えるというのには驚嘆した。
ゆっくり見るには一日あっても足らないかも。そいいう意味では、あのルーブル美術館は一週間あっても足らないかも。
本物があっての陶板絵画だが、素晴らしい
どっちでもいい話だが、私は本物を先に観て後こちらを観るほうが素直に受け入れられるという感覚がした。
幸いなことに、ルーブル、オルセー、ウフィッツ、ヴァチカン、聖フランチェスコ教会、サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会(最後の晩餐)、プラド、ソフィア(スペイン)、ゴッホ美術館などで目にしたことがあった作品もあり、感慨深いものを感じた。っていうのは単なる思い過ごし? (22日 日曜日の話)
大塚薬品の工場は紀伊水道に面していて、白浜海岸がずっと海峡まで続いており、その白砂でタイルを作り建築用として販売するつもりだったとか。1971年のこと。
1メートル角の陶板を歪みなしに作るということは非常に困難で、当時アメリカでは20枚中19枚が不良品になり、1枚だけが合格するという状態であったのに対し、当社は100パーセント合格の商品を完成させるに至った。
ところが、昭和48年(1973)石油ショックという異常事態の為、「陶板に絵を描いて美術品の方に移行しよう。」ということになり、1M×3Mという大きな陶板が無傷で焼けるようになった。
ここの陶板は1300度で特殊技術をもって焼くため、2000年経っても変わらないであろうとのこと。
見事だった。しかも展示作品が1000点を超えるというのには驚嘆した。
ゆっくり見るには一日あっても足らないかも。そいいう意味では、あのルーブル美術館は一週間あっても足らないかも。
本物があっての陶板絵画だが、素晴らしい
どっちでもいい話だが、私は本物を先に観て後こちらを観るほうが素直に受け入れられるという感覚がした。
幸いなことに、ルーブル、オルセー、ウフィッツ、ヴァチカン、聖フランチェスコ教会、サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会(最後の晩餐)、プラド、ソフィア(スペイン)、ゴッホ美術館などで目にしたことがあった作品もあり、感慨深いものを感じた。っていうのは単なる思い過ごし? (22日 日曜日の話)