松田敏子フラワーデザイン・徒然ローズガーデン

予定より長生きしている今を憂いながら、怒りながら、笑いながら楽しむ。

木喰の微笑仏

2008-07-22 23:03:15 | 芸術鑑賞・文学・音楽・映画など
生誕290年「木喰展」を見てきた。(横浜・そごう美術館)

ちょうど10年前 生誕280年を記念し、

松涛美術館において「慈愛の造形 木喰の微笑仏」が開催されたのを見に行っていた。

(1997・12月2日~1998・1月25日)

縁があったのだろう、今回も自然に行くこととなった。


くちもとに笑みをたたえた仏像を刻んで有名な遊行僧木喰は、八代将軍吉宗の時代に現在の山梨県にあたる甲斐の国に生まれた。
江戸に出てさまざまな仕事についた後、木喰が仏門に入ったのは22歳のとき。
45歳のとき、木の実を食べ、米、野菜は常食しない「木喰戒」の修行を積んで僧名「行道」と称した。

日本廻国の願を立て、五十代半ばに北海道から四国、九州まで全国をめぐる旅に出た。
木彫像を刻み始めたのはかなり遅く、六十代初めからだった。
 
93歳で旅先で亡くなるまで各地を遍歴、名を「五行」「明満」と変えながら、千体のちには二千体造仏を目標に、まさに超人的ともいえる速さで造像し続けた。

写真は「自刻像」陰涼寺(京都・八木町)


●西行、芭蕉、円空そして木喰の興味深い関係。
 恋法師の西行は、鎌倉時代のはじめに東北の平泉まで旅をしている。
 降って元禄の時代に生きた芭蕉も、その西行の跡をしたって奥の細道をたどって いる。
 そしてその芭蕉とほぼ同時代を生きた円空は、北海道にまで渡って修行し、仏像 や神像を彫った。
 同じように、その円空をあたかもなぞるようにして、東北から北海道にかけて果 敢な旅を試みたのが木喰だった。
 かれもまた円空のようにその生涯をかけて、うまずたゆまず仏像と神像をつくり 続けた。

 西行が歌を詠み、芭蕉が俳句をつくったのに対して、円空と木喰がもっぱら神像 や仏像をつくり続けたというのはとても面白く、興味深い。

        (展示主催者のあいさつ参照)
コメント (10)
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