遠野なんだりかんだりⅡ

遠野の伝承芸能・民俗・歴史を書きたい時に思いついたままに

2024 南部神社例大祭郷土芸能共演会

2024-05-06 22:11:15 | 郷土芸能

昨年は出所後二カ月ということで、あまり無理せず、お昼ごろからの芸能共演会にお邪魔

したので、今年も同様に足を運びました。ちょうど拝殿内では神事が行われていました。

 

前回も書いたとおり、ここに来る直前に駅前通りで宮城の24地割さんとバッタリ。

1分違っただけで逢えなかったと思うと、これも神のお導きか・・・笑

 

12時半、芸能奉納、平倉神楽さんからです。

 

悪神退治の舞です。

 

久しぶりに舞うと話していましたが、私のブログでは2020年9月の六神石神社の

お祭り、その前は2019年7月下旬の塚沢早池峰夜神楽で舞っています。

 

手平鉦の方、平倉神楽さんの出番の時に何度かお見かけしており、お聞きすると、

石鳥谷で同系神楽をやっており、その縁で平倉の門を叩いたようです。

 

平倉さんはどのような演目もあっさりと舞っているように見えるので、

ちょっと損をしているような気がします。

 

息も絶え絶えといった表情を見せるとお客さんも喜びます。汗

 

まあ、この日は暑かったので、汗の量が熱演感を出していました。笑

 

平倉神楽さんの後は、土淵獅子踊りさん

 

土淵では、和野、野崎、須崎、柏崎、水内、土淵、似田貝で慶応から明治・大正まで

盛んに踊られ、大東亜戦争当時は戦勝祈願のために盛んに踊られたようです。

盛んに踊ったのは土淵だけではなく、またしし踊りに限ったことでもなく、

神楽も同様だったようです。

 

この文章の元は遠野今昔第十集に「土淵獅子踊りの由来」としてあります。

 

一方、「遠野の郷土芸能」には土淵(大杉)、足洗川、野崎、和野、山口、栃内集落が合同

したしし踊りがあり、次々無くなり、今は柏崎しし踊りだけだとあります。

また、「遠野郷しし踊り大図鑑」ではもともと柏崎、足洗川、和野

(野崎、和野、山口、栃内の集落合同)があり、後に柏崎しし踊りに収斂したとあります。

 

また明治12年の八幡宮例祭で踊りを奉納した時に遠野南部家から向かい鶴の紋幕を

頂いたといずれの書籍にもありますが、遠野南部家の南部弥六郎済賢はその明治12年に

60歳で亡くなっています。寂しい晩年を送ったと「新遠野物語」吉田政吉著にあります。

 

私のこだわる太刀振り(刀掛け)

 

続いて上宮守神楽さん

 

おそらく市内に現存する郷土芸能の中で南部神社と古くから関りがありながら、

付き合いが一番新しい団体だと思います。

 

南部神社と染め抜かれた幕を持つ唯一の神楽です。

 

明治15年に鍋倉神社として創立した時代に神社名の入った幟旗を貰っていることから

当時は遠野山伏神楽で、明治初期に道具類を焼失し、明治中期に復興したとあることから、

もしかするとその時期以降に早池峰系神楽の手が入ったかもしれません。

 

山伏系神楽らしい恵比寿舞の後は、早池峰系に近い下舞

 

最後はお約束の権現様によるカミカミ

 

最後は、鷹鳥屋獅子踊りさん

 

少数精鋭で頑張っての奉納

 

写真は別なシーンですが、小友町のシシらしく、投げ草で〆てくれました。

 

ここで復習です。

上宮守神楽さんや土淵・鷹鳥屋獅子踊りさんの幕は、この丸無しの向い鶴紋、

平倉神楽さんの幕は大迫の岳流早池峰神楽さんの丸に向い鶴紋で、

丸無しが遠野南部家の紋で、丸があるのは盛岡南部家の紋です。

コメント (2)
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