「初恋」
初恋には五つある。
幼稚園の時の初恋、小・中学校の時の初恋、高校・大学生の時の初恋、社会人となっての初恋、配偶者が亡くなってからの初恋、の五つがある。
僕は幼稚園へ行かなかったからではないが、幼稚園の時の初恋はない。
僕は幼稚園の頃何をしていただろうか。
僕の家は小田急線の線路のそばにあり、家と線路の間は花菖蒲か何かの花でいっぱい埋まった庭でつながっていた。
庭には屋根付の大きな井戸があり、そばの柿の木によくぶら下がったような記憶がある。
そして近所の子供たちもこの庭に来て一緒に遊んだようだ。
祭り半天を着て、長靴を履いて三輪車に乗った写真がある。
弟と二人で写っている。
弟はこの写真が初めて写った写真のようだ。
僕は赤ちゃんの時、丸裸で母親に抱かれている写真がある、これが初めて撮られた写真らしい。かわいいオチンチンが写っている。
男であるという唯一の証拠写真だ。
よく撮ってくれたものだと親に感謝している。
このころはまだ写真など一般家庭には広まっていなかったが、親父がかつて新聞記者で写真班をやっていた経験があるので、写真機など家になくても写真だけは撮っておいてくれたのだろう。
実際この頃鈴木家は苦労していたらしい。
お袋が体が病弱でいつも寝込んでいたので、親父が働きに出られず、二人のお姉さんに家の一部を飲み屋に改造して貸し、その収入だけで食いつないできたが、赤字続きでとうとう家を売ることになった。
二人のお姉さんは家を売ったときに店をたたんで引っ越したのかそれともまだ店を続けていたのか、この辺のことは親に聞いていないのでわからない。
さて、あ、何の話を書くんだっけ、どうも脱線してしまったようだ。
僕は小学生の時は模型ばかり作っていて、女の子には感心がなかったようだ。
というのはうそで本当は二人好きになった子がいる。
四年生の時 チューリップのようなかわいい女の子の後を追っかけたことがあった。
彼女は足が速く、渡り廊下のところで見失ってしまった。
それからのち彼女とは中学生の時同じクラスになったことがあったが、僕には他に好きな子がいたので関心はなかった。
きれいでおとなしい子だなと言うことだけが印象として残っている。
五年生になって『あの先生のクラスに入りたいなあ』と思っているクラスに組替えになり、僕は張り切った。
この先生は若くてハンサムで、行動力のあるバリバリした先生だった。
5点法の採点を野球に置き換え、一塁打、二塁打、三塁打、ホームラン、アウトとハンコを作り、作文や絵の採点に使った。
そして僕も張り切って勉強し、成績がクラスの中位から上位に上がり先生から一学期の殊勲選手としてほめられた。
ところが二学期はみんなが頑張ったのか、僕がさぼったのか成績は元の中位まで下がってしまった。
落胆して三学期を迎えたとき、東京から女の子が転校してきた。
何か変な顔の子である。
この辺では見られないようなちょっと変わった表情の子だ。
先生は彼女の転入を祝って、みんなで歌を唄ってあげようと言った。
このクラスでは朝礼と夕会の時に、日直が前へ出て唄い出しをリードし、みんなで歌を唄っている。
先生は「今日の日直 前へ出て唄いなさい。」と言った。
今日の日直は僕ともう一人、二人でやっている。
僕は朝礼の時唄ったので、僕は唄わなくていいだろうと思っていたら、先生は僕の名前を呼んだ。
仕方なく前へ出て歌い始めたが、一度唄ったからもういいだろうと思っていた気持ちと、初めて会う女の子の前で唄う恥ずかしさで僕は真っ赤になった。(歌も「赤トンボ」だったが)
僕の赤面症はこの頃から始まったらしい。
一通り唄い終わったが、僕はまだ上気していて先生が彼女の紹介をしている言葉など耳に入らなかった。
彼女は僕より少し背が高く、後ろの方の席に座った。
その日の昼休み、僕が赤くなったのを彼女と結びつけ「鈴木真っ赤になったぞ、大松のこと好きなんだろう」とクラスの悪童連中がはやしたてる。
この頃の小学五・六年生は異性に関心を持っているが素直に表面に表せないで、異性と遊んだり話したりすることをいやらしいとして、だれか異性と話したりするとすぐみんなでイビった。
実は僕も今まではそうだったんだが、イビられるといやなもんである。
僕と一緒にイビられている彼女もかわいそうになってきた。
ところが彼女は平然としているのである。
僕はだんだん彼女に興味を覚えてきた。
みんなのイビりもなくなって、僕たちのことが忘れられた頃、僕は逆にますます彼女にひかれ、ある日、家はどこなんだろうと思って下校するとき後を付けた。
踏切を越え、南へ向かって歩いていく。僕の下校する道と同じではないか。
なおも後を付けていくと、ますます僕の家の方へ向かって歩いていく。
おかしい、変だ、僕の家の近所には最近引っ越してきた人などいない。
もしかしたら彼女、後から僕が付けているのを知って、わざと僕の家の方へ歩いていくのかなとも思ったが、彼女が僕の家がどこにあるかなど知っているわけがないし、
などと考えながら歩いているうちに、僕のうちに行く露地を通り過ぎてしまった。
少し先に十字路があり、亀屋という酒屋の角を曲がっていく。
あっ、そうだ、この先に新しくできた県営住宅がある、そこに彼女の家があるんだなと気づいた。
彼女は右に左に路地を曲がって歩いていき、公園の近くまで行くといなくなってしまった。
しまったどこの家に入ったんだろう。
家の表札を一軒一軒覗いてみようかなと思ったが、近所の人に『この子ども何をしているのだろう』といぶかしげな目で見られるといやなので、あきらめて帰ろうとした。
その時公園の隅にある住居表示板が目に入った。
これはいいものがある。「大松、大松・・・・」(言い忘れたが彼女の名前は大松ゆりという)
大松という家は二軒ある。しかも一軒おいて隣である。
こんなに近いところに二軒もあるんじゃ、どっちの家が彼女の家か分からない。
とにかく彼女の家がこのどちらかの家だということは分かった。
これだけでも大きな収穫だ、今日は帰ろう。
それから僕は友達とエンジン飛行機や、ラジコンボートをやりに(もっとも僕の家は貧しかったので、もっぱら友達の手伝いばかりしていたが)行ったりして、それに夢中になり、大松さんのことはあまり気にしなくなっていた。
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