娘、11時を過ぎたのというのに話が終わらない。長い人生、おしゃべりしたいことがいっぱいある日に「早く寝なさい」と言うのも野暮ってもんよ!ってことで、とことん聞いてあげることにした。「大事なものを蹴られた失礼な話し」。
子どもの話を聞くのは大変。ほとんどが意味不明。
「ママ、もう最悪!もう、少ししか残っていない砂を欲しがるからあげたのに、蹴ったんだよ!むかつくー!」そうしてまた今晩も、娘と私の「訓練」開始。
親は子どもが言おうとしていることの意味はだいたい想像がつく。だからついついこのような会話では「何、今日、○○ちゃんに大事なものを蹴られちゃったの?」と言ってしまったりする。しかし、それをいっちゃあおしまいだ。この最低最悪の会話は、このままにしてはいけない。自分のためにも、子どものためにも。
こういった会話を何となく済ませていると、自分に「思い込みで聞く」癖がついてしまう。そして、子どもには「あいまいでも伝わる」癖がついてしまう。これはお互いのために良くないからだ。
人の話を聞く時は「5W1H」のツッコミが重要。
「そうなんだー。それは大変だったねー」
とあいまいな言葉を返して、まずニッコリ。その後で、質問を繰り返す。
「で、それっていつの話し?」
「今日だよ。」
「だよね、だよね~。そうだとは思ったんだ。で、誰にむかつくって?」
「○○ちゃん。いっつも自分勝手。今日も、最悪!」
「へえ、何が最悪だったのさ?」
「大事な砂を蹴ったんだよ。」
「何?砂って?」
「昨日ね、私が持っていた色のついた砂が欲しいって言ったの。もう残りが少なかったんだけど、どうしても欲しいと言うからあげたわけ。それを蹴った!失礼だよ。蹴るなら欲しがるな!!」
「へぇ~、外で砂を蹴ったの?」
「違うよー。なんで夜に外に出るんだよー。」
「ああ、夜だったの?なんで砂が、外でなくて蹴れるのさ?」
「入れ物に入れてたの」
「なるほど。ってことは、今日の夜、砂を入れた入れ物を○○ちゃんが蹴ったんだ。で、その砂っていうのは、あなたが大事にしていた貴重な砂だったわけね。ほんとは、それをあげたくなかったけど、仕方なく分けてあげた。それなのに、蹴ったんだ。」
「そうそう。むかつくでしょー!」
「確かに、むかつく。それは良くない。でもさ、なんで蹴ったの?」
「もう砂はいらないんだって。それもね、砂はいらないから入れ物を返してって言うんだよ。サイテーでしょ!!」
・・・。
こんな風に。
ツッコミを入れてみると本音がどんどん出て来る。
子どもとの会話は勉強になる。大人も同じことだから。
さて、認識ちがい。
自分が大事だと思うものを、自分と同じように、相手も大事だとは思えないものだ。それを共有しようと努力しても労力のムダ。認識のちがいを認めて歩み寄った方がいい。
娘、自分が思ったことをすっきり整理できたらしい。
「ママ、砂は返してもらう。入れ物だけ返すことに決めた。」
と、入れ物の中の砂を自分の袋に戻し始めた。
子どもは、さっぱりしてる・・・。
認識の違い。違うからこそ、人間、みーんな面白い!
【今日の名言】
『生きている価値は自分の中にある』
とん(←また、じぶんかよー)
【写真】『盾-シールド-』村上龍著。自分自身を知れば、自分の守り方がわかる。
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子どもの話を聞くのは大変。ほとんどが意味不明。
「ママ、もう最悪!もう、少ししか残っていない砂を欲しがるからあげたのに、蹴ったんだよ!むかつくー!」そうしてまた今晩も、娘と私の「訓練」開始。
親は子どもが言おうとしていることの意味はだいたい想像がつく。だからついついこのような会話では「何、今日、○○ちゃんに大事なものを蹴られちゃったの?」と言ってしまったりする。しかし、それをいっちゃあおしまいだ。この最低最悪の会話は、このままにしてはいけない。自分のためにも、子どものためにも。
こういった会話を何となく済ませていると、自分に「思い込みで聞く」癖がついてしまう。そして、子どもには「あいまいでも伝わる」癖がついてしまう。これはお互いのために良くないからだ。
人の話を聞く時は「5W1H」のツッコミが重要。
「そうなんだー。それは大変だったねー」
とあいまいな言葉を返して、まずニッコリ。その後で、質問を繰り返す。
「で、それっていつの話し?」
「今日だよ。」
「だよね、だよね~。そうだとは思ったんだ。で、誰にむかつくって?」
「○○ちゃん。いっつも自分勝手。今日も、最悪!」
「へえ、何が最悪だったのさ?」
「大事な砂を蹴ったんだよ。」
「何?砂って?」
「昨日ね、私が持っていた色のついた砂が欲しいって言ったの。もう残りが少なかったんだけど、どうしても欲しいと言うからあげたわけ。それを蹴った!失礼だよ。蹴るなら欲しがるな!!」
「へぇ~、外で砂を蹴ったの?」
「違うよー。なんで夜に外に出るんだよー。」
「ああ、夜だったの?なんで砂が、外でなくて蹴れるのさ?」
「入れ物に入れてたの」
「なるほど。ってことは、今日の夜、砂を入れた入れ物を○○ちゃんが蹴ったんだ。で、その砂っていうのは、あなたが大事にしていた貴重な砂だったわけね。ほんとは、それをあげたくなかったけど、仕方なく分けてあげた。それなのに、蹴ったんだ。」
「そうそう。むかつくでしょー!」
「確かに、むかつく。それは良くない。でもさ、なんで蹴ったの?」
「もう砂はいらないんだって。それもね、砂はいらないから入れ物を返してって言うんだよ。サイテーでしょ!!」
・・・。
こんな風に。
ツッコミを入れてみると本音がどんどん出て来る。
子どもとの会話は勉強になる。大人も同じことだから。
さて、認識ちがい。
自分が大事だと思うものを、自分と同じように、相手も大事だとは思えないものだ。それを共有しようと努力しても労力のムダ。認識のちがいを認めて歩み寄った方がいい。
娘、自分が思ったことをすっきり整理できたらしい。
「ママ、砂は返してもらう。入れ物だけ返すことに決めた。」
と、入れ物の中の砂を自分の袋に戻し始めた。
子どもは、さっぱりしてる・・・。
認識の違い。違うからこそ、人間、みーんな面白い!
【今日の名言】
『生きている価値は自分の中にある』
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