「アンティキティラの青年」
西暦1900年、海綿獲りの漁師が「潜水病」により次々と命を落としていた頃、ロードス島近くのドデカネス諸島・シミ島から海綿を獲りにチュニジア沖まで出かけていた小型帆船が、帰路、嵐を逃れてクレタ島とペロポネソス半島先端のマレア岬の中間にある寂しい島、アンティキティラ島に停泊した。嵐が収まった後、ここでも海綿を収穫しようとした漁師たちは、偶然にも海底に古代ギリシャの沈没船の積荷を見つける。
当時、ギリシャでも他のどこの国でも、考古学研究の目的で沈没船から古代の遺物を回収するような事例はなかったが、潜水服の発明が回りまわって考古学に貢献することになった。紀元前1世紀に占領地からローマに戻る途中に沈んだと思われる船から回収された遺物の中で最大の収穫は、当時見向きもされなかった世界初のコンピュータ「アンティキティラの機械」であろうが、美術的に最も価値が高いと思われるのは「アンティキティラの青年」と呼ばれる青銅の彫像であろう。
ブロンズという材料は海水に侵されない性質を備える。裸身の青年像は海の底に沈んだことで、陸地に遺された多くの青銅の彫像が辿ったように破壊されて鋳直されることなく、二千年の歳月をほぼ完璧な姿で生き延びることができたのだろう。実際「アンティキティラの青年」が展示されているアテネ国立考古学博物館には、青銅の彫像は十体を数えるほどで、その殆どはアンティキティラ以降に沈没船から発見されたものである。
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