わたしは1931年(昭和6年)12月1日に上野動物園にやって来たライオンです。日本との友好関係を願うエチオピア皇帝ハイレ・セラシェ一世からの親善大使として、夫のアリとともに贈られてきたのです。翌年8月にはおすめす2頭の子を産みました。この息子と娘はブルドックのお母さん茶目に育てられ、永田東京市長により富士・桜と命名され、当時大変に話題になりました。わたしは1942年までの11年間に21頭の子を産み、元気な子どもたちは日本全国の動物園に贈られ、各地で人気者になりました。
わたしたちがハイレ・セラシェ皇帝の願う平和の大使としての使命を果たせたのは、短い間でした。わたしの夫のアリとともに戦時猛獣処分により、1943年(昭和18年)8月22日に16年の生涯を終えたのです。このときゾウ、トラ、ヒョウ、チーター、クマ、パイソン、ガラガラヘビなどが、わたしたちといっしょに命を落としました。
戦後、平和がもどり、上野動物園にはふたたび世界各地からの親善大使がやってきています。多くの動物たちが末永く平和の大使として活躍できることを願っています。
エチオピア親善大使 カテリーナ
写真は文中のライオンではありません
わたしたちがハイレ・セラシェ皇帝の願う平和の大使としての使命を果たせたのは、短い間でした。わたしの夫のアリとともに戦時猛獣処分により、1943年(昭和18年)8月22日に16年の生涯を終えたのです。このときゾウ、トラ、ヒョウ、チーター、クマ、パイソン、ガラガラヘビなどが、わたしたちといっしょに命を落としました。
戦後、平和がもどり、上野動物園にはふたたび世界各地からの親善大使がやってきています。多くの動物たちが末永く平和の大使として活躍できることを願っています。
エチオピア親善大使 カテリーナ
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