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Tomotubby’s Travel Blog

Tomotubby と Pet の奇妙な旅 Blog。
でもホントに旅 Blog なんだろうか?

不排列西班牙館進入的方法

2010-10-13 | Asia 「圓」な旅
人気のスペイン館に並ばないで入る方法。不人気のEゾーン ベストシティ実践区にある、マドリッド実践例館、パビリオン実践例館(中部)のビルバオ実践例、バルセロナ実践例を廻り、三ヶ所のスタンプ(左の3個)をパスポートに押してもらい、黄浦江を渡ってスペイン館の入り口でスタンプを提示すると、行列に並ばないで展示を見ることができます。実践区のパビリオンに入館する際に行列することはほぼありません。スペイン館に入る際には、パスポートに日付を記入されるため、二度の優遇措置を受けることは不可能です。




中国2010年上海世博会護照

2010-10-11 | Asia 「圓」な旅


ジャカジャカジャーン。 Twitter では既に何度か呟いていますが、上が人民の皆さんに大人気の万博ハスポート「上海世博会護照(簡体字だと护照)」であります。右のタイプが下の「中国人民共和国护照」を真似たもので、表紙の色は緑色の他にも、オリジナルに近い茶色と、ブルーがありまして、どちらかというとこちら、大人に人気があります。

中国人民の皆さんにとって海外旅行は未だ高嶺の花なので、万博でこれを持って疑似海外旅行などしてみようということなんでしょう。左のタイプが人気の海宝をあしらったもので、専らお子様に人気でした。初刷は各ページにパビリオンの絵が印刷されていて稀小価値アイテムらしく、それを持っていた人民のおばさんに何気なく自慢されましたが、そのとき気づいてあげられないで可哀相なことをしました。おばさんは少し寂しそうでした。パスポートのページはパビリオンの数より少ないので、韓国パビリオンのページがあるのに、朝鮮パビリオンのページがないなど、いろいろと物議を醸しているようです。

八号館から入場した私はアフリカ共同館の手前の案内所の壁に「护照」の貼り紙を見つけ、中に入ってみたところ奥の部屋に黒山の人だかり。お行儀よさそうに見えた人民の人たちも、ここぞとばかり「非文明」の本領を発揮して、パスポートを奪い合っていました。「文明観博靠大家、护照購買不争抢」と私は言いたい。参考までにどちらのタイプも30元で、人民の人たちの多くはお土産用にするのか五冊、十冊と複数購買に走っていました。中国人民的購買力、恐るべし。

実は入国前から、万博会場内でのパスポートの入手が難しいので浦東空港の売店で見つけたら即ゲットすべし。との情報を得ていたので、空港内にブックショップを見つけて探しましたが、既に売り切れていました。会場内ではたくさん売られているのを目にしましたので、慌てて買わないでもいいでしょう。因みにこの売店では日本語版の「中国2010年上海万博公式ガイド」が売られていて即ゲットしました。日本語版は会場では見当たらなかったので、ここで買うのがおススメです。ても、これってアマゾンでも売られているんですね。帰国後に知りました。とほほ。

空港の書店で見つけて買った珍しい逸品がこちら。「萬国印集」 50元。公式のものではないのですが、パスポートより大判サイズで、地域別に万博参加国が並べられていて、それぞれの国ごとに篆刻までつけられているのです。まさに中国テイスト炸裂。会場内ではこの「萬国印集」を持っている人民の方を一人として見つけることはなく、各パビリオンでスタンプを押してもらうときには人民の方々の羨望の眼差しを感じました。でもツルツルの上質紙を使っていて、スタンプが滑って押しにくいのが難でした。

2010年型 上海ベイビーの股割れパンツ

2010-10-10 | Asia 「圓」な旅
このブログでは「上海ベイビーの股割れパンツ」と題して、中国四千年伝統のベビー服(「開襠褲」というらしい)を写真入りで紹介したことがあります。パンツのお尻の所が縦に割れていて、しゃがむとお尻が露出するので、パンツを脱がないでもすばやく用が足せるというすぐれモノ?です。こういう服は直腸検査の際に着る服として採用すればよいのではないか。と医療現場におられるまゆぞう師匠から貴重なご意見も頂きました。また、この記事にTバックを頂いた東北地方ご出身のアルバイト探偵さんからは、これと同じような服を子どものときに着せられていたという貴重な証言まで頂き、日本でも同様の風俗があったことを知った次第。

その記事の写真は、昔に上海を旅した際、豫園商場で撮影したものですが、2010年万博を開催するまでに成長した現代中国、それも最先端の上海において、さすがに「股割れパンツ」の風俗は絶滅しているだろうな。と思っていましたが、なんと万博会場で遭遇しました。オランダ館のスロープを上がっていると、お母さんに手を引かれた男の子が穿いていたのです。お尻の部分が割れているというよりむしろ丸く刳り抜かれていて、昔豫園商場で見たものに比べて露出度が上がっています。進化型股割れパンツ!

開襠褲

なお、冒頭に「中国四千年伝統のベビー服」と書いたのは何も茶化して言ったわけではなくて、ウィキペディアに「開襠褲」のことが出ていたからなのです。これによると「春秋戦国時代の頃の中国では、大人も股割れズボンを履いていた。それ以前は袴のような物を着ていたが、冬の寒さから足を守るためにズボンを履くようになった。尻には肉があり寒さに強いためか隠さなかったらしい。またその頃、人は座る時、股を隠すため正座をしていたという。漢の時代になると、戦時馬に乗る時に不都合なためやがて股割れズボンは履かなくなった。」ということです。正座の習慣は、股割れパンツによって生まれたものかもしれません。これ、新説かな?

「開襠褲」てぐぐるとベビー服ではない大人の女性用もいろいろと引っかかります。どうやら、こちらも中国四千年の伝統のようです。

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揭秘史上皇帝最無恥的“性”革命創意

中國古代皇帝大都後宮擁有三千佳麗,因而歷史上很少有不風流成性、荒淫無度的皇帝。這些皇帝在朝堂上日理萬機之後,就把召幸後宮嬪妃做為本人輕鬆一把的娛樂生活。但是,有的皇帝面對三千佳麗,日復一日,夜復一夜,如此這般地召幸嬪妃感到十分厭倦,便想方設法實行性生活革命。於是,中國皇帝後宮的歷史上就出現了最荒淫無恥的三大性革命創意。  

第一大最荒淫無恥的性革命的創意,當屬東漢時期改革嬪妃宮女的服裝。讓嬪妃宮女都穿上開襠褲,以方便皇帝隨時臨幸,這也能夠說是反映在後宮性生活中的第一次服裝革命。而這個最荒淫無恥的性革命創意,正是來自漢靈帝劉宏這位大漢天子的非凡靈感。
漢靈帝是一個精力十分旺盛的好色皇帝。他在後宮裏隨時隨地看中了哪個女子長得美艷動人,就拉到床上交歡。為了本人臨幸方便快速,他便規定宮廷女子都必須穿著開襠褲,這樣臨幸起來既方便快速,有省時省力。與此同時,他還下令在西苑修建了一個“美人裸遊館”,讓人採來色的苔蘚並將它覆蓋在臺階上面,引來渠水繞著各個門檻,環流過整個裸遊館。他選擇玉色肌膚、身體輕巧的歌女執篙划船,搖漾在渠水中。在盛夏酷暑,他命人將船沉沒在水中,觀看落在水中的裸體宮娥們玉一般華美的肌膚,然後再演奏“招商七言”的歌曲用以招來涼氣。渠水中所植的蓮花荷大如蓋,高一丈有餘,荷葉夜舒晝卷,一莖有四蓮叢生,名叫“夜舒荷”。又因為這種蓮荷在月亮出來後葉子才舒展開,又叫它“望舒荷”。
晉代文人王嘉在《拾遺記》中就有關於漢靈帝“裸遊館”的記載。說的是初平三年,漢靈帝在西苑,也就是人們時常所說上林苑裏建了一座“裸遊館”,規模雄偉巨大,光館閣就有一千來間,為的就是在這裡進行各種遊樂活動。其中之一就是,讓年輕美麗的宮女們“共裸浴”,“西域所獻茵墀香,煮以為湯,宮人以之浴浣畢,使以余汁入渠,號‘流香渠’”。異國進貢的奇異香料,煮成芳香的洗澡水,讓宮女們來集體洗澡。更出色的是,用過的洗澡水,帶著殘香和女人身體的氣味,被傾倒在裸遊館內的曲渠裏,形成了“流香渠”。一個帶著香氣和體溫的意象,環繞在“引渠水以繞砌,周流澄”的館閣之間,波光脈脈,流動徘徊。這樣的創意效果,正是漢靈帝所刻意追求的最荒淫無恥的皇宮生活。
  
第二大最荒淫無恥的性革命的創意,無疑是晉朝的開國皇帝晉武帝司馬炎推出的“羊車臨幸嬪妃法”。
晉武帝窮奢極欲,荒淫無度,一登龍位,即選徵天下美女以充後宮,結果先後竟然選徵了一萬多名宮女入宮。後宮有了這麼多的佳麗,晉武帝便把一門心思撲在女色上。
這些美女無不玉骨冰肌,溫漂亮艷,令人消魂,竟讓晉武帝眼花繚亂,無從下手。於是,他靈機一動,發明瞭羊車召幸法,就是本人立在羊拉的禦車上,遊歷宮苑,不管走到了什麼地方,只需羊車在那個嬪妃宮前停住,就召幸那個嬪妃。
整個後宮,就只有晉武帝這一個男人,那成千上萬的美女無不整日整夜地期盼著與晉武帝一度良宵。於是,其中有些聰明的美女想出一個辦法,將竹葉子插在門口,地上灑了許多鹽汁。羊生性喜歡吃竹葉,又喜歡吃鹹的東西,因而就停下來不走。這些美女就得到了晉武帝惠顧臨幸的機會。不久宮裏的美女都知道了這個辦法,便紛紛仿傚,以至於戶戶門前都插上了竹,地上都灑了鹽,誰知道羊比人還聰明,也變得刁猾起來,隨便地走隨便地停,不再被這些竹鹽所誘惑。美女們沒有辦法,只好聽天由命了。但是,晉武帝依然立在羊車上,遊歷宮苑,日日笙歌,夜夜消魂,直弄得筋疲骨軟,身心衰頹。

第三大最荒淫無恥的性革命的創意,應該是隋煬帝楊廣發明的寓性生活于娛樂之中的“任意車”。
隋煬帝發明的這種“任意車”並不同於晉武帝的羊車。“任意車”是煬帝特地用來臨幸童女的小車。小車上暗藏機關,能夠縛其手腳,讓童女無法動彈。因為所縛童女一點也不能動,所以行幸時能夠毫不費力。
《隋煬帝艷史》第三十一回就有隋煬帝得到此車後快不可言的描寫:他就把一個只有十二三歲的名叫月賓的女孩子哄上了車,謊稱要陪她去各處遊玩。月賓不知是計,方才上去早有許多金鉤玉軸將她的手腳緊緊攔住,煬帝看著大笑道:“有趣,有趣。今日不怕你走上天矣。”隨將手來解她的衣服。月賓先猶不知,見煬帝來解衣,忙伸手去搪,卻哪動得一毫?這才心慌起來。煬帝見她這樣更覺歡暢,哪顧得她死活,便解了衣服恣意去尋花覓蕊,痛得月賓驕喘不遞,渾身香汗沾沾……此刻她“含顰帶笑,一段楚痛光景,就像梨花傷雨,軟軟溫溫,比昨夜更覺十分可人”。
更為殘忍的是,這個女孩子被蹂躪一兩個時辰後,“月賓抽出手來,便不管一二,竟連身子倒入煬帝懷裏說道:‘萬歲也太狠心,便不顧人死活。'”她在經歷了如此的折磨以後竟然還能調情與賣乖,這確實是一段驚心動魄的文字!有了這點乖巧,煬帝才會抱住她笑道:“顧了你的死活,朕的死活卻叫誰顧?”說完這些話,二人偎依了一會,方走下車兒,依舊同到繡闥中去玩耍。
擒觀二千年來歷朝歷代的皇帝,漢靈帝、晉武帝、隋煬帝無疑是他們之中在荒淫無恥宮廷生活上最富有創意的皇帝,而那些後宮之中的無數嬪妃宮女也無疑是這些創意皇帝手中最為悲哀悽慘的玩物!由此可見,那個皇帝在性生活改革方面的創意越“高明”,那他的後宮嬪妃宮女們的命運就越悽慘。

【Twitter 拡張版】 大阪万博と上海万博

2010-10-04 | Asia 「圓」な旅
10月03日




20:31 from web
40年前の日本万国博。国際共同館のアフリカブースで盗難が相次いだ。タンザニアでは「ルビーの原石」、ガーナは「象牙製民芸品」、マダカスカルは「絹の敷物一枚、草かご一個、牛の木彫り一個」、中央アフリカは「木の実二個」。
20:34 from web
アフリカ諸国は「日本の皆様に手で触れてもらうのが目的だったのに」と嘆いたが、展示品はガラスケースに納められることに。(串間努「まぼろし万国博覧会」)

10月04日




08:49 from Keitai Web
日本万国博の記録を読んでいる。日本人特有の慎み深さを別にすれば、現在上海に集まっている人民の方々の所業は、40年前、全国から大阪に押し寄せたオノボリさんたちと大差がないことが分かる。

10月05日




08:44 from Keitai Web
上海万博のパスポートの原形は、大阪万博のスタンプ帳にあったのでは? 実家に横長で赤い表紙のスタンプ帳があったけど、全ページにスタンプが押してあった。
by tomotubby on Twitter

文明観博靠大家

2010-10-03 | Asia 「圓」な旅
上海万博入場ゲート前の「遵守公共秩序 文明有序入園」のスローガンを見て、マナーの悪い人民の方々が少なからずいるように思えて少し怯んでしまいましたが、入場してみると、人民の方々の「非文明」度はさほど酷くはありませんでした。おそらくは政府のマナー向上キャンペーンが奏して、万博が始まった頃に比べて人民の皆さんのマナーが向上したのではないかと思われます。



ゲートにあったスローガンほど大きな字ではないのですが、会場で目立っていたのが、パビリオン入場時の行列スペースの屋根などに設けられた

「文明観博靠大家」

の七文字で始まる各種のスローガンでした。「靠」は英語で言えば depend だから、「文明観博靠大家」は「博覧会の観覧が(外国人から見て)文明人のもの(と捉えられる)かどうかは貴方達にかかっています」というような意味なのでしょう。その次に来る七文字にはヴァリエーションがあり、全部でスローガンが何種類あるのかは不明ですが、待ち時間は暇なのでいくつか写真に撮ったり、書き写しておきました。上の

「言語文明不喧嘩」は、「文明人のような言葉を使って、喧しくしないこと」というような意味でしょうか。次の



「耐心等候不插队」は、「忍耐強く行列に並んで待ち、横入りはしないこと」で

「控烟区域不吸烟」は、「禁煙エリアでは、喫煙しないこと」という意味でしょうか? 他にも

「垃圾分类不乱扔」「ゴミは分類して捨て、ポイ捨てはしないこと」

「爱护展品不乱碰」「展示品を大切に扱い、むやみに触らないこと」

「领取赠品不争抢」「ノベルティを貰う際は、奪い合わないこと」

などが見つかりました。よく見ると、七文字の五番目がみんな「不」に揃えてあり「べからず」集になっていることが判ります。これらにいちいち「文明観博靠大家」がつけられると、まるで小学校の校則のようで、「ルールを破ると恥しいですよ。みんな見てますよ」と言わんばかりでした。

遵守公共秩序 文明有序入園

2010-10-02 | Asia 「圓」な旅
主に上海万博のことを書くつもりで、浦東空港到着から順を追って書き進めてきましたが、ここまでのところ万博に関するのはマスコットの「海宝」くらいで、この調子で進めますといつまで経っても万博会場に辿り着きそうにありません。ということで、泊まったホテルの建築が凄かったとか、豫園商城が芋洗い状態だったとか、バンドの夜景が香港みたいだったとか、和平飯店のジャズバーでいろいろリクエストしたとか、上海蟹には少し早いので蟹味噌入りの小籠包などを食べたとか、そういうのはひとまず全部後回しにして、ここでいきなり上海世博会の八号門にワープすることになりました。

Shanghai EXPO Gate No.8
はい。八号門。

天気予報ではこの日はあいにくの雨模様と聞いておりましたが、天は我に味方して天気はまずまずの万博日和、朝6時半に起きて身支度して、7時半までにはホテルで朝食を食べ終え、そのまま会場に直行して、ゲート前で9時の開場を待ち、あわよくば中国館の入場整理券をゲットする。という予定でしたが、このように予定通りに事が進むことはむしろ珍しく、朝起きたら既に7時半、久々のブッフェ朝食の盛り沢山メニューを目の当たりにして、万博見物は体力勝負だからここはしっかり食べておかねばと決意したせいで、食事を終えたら既に9時。それから中国銀行でお金を両替したりトイレに行ったりぐずぐずしていたので、ホテルで「エキスポタクシー」を呼んでもらって、浦東側の西の端にある八号門に直行しました。

万博会場には入場ゲートが沢山あるのですが、地下鉄駅から離れている不便なゲートから入場する人民の方々は恐らく少なかろうと、一番辺鄙そうな八号門を狙ったのでした。会場周辺は交通規制がされておりまして、自動車ではエキスポタクシーなる、赤い中国館がボディに描かれた「エクスポタクシー」のみが、入場ゲート近くまで直接アクセスできるのです。エクスポタクシーは数が限られているため、開門時間前後は掴まえるのが難しいのですが、9時半を過ぎると客を降ろした空車が市内に戻って来るので掴まえやすくなるのです。

しかしエキスポタクシーの運転手とあろうものが、こともあろうに八号門への行き方を知らず道を間違えて引き返すという体たらくのお粗末君で(もちろんメーター通りにお金を支払わなかったので、彼は憮然としていましたが)時間をロスしたせいで、出国検査並みの荷物検査を終えたこの時点で既に10時を過ぎておりました。見上げると赤地にでかでかと、

「遵守公共秩序 文明有序入園」

と書かれています。これぞ中国四千年の伝統の「対聯」のようにも見えますが、こんなのをここに掲げないといけないのは、公共秩序を遵守しない非文明人が沢山いるせいなのでしょう。中国館の入場整理券を貰うのに、中国人民の老若男女が取っ組み合いの喧嘩をしていると聞いていたので、変に納得してしまいました。そこからさらに迷路のようなくねくねした順路を進んで、荷物の再検査を受けたらやっと入場です。

磁浮的延伸計画

2010-09-26 | Asia 「圓」な旅
「浦東国際機場」からリニアモーターカー「磁浮」の終着駅「龍陽路駅」までは、わずか8分足らず。ここから上海の中心に向かうには地下鉄にのり継がなければならないのです。ところが、磁浮駅が地上の高架駅であるのに対して、地下鉄駅は通りを隔てた向こうの建物の地下。地下鉄のホームに降りるにはエスカレータはなく、エレベータも身障者用で鍵がかかっていて使えないときます。確かに空港から龍陽路駅まで「磁浮」に乗れば10分とかからないんですが、乗るまでの待ち時間、乗り換え時間、荷物の上げ下ろしまで考えると、果たして「磁浮」は便利な乗り物なのでしょうか。


龍陽路 磁浮駅にもいた海宝

当初「磁浮」は万博会場まで直結される予定だったそうですが、周辺住民から延伸に際する立ち退きや磁気に起因する健康被害に反対する声が上がり、着工が遅れ完成が万博開始に間に合わなくなってしまったそうです。上海政府は万博終了後に磁浮を延伸する計画で、万博跡地の公園近くに「世博園駅」を作り、さらに黄浦江を潜る隧道に磁浮を通して「上海南駅」に繋ぎ、「虹橋国際機場」に、さらには「杭州」まで開通させるとのことです。技術供与を行ったシーメンスは安全確保の難しさから磁浮の延伸を渋っているとも噂されています。


磁浮、最高時速 431km

2010-09-25 | Asia 「圓」な旅
待ちに待った「磁浮」の登場で大昂奮の中国人民の皆様。彼らとともに車内に乗り込みました。「磁浮」の内装は網棚に黄色のアクセントが施してあるだけでほぼ白一色、そこにどこかくたびれたライトブルーの座席カバー。という中国四千年伝統的配色が、どうも垢抜けない感じで、ちとがっかりしました。改めて後で観た外観もモノレールみたいでもっさりしていて冴えないです。側面を見るとやはり黄と青のストライプが見つかります。



しかし、そのような外観上のマイナス面を補っても余りあるほどに、「磁浮」のスピードはそれはもう凄まじく速かったのです。日本の新幹線ならニュースが流される位置に、リアルタイムでスピードが表示されるので、私はずっと見ていました。滑り出しの数分、浦東国際機場を出発して左に大きく曲がるまでの助走の間のスピードは、わが新幹線とさほど変わらないなのですが、直線コースに入ると「磁浮」はぐいぐいとスピードを上げます。その分揺れも大きくなり、何かの拍子で、線路から外れて飛んで行ってしまわないかと心配になるくらい。後半には遂に時速 400kmを超え、到着駅の龍陽駅に近づき線路が右に曲がって減速する直前には 431kmのまま数字が動かなくなりました。



私はかつて小平が来日して新幹線に乗った際に、そのスピードに驚き、後ろから鞭打たれているように速い。中国にはこのスピードが必要だ。と漏らしたという記事を思い出しました。それから30年が経ち、彼の改革解放政策は実を結び、中国経済はまさに破竹の勢いで発展し、遂に上海万博を開催するに至ったわけなのです。