萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第60話 刻暑 act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2013-02-12 23:40:50 | 陽はまた昇るanother,side story
厳しくても、その先へ



第60話 刻暑 act.1―another,side story「陽はまた昇る」

夕食が、いつもより喉を通り難い。
今日で5日目になる新隊員訓練は噂の通り、体力を連日消耗させていく。
その疲れが咀嚼の動きを鈍らせる、それでも食べなくては体が保たない。

…頑張って食べるのも、夢のためなんだ…そうだよね、お父さん?

心に言い聞かせながら、鶏の照焼を箸先で切る。
いまこの場所で斃れてしまったら「父の軌跡」を辿るなど出来やしない。
その向こうにある自分の夢を、手塚との約束を叶えるためには今、この場所で生き抜いていく。

『東京大学大学院 農学生命科学研究科 修士課程学生募集要項』

あの書類を昨夜も寝る前に眺めて、自分の将来に微笑めた。
あの入学試験を自分も受けに行く、そして手塚や美代と同じ植物学の世界に立ちたい。
そうして夢を叶えることが父も喜んでくれる、それは自分にとって心の杖になっていく。
そう解っているのに今既に、鶏肉の匂いすら食べ難いほど体が疲労を訴える。

…疲れすぎてるね、暑かったし…そうだ、お酢かけてみよう、

酢は疲労回復に効果が高い、そう思い出して食卓酢に周太は手を伸ばした。
鶏の照焼に酢を掛けまわし、ひとくち箸で口に運んで噛んでみる。

「ん、…おいし、」

酢が肉の臭みを消して甘みをひきだし、美味しい。
これなら何とか食べられる、そう感じるほど風呂を済ませた後なのに怠さが酷い。
やはり炎天下でのレンジャー訓練は正直辛かった、けれど銃器対策に配属された後の異動後は、もっと厳しい。

…あの場所に行ったら何倍も厳しい訓練になるんだ、今ここでバテるなんて、絶対に出来ない、

今の訓練も当然厳しい、今日も太陽に熱された壁の登攀は苦しかった。
これだって熱射病など当然危険だ、けれど銃火を潜りぬけるような「死線」ではない。
それが日常になる日まで2ヶ月を切ったな?そんな自覚が逆に肚を据わらせて、疲労の嘔吐感が薄らいだ。

…あ、俺も意外と、図太くなったね?お父さん、

心で父に笑いかけて、なんだか心が和み微笑める。
こうした精神耐久も訓練の内だろう、それを父も今の自分と同じ年頃に通り、生きていた。

…お父さんはこの時、何を想ってたの?…本当は何をしたかったの?

そっと心裡に問いかけて、今の自分と父を重ねて考える。
こんなふうに父をトレースしたくて自分はここまで来た、そして見つめる事は哀悩が強い。
それでも父の本心を願いを、祈りを全て知りたくて、訊けなかった父の聲を聴くために今を選んだ。
その全てが自分にとっては父への贖罪と愛情、けれど父はこうした想いとは別の目的でここに居た?

…お父さんがどうして警察官に、それも狙撃手になったのか…俺は納得できないよ、お父さん?

今日まで解かった事実は、祖父がフランス文学者だったこと。
祖父は東京大学の教授で祖母は教え子だったこと、英二の祖母である顕子と知己なこと。
顕子は幼い日の父を自宅に招いたこともある、そして顕子と父は目許がそっくりに似ていた。
だからもう解かる、おそらく英二の祖母と父には何らかの血縁関係がある、それを英二は知って隠している。

…だから英二とお父さん、どこか似てるんでしょう?きっと英二のお父さんも若い頃、お父さんと似てたね?…でも、なぜ隠すの?

英二は知りながら周太に隠している、その理由も今は解らない。
なにか隠すべき理由があるとしか解らない、まだ父の真相は何も見えない、何も自分は知らない。
それでも感じることは「父は警察官らしくない」という姿ばかりで、父が警察官になった理由が見えない。
それでも確実に解かっていることは今、自分は警察組織にあって「監視」されている異様な現実だけ。
それは新宿署長の態度と顛末から解かる、それから2度の射撃大会で感じた40代の男の視線と空気。
そして、異動直前に続けて現われた「彼」の存在が、自分が今いる現実が異常だと気付かせる。

…普通、卒業配置から所轄の特練になって大会に出るなんて無い…それが認められて、しかも初総が終わってすぐ異動だなんて、

こうした配属のされ方は普通は無い、それは先輩たちの会話から解かる。
それなのに、周太への異例な措置を誰もが不思議がりながら納得してしまう、この「納得」も異様だと感じる。
確かに実力社会の警察組織なら能力を示せば認められるだろう、それにしても縦社会の規律遵守が強いはずなのに?
そう考えていくと自分への様々な「異例措置」を感じて、周囲の納得も何かの力が働いた結果だと気付いてしまう。
この仮定めぐらす思考の涯に現れるのは「彼」の存在、そして父との繋がりを頭脳は探ろうと推察が動き出す。

…人事ファイルを見れば顔で探せるかもしれない、あの人のこと…でも俺だけの力じゃ今は見られない、

まだ自分には何の権限も無い、ただの任官2年目の平隊員に過ぎない。
それでもファイル閲覧権限者の援けがあれば出来る、その権限者は身近に3人いる。
きっと言えば喜んで援けてくれるだろう、そう解かるから尚更に援けを求めたくない。

…巻き込みたくない、安本さんも後藤さんも…誰より光一だけは絶対に、嫌だ、

後藤と安本は当然のこと、光一にもファイル閲覧権限がある。
9月に光一は正式に小隊長に就任する、それに伴い指揮官の権限を持つ。
けれど実質的に引継期間である今既に、光一には様々な権限付与がされている。
だから新隊員訓練が終わった後に光一は第2小隊の夜間訓練に立会い、指揮官の立場に従っている。

光一は同齢でも年次、階級、立場の全てが上、警視庁山岳会での発言力も強い。
そして能力が頭脳も体力も共に高いと知っている、狙撃能力すら自分より遥かに上だ。
なにより光一流のヒューマンスキルは独特の魅力で相手を引寄せ、親愛と敬意に信頼を築ける
そんな光一に不可能は少ないだろう、だから協力者になれば頼もしいと解っている、けれど嫌だ。

…光一は自由なまま山に生きてほしい、ずっと…これ以上はもう、俺のために何も背負わせたくない、

もう1月に自分は、光一を共犯者にしてしまった。
青梅署の弾道調査で自分は威嚇発砲の罪を犯した、それを光一は階級と立場を利用して肩代わりしてしまった。
そんな光一だから今も巻き込みたくなくて「監視」を光一から逸らしたい、だから幼馴染の関係も隠させている。
このまま個人的関係の真実は隠匿したい、そのためにも自分がここで弱音を見せる訳にはいかない。

…きっと俺が倒れたら光一、面倒見ようってしてくれる。そうなったら親しいことが解ってしまうから…ちゃんと食べないと、

いま食事を摂る、それが光一の安全も自分の夢も守ることに繋がっていく。
その全てが「父の軌跡」を辿らせてくれる、そう意志に微笑んだ心にまた勇気ひとつ明るんだ。
こんなふう勇気が大きくなったら少しだけ、また自信に繋がって「いつか」唯ひとつの想いに胸を張れる。
そんな想いが心を支えて、酢の風味にも援けられながら箸を動かしている隣から、朗らかに声掛けられた。

「おつかれさま、湯原くん。今日こそ晩飯一緒してイイ?」

テノールの声に顔を上げると、底抜けに明るい目が笑ってくれる。
異動して4晩ずっと夕食は一緒の時間にならなかった、だから今日が初めて同席になる。
この今も「監視」は気になるけれど幼馴染の笑顔に寛ぎたくて、それでも他人行儀を作り周太は笑いかけた。

「どうぞ、国村さん。今日もおつかれさまでした、」
「ホント今日はおつかれだよね、暑いしさ?あ、コッチだよ、」

同じよう他人行儀で応えてくれながらも瞳は笑んで、光一は向うに手を挙げた。
そちらから湯上りらしい男達が4人笑って、こちらに来るとトレイを置き食卓へ着いていく。
誰もが引締まった体躯に肩が厚く半袖の腕は逞しい、そんな面々に笑って光一は口を開いた。

「湯原くん、紹介するね?山岳救助レンジャー第2小隊の仲間だよ、齋藤は俺と同期なんだ、大卒と高卒で教場は違うけどね、」
「初めまして、湯原くん。今、二年目なんだってね、」

斜向かいから気さくに笑った貌は、年長らしい落ち着きがある。
光一の同期で大卒なら自分の4歳上だろう、その年齢と年次差に周太は少し姿勢を正した。

「はい、そうです。よろしくお願いします、」
「こっちこそよろしくな。本田、おまえとも湯原くん、齢が近いってことだな?」
「はい、」

呼ばれて光一の向こうから、短めの髪がこちらを見てくれる。
その貌はまだ大学生のよう若くて、けれど落着いた山ヤらしい明るさが笑ってくれた。

「俺のほうが1歳下です、でも年次は3年上ですけど、」

3年次上の1歳下なら、本田は高卒任官なのだろう。
たとえ年下でも年次が先輩なら警察組織では目上だ、そう認識した隣で光一が愉しげに笑った。

「本田さん?先輩風ふかすんならね、チャンと面倒も見てやって下さいよ?湯原くんはね、俺の可愛い同時配属の仲間なんですからね、」
「はい、もちろんです、」

朗らかに笑って日焼顔は頷いてくれる。
明朗、そんな言葉の似合う笑顔ほころばせて、本田は言ってくれた。

「湯原さん、俺の同期が銃器対策にいるんです。明日の朝飯にでも紹介します、」
「ありがとうございます、」

提案に心から感謝して、周太は微笑んだ。
元来が内気の自分は初対面だと話しにくい、けれど既知の人から紹介があれば少し気楽になれる。
そういう周太を解かっているから光一は今、自分の部下と食事を同席させてくれたのだろう。

―こういう気遣いとか優しいね、光一は…押しつけがましさが無くて、いつも自然体で、

天性の大らかな明るさと優しさ、それが光一のリーダー的素質を輝かせる。
まだ今日は5日目、けれど今一緒に座っている4人はもう敬意と親しみを光一に示す。
初日の夜は「アウェー」だと光一は笑っていた、それが覆ったと解かる明朗にテノールの声は続けた。

「で、齋藤の隣が浦部さん。北アルプスのプロだよ、特に穂高はね、」
「地元なだけです、プロって国村さんに言われると困りますよ?」

困ったよう言いながら浦部は箸を止め、周太の向かいから微笑んだ。
日焼の痕が薄赤い笑顔は白皙に端正で、謙虚に穏やかな思慮深さがにじむ。
その雰囲気がどこか懐かしい?そう見つめた隣から可笑しそうに光一が答えた。

「地元ダケじゃないでしょ、浦部さん?日大山岳部って言ったら北アルプスがメインですよね、」
「そこまで言われるとプレッシャーですよ、俺。よろしく、湯原くん、」

笑って光一に応えながら浦部はこちらを見、爽やかに会釈してくれる。
その空気感にふっと俤を想いながら、周太は素直に笑いかけた。

「よろしくお願いします。穂高だと、松本か高山のご出身ですか?」

穂高連峰は長野県松本市と岐阜県高山市の間に連なっている。
その穂高が地元なら出身はどちらかだろう、そう見当つけた質問に浦部は頷いてくれた。

「あたり、松本の出身だよ。湯原くんって山のこと詳しいんだ?」

意外そうに浦部は涼しい目ひとつ瞬かせ、楽しげに笑ってくれる。
その雰囲気が逢いたい人と似ているようで、そっと思慕を見つめて周太は微笑んだ。

「家族が山好きなんです、それで少しだけ、」
「そうなんだ、じゃあ穂高も来たことある?」

嬉しそうに尋ねてくれる笑顔が、顔立ちは全く違うのに寛げる。
同じ山好きだから同じ雰囲気もあるのだろうな?そんな同じに周太は笑いかけた。

「はい、涸沢ヒュッテまでですけど、小さい頃に連れて行って貰いました、」
「じゃあ梓川のコースを歩いたんだね。花もたくさん咲いてるし、良いハイキングだったろ?」
「はい、本当に楽しかったです。どの花もすごく綺麗でした、川の水も碧くて、綺麗な樹がたくさんで、」

訊かれるまま幼い日の光景がよみがえって、嬉しくなる。
この場所で父との山を想い出せる、そんな意外が心を温め寛がす。
あの夏に父と歩いた上高地は幸せだった、その記憶に微笑んだ周太に浦部は笑いかけてくれた。

「あの樹林帯ね、人によったら単調でつまんないっても言うけど。湯原くんは木とか見るの好きなんだ?」
「はい、好きです、」

素直に応えてまた心が寛いでいく、それくらい自分は植物の話が好きだ。
寛ぐまま嬉しく笑った周太に、光一は愉しそうに笑って紹介してくれた。

「湯原くんはね、山の植物に詳しいんですよ?それで今、東大で森林学の聴講生してるそうです、」
「へえ、東大でってすごいな?大学行ってるヤツ、機動隊は多いけど、」

素直な賞賛が席から起きて、急に気恥ずかしくさせられる。
もう首筋が熱くなってしまう、こんなことで赤面してしまう子供っぽさが恥ずかしい。
なんて今は答えたら良いだろう?そう困りはじめた隣、テノールは朗らかに言った。

「高田さんも山の植物とか詳しいですよね、大学の山岳部でそういうのヤってたんでしょ?」
「はい、今もやってます。湯原くん、東大の森林学って楽しいんだろ?」

対角線の向こうから、興味深そうに高田が訊いてくれる。
その笑顔は「知りたい」が明るくて、美代や手塚と同じものを感じて周太は綺麗に笑った。

「はい、フィールドワークが特に楽しいです、」
「いいなあ、あの講座って中々入れないんだよね。こんど詳しく聴かせてくれますか?」

笑ってくれる高田の目は「いいなあ」と心底から訴えてくる。
どうも高田も本当の植物好きらしい、ここでも同好と会えた幸せに周太は頷いた。

「はい、ぜひ声かけて下さい。テキストとか、ご覧になりますか?」
「やった、ありがとう。このあと良かったら、談話室で1時間くらいどうかな?」

もう早速、誘ってくれるんだ?
こういう積極性は手塚や美代と似ている、それも嬉しくて微笑んだ隣から光一が言ってくれた。

「そういうコトなら俺も一緒したいね、いいかな?」

テノールの声の提案に、また心が寛げる。
正直なところ初対面の後すぐに2人きりで話すのは、自分にとって気疲れてしまう。
けれど光一が同席してくれるなら気楽で嬉しい、そう思った向うから高田が愉快に笑った。

「わ、国村さん同席ですか?俺、緊張しそう、」
「アレ?俺が居ちゃったら緊張なんて、ナンカ不都合があるワケ?」

底抜けに明るい目が悪戯っ子に笑ってくれる、その貌に座が笑いだす。
朗らかな空気は楽しくて、さっきまでの疲労感も「彼」への緊迫感もほどかれ楽になる。
もし今が独りだったら心身は緊張のままで、こんなに食事を楽しく摂ることは出来なかった。

…ありがとう、光一のお蔭だよ?

そっと心に感謝と笑って、今、与えられている全てが温かい。
そして寛いだ心は唯ひとりの俤を追い、唯ひとつの想いに勇気が微笑んだ。

…英二、ずっと電話も思うよう話せなくて、ごめんね?

そう想う心につい、目の前に座る先輩にすら俤を探す自分がいる。
そんな自分に本音が解ってしまう、1週間前の「北壁」が心詰まらせても唯ひとり求めている。
あの夜を超えた英二の本音が怖い、怖くて向きあうことを避けていたい、そう想うのに俤がこんなに恋しい。
本当は逢いたい、だからこそ今はここで笑っていたい、そうして少しでも強くなった笑顔で胸張って、英二に逢いたい。

あなたに本当に、ただ逢いたい。







(to be continued)

blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 酷暑師走:二軸夏冬 | トップ | 第60話 刻暑 act.2―another,... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

陽はまた昇るanother,side story」カテゴリの最新記事