萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第24話 山霜act.4―side atory「陽はまた昇る」

2011-12-04 23:58:10 | 陽はまた昇るside story
山に見つめ、




第24話 山霜act.4―side atory「陽はまた昇る」

遭難救助も完了し、そのまま英二は御岳駐在に出勤する。
国村が運転するミニパトカーに、同乗して御岳に向かった。
今日は週休の藤岡も、ついでに一緒に乗っている。

「俺と藤岡はウチで昼飯食ってさ、そのあと今夜の仕度しとくよ」
「うん、よろしくな。楽しみにしとく」
「おう、」

国村の「飲み」は普通の居酒屋の飲みとは違う。
御岳出身の国村は、山で飲むことを何より好んでいる。
そんなわけで今夜も、国村の地所の河原が飲み場所に決まっていた。
今夜が初参加の藤岡は、楽しげに国村に訊いている。

「飲みの仕度ってさ、何するんだ?俺も河原で飲むのは初めてなんだ」
「まずはさ。焚火用の柴刈と薪の採集をね、ウチの山林でするよ」
「柴刈?へえ、日本むかし話みたいだなあ。楽しそうだ、」
「だろ。そういうわけでさ、また山に入るからね」

バックミラー越し、藤岡と国村が楽しげに話している。
そんな国村は、さっき救助者に激怒した男とは別人に良い笑顔だ。
酒が楽しみで機嫌をすっかり直したらしい。今夜が飲みで良かったなと英二は思った。
でも自分だけ準備をしないのは、いくら勤務があるとはいえ申し訳ない。
代りに酒を奢ろうかな、思って英二は横の運転席に訊いた。

「俺さ、準備手伝えないだろ?だから酒は奢らせてよ」
「うん?ああ、そのことか」

訊かれて国村は、ちょっと考える顔をした。
けれどすぐ細い目を笑ませて答えた。

「宮田はね。吉村先生のとこでさ、コーヒー淹れてくれれば充分だよ」
「うん?それはさ、淹れるけれど」
「じゃ、それで決まりな」

ほんとにいいのかな?ちょっと英二は疑問だった。
さっき天祖山で「講習料は高くつけるからさ」と国村に言われている。
それは今夜の酒を奢れということ、そう思っていた。
それに英二は勤務のために、準備も参加できない。
このパターンなら「奢れ」と国村は言うはずだろう。だから英二には疑問だった。
なんだって国村は、ずいぶん気前が良いのだろう?

「ほら、宮田。着いたよ」
「え?」

助手席の扉が開いて、怪訝そうに藤岡が覗きこんでいる。
考えこんでいる内に、御岳駐在所の駐車場に着いていた。

「宮田どうした?疲れたのか?」
「あ、ごめん。ちょっと考えごとしてた」

藤岡に答えながら英二も降りた。見ると、もう国村は駐在所へ入っていく。
藤岡と連れ立って入っていくと、岩崎に国村は声を掛けていた。

「岩崎さん、おつかれさまです。ミニパトの鍵返しておきますね」
「おう。3人とも、本当に御苦労さまだったな。訓練後に救助まで大変だったろう?」

労ってくれる笑顔が温かい。この笑顔が英二は好きだった。
時計は13:00に掛っている。予定より大分遅くなった、英二は頭を下げた。

「いえ、大丈夫です。遅くなって申し訳ありませんでした」
「謝る必要なんかないよ。救助者も皆も、無事で何よりだった」

御岳駐在所長の岩崎は、いつでも穏やかで温かな空気にいる。その空気は厳しい現場でも変わらない。
そういう頼もしい背中の岩崎に、いつも英二はちょっと憧れてしまう。
やっぱりこの人は目標の一人だな。そう眺めていると岩崎が国村に笑いかけた。

「国村、今日も何だか言ったらしいな」
「岩崎さん、今夜は後藤さんと呑みでしょう?」
「お、なんで解るんだ?」
「俺の話を肴に呑むんでしょ、いつも通りに今日も」

さっきの学生達に対する「国村発言」を、既に後藤は岩崎に伝えたのだろう。
国村の姿勢は山ヤとして美しく、トップクライマーの素質が眩しい。
そんな国村を山岳救助隊の全員が大切にしている。まして後藤にとって国村は、親しい友人の遺児だ。
今日も後藤は心配で可愛くて、国村の上司である岩崎に呑みながら話したいのだろう。
そのことを国村自身よく解っている。だから言葉は飄々としても、細い目は感謝に温かい。

「ははっ。国村は、取調官にも向いているな」
「山岳救助隊を外されるならね、俺、辞職しますけど?」
「うわ。国村が言うとさ、冗談に聴こえないよな」

からっと藤岡が笑った。
岩崎も笑いながら、けれどちょっと真剣な目で答えた。

「その通りなんだよ藤岡。国村はな、冗談じゃないんだ。本気で言っているんだよ」
「そ、マジで辞めるよ俺。そしたら専業農家しながらさ、好き放題に山登るね」

当然だと言う顔で、国村が答えた。
こんなふうに国村は人間の規範には執われない。純粋無垢な山ヤらしく、自然の畏敬をルールにする。
しかも冷静沈着な癖に放胆な性格が、一層のこと国村を自由人にしている。
きっと本当に国村は辞職するのだろうな。納得しながら英二は、給湯室で茶を淹れた。
湯呑を4つ盆に載せて戻ると、国村がしかめっ面をしている。

「どうしたんだ、国村?」

しかめっ面の前では、岩崎が困った顔で座っている。その横で藤岡が可笑しそうに、2人の顔を見比べていた。
国村の細い目がちらっと英二を見ると、低い声で国村が言った。

「めんどくさい」

たった一言の国村は、すっかり細い目が不貞腐れている。
どうしたのだろう?湯呑を置きながら、英二は岩崎に目だけで訊いた。
困ったなあと目では笑いながら、岩崎が教えてくれる。

「年明け2月のな、警視庁けん銃射撃競技大会。あれに国村が青梅署代表でエントリーされちゃったんだよ」
「そうなんですか。代表なんて国村すごいな、種目は何で出るんだ?」

素直に褒めて英二は微笑んだ。
その英二を見る国村の細い目が、ちょっとだけ笑う。

「センターファイアピストルだよ」
「へえ。あれってさ、特別に巧いと選ばれるんだろ?すごいじゃないか」

率直に褒められて国村は、少しは機嫌を戻したらしい。
への字にしていた口を開いてくれた。

「でもさあ。ほんとは俺、専門はライフルなんだよね」
「ライフル、猟銃ってことか?」
「そ。万が一のね、クマ撃ちに備えてさ」

奥多摩にはツキノワグマが棲んでいる。
ミズナラやブナの水源林が、彼らの居心地いい棲家になっていた。
そんな彼らが里に降りると、トラブルになることがある。その用心にも猟友会があると、英二も訊いていた。

「ふうん、国村らしいな」
「だろ。だからさあ、俺は拳銃なんかね、面倒で嫌なんだよなあ」

語尾が「あ」になっている。かなりご不満だなと英二は微笑んだ。
そして国村がこうも不貞腐れる理由は、それだけではないだろう。

冬の農閑期は国村にとって、楽しい山ヤの本領発揮シーズンになる。
そして国村は特に、雪の美しい1、2月を楽しみにしていた。
そのうえ今シーズンは、英二と雪山訓練をする約束をしている。
気が進まない拳銃、しかも雪山シーズンの2月開催の大会。国村にとっては楽しみの邪魔でしかない。
これでは国村なら機嫌を損ねるだろう。笑って英二は口を開いた。

「射撃練習の合間にさ、俺の雪山訓練も頼んで良い?」
「うん、それは絶対やる。雲取の雪景色は美しいんだ、楽しみだね」

ぱっと国村が笑った。いつも通りに底抜けに明るい目になっている。
大好きな「雪山」と訊いて機嫌を直したらしい。

「おう、ほんと楽しみだな。俺さ、雪山の山岳救助隊の写真にね、憧れたんだ」
「へえ、宮田そうだったんだ。誰の写真だろね」
「俺もさ、誰かなあって思ってるんだけど。雪山シーズンになったら解るかなって」
「うん、それも楽しみだね。いろいろ楽しみだな、今年の雪山はさ」

いつもどおり国村は、楽しげに話し始めた。
さあ、機嫌が直ったところで、大会への意欲も進めないといけない。
代表に選ばれる事は、縦社会の警察では命令と同じ。しかも警視庁での署対抗の代表、青梅署の面子が掛かっている。
国村が真面目に取り組まないと、上司の岩崎も救助隊の皆も、きっと困る事になるだろう。
どうかなと思いながら、微笑んで英二は国村に提案してみた。

「ほんと楽しみだよな、雪山。ついでに射撃も頑張ると充実してさ、雪山もっと楽しいかもな」
「ああ、なるほどね。うん、そうかもな」

雪山に行けるんだし、まあいいか。そんな目をしながら国村が頷いた。
でもたぶん今は、とりあえず頷いているだけだろう。まだ気を変える可能性がある。
元々、自由人の国村には、元から警察の縦命令など訊くつもりが無い。
もしこの件でまた機嫌を損ねたら、放っておいたら「辞職する」とも言いかねない。
きっと射撃大会自体を、心底に楽しみにさせた方が安全だろう。
そのための切り札を英二は持っている。英二は微笑んで言った。

「それにさ、署対抗の射撃大会だろ?たぶん周太も新宿署から出るよ」
「へえ、湯原くんが?まだ卒配期間なのに、もう出場するのか」

意外だなと細い目がすこし驚いている。
それは意外だろう。まず卒配期間に出場すること自体が珍しい。
そのうえ新宿署は警視庁管内でも最大規模、射撃の名手も多いだろう。
しかも最近の周太は、本来の穏やかで繊細な面が前面に出てきた。
その周太しか知らない国村には、射撃の鋭利なイメージと結びつきにくいだろう。

「うん、周太は射撃特練なんだよ。この間の全国警察大会にもさ、出場したんだ」
「それってさ、卒配の新人が優勝して話題になったよね。そうか、湯原くんだったのか」
「そうなんだよ。だからたぶん周太も出場するだろ。周太は今日休みだから、明日の出勤で話あるんじゃないかな」
「へえ、そうなのか。ふうん、湯原くん出るのか」

ちょっと面白そうだな。そんなふうに細い目が笑いだしている。
国村は興味があると突き詰めるタイプだ。そして国村は周太を気に入っている。
そんな国村はたぶん、周太の意外な面を見てみたいと思うだろう。
楽しげになってくる細い目を見ながら、英二は国村の言葉を待った。
見守る目が「うん、そうだな」と呟いて、国村が笑った。

「射撃大会もさ、楽しみかもね。うん、久しぶりに練習しようかな」
「いいんじゃない。たまには射撃練習も楽しいよな。先週、武蔵野署でやったけど良かったよ」
「ああ、武蔵野署の練習場は結構いいよね。明日ちょっと行こうかなあ、」

どうやら乗り気になったらしい。思った以上に「周太」はインパクトがあったようだ。
楽しそうに話す国村のむこうで、岩崎が英二に手を合わせてくれている。
国村の性格を知るだけに、きっと困っていたのだろう。ちょっと英二は微笑んで頷いた。
すっかり機嫌を直して、国村は茶を啜っている。

「うん。宮田の茶も旨くなったよね」
「そう?じゃあ良かったよ。周太のお蔭だな」
「だね、」

細い目は楽しげに笑っている、もう大丈夫だろう。
この茶も国村の大会も、周太のお蔭だな。なつかしい顔を想って、英二は微笑んだ。
けれど機嫌良く茶を啜りながら、国村は言った。

「あ、宮田ね、射撃訓練も付き合えよな。雪山だけじゃなくってさ」
「なに、俺も練習するわけ?」
「そ、」

俺だけ嫌な事したくないね。
そんなふうに細い目は笑い、唇の端が上がった。

「だってさ、『射撃も頑張ると充実してさ、雪山もっと楽しいかもな』だろ?」

さっき英二が、国村に言った言葉だ。
国村のむこうで、岩崎がまた手を合わせている。「すまん頼む、機嫌を損ねないでほしい」そんな感じ。
どうしようかなと見る前で、国村は楽しげに言った。

「宮田も楽しまないとさ、ねえ?」

ここで「嫌だ」と言う選択肢は、きっと英二には無いだろう。
それに射撃自体そんなに嫌いでもない。英二は適性がある方だった。
そして武蔵野署の射撃指導員である安本は、周太の父の同期で13年前の事件担当でもある。
きっと周太のことを心配し、本当は様子も聴きたいと思っているだろう。
武蔵野署へ射撃練習に通うことは、都合が良いことかもしれない。英二は微笑んで頷いた。

「そうだな、どっちも楽しもうな」
「だね、」

どうやらこの冬は、国村と一緒に過ごす時間が多くなるらしい。
自由人の国村といると、きっと予想外な展開に巻きこまれるのだろう。
なんだか面白い冬になりそうだな。ちょと楽しみだなと英二は茶を啜った。


午後の通常業務を済ませて、英二は巡回に出た。
今日は訓練登山と遭難救助もあった、けれど御岳山の巡回には行きたい。
ほんとうは国村と藤岡を見送ったあと、岩崎から午後の巡回も行くよと言ってくれた。
気遣いは嬉しい、けれど英二は微笑んで断った。どうしても今日は御岳山には行きたい。

いつものように、御岳山を登っていく。
富士峰園展望台に出ると、英二は新宿を遠望した。
今日は週休の周太は、川崎の実家に帰っているだろう。だから今は新宿にはいない。
それでも周太が過ごす街を、英二は眺めたかった。あの隣の気配を少しでも感じたい、そんな気持ちが今日は強い。

昨日の昼間には、この御岳山を周太が歩いていた。
自分の日常を過ごす場所に来て、一緒に歩いて佇んでくれた。
この奥多摩に周太がいてくれた、4日前の夜から昨日までの時間。ほんとうに幸せだった。
来てくれる前に思っていたよりも、ずっと幸せで温かで、愛しい時間だった。
あんなふうに自分が想うなんて、予想外だった。

天空の集落、神代杉。樹齢1000年の巨樹。
この杉を見て周太は、うれしそうに微笑んで教えてくれた。

―ん、父とね、読んだ記事に載っていたんだ―

父との幸せな記憶を、穏やかに英二にも教えてくれる。
そんな素直な想いは、心から自分を信頼してくれる証拠。うれしくて自分は微笑んだ。
いま杉を見上げるのは英二だけ。けれど周太の気配が隣に残っている。

長尾平からは横浜方面が遠望できる。
きっと川崎はあの辺り。そんな想いに見つめて、英二は微笑んだ。
七代の滝、天狗岩のりんどう、綾広の滝、桂の巨樹。幸せの記憶なぞるように歩く。
まだ昨日の今日、まだ周太の気配と想いが残っている。そんな気がしてしまう。

英二は「雪山」を見上げた。
山茶花「雪山」周太の誕生花と同じ、真白な花咲く常緑の木。

―なんか、嬉しいな、
 どう嬉しい?
 ん。なんかね、迎えてもらう感じだな
 ああ、きっとね、この木も周太を待ってたな

ここで、そんな会話を交した。
気品ゆるやかに香る白い花。真白な花びらを掌に受けて、周太は微笑んでいた。
この今も隣で微笑んでくれていたら。そんな想いがふっと昇って、目の底が熱くなった。
ゆっくり瞬いて少しだけ英二は微笑んだ。

「…俺、また泣き虫に戻ったのかな」

そっと想いの呟きが、英二の口許に零れた。
ひどく幸せな切ない痛みが、昨夜から穏やかに蹲っている。昨夜、周太と別れた瞬間からずっと。
すこし痛くて甘い、静かな想いが心をひたしていく。水が湧く、そんな感じだろうか。
ほんとうに自分がこんな想いをするなんて、思わなかった。

山茶花「雪山」純白の花。
凛と青い空に誇らかに咲いて、初冬の陽にも美しい姿。
英二は携帯を出すと、真白な花と常緑の梢をファインダーに見つめた。
それからシャッターを切る。確認した画像はきちんと撮れていた。
これからきっと、ここを通るたび見上げるな。そっと英二は微笑んで下山への道を辿った。


19時前、青梅署に英二は戻った。
いつものベンチで吉村医師は出迎えてくれる。

「お帰りなさい、今日は大変でしたね」
「先生の救急用具が役立ちました、ありがとうございます」
「うん、よかった」

穏やかな微笑みで、吉村医師が頷いてくれる。
そうだと英二は吉村医師に申出た。

「先生、多分この後、国村と藤岡が診察室にお邪魔します」
「うん、構わないよ。コーヒーかな?」

楽しそうに吉村が訊いてくれる。
勝手に待ち合わせ場所にした事、なんて言おうかな。
少し考えて、でも結局いつも通り、正直に英二は言った。

「はい、すみません。コーヒーをご一緒して、そのまま3人で飲む約束になって」
「ああ、いいですね。どうぞ、集合場所にして下さい。私もね、なんだか楽しいです」

吉村は嬉しそうに、そして少し懐かしげに笑ってくれる。
亡くなった次男も、こんなふうに吉村の場所を賑やかにしたのかもしれない。
待ち合わせは、国村が言いだしたことだ。あの国村だからまた、核心を突いたのだろうか。

ざっと風呂で汗を流して、英二は着替えた。
周太の父の合鍵を首に懸けて、カットソーとニットを着る。
あの河原だろうから、登山ジャケットを持つ。仕度を済ませ扉を開けようとして、英二はいったん窓辺に戻った。
周太へのメールを先に送っておきたい。
今夜これから飲むと、帰りがすこし遅くなるかもしれない。心配させたくはなかった。
御岳山で撮った山茶花を添付して、文面を考える。送信が終わると、英二は廊下へ出た。

「遅いよ、宮田」

ノックした診察室の扉を開くと、国村に開口一番言われた。
その横では藤岡がのんびりした顔で座っている。

「おつかれさま、宮田。国村はさ、もう飲みたくて大変なんだよ」
「うん。待たせて、ごめんな」

藤岡は吉村が出してくれた菓子を、楽しそうに頬張っている。
きちんと食欲があるらしい。安心して英二は微笑んで、コーヒーを淹れ始めた。
淹れながら英二は、吉村医師に訊いてみる。

「先生。今日の救助の時に、救命救急士の方が俺の名前を知っていました」
「ああ、消防署の小林さんかな?この間の講習会でお会いした時にね、ちょっと宮田くんの話をしたのです」
「講習会は、救命救急のですか?」

そうですと吉村が頷いた。
穏やかに微笑んで、吉村が教えてくれる。

「私は大学病院の時は、ERにいたのです。その為でしょうね、救命救急の講師のお話を戴く機会が多いのです」
「ER、緊急救命室ですか?」
「はい、そこの担当教授だったのです。その頃から小林さんとは講習会などでご一緒しています」

どおりで吉村は救命救急に長けているわけだった。
しかもERは全ての傷病に対応する。医学全般への精通と技術が無くては務まらない。
そんなトップの世界にいた、けれど警察医として吉村は立つことを選んだ。
やっぱりこの先生が好きだな、うれしくて英二は微笑んだ。

吉村医師とコーヒーを楽しんだ後、3人で国村の四駆に乗った。
今日は青梅署に戻るから、代行運転は業者手配にしたらしい。
国村の地所である河原で焚火を囲むと、国村がうれしげに一升瓶を2本出した。

「今日はさ、存分に飲むからね」

この間と同じ、奥多摩の蔵元がだす特撰酒だった。
国村はうれしげに、栓を抜いている。
へえと藤岡が国村に笑いかけた。

「最初からもう、日本酒なんだ?」
「うん、2本買ったしね。これだけで良いだろ?」

買った、で思いだして英二は訊いた。

「今日の飲み代ってさ、どうすればいい?」
「ああ、別にいいよ」

国村に言われて、英二は首を傾げた。
昼間の天祖山で「講習料は高くつけるからさ」と国村に言われている。
今日の飲み代がくると、そのとき英二は思った。
そして準備も自分は参加していない。けれど「コーヒー淹れてくれればいい」と言われた。
奢られるのは良いけれど、でも申し訳ないだろう。本来が実直な性質の英二には、気になって訊いてみた。

「別にいいってさ、なんでだ?」
「うん、今日はほとんどタダなんだ。酒は俺の奢りな」

国村の答えに、また英二は首を傾げた。
どういうことだろう。よく解らなくていると、藤岡が教えてくれる。

「この料理さ、国村ん家の畑で採れた材料なんだ」
「へえ、藤岡も畑に行って来たんだ?」
「うん、久しぶりに土に触ったな。楽しかったよ」

楽しそうに藤岡が話してくれる。
土に馴れているのかな、英二は訊いてみた。

「藤岡の実家って、農家?」
「うん、農家だったよ」

過去形で藤岡は言った、どういうことだろう。
英二が思っていると、国村からコップを渡された。

「まずは乾杯な、話すのはその後にしてよ」
「うん、そうだね」

藤岡も笑って、はい乾杯とコップを合わせる。
ひとくち飲んで、旨いなあと笑うと藤岡が話しだした。

「俺さ、宮城の出身なんだ。それでな、春の津波で田畑やられたんだよ」

さらりと言って藤岡が笑った。
英二も初めて聴くことだった。警察学校時代は藤岡とは、そういう話をする機会がなかった。
そっと国村が口を開いた。

「ご家族は?」
「うん、じいちゃんがさ、逃げ遅れた。ちょうど畑に出ていたんだ」

藤岡の死体見分の初見は、溺死体だった。
その後の藤岡の憔悴は、普段が明るいだけに痛ましかった。
なぜ明るくさっぱりした藤岡が、あそこまで衝撃を受けたのか。
その原因が解ったと英二は思った。国村も同じように感じたのだろう、細い目をすっと細めて笑んだ。

「それで藤岡、救助隊のある奥多摩に志望だした?」
「うん、そうだよ」

焚火の焼き魚を取りながら、藤岡が微笑んだ。
あちっと言いながら頬張って、ひとくち飲みこんで答えてくれる。

「災害救助にさ、機動隊の救助レンジャー部隊が来たんだよ。
じいちゃん見つけてくれたんだ。遺体でもね、うれしかった。で、俺もね、人を救けたいって想えた。
あの時はもう、警察学校の入校は決まっていただろ?それでさ、レンジャー部隊の人に話を訊いてみたんだ。
そうしたらさ、山岳地域には救助隊あるから、卒配からでも希望出してみなよ、って勧められたんだ」

聴きながら、英二は警察学校の山岳訓練を思いだしていた。
同じ教場の中仙道が川に流された時、藤岡は真っ先に飛び込んだ。
あのときの藤岡は、どんな想いだったのだろう?
そして鳩ノ巣渓谷の溺死体を見た、その衝撃はどんなに深かっただろう?

きっと藤岡が背負う想いは深い哀しみ、そして困難からも逞しく立ち上がった強い明るさ。
それは本当に希望に満ちた人間の姿。

そんな想いが心深くから温かい、目の奥へ熱になっていく。
けれど英二はゆっくり瞬いて、ひとくちの酒と一緒に呑みこんだ。
きっと今ここで泣くのは、藤岡の明るい強さに失礼になる。
そんな想いに穏やかに微笑んで、英二は藤岡の声に寄りそっていた。

「それで俺さ、駄目もとで青梅署に第一希望だしたんだ。だから配属決まった時は、ほんと嬉しかったんだ」

器用に串焼きの魚を食べながら、藤岡は明るく話している。
ひとくち酒を飲みこんで、国村が微笑んだ。

「藤岡はさ、きっと救助隊員の適性あるよ」
「そうかな?国村に言われると、自信持てるよなあ。でもなんでだ?」

食べ終わった魚の骨を焚火に投げ込んで、藤岡が訊いた。
そうだよと国村は、細い目を笑ませて口を開いた。

「遺体でも嬉しかった。そう言ったろ?その気持ちはさ、遭難者の家族と同じなんだ。
山岳救助隊員は、必ず遭難者の家族と向き合う。だからその気持ちが解るのはさ、救助隊員として強い資質だよ」

国村の言う通りだと英二も思った。
この2カ月弱で、何人かの遭難者と自殺者の家族と出会った。そして藤岡と同じ想いを聴いてきた。
そういう痛みを大切に抱えて、藤岡は生きる場所を決めている。
そんな生き方は立派だ、静かに英二は微笑んだ。

「藤岡はさ、強いな」
「うん?いや、宮田の方が強いだろ?」

からっと笑って藤岡は、コップに口付けた。
その明るさに、もう藤岡は超えていることが解って、英二は嬉しかった。
何気なく英二は訊いてみた。

「なんで俺の方が強いと思うんだ?」
「うん、だってさ、」

酒をひとくち飲んで、からっと藤岡が言った。

「あの湯原を宮田はさ、組み伏せちゃうんだろ?すごいよなあ、あいつ武道とか強いのに」

盛大に英二はむせた。

ちょうど酒を飲みこんでしまった、藤岡の発言には警戒するべきだったろうに。
器官に入った酒が、咽かえって止まらない。

「ほら。宮田、水」
「ん、…ごほっ、ありがと」

国村に渡された水のコップを、半分一息に飲み干した。
ようやく落ち着いて、英二は微笑んだ。

「ありがとな、国村」
「いや、礼はいいよ」

もう一度、水のコップに口を付けた英二が止まった。
コップ越しに国村を見ると、唇の端が上がっている。罠が成功したな、そんな目が英二に笑う。
そのままコップを飲みほして、英二は笑った。

「この水さ、随分と甘くて香が良いよな」
「まあね、酒は命の水って言うからさ。そのせいかな、咽たのもすぐ治まったよな」

せっかくの高い酒を、国村は一気飲みさせた。きっと国村のことだ、何か魂胆があるのだろう。
なんとなく見当はつくけど。そう思いながら英二は訊いてみた。

「そんなに俺に飲ませてさ、国村はどうしたいわけ?」
「せっかく酒を飲んだらさ、したい話ってあるよな。ねえ?」

この「ねえ?」は転がすのが愉快で、ご機嫌なサインだ。
たぶん見当通りのことを「話せ」と言っている。けれど英二は、とぼけて笑った。

「なんの話をさせたいんだ?」
「さっき藤岡が言ったことへの自白、まずはそこからかな」

相変わらず上機嫌で、国村はコップ酒を啜っている。
藤岡を見ると、人の好い顔のまま悪戯っ子の目で笑いかけてきた。

「宮田って恋愛話はさ、警察学校の時も煙幕はっちゃって謎だったろ。だから俺もね、聴いてみたかったんだ」
「なに、藤岡と国村で共謀犯ってヤツ?」
「うん、そう。利害の一致が見られたんだよ。な?」
「そ。いつものエロ顔の真相を追求したい。そんなとこかな、ねえ?」

国村の細い目と藤岡の丸い目が、楽しそうに英二を見てくる。たぶん一緒に畑をしながら、二人で企んだのだろう。
今日の遭難救助は、藤岡と国村には精神的にハードだった。
だからそんなふうに、二人で楽しんだのなら良かったなと思える。
でも2人から両面攻撃はちょっと大変そうだな。考えていると藤岡が言ってきた。

「そういえば宮田さ、警察学校の修学旅行の時も、ほんとは湯原のこと話したかったんだろ?」
「あ、宴会の席での話?」

そんなこともあった。修学旅行の宴席で、教場の皆が恋愛談義に楽しんでいた。
あの時はまだ周太に告げられず、それでも想いを堂々言いたかった。
懐かしいなと思っていると、国村が藤岡に訊いている。

「なに宮田、そんなとこでも言ってたの?」
「うん、宴会の時に宮田さ、今は好きな人いるのか訊かれたんだよ。それで誰より大切なひとがどうとか言ってさ」
「瞳がきれいで、すぐ赤くなる位に純情で、笑顔が最高にかわいい。誰より大切で好きな人?」
「あ、それそれ。国村よく知ってるね。で宮田が言ってすぐにさ、ふたりで部屋に戻っちゃったんだ」
「へえ、部屋に、ねえ?ふうん、」

なんだか話が勝手に進んでいく。
ちょっと人の悪い国村と人の好い藤岡は、正反対で気が合うのだろうか。
なんだか良いなと微笑んで、英二はコップ酒を啜りながら眺めていた。

「うん、やっぱ旨いな」

月明かりに漣清らかな川がいい、のんびりと一杯が飲みおわる。
コップに手酌で注いでいると、横から一升瓶を国村にとられた。
ほらと注いでくれながら、国村は細い目を笑ませて見てくる。

「ほら宮田、自慢しちゃいなよ。この輪でならさ、存分に言えるだろ」
「自慢?」
「そ、ほんとは思ってるだろ。すげえ可愛いんだって言ってさ、存分に自慢話したいなあって」

国村も藤岡も、英二と周太の関係をフラットに受けとめてくれている。
だからこそ、こんなふうに明るく「恋愛話しろよ」と訊けるのだろう。

「わかる?」
「ああ、もろ解りすぎ。だってお前さ、しょっちゅうエロ顔してるしね」
「そうかな?」
「そう、それに俺さ。宮田に今朝、言ったよね」

国村になにを言われたかな。
考えていると、国村は楽しそうに言った。

「奢ってもいいよ。その代りにさ、高い条件だすけどね。俺、今朝そう言ったよね?」
「あ、…朝飯の時だっけ?」

そういえば言われた。
思って国村と藤岡を見ると、可笑しくて仕方ない顔をしている。

「だからさ。そろそろ自白の時間だよ、宮田?」
「自白は任意じゃないの?」

つい混ぜっ返すと、藤岡が可笑しそうに笑う。
どうも藤岡は笑い上戸らしい、性格のままに明るい良い酒なのだろう。
けれど国村はいつもどおり、細い目を笑ませて淡々と追いつめてくる。

「もう宮田は奢った酒を飲んじゃったよ、高い条件も一緒にね。さ、訊かせて貰おうか。存分の自慢話をさ」

やっぱり今日は、自分と周太が肴にされるらしい。
国村も藤岡も快活に笑って、英二と周太の関係を受けとめてくれている。
そういうのはきっと得難い。なんだか楽しい、そして幸せだ。

「自慢話、長くなるよ?」

言って英二は、きれいに笑った。


青梅署独身寮に戻ったのは22:30だった。
さっと風呂を済ませて着替えて、ベッドの上に英二は座りこんだ。
片膝胡坐で壁に背凭れて、携帯を開く。発信履歴から架けると、1コールで繋がった。

「待っていた?」
「…ん、待っていた」

懐かしい声がうれしくて、英二は笑った。
何から話そう、その前にまず謝った。

「遅くなってごめん、周太」
「いや、大丈夫。…今日は、俺ね。もう1つの自分の部屋をね、掃除してきたんだ」

周太から今日のことを話してくれる。
それも嬉しくて、英二は訊いた。

「もう1つの部屋?」
「ん、13年間ずっとね、開いていなかった屋根裏部屋なんだ。そこをね、今日は掃除して、開いてきた」

13年間、開かれなかった部屋。
きっと周太の父との記憶が眠る、やさしい空間なのだろう。
13年間ずっと目を背けていた記憶、そこを周太は開いて向き合った。
ようやく、13年間の孤独と13年前の事件が、周太の中で終わろうとしている。
静かに微笑んで、英二は言った。

「そっか、いいな屋根裏部屋。周太、俺もその部屋に入れてくれる?」
「ん、来て?」
「うん、絶対に。周太の部屋にはね、俺、入りたい」

13年前の事件、周太の父の殉職を廻る想いと孤独が、これできっと終わるのだろう。
けれど周太の父の軌跡は、まだ一部しか見えていない。
これからまた現れる、辛い現実と冷たい真実に向きあっていくだろう。

けれど自分はずっと離れない、ずっと一緒に見つめていく。そして必ず見つけ出して示して見せる。
真実の底に眠る、温もりを探し出して想いを繋ぐこと。
周太の父の想い全てに向き合い終える瞬間、周太は初めて自分の人生を自由に選ぶことが出来る。
周太を自由に生きさせて、幸せに笑わせて、ほんとうの人生を歩いていく。
そのために今、自分はここにいるのだから。

唯ひとりへの、唯ひとつだけの、この想いの為に、今ここにいる



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2 コメント

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こんばんは (田口☆A)
2011-12-06 20:40:37
こんばんは。
周太と英二のラブラブも好きなのですが、英二が国村達に転がされる話も好きです。

周太相手に少し余裕な英二が年相応に動揺するところがなんともいえません。
酔っ払いの惚気話は周太サイドで読めますか?
どんな風に英二が話したのかとても気になります(笑)

これからどんな風に話が動いていくのか毎日楽しみにしております。

では、乱文失礼いたしました。
返信する
田口☆Aさんへ ()
2011-12-07 00:08:59
田口☆Aさん、こんばんわ。
英二と仲間の話は書いていても楽しいです。好きと言って頂けると嬉しいです。

のろけ話、気になりますか?
他の方にもそんなお話頂いています、うーん、書こうかな?男同士の会話だから相当アレですけど、大丈夫ですかね。

毎日楽しみにして下さって、うれしいです!
励みになります、ありがとうございます。


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