萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第25話 山音act.1―side story「陽はまた昇る」

2011-12-05 23:58:20 | 陽はまた昇るside story
自由であること、その努力



第25話 山音act.1―side story「陽はまた昇る」

診察室の朝は穏やかだった。
吉村医師を手伝い診察のセッティングを終え、英二はコーヒーを淹れている。
フィルターへゆっくりと湯を注ぐたび、芳ばしい湯気が昇っていく。
湯気に透ける小春日和の陽射が、白い診察室の壁に温かい。こういう静かな時間が英二は好きだ。

「先生、お待たせしました」
「いや、ありがとうございます」

1つのマグカップを吉村医師に渡し、英二も椅子に座る。
クライマーウォッチの時刻は9:20、あと15分くらいはゆっくりできるだろう。
捲った活動服用シャツの袖を、英二はきちんと元に戻した。

「今日も武蔵野署ですか?」
「はい。国村のつきあいで射撃訓練です、昼からは登山訓練になります」

2月に警視庁けん銃射撃大会が開催される。それに国村が青梅署代表に選ばれてしまった。
「ああ、武蔵野署の練習場は結構いいよね。明日ちょっと行こうかなあ、」
大会出場の話を聴いた日、国村はそう言った。そしてその翌日、本当に国村は武蔵野署へと射撃訓練に行った。
その日は英二は勤務だった。けれど国村に巻きこまれ、武蔵野署射撃訓練場に行かされた。
その日からは、国村日勤で英二非番の日に通う事になっている。初日を含めると今日は4回目だった。

「非番なのに武蔵野署まで通って、宮田くんは真面目ですね」
「いいえ、先生。国村の『ご機嫌の条件』のため仕方なく、ですから」
「ああ、3つ条件があるそうですね」

奥多摩出身同士の国村と吉村は、国村が警察官になる以前から親しい。
きっと茶飲み話のついでにでも、国村は話したのだろう。
なんだか可笑しくて英二は訊いてみた。

「国村が話しましたか?」
「ええ。今朝の出勤前にね、おばあさまの干芋を届けてくれた時に少し」

吉村も可笑しそうに微笑んでいる。
頷いて吉村は、楽しげに口を開いた。

「射撃訓練は業務時間内だけすること。宮田くんも同行すること。
 そして射撃訓練の後は、登山とビバークの訓練もさせてくれること。
 この3つの条件があるから俺、やるんです。そんなふうにね、話してくれました」

この代表選出を聴かされた国村は、最初は不貞腐れてしまった。
国村にとって気が進まない拳銃競技、なにより大会が2月開催なことが気に入らない。
そして国村は英二に言った「射撃だけじゃなく雪山訓練も絶対やろう。だから宮田、射撃訓練も付き合えよな」
その言葉通りに国村は条件を出し、上司の岩崎や副隊長の後藤たちに承諾させてしまった。
それを吉村医師は、親しい後藤たちからも訊いているらしい。仕方ないですねと微笑んで吉村は言った。

「雪山シーズンはね。国村くんは毎年、楽しみにしていますから」
「はい、俺も雪山は楽しみです。だから国村の気持ちも解ります」

冬期は兼業農家の国村にとって概ねは農閑期で、山に時間を存分に使える。
なにより2月は国村が特に好む、新雪うつくしい雪山シーズンだった。
そういう2月は国村にとって、年間で最も登山に集中したい時期になる。
そんな国村からすれば、2月に時間を割かれることは心底迷惑な話となってしまう。

2月開催の射撃大会への出場は、国村には邪魔なだけ。きっと仕方ないだろう。
そして実際に「マジ迷惑ほんと邪魔だよ」と細い目で言いながら不貞腐れていた。
その顔を思いだして可笑しくて、英二はちょっと笑った。

「きっと国村の事ですからね、先生。あんな条件出すことで選出外されることも狙ったと思うんですよね。」
「ああ、そうですね。彼なら狙うでしょうね」

コーヒーを飲みながら、吉村も可笑しそうに微笑んだ。
けれどもと英二は思う。国村の本音はこんなものでは済まないだろう。思った通りに英二は言った。

「でも先生、きっと国村の本音はですね。青梅署長を掴まえて『嫌だね』の一言です」

「…っ!」

思わず吉村が噴き出して笑う。
英二も自分で言って一緒に笑い出した。それくらい容易に想像できるほど、国村ならやりかねない。

「ははっ。国村くんなら、そうですね。掴まえることも簡単でしょうね」
「ですね、承諾するまでは山に置去りにしたりとか。やりかねないでしょう?」
「はい、やりかねませんね。彼なら誰も知らないポイントも良く知っていますし」

きっと本当に国村には簡単にできる事だろう。
でも国村はやらない。所属する山岳救助隊に迷惑をかけることは国村は望まない。
自由人の国村だが、冷静沈着で怜悧な分析能力が高い。そういう性質だからクライマーとしての判断能力も高い。
そういう国村は、警察官の世界をも冷静に見つめている。
そうして効率的に自分のペースを造りだし、警察の世界でも国村は自由人でいられる。

警察の縦社会では術科大会の選出とはいえ、任務命令と同じだった。
警察官である以上は、任務命令を断る事は難しい。
それは警察医である吉村もよく知っている、ほっと息をついて吉村は微笑んだ。

「警察官では、命令は断れませんよね。普通ならば」

吉村は「普通ならば」と言った。
けれど国村は「普通」ではない、それを吉村は理解して言っている。可笑しくて英二はちょっと笑った。

「そこは国村ですからね。本気で嫌だとなったら、辞職しかねないです」
「そうでしょうね、」

幼い頃から山ヤとして生きる国村は、自然の畏敬がルールで人の範疇に執われない。
そんな自由人の国村は、元から警察の縦命令など訊くつもりも無い。
どうしても命令が嫌で気に入らなければ、国村はあっさり辞職するだろう。
そのことは国村を直接知る人間なら、誰もが解っていることだった。
そして国村を辞職させたくない事も、誰もが同じだった。

「後藤さんも岩崎さんもね、そういう国村くんの潔さを良く知っている。だから条件も承諾したのでしょう?」
「はい。俺も同じです、だから今日も一緒に行ってきます」

英二だって、国村を辞職させたくない。
国村は御岳駐在所の同僚で、山岳救助隊での英二のパートナーだ。そして山ヤ仲間で、尊敬する山ヤだ。
なによりも英二にとって、国村は大切な友人になっている。
そういう男と一緒に任務に立てることは本当に幸せだ。だから辞職してほしくない。
そのためになら、射撃訓練につきあう位は何のことはない。
ただちょっと付随する「大変だな」は多いけれど。

「うん。今日もね、気を付けて帰っておいで。午後の手伝いもお願いしますね」
「はい、15時位までには戻れると思います」

そう話す背中に、ノック音が軽やかに響いた。
かたんと扉が開かれる。

「先生、失礼します。おう、宮田。待たせたね」

活動服姿の国村が、すっと診察室に入ってきた。
国村は日勤の朝巡回を終えてから、武蔵野署へ練習に行くことになっている。
念のために目視確認すると、携行品の拳銃もきちんと装着していた。
いちおう今日もやる気はあるらしい。よかったと微笑んで、英二は立ち上がった。

「朝の巡回は異常なしだったんだな」
「うん、何かあったらさ、こんなに早く来れないよね。ていうかさ」

一旦切って、唇の端が上がった。
また何か言うのだろうな。ちょっと微笑んだ英二に、国村が言った。

「何かあったらさ、救助隊任務で射撃は行けないよな。
 うん、そしたら宮田にも召集かけてさ、一日山にいられたよ。ねえ?」

「…自分の都合でさ、遭難事故を願ったら駄目だろ?」

ちょっと呆れて英二は笑った。
だって自分たちは山岳救助隊員、遭難は出来れば無い方がいい。

国村の運転するミニパトカーで武蔵野署へ向かう。
往路だから国村は、割とのんびり走らせていた。これが帰りだと運転態度が豹変する。
今日は大丈夫かなと思っていると、いつも通りに国村が口を開いた。

「めんどくさいな」

今日で4回目の「めんどくさい」だな。思って英二は可笑しかった。
往路の車中で1回は国村は言ってしまう、そして運転速度は遅めだ。
初日は「めんどくさいなあ」と「あ」がついた、ご不満だったのだろう。
今日は「あ」が無いだけ機嫌が悪くない。英二は微笑んだ。

「そうだね国村。あ、たぶん今頃な、周太も術科センターで射撃特練の練習じゃないかな」
「ふうん、頑張ってるんだね。湯原くん」

少しだけスピードがあがる。少しだけ今日の練習をやる気が出たのだろう。
それは多分、負けず嫌いの癖が良い方に向いてくれている。
そんな国村は興味があると突き詰めるタイプだ。最近の興味の対象は「周太の意外な側面」になっている。

元々、周太は射撃に抜群のセンスと実績を持っていた。
そんな周太の警察学校時代は孤独の殻に籠って、射撃手らしい翳りの強い雰囲気が鋭かった。
けれど今の周太は、本来の繊細で穏やかな面が前面に出ている。
そんな周太は私服でいると、大概は学生か学者だと思われがちだ。
特に英二と一緒にいると、やわらかな可愛い表情をよく見せてくれる。
そういう周太しか知らない国村には、射撃手の顔をした周太の姿は「見もの」なのだろう。

「あの湯原くんがさ、射撃なんかするんだな」
「うん、するな」
「意外な面ってさ、見るの楽しいよね」

運転しながら、飄々と国村は笑っている。
たぶん「見るの楽しいから」国村は自分も勝ち残るつもりだろう。
だから練習もしようと、今も運転速度をきちんと走らせている。
たぶん楽しくなかったら、とっくに目的地を山へ変更しているだろう。
そんな国村が、楽しげに口を開いた。

「可愛い子がさ、鋭い目をするのって色っぽいよね」
「まあね、」
「あの可愛らしい彼が、ねえ?」

また少しスピードメータが動く。
運転席の横顔を見ると、細い目は可笑しそうで機嫌が良い。
めんどうだ拳銃は嫌だと不貞腐れた国村を、ここまで「周太」が機嫌よくしてくれている。

「うん、楽しみだな。めんどうだし拳銃は嫌いだけどさ、色っぽいの見るのは楽しいよね」
「そっか、良かったな国村」
「そうだね。元から楽しみがあるとさ、当日なんとか楽しむ努力の手間が省けていいよね」

英二は運転席の横顔を見た。いま「楽しむ努力の手間」と国村は言った。
楽しむのが好きな国村らしく「つまらないなあ」となったら楽しむ努力をするのだろう。
けれど、どんな努力をするのだろう。ちょっと怖いもの見たさに英二は訊いてみた。

「楽しむ努力ってさ、どうやるんだ?」
「うん?そうだね、」

ちらっと細い目がこちらを見て笑う。
そして唇の端がすっと上げられて、国村は言った。

「勲章がいっぱいついている人はさ、一個くらい軽くした方が体に良いよな。ねえ?」

警視庁の術科大会は上層部の観覧がある。そうして才能ある人間に、目星も付けていくのだろう。
そんな上層部の制服には、多くの勲章が付けられている。
やっぱり…訊かない方が良かったのかな。ちょっと英二は後悔した。
けれどもし国村が実行した場合を考えると、心の準備に訊いておく方が良い。

「どうやって、軽くするんだ?」
「まあね、いろいろ方法はあるんじゃない?」

きれいにハンドルを捌きながら、軽くアクセルを踏む。
少しスピードを上げて国村は、唇の端を楽しげに上げた。

「うん、賞状授与とかはさ、絶好のチャンスだな」

賞状を受け取る隙に、勲章を掠め取る気だろうか。
たしかに国村は器用で素早い、それくらい簡単かもしれない。
けれど拙いだろう、英二は言った。

「それってさ、窃盗になるんじゃないの?」

いくら冗談でも警察官が犯罪は拙いだろう。
そう英二が見ると、細い目の瞳が動いて英二に笑った。

「そんなことするわけないだろ?ただ俺の歩いた跡はさ、ちょっと滑落事故が増えるかな」

国村は器用だ。
川魚を取る仕掛けも独自の工夫をして、必ず仕留めては酒の肴にする。
だから「歩いた跡はさ、ちょっと滑落」なんて仕掛けくらいは簡単に作るのだろう。

衆目の中心でちょっと転ばせて「プライド」という名の勲章を外すつもりだけど?
そんなふうに細い目が笑っている。

「…滑落って、なにか撒くってことか?」
「もともと滑りやすいよねえ、ああいう壇上ってさ。まあ何人すっ転ぶかはね、その日によって違うよな」

国村の細い目が、楽しそうに何か考えている。
たぶん考えているのは、形跡も残さず自然な方法の仕掛けだろう。
山に育った国村は自然物質の知識も豊富だ。農業高校の授業でも、農薬関係で化学薬品の扱いに馴れている。
そして天性の楽しみ好きで、悪戯好きなのが国村だ。それくらいの実行案は、きっと幾らでも考えつける。

「国村ってさ、すげえ悪戯っ子だったろ?」
「うん?いや『だった』じゃないね。今も現役だろ?俺の場合はさ」

ほんと、その通りだ。

「そっか、そうだな」
「だろ、」

もし周太が出場する楽しみが無かったら、国村は「楽しむ努力」を本気でしただろう。
そうやって国村は警察組織に対してだって、自分の楽しい時間を奪った事を厳重抗議する。
そういう国村の犯行は誰にも気づかれない。それくらい怜悧な頭脳と緻密な行動力を国村は持っている。
けれど青梅署の面々は「あいつ、またやったな」と内心大変な思いをしただろう。
周太が出場してくれることを、青梅署は感謝すべきだな。
そう思いながら英二は心裡で、周太の笑顔にキスをした。

武蔵野署の駐車場に着いた。
ミニパトカーから降りると、国村が大きく伸びをする。
本当にどこでもマイペースだなと見ていると、国村が言った。

「今日もさ、中庭に行くだろ?」
「うん、行こう」

武蔵野警察署に赴任した警察官は、任務の無事を中庭で祈ることから勤務を始める。
その中庭には、銃弾に斃れ殉職した若い警察官の胸像が佇む。そこで敬礼を捧げていく。
昭和31年9月23日の早朝。職務質問しようとした彼は、短銃で撃たれ殉職した。
彼は22歳だった。

「俺たちとさ、同じ年頃だね」

静かな国村の声に、そっと英二は頷いた。

「そうだな、」

自分と同じ年頃で、同じ警察官として任務に殉じた、ひとりの男。
自分達も彼と同じ、拳銃を持つ警察官として危険の中に生きている。
そして自分達は山岳救助隊員。峻厳な自然の掟に抱かれる生死と向き合っている。
たぶん彼以上に、危険の中で自分達は生きている。

彼が最後に見たものは何だったのだろう?
彼が最後に想ったものは何だったのだろう?

初冬の陽射の中で、若い警察官の胸像は静かに佇んでいる。
「殉職」任務の為に死ぬこと。それは殺される場合が想定されることが多い。
けれど自分達は山岳救助隊員。山ヤの自分達を殉職させるのは、人ではなく自然の摂理だ。
そんな自然の摂理に抱かれて、山ヤは命終わる事もある。

―幸せな人生が幸せな死になるんだ
 だから大丈夫、おじいさんは今、きっと、幸せでいるよ

吉村医師が祖父を見送る秀介に言った言葉。
秀介の祖父は、御岳を愛した山ヤの田中だった。
田中は国村を一流の山ヤに仕上げ、英二の背中に山ヤの想いを遺して逝った。
そんな田中の生涯は山ヤとして、きっと幸せだった。

この青年の生涯は幸せだったろうか?
この青年の死は早すぎ残酷だ。けれどせめて眠りは幸せであってほしい。

英二と国村は並んで、真直ぐに立った。
そして静かに右腕を挙げて、同年で殉じた先輩へ敬礼をおくった。

手続きを済ませて、射撃訓練場に入った。
入った途端に国村が、ちょっとなあという顔になる。

「なんかさあ、馴染めないんだよね」
「そうだな、だからさ国村。さっさと肚決めて練習終わらせてさ、早く登山訓練しようよ」

山と訊いて、国村の細い目が笑う。
軽くうなずくと国村は、機嫌良くブースへと入って行った。
いつも念のため英二は、狙撃を始めるまでは国村を見守る。
始まってしまえば国村は、きちんと集中して終わらせる。
けれど始まる前には気を変える可能性がある。そうすると厄介だ。
厄介だった初日を思いだして、英二は思わず呟いた。

「…ほんとにさ、驚いたよなあ」

初日の国村は逃げた。

練習初日は、競技会出場を命じられた翌日だった。
あの日の国村は勤務中の英二を、岩崎から強奪するように武蔵野署へ連れ出した。
そして今日のように、与えられたブースに入った。

受け取った弾数は、大会を控えた国村は英二の倍だった。
もちろん英二の方が先に練習が終わる。終えて英二は国村の練習を見学に行った。
けれど国村はブースから消えていた。すぐに英二は事態に気がついた。

あいつ、逃げたな。

たぶん「めんどくさいなあ」となって、そのまま弾丸を返却したのだろう。
そう思って担当官に訊くと案の定だった。

さあ、国村だったら。どこに逃げて気晴らしをする?
ちょっと考えて英二は、面識のある安本を探した。
射撃指導員の安本はすぐ見つけられた。

「お久しぶりです。そしてすみません、屋上はどちらから行けますか?」
「屋上?何かあったのかい、宮田くん」
「はい。たぶんそこで友達が、練習サボっているんです」

安本は笑って、屋上への行き方を教えてくれた。
近々飲みに行きましょうと言い残して、英二は屋上へと急いだ。

のんびりと国村は、日向ぼっこしていた。

「陽だまりがさ、気持ち良さそうだったんだよね」

英二に確保された国村は、飄々と笑ってそう言った。
とにかく今日せっかく来たんだから、練習はして帰ろう。
そう説得してから英二は、担当官に謝って国村の弾丸とブースを確保した。
そして英二に背中を監視されながら、国村は初日の練習を終えた。

もちろん御岳駐在に戻ってから、岩崎にどうだったか訊かれた。
しかもあの日は、後藤もわざわざ御岳駐在に来て待っていた。
それに国村はパトカーの車窓から気付いた。

「じゃあ俺さ、今日はもう帰る」
「え、挨拶しないのかよ?」
「今日はね、もう疲れたな。うん、早く帰ってさ、畑もやんないとね」

国村はミニパトカーを戻すと、鍵を英二に押し付けて帰ってしまった。
そしてひとり戻った英二は、2人に掴まえられて早速に訊かれた。

「おい、国村なんで帰ったんだ?あいつが茶も飲まないで、そのまま帰るなんて変だぞ」
「宮田、正直に言ってくれていいぞ?国村はな、ちゃんと練習したかい?」

矢継ぎ早に2人に訊かれて、英二は困った。
まあ俺は思ったことしか言えないし。そう思って英二は、ありのままを言った。

「国村は逃げました」
「あ、やっぱり」

思わず後藤がつぶやいて、英二は笑ってしまった。
それでどうしたと促されて、英二は顛末を話した。

「日向ぼっこしている国村を屋上で掴まえて、また練習に戻しました。
俺に監視されて『しかたないなあ』って目で笑うと、後はきちんと練習を終えました。
着弾結果は、8割が10点、2割が9点です。久しぶりにしては立派だ、コツはあるのかなと指導員に褒められました」

そうかと目を細めた後藤が、ふと英二に訊いた。

「あいつ、指導員さんに何か言わなかったかい?」

言った。

「はい、『 コツは、的をクマだって思うこと 』って答えました」

2人は大笑いした。

そんなわけで英二は、国村が撃ち始めるまでは監視することにした。
今日の国村は機嫌が良い、たぶん大丈夫だろうとは思う。
そう見ている前で国村は、さっさと仕度をしている。
きちんとイヤープロテクターを装着して、シリンダーチェックをする。

それから的を見ると国村は、構えを整え始めた。
長身の背中を真直ぐに伸ばし、的へ向かって体をやや斜めにする。
長い右腕だけあげ、色白の左掌を腰へ固定に置いた。
センターファイアピストル、CPの規定の構えになる。
そして国村の場合、心もち首を右に傾げる癖がある。ライフル射撃の癖かもしれない。

遅撃ちが始まった。
きちんと10点を撃ち抜いていっている。
後姿だけれど、国村の集中が真直ぐに的へ向かっているのが解る。
これでもう大丈夫だろう、ほっと息をついて英二は微笑んだ。

英二は与えられたブースに入ると、イヤープロテクターを装着した。
ホルスターから拳銃を抜いて、片手でシリンダーを開く。
指が長く掌も大きい英二は、片手での操作が容易い。
そうしてシリンダーチェックを済ませてシリンダーをそっと戻した。
右足を少し前に出して、真直ぐに背中は伸ばす。体はやや斜めに的へと向かわせる。
それから片手撃ちノンサイトに構えて、狙撃を始めた。

ノンサイト射撃の場合、両目で的を捕らえた視線上に、拳銃のサイトを突き出すように構える。
通常はノンサイト射撃は近距離、10m位の場合に使う。けれど英二はノンサイト射撃だった。
射撃の構えは個人差がある。体格差で差異が出るためだった。
けれど英二の構え方は、周太の構えそっくりでいる。

本当は周太と同じ進路を選ぶつもりだった、離れたくなかったから。
だから射撃も周太の真似をした。体格が全く違うけれど英二は要領が良い、なんとか身につけた。
けれど同じ進路は選べなかった、体格も適性も違いすぎたから。
でも今はもう、この進路で良かったと思っている。
自分の適性にあった道、その道は周太をサポートするのに適していた。
そしてこの道で、自分は生きる意味も誇りも、見つけることが出来ている。

全弾終わって片付けたブースを出ると、国村がもう待っている。
随分早いなと思って英二は訊いてみた

「今日はずいぶん早く終わったな?」
「うん。さっさと全弾をね、撃ち終わったからさ」

ちょっとおかしい。
英二は掌を国村に差し出した言った。

「スコア見せてくれない?」
「うん、いいよ」

差し出されたスコアは、悪くは無い。
でも何かがおかしい。しばらく眺めて、英二は笑った。

「国村さ、遅撃ちの時にも速射で撃っただろ?」

遅撃ちのターンで現れる的1つに対して、国村は2発で狙撃している。
弾丸を早く終わらせたくて、さっさと狙撃したのだろう。
けれど国村は、何が悪いんだと言う顔で言った。

「だってさ、早く終わらせたいだろ?さっさと登山訓練をやりたいよ俺は」

いくらなんでも自由すぎるだろ。
そう突っ込みたいけれど、下手な事を言って機嫌を損なうのも良くないだろう。
仕方ないなと笑って、英二はお願いだけしておいた。

「大会当日はさ、遅撃ちは遅撃ちで撃てよ?」
「うん、当日はね。ほら宮田、さっさと更衣室借りて着替えようよ」

このまま山岳訓練に行く為に、2人は更衣室を借りた。
活動服から救助服に着替え終わって、国村は笑った。

「やっぱさ、こっちの方がいいよな」
「うん、そうだね。でも国村もさ、どっちも似合ってるよ?」
「そうかな?まあ、活動服までは良いかな。でも礼装は大変だよね」

そんな話をしながら、ミニパトカーに乗り込んだ。
着替えた活動服は上手く畳んで、ザックの中に仕舞い込んである。
今日はこのまま、雲取山の巡視路を歩きに行く。
運転席の横顔は、すっかり機嫌が良い。

「なんかさ、射撃のあのブースって疲れるよな」
「うん、そうだな。狭いからね、でも集中力は作りやすいかな」
「俺はやっぱり広い方がいいな。外の方がさ、のんびりできるよね」

他愛ない話にも、行きと帰りではトーンが違う。
たぶん国村が拳銃嫌いな理由の一つは、空間が気に入らない事もあるのだろう。
幼い頃から国村は、山で仕事をして山に遊んでいた。
空と山を部屋にしていた国村には、人間の作った小さな空間は飽きるのかもしれない。
そう思って英二は車窓から、近づいてくる山嶺を眺めた。

「ん?」

怪訝に英二は首を傾げた。
車窓の移り変わりが速い、スピードメータを見て軽く息を飲んだ。
もちろん今は、赤色灯もサイレンも鳴らしていない。
仕方ないなと微笑んで、英二は運転席へと提案した。

「国村、ちょっとスピード落とさない?」
「うん?あ、悪いね」

機嫌良く国村は、踏んでいたアクセルを緩めた。
さっさと戻って登山訓練をしたい、そんな意思がはっきりしている。
よほど本当は、射撃大会の練習は嫌なのだろう。
けれど練習には通っている、そういう生真面目さも国村は持っている。

それにしてもと英二は思う。
もし大会当日に周太が出場しなかったら。
きっと国村は、さっき教えてくれた悪戯を実行するだろう。
この話は戻ったら、後藤には話しておいた方が良さそうだ。


(to be continued)

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