萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第59話 初嵐 side K2 act.8

2013-01-29 22:45:08 | side K2
「睨」 そこに立って今、  



第59話 初嵐 side K2 act.8

夕暮れの空、けれど大気は熱い。

脱いだ出動服のブルゾンから熱気と汗が燻らす。
ほっと息ついた呼吸にも排気ガスがくすんで匂う、アスファルトから酷暑は靴にも伝わる。
Tシャツを透かす風すら埃っぽく生ぬるい、この暑苦しい体感たちに郷愁が笑った。

―風も空気も、山が遠いね?

生まれた時から馴染む山風、あの緑薫らす冷涼が恋しくなる。
けれど自分で選んだ道にある自覚は誇らしい、この明るさに笑った隣から穏やかな声が微笑んだ。

「やっぱり国村さん、無敵でしたね。懸垂下降なんて他と違い過ぎます、」

微笑む黒目がちの瞳は明るくて、生真面目でも素直がまぶしい。
負けん気だけど称賛も知っている、そんな幼馴染みが嬉しくて光一は笑った。

「クライミングで負けらんないからね、でも短距離走は湯原くんのが速いんじゃない?」
「はい、でも装甲着けたら難しいです、」

いつもの笑顔は優しくて、けれど敬語で話してくれる。
こんなふうに周太は先輩として光一を立てながら、公私の線引に向かい合う。
この生真面目で優等生な貌は久しぶりに見る、それがなんだか愉しくて笑いながら歩きだした。

「湯原くんはさ、運動も同期ではトップだったんだろ?」
「初任科教養の時はそうです、でも初総のときは種目によります、」

生真面目に答えて笑いかけてくれる、その「種目による」トップが誰なのか?
たぶん答えを自分は知っているな?この予想に笑った横顔を呼び止められた。

「国村さん、失礼します、」

聴き慣れない声に振り向くと、救助隊服姿の男が立っている。
20代らしい日焼顔の視線は「挑む」そう見た予想に光一は名指しで笑った。

「なんでしょう、本田さん?」
「え、」

名前で呼びかけた先、男の顔が意表に怯む。
きっと「名指し」は予想外だったろう、この先制に笑って隣へ微笑んだ。

「湯原くん、ちょっと俺は寄り道があるみたいです。先に寮へ戻っていて下さい、」
「はい、お先に失礼します、」

折り目正しく礼をすると、小柄な出動服姿は歩いて行った。
その背中を見送りながら振向いて、幾らか呆け顔の男へとからり笑った。

「さて、行きましょうか?本田さん、」

また呼びかけた先、本田の表情が我に返る。
その貌に笑って踵返し訓練棟へと歩きだす、その横へ足音が追いかけ尋ねた。

「国村さん、どうして俺の名前が解かったんですか?」
「以前、合同訓練でご一緒しましたよね、」

即答して笑いかける、その先で顰めた目がひとつ瞬いた。
本田と顔を合わせたのは昨夏の一度きり、それなのに顔を名前と一致させたことが意外だろう。
この意外は先制攻撃になる、そう考えて山岳救助レンジャー隊員全員を経歴ファイルで予習をしてきた。
そんな予習相手の一人は驚いたまま考え込んで、またすぐに訊いてきた。

「もう歩いていますけど、私の用が何か解ってるんですか?」
「夜間訓練ですよね、違いますか?」

答えながら出動服のブルゾンを羽織り、手早く衿元にマフラーも締めていく。
足早に歩いていく薄暮のなか、小さく呑んだ吐息が返事した。

「その通りです、第2小隊での訓練に参加して下さい、」
「もちろん、」

さらり返事して笑ってしまう、やっぱりこうなったと予想的中が可笑しい。
この一週間は第七機動隊全体の新隊員訓練に就くため、出動服姿で一日を苛酷と言われる時間に過ごす。
そのため予定配属チームでの訓練参加は普通なら無い、だからこそ今日から声が掛かると予想していた。

―俺の前任サンも今日は留守だしね、ナンバー2ってヤツが勝手したけりゃ今日に決まってる、

現第2小隊長は今日、自身が9月に異動する五日市署へ打合せに行っている。
まだ新隊員訓練期間だから引継ぎは行えないと、今のうちに新所属を視るため3日の不在予定と聴いた。
けれど、この不在中に指揮権を任される「ナンバー2」にとったら新任隊長へ示威するチャンスだろう。
こういう挑戦は嫌いじゃない、むしろ都合が良い愉快に笑っている横から遠慮がちな声が訊いてきた。

「あの、さっきまで新隊員訓練だったんですよね?なのに今からまた訓練参加して、平気なんですか?」

―参加しろって言ったのソッチだろ?

そう言いたくって笑ってしまう、そんな笑いを驚いた視線が見てくる。
きっと新隊員訓練を理由に断ると思っていたのだろう、けれど自分は山岳レスキューの誇りと能力がある。
この力とプライドを示すチャンス到来が可笑しくて、笑いながら光一は自分の部下にいつも通りを答えた。

「遭難って言われたらね、何があっても救助に行くだろ?それと同じですよ、」

こんなの当然だ、所轄の救助隊員なら日常と言って良い。
たとえ週休の日でも管内にいれば召集に応じる、夜でも降雪でも関係ない。
そんな現場の常識はもう、子供のころからずっと生活のなかに見つめてきた。

―地元はね、民間人だって協力するんだ。ウチの祖父サンもオヤジも、田中のジイさんも吉村のジイさんすらそうだ、

父も田中も山ヤだった、だから「相互扶助」の精神に則ることも当然かもしれない。
けれど雅樹の祖父は林業をしても山ヤではなかった、祖父も熊撃ち猟師の兼業農家であって山ヤとは違う。
それでも奥多摩の住人で山馴れしているのなら、要請次第で捜索救助の山狩りに参加して警察と消防のレスキューに協力する。
この現実にある自分が訓練参加は当然だ?そう見た先で本田の貌が変化する、その様子に笑って訓練場に入っていく。
もう停まっている現場指揮官車の脇、屯する救助隊服の中でも際立って精悍な三十男に笑いかけた。

「黒木さん、このまま出動服でも構いませんよね?」

微かに眉を顰めさせた目に、かすかな動揺が見える。
どうして名前を知っている?このまま参加するつもりか?
そんな意外を眼差に廻らせて、けれどすぐ冷静に戻し黒木は頷いた。

「はい、決定権は私にありません、」

従順な丸投げ、それは「慇懃」の表明と小さな熱が燻っている。
やはり後藤が言った通り「次期小隊長を自他共に嘱望」という自負心の存在、それが慇懃を熾す。
この熱をどうやって爆発させてやろう?そう義務と悪戯心に思案を廻らせながら、視線達へ向き直る。
その視界、14人分の注視が黒木と自分に集まるのを確認して、この場全員に問いかけた。

「今日から第2小隊に所属する国村です。この一週間は新隊員訓練なので、夜間訓練は出動服で参加させて下さい。
この一秒後に救助要請の可能性がある以上、着替より訓練に時間を遣いたいです。異議があれば今、俺に直接言ってくれますか?」

黄昏に照らされた救助隊服達は沈黙して、けれど微かな変化が起きていく。
この空気に笑いながら、山岳救助レンジャー第2小隊員15名に光一は宣言した。

「意見があれば誰が相手でも必ず、最初に本人へ言って下さい。井戸端会議は禁止です、日常と訓練から裏表の無い信頼を作って下さい。
それが山の現場でスムーズな連携になって、最善の救助を可能にします。山ヤとレスキューの責任と誇りに懸けて、全員遵守を願います、」

危険な場所、だから遭難は起きる。
そこへ救助に向かうことは命の瀬戸際に立つこと。
そんな瞬間にもし薄紙一枚でも不信が挟まれば、瀬戸際の均衡は崩落する。

―こんなこと山では当然だね、だから理解できるはずだよ?

視線で問いながら見渡す先、残照に山の警察官は黙りこむ。
沈黙の返答、それでも「山」に生きる意志たちへの信頼に光一は笑った。

「じゃ、訓練を始めましょう。ココの遣り方を教えてください、よろしくお願いします、」



無人の浴槽に体を伸ばし、湯気へと息を吐く。
午後から日没過ぎまで動かし続けた体から、疲労はもう湯へ溶けていく。
連続七時間ほどのレンジャー訓練、それを苛酷だと普通は思うだろう。けれど、より苛酷な状況が自分の初現場だった。

―2月だったしね、雪も氷も酷かったよ、

青梅署に卒業配置された19歳の2月、滑落事故が起きた。
現場は氷結で有名な滝、そのとき淵の縁は降雪で区別がつき難く岩場も凍結していた。
そこでスリップしたまま氷を踏み抜いて滝壺へと滑落し、ハイカーは淵の対岸へ何とか這い上った。
零下の滝で行われた氷水に漬かる救助作業、あのとき七機山岳レンジャーから異動したばかりの畠山が負傷した。

―利き手の甲を切ったんだ、あのとき畠山さんは、

低体温症を起こした救助者が錯乱し、抱えた畠山の腕から暴れて淵に墜ちかけた。
それを受け留めようと庇った右手の下、救助者の体重と力に氷は砕けて甲を切り裂き、畠山の腱まで痛めつけた。
痛かったに決まっている、それでも畠山は何も言わずに救助者を無事に搬送して、戻った奥多摩交番で脱いだグローブから鮮血が零れた。

「畠山さん、なぜ現場ですぐ言わなかったんですか?」

応急処置をしてすぐ吉村医院へ向かう車中、畠山の貌は幾らか青ざめていた。
それでも痛みを見せず笑顔を向けて、山ヤの警察官は教えてくれた。

「あの場で言ったら、動揺が起きるかもしれないだろ?そんな現場じゃ危ないよ、救助された人に聞かれるのも良くない、」

そう笑った貌はレスキューのプロである誇りが眩しかった。
けれど吉村医院で雅人に診てもらった傷は深くて、畠山の利き手は握力が落ちてしまった。
もう握力を酷使するビッグウォールの挑戦は難しい、そう診断された時も快活な笑顔で頷いて現場に戻っている。
そして訓練にあっても救助現場に立つ時も畠山は、利き手の負傷を言い訳にした事は一度も無い。

―あれが山岳レンジャーだって俺、想ったんだけどね?

素直な賞賛があるからこそ、今日の現実へ苦笑こぼれてしまう。
余計を言わない寡黙が畠山は佳い男だ、ただ必要とされる任務に飛び込んで怯まない勇敢がある。
それは光一に対する時も同じで、後藤の縁故と知っても同時に配属された仲間として対等に親しんだ。
そういう畠山だからこそ後藤も奥多摩交番のセカンドとして信頼し、時にアンザイレンザイルも繋ぐ。
この雰囲気は岩崎も木下も同じだった、だから山岳レンジャーは斯くある姿と思っていた。
けれど第2小隊の現況は、どうも畠山流では無いらしい。

「ま、仕方ないのかねえ?」

ひとりごと湯につぶやいて立ち上がり、洗い場へと腰を下ろす。
シャワーの蛇口を湯でひねりかけて、ふと思いついて水に変えて頭から被った。
じわり頭上から浸しだす冷感が心地良い、さっきまで湯船に熱された身が引き締められていく。
清涼が全てに行きわたって蛇口を閉じたとき、がらり浴室の扉が開いて話し声が2つ入ってきた。

―お、貸切タイム終了だね?

さっきまで静かだった空間に、男二人の会話が響いて鏡の向こうに座りこむ。
その隔たりに腰下したままタオルで肌拭いだすと、声の言葉たちが聞えてきた。

「なあ、新人が言ったこと、どうする?」
「井戸端会議ってヤツか、はっきり言いますよね、若いのにさ?」

―ふん、俺のコトだね?

気がついて笑ってしまう、早速の違反者が出たらしい?
ちょっと聴いてみたくなってタオルを動かしながらも、そっと気配を消していく。
その鏡の向こう側では男二人、気がつかずに口を動かし始めた。

「たしかに若いけどさ、俺と同期なんだよ?こっちは大卒で向うは高卒だから、俺のが4歳上だけど先に行かれちゃってさ、」
「なんか特進したんですよね、理由は知りませんけど、」

どうやら1人は齋藤だろう、たしか同じ5年前に警察学校に入校している。
四大卒で4歳年長だから今年で28歳、現在は巡査部長だったはず。
大卒の警部補昇任の受験資格は巡査部長として1年勤務後、たぶん齋藤は資格がある。
けれど「先に行かれちゃった」のなら不合格だったのかな?考えながらタオルを腰に巻いていると齋藤が続けた。

「俺も知らないけどさ、でも正直なとこ山の実績も敵わないよ。この間の遠征訓練、やっぱ凄かったらしいしな、」
「ああ、第1小隊の村木が言ってましたね。第1はすっかり国村派って感じらしいです、」

―へえ、そんなことに今なってんだ?

こんな展開ちょっと面映ゆいけど面白い、まだ遠征訓練から帰って2日なのに?
たった2日で七機の空気に変化があった、その動向次第では対応が必要だろう。
これを見極めるためにも第2小隊の本音を聴きたい、そう判断して気配を湯気に融かす向こうで齋藤が答えた。

「らしいな、同期なのに差を感じちゃうよ、俺としては。ザイルパートナーのヤツも評判良いよな、」
「はい、第1の小隊長はベタ褒めですよ?まだ2年目なのに人も練れてるって、」
「まだ山は1年だっていうのにさ、あのスピードに着いてくって天才だよな?さっきのクライミング見ていて俺、正直参ったよ、」

褒めてくれているらしい、けれど随分と齋藤は凹んでいる。
たぶん同期意識が自分に対して齋藤は強い、そのために「差」を見せつけられてプライドが傷ついたのだろう。

―同期でも俺は高卒で、齋藤は早稲田だからねえ?学歴で優位なダケに傷ついちゃうんだろうけどさ、

いくら学歴で優位に立っても警察組織の現実は、国家一種のキャリアか地方公務員のノンキャリアかで大別されてしまう。
官界を占拠する東京大学ならば考査対象かもしれない、けれど同じノンキャリアなら実力主義と引寄せた運しか通用しない。
現に後藤も学歴は地元山形の県立高校出身で、その実力と人望から日本警察の山岳レスキューとして最高位の名声に立っている。
この現実に在って齋藤の傷心は甘えと認識すべきだろう、これをどう気づかせようか思案しているともう一方の声が答えた。

「高卒なのに23歳で警部補へ特進って、やっぱりコネがあるからってことですよね?会長の奨めで任官したそうですし、」

やっぱり「ソレ」が気になっちゃうんだな?
こんな予想通りも可笑しくて顔だけ笑ってしまう、けれどこの言動は赦さない方が良い。
そんな判断に音も無くシャワーを持ち、迎角に構えると「水」の栓を全開にした。

「うわぁっ?!」

パニックの声が風呂場に響いて、もう我慢できない。
つい大笑いの声を上げながらシャワーを止めて、立ち上がると向うを覗きこんだ。

「こ・ん・ば・ん・は、齋藤さんに高田さん?」

呼びかけて上げた2つの呆然が、面白くって仕方ない。
けれど笑いを納めて回りこむと、二人の前にタオル1枚の裸一貫で笑いかけた。

「まず認識を訂正して下さい、後藤会長は実力がある人間が好きです、これは実力主義の世界である山と警察では当然のことですね?
会長が贔屓する相手は実力があるってことです、これに異議があるなら本人に直接申し出て下さい。直言を後藤さんは喜びますからね、」

後藤が最も嫌うことは陰口、それは「山」の熟知から嫌悪する。
この意味を今きちんと伝えるべきだ、その意志に笑って2人を見下ろしたまま言葉を続けた。

「それからね、警部補特進は後藤会長の意志とは無関係です。山のルールに従い、所轄の救助隊員として忠実に行った職務への評価です。
で、今言った山のルールはね、さっき訓練前に言ったそのまんまナンですけどね?アレの意味をどう考えてるか、今そこで教えてくれます?」

笑いかけて浴槽を指さし、促してみる。
けれど二人は顔を見合わせ途惑ったまま動かない、そんな部下の優柔不断を光一は笑い飛ばした。

「ほら、さっさと入んなって?冷えちゃったら体壊すだろ、仕事に支障ないよう山岳レスキューの責任で風呂に入って下さい、」

いいから風呂に入って話そう?
そう笑いかけた先で齋藤が少し笑い、立ち上がってくれる。
その隣から高田も立つのを見て、三人で浴槽へと腰を下ろすと光一は笑った。

「さて、お二人さん?上官の命令違反をサッキやってくれましたねえ、このペナルティってドウなるのか、解ってます?」
「ペナルティなんかあるのかよ?」

釣られるよう齋藤が口を開く、そのトーンが同期のプライドにタメ口でいる。
この関係も今後どうなっていくか見ものだろう、愉しみに笑って光一は唇の端をあげた。

「正直に話してくれるんならね、今回は俺の肚ひとつに隠してあげますよ?で、先に言っておくけどね、後藤会長の悪口は止めときな?
後藤さんは人望が絶大だよ?だからドコで陰口言ったってね、全部あのひとの耳に入っちまうんだよ。だったら直接、言われたいってコト、」

このアドバイスの意味を、理解できるだろうか?
そう見た先で高田は齋藤を見、すぐ困惑と苛立ちの視線を此方に向けた。

「ようするに国村さん、後藤さんのスパイってことですか?」
「あははっ!単純だねえ、高田さん?」

短絡的すぎる解答に笑わされ困ってしまう、これでは脳ミソの中身が怪しい。
このままでは筋肉馬鹿と言われるだけだ、けれど高田の個性として考えれば実直にも育てられる。
どうやって育てるべきか?考え廻らせながら光一は年上でも子供な部下にヒントを与えた。

「高田さんは明治大の山岳部出身ですよね、だったら山ヤの世界がどういうネットワークがあるか?そこで会長がどういう存在かってコト、」
「あ、」

すぐ気がついて一重瞼を瞬かせ、高田は風呂場を見渡した。
その視線に笑って光一は、率直な事実を言葉に微笑んだ。

「山の世界は広いですよね?レスキューの警察官やってなくてもね、警視庁にはたくさんの山ヤがいるんですよ。外はもっと山ヤがいます。
そういう人たちにとって後藤さん、オヤジって感じなんですよ。ちゃんと叱ってくれる本物の優しい、誰にでも温かい山のオヤジなんです、」

今朝、別れ際に見せてくれた後藤の涙がもう懐かしい。
あの泣笑いの顔はきっと生涯忘れられないだろう、その温もりに雅樹を重ねながら続けた。

「なんで後藤さんがソンナに温かいのか、叱ってくれるのか、どうして何でも直接に言えっていうのか?それを山ヤ皆が慕っているのか?
それはね?山に生きるならマジで一秒後に死ぬかもしれないってコト、誰よりも知ってるから後藤さんは言うんですよ、後悔しない為にね、」

告げた言葉に、ふたりの貌が変っていく。
山に生きるなら、それも山岳レスキューを任務として生きるなら「覚悟=現実」にすぎない。
このことを二人にも知ってほしい、そして後悔しないで任務に就いてほしい、その願いに光一はストレートな口を開いた。

「俺たちが出動要請を受ける時は、現場の所轄だけでドウにも出来なくなった時です。最悪の事態に近い現場に俺たちは行くんだよ?
奥多摩は救助ヘリを飛ばせないポイントも多い、雪も氷もあるんだ。それより苛酷な現場に全国からでも要請を受けるのが俺たち七機です、」

それが今、これから自分が指揮する現場の現実だ。
この責任と義務と権利に笑って、素直な想いをそのまま告げた。

「いいかい?コレはね、ガキの頃から奥多摩で山ヤをやってる男が話す『山』で生きる現実です、脅しでも何でもないリアルなんだ。
俺たちは同じ山ヤで警察官で、いつも危険ってヤツの瀬戸際で息吸ってるんだ。別れる時に『またね』が言えないってコトなんですよ?
言い合うのは今が最期のチャンスかもしれないね、だから今、なんでも話せって俺は言ってるんだよ?コレは死んじまった時の準備なんだ、」

万が一、死んだときの準備をする。
その覚悟が無かったら「山」に生きたらいけない、それを自分は幾度もう思い知ったろう?
あの16年前からずっと見つめる哀しみに微笑んで、光一は自分の部下に「山」で生きる覚悟を突きつけた。

「もう解っただろ?アンタの家族や彼女にね、アンタの言葉を伝える義務と責任は俺にあるんだ。だから何でも言っておけって言うんだよ。
山ヤのプライドと覚悟があるんなら、どういう言葉を遺しておくべきか?コレに毎日向きあって頑張れるのもね、山ヤの警察官である誇りです、」

自分の声を言葉を、想いを、次も伝えられるチャンスが再びあるのかなんて、山に生きるなら解らない。
その覚悟をしても「山」に生きるのか?それで後悔をしないのか?それを若い山ヤたちに考えてほしい。

―俺みたいに後悔しないでよね?大切な人に伝えられないって、マジで苦しいんだからさ?

この苦しみは、もう誰にも知ってほしくない。
あの幼い日に伝えきれなかった想い、この後悔を悼みごと今も自分は抱く。
それは苦しくて、けれどこの痛覚も雅樹へ繋がれるのなら、傷すらも幸福なのだけれど。
けれど自分の部下とその大切な人達には後悔の傷をつけたくはない。そんな願い微笑んだ湯気の向こう、高田が口を開いた。

「国村さん、教えてください。どうしたら俺は、もっと速く壁を登れますか?俺、三大北壁にチャレンジしたいんです、夢なんです、」

高田が最も言いたかったこと、それを口にしてくれる。
こういう質問は山ヤとして最高だ、そう微笑んだ斜向かいから躊躇いがちな声が起きた。

「あのな…遠征訓練キャンセルした1人は、俺なんだ。同期のおまえと比べられるの悔しくてさ、でも高田と同じ本音もあ…ります、」

敬語を遣おうとしてくれるんだ?
そんな変化は面映ゆくて可笑しい、笑いながら光一は扉を指さした。

「ソコントコ、飯食いながら話しましょうよ?それともね、仲良ししてるトコが第2小隊のお仲間に見つかるとヤバい?」

連携プレイで村八分やってるんだろ?
そんな予想に笑いかけた先、一瞬だけ考えて、けれど齋藤は笑ってくれた。

「いや、大丈夫です。食いながら話そう、」

まだ言葉づかいに途惑いながら、それでも仲間である表明を決めてくれる。
こういう同期で部下がいることは頼もしい?そんな想いに笑って湯から立つと、共に脱衣所への扉を開いた。






(to be continued)

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