萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第59話 初嵐 side K2 act.7

2013-01-27 10:12:34 | side K2
「偽」 けれど幸せは、



第59話 初嵐 side K2 act.7

空が青い、車窓の山は遠くても。

太陽を透かす白雲まばゆい、光線は四駆のボンネット弾かす。
フロントガラスの向こうに街は近づき、サイドミラーの山は遠退いていく。
もうじき故郷の山は視界から消える、その現実に笑ってスーツの左胸にふれた。

―雅樹さん、もう奥多摩が遠いね?でも俺はきっと帰るよ、

心呼ぶ人の写真は今、ワイシャツの胸ポケットにある。
いつも手帳に入れて持ち歩く写真はもう、16年より前からこうして持つ。

「オヤジ、その写真ちょうだい?雅樹さんの笑顔は俺のだからね、」

そう写真家の父にねだって貰った、K2峰に立つ雅樹の笑顔。
標高8,611mに蒼いウェア姿の笑顔は、いつものよう穏やかに明るんで美しい。
父とアンザイレンを組んで登頂した雅樹、その笑顔は22歳と3ヶ月の若い生命を輝かす。
そして同じ場所に自分は二十歳で立った、あの瞬間も登山ウェアの中に雅樹の写真を抱いていた。
そのままに今もこうして記憶ごと写真を抱いている。

―ね、雅樹さん?抱っこしてくれてた時もずっと、俺は持ってたんだよ?いつもポケットにいれてたって、知らなかったよね?

普通のサイズはファイルに納めてある。
けれど持ち歩く用もほしくて小さいサイズもプリントして貰い、ラミネート加工でカードにした。
それを作ってくれた父も今はもう亡い、もしかして雅樹にカードのことを告げ口しただろうか?
そんな想像に微笑んだ隣から、運転席のアンザイレンパートナーは穏やかに微笑んだ。

「帰国してすぐ異動だけど、お祖父さん達と美代さんには挨拶は出来た?」
「いや、あえて特別な事はしてないケド?また帰ってくるからさ、」

気遣いに感謝しながら答えた先、フロントガラスの切長い目は微笑んでくれる。
けれど英二の方こそ話していないだろうに?そんな予想に隣へ直接笑いかけた。

「おまえの方こそね、周太に異動するって話せたのかよ?周太のおふくろさんや、姉さん達にもさ?」
「まだだよ、会って話したいから、」

さらり応えて白皙の貌が笑う、そんな横顔は冷静に見える。
けれど本当は幾つもの葛藤を抱えこむ、それを自分は知っている。

『俺の父さんは恋してる、周太のお母さんに…俺の母さんのことはもう想ってくれない
父さんと母さんに恋愛してほしかった…俺は想いたかったんだ、両親の愛情の結晶として自分は必要とされてるって』 

アイガーの夜、そう話してくれた貌は絶望に泣いていた。
ずっと英二は両親に求めながら諦めてきた、そして今始まった父親の恋に途惑い周太との入籍を迷っている。

『俺と周太が籍を入れたら父さんと美幸さんは親戚になる、そうしたら会う機会も増えるだろ?会えば気持って強くなる、
そうしたら母さんも美幸さんも傷つくことになる。きっと周太が一番に傷つくよ、それが怖くて…解からなくなる、』

もし英二の推察が正解だとしたら、それを事実として知った周太が何を想うのか?
このことを英二は周太が自責に傷つくと恐れている、けれど周太なら深い懐に全てを受けとめるだろう。
こういう周太を英二は保護者的すぎて解らない、でもそれ以上に問題なのは、周太の母に対する英二の感情ではないだろうか?

『全部、周太と美幸さんが受けとめてくれたんだ…それが嬉しくて恋したよ…ふたりは俺にとって救いで、天使みたいだよ』

あのとき、英二は「ふたりは」と言った。
それは無意識の言葉だったろう、けれど本音がそこに見え隠れする。

『美幸さんは俺の理想の母親なんだ、俺の夢の人だよ?…父さんが好きになっても仕方ないって想う、だって俺と父さんは似てる、』

英二、誰に恋愛してる?

そう聴いたら周太と光一だと迷わず言うだろう、そこに偽りは無い。
その「偽り無い」は英二の無自覚が言わせているのだと、今までの言動に気がつける。
英二と美幸は親子の年齢差がある、だけど想い求める心には齢も立場も性別すら間垣にならない。
それを雅樹と見つめた自分だからこそ、英二が美幸へ寄せている無自覚な本音に気付いてしまう。

けれど、真実の本音に気付くことが「幸せ」なのかだなんて、定石通りの答えなどありはしない。

―気付かない方が良いんだろね、だけど英二、本当は気づいているんだろ?

きっと気づいている、けれど気づかないでいる。
そういう嘘を英二は自身にも巧く吐いてしまう、そんな器用さが英二の進路を狂わせてきた。
本当は求めたい実母の視線を拒み、本当は行きたかった大学も諦めて、欲しくない恋愛ゲームに孤独を誤魔化してきた。
自身も騙してしまう器用な嘘吐き、そんな自分の偽りに傷ついても微笑んでしまう優しい孤独を英二は抱えている。

―その孤独を壊したいんだよ、周太はさ?おまえと一番に想い合う周太なんだ、シンドイ想いも一緒に出来るって幸せなハズだよ?

ふたりは出逢って1年と4ヶ月、けれど遠い血縁に繋がれる。
生きて見つめ合う瞬間の前から繋がれてきた、そんな二人に叶わぬ夢を見てしまう。
自分と雅樹には叶えられなかった共に齢を重ねて行く未来、この平凡な幸福を二人に生きてほしい。
そんな祈りを見つめながらカーステレオのスイッチ入れて、運転席との間あふれだす旋律に口遊んだ。

……

眠れなくて窓の月を見あげた 思えばあの日から 
空へ続く階段をひとつずつ 歩いてきたんだね

何もないさ どんなに見渡しても確かなものなんて
だけど嬉しいときや哀しいときに 
あなたがそばにいる

地図さえない暗い海に浮かんでいる船を
明日へと照らし続けてるあの星のように

胸にいつの日にも輝く あなたがいるから
涙枯れ果てても大切な あなたがいるから

……

窓の月を雅樹と見上げた、そんな夜は幾つもある。
風呂の窓から、御岳にあった雅樹の部屋から、自分の屋根裏部屋から一緒に月を見た。
ふたり穂高連峰を縦走した夜にも月を見て、幾つもの夢を約束して切長い目は微笑んだ。
あの幸せな瞬間たちが今も自分を温めてくれる、だから英二と周太の幸福を祈ってしまう。

―雅樹さん、やっぱり俺は英二とね、恋人より親友でパートナーでいたいよ…えっちして解かっちゃったね、

英二との夜は幸せだった。

体温に想い交す幸福を、確かに英二と抱きあえた。
もう諦めていた体ごと愛される時間の吐息に、甘い熱に心ごと酔えた。
けれど夜の闇から浮き彫りになる香、そして声と気配に本音が「違う」と泣いた。
だから情事に微睡んだ暁の夢は、この大人になった体と心を雅樹に捧げつくす幸せを微笑んだ。

―俺が欲しいのは雅樹さんだよ?雅樹さんの匂いも声も全部ほしい、あったかい体も心も雅樹さんの全部にふれたい、ね…

長身、白皙、端正な顔立ちに綺麗な笑顔。
どれも雅樹と似ている英二に、視覚から雅樹を探し求めてしまう。
その視覚が消えた時間を想い出すごとに、その香と声の違いに別人だと確かめる。
そうして気づかされる、どんなに誰かを大切に想ったとしても、雅樹と同じには出来ない。

―やらなきゃ解らない俺は馬鹿だね?でも幸せだったのもホントだよ、だから後悔してない、

グリンデルワルトの夜と昼と夜、自分は英二の懐で幸せだった。
あの時間は真実だ、けれど時間を再び交わして良いのか解らなくてキスも拒んだ。
それでも一緒に眠りたい甘えは変らなくて昨夜、英二のシャツを着て共寝に香を移させた。
雅樹の香とは違う英二の香は深くて、謎をこめる深い森と同じ静謐が安らがせてくれる。
その香を運転席に燻らせる体温の、命ある気配が嬉しくて光一は笑いかけた。

「次の遠征訓練は6千峰だね?キッチリ体、仕上げといてよ?」
「おう、越沢を毎日10往復はするよ。あとさ、後藤さんが夏富士でタイムレースしようって、」

次の遠征訓練から山の話に笑いあう、そんな日常が嬉しくて愉しい。
こんな時間もあと少しで日常では無くなる、けれど1ヵ月後には再び日常に出来るだろう。
そんな想いに眺めるフロントガラス、資料写真で見たコンクリートの箱が姿を現して四駆は停まった。

―始まるね、

そっと心ひとり笑う、そこにはもう惜別より誇りが微笑む。
もう時は来た、そう潔さが笑って万感を一言に告げた。

「ありがとね、英二、」

本当に感謝している、この自分に並んでくれて。
共に笑って共に山を駈けてくれた、そして16年止めた時間を動かした。
その全てに感謝と笑いかけた先、切長い目は寂しげでも綺麗に笑ってくれた。

「おう、こっちこそだよ?ありがとう、光一。これからも宜しくな、」

笑って右手を出してくれる、その手を取って握手する。
白皙の肌と長い指に俤を見、けれど森の香に現実の英二へと微笑んだ。

「うん、よろしくね、」
「夜、電話するから。8時半位だと思う、」

綺麗な低い声は笑って、もう今夜の約束を贈ってくれる。
こんな何げない普通のことが自分は嬉しい、約束をくれる声を現実には聴けないと思っていたから。
幾度も約束を結んだ8年半をくれた声、あの愛しい声はもう耳には聴けず心にしか帰れない。
それでも今、他の声が約束をくれる時は始まったと信じて、赦される?

―雅樹さん、俺は英二と一緒に生きられるかな?生涯のアンザイレンパートナーやっていいのかな、

ずっと孤独のままに生きるのだと、雅樹が逝った瞬間から思ってきた。
けれど英二が自分の前に来てくれた、明日から1ヶ月離れても再び一緒に並ぶだろう。
この扉を開ければ立場が分かれていく、それでも変わらない絆を信じて扉を開いた。

「じゃ、行くね?」

登山ザックにトランク1つ持ち、からり笑ってスーツ姿の背を向ける。
そして一度だけ振り向き大らかに手を振ると、真直ぐ隊舎へと入っていった。



紺色のTシャツと出動服のボトムスを履き、昼の食卓に箸を動かす。
久しぶりの格好は警察学校の卒業以来で物珍しい、それ以上に前に座る相手が面映ゆい。

「光一は、…あ、国村さんは何時に着いたんですか?」

穏やかな声の呼方も、ちょっと聴き慣れなくて困りそう?
同齢で昔馴染みの周太、けれど高卒任官の光一は4年先輩だからと敬語を遣ってくれる。
そんな生真面目は周太らしい、それでも面映ゆい今日からの現実に笑って光一は答えた。

「10時には着いたね、道路が空いてたから。湯原くんより少し前ってトコだね、」
「そうですか、」

敬語のまま微笑んだ手許、端正な箸遣いが丼飯を口に運んでいく。
男だらけの食堂に1ヶ所スポット当たるよう、上品な空気が向かいに座っている。
こういう周太だから英二は心配で堪らない?それも可笑しくて笑いながら幼馴染に尋ねてみた。

「ちょっと俺たち遅く着いていたら、門のトコで逢えたのにね?ごめんね、湯原くん、」

あと10分ずれていたら、たぶん隊舎の前で周太と英二は逢えただろう。
ほんの少しの時間でも互いに顔を見たかったはず、そう笑いかけたけれど周太はタメ口で微笑んだ。

「そうだね、でも会わなくて良かったかも?…気を遣ってくれて、ありがとうね、」
「良かったワケ?」

すこし意外で訊き返して、けれどすぐ鼓動が刺された。
なぜ周太が英二に「会わなくて良かった」のか、その原因を作ったのは自分だ。

―本気で大好きな相手が他のヤツとえっちしたら、苦しいに決まってるのに、

どうして周太?

どうして、こんな自分にも笑いかけてくれる?
この自分が英二と体の繋がりを持つことを、確かに周太は望んでくれた。
遠征訓練前に逢ったときは夜の支度を買ってくれた、そうして背中を押して幸せな時間を祈ってくれた。
けれど現実になれば嫌われて罵られても仕方がないと覚悟していた、この予想を外した笑顔は言ってくれた。

「ん、今は会わなくて良かったって思います。ちゃんと逢うべき時が来るだろうから、ね?」

逢うべき時が来る、そんな言葉が肚に落ちて温かい。
いつか雅樹と逢うべき時に逢える、そう信じてアルプスの氷河に眠らず今ここにいる。
このことは周太にも沈黙したい、けれど解ってくれるかのような言葉を贈ってくれる。
何も言わないで通じるものがある、それが嬉しくて笑って箸を置き想いを言葉に変えた。

「周太、ありがとうね?」
「ん、」

頷いて微笑んでくれる、その笑顔は深くこまやかに温かい。
こんなふう笑える勁い心を周太は持つ、それを英二はいつ気づくのだろう?
つい考えながら席を立ち、光一は同時異動した後輩へと明るく笑いかけた。

「さて、噂の新隊員訓練ってヤツに行ってみよっかね?よろしくね、湯原くん、」
「はい、よろしくお願いします、」

素直に立って端正な礼をくれる、その微笑は覚悟の静謐が鎮まらす。
ここへ自分が覚悟と来たように周太も心決めている、それは文字通り「命懸け」の覚悟だ。

―周太、オヤジさんの事を知るために来たね?ホントは危険だって気づきながら誰にも言わないで…潔すぎるよ、

周太の父、馨の「殉職」は謎が多すぎる。

この謎を英二はずっと捜し、その全てを自分は知っている。
周太の祖父が遺した記録小説は御岳の家に置いてきた、けれど脳に全文を今もう読める。
その記録たちと、英二が持つ馨の日記を照合すれば今、周太が立つ危険の正体が何か解ってしまう。
けれど周太は馨の日記を知らない、それでも自分が見た全てから聡明の視点は現実を捕えている。

―周太、俺が護るよ?ココで一緒にいる間も、その後もずっとね、

密やかな約束に笑って下膳口を経由して、一緒に廊下へ出る。
ふたり並んで歩きだす隣、ずっと低い目線から黒目がちの瞳は綺麗に笑った。

「国村さん、訓練でも私は優勝を狙います。国村さんもですよね?」

負けず嫌いが誇らかに笑ってくれる、その明るい努力が逞しい。
どこか上品で繊細な容貌と小柄は少年のよう、けれど瞳には男の強靭がまぶしい。
こういう周太の素顔を英二は知っているワケ?そんな問いをパートナーに想いながら光一は笑った。

「当然だね、悪いけどレンジャー訓練なら俺は無敵だよ?」

山岳救助隊として四年半を過ごした、それ以前から自分は山に生きている。
いつも山は季節に天候に表情を変えていく、それでも変わらず毎日のよう岩に登り危険を遊んだ。
そんな自分が人工物の危険に怯む訳が無い、この自信に笑った隣で負けない陽気が笑った。

「勝てるっては思えないです、でも負けないことは出来るでしょう?だから負けません、」

負けないことは出来る、そう微笑んだ瞳は凛然が透けるよう美しい。
こんな表情にも想ってしまう、やっぱり周太は「特別」な存在ではないだろうか?

―こんな場所でこんな時なのに、こんなに綺麗でいられるんだね?

危険な場所にいて、大切な人は他の相手と抱きあった後で、その相手を隣に歩いている。
それでも周太は穏やかに微笑んで、真直ぐに信じる道を明日へ向かっていく。
この姿に心から祈りたい、どうか自分の叶わぬ夢の分も願いたい。

―お願いだからさ、周太。幸せに笑っていてよね、英二の隣でずっと、

大切な人と一緒に生きてよ?

自分は諦めなくてはいけない夢、だけど君には可能性が残っている。
自分が願うのは烏滸がましいかもしれない、それでも心から祈っている。
そのために自分は君を護る、君の大切な人も護る、だからどうか自分の願いを叶えて?
自分が唯ひとり想う人が遺した山桜、あの森を護ってくれる大樹を映した君なら、願いを聴いて?

周太、君は生きて笑っていて?








【引用歌詞:L’Arc~en~Ciel「あなた」】

(to be continued)

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