萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第59話 初嵐 side K2 act.3

2013-01-19 23:59:09 | side K2
「扉」 出ていく世界に、光を



第59話 初嵐 side K2 act.3

黄昏の空に、紺青の夜が降ってくる。

あわい雲が張りだす天球、白い月の気配が夜を生む。
開けた窓に頬杖した顔を山風が撫で、ふっと香る樹木の涼しさに目が細まる。
こうした夏の風も明日からは違う匂い、その寂寞に笑った視界の端で長い指がカーステレオのスイッチを押した。

……

満たした水辺に響く 誰かの呼んでる声
静かな眠りの途中 闇を裂く天の雫 手招く光のらせん
その向こうにも 穏やかな未来があるの?

Come into the light その言葉を信じてもいいの?
Come into the light きっと夢のような世界 Into the light

こぼれる涙も知らず 鼓動に守られてる
優しい調べの中を このまま泳いでたい 
冷たい光の扉 その向こうにも悲しくない未来があるの?

Come into the light その言葉を信じてもいいの?
Come into the light きっと夢のような世界 Into the light

……

旋律に充たす四駆の助手席、フロントガラスにも故郷が移ろっていく。
その全ては見慣れた景色、けれど明日からは遠くなってしまう。それが現実であることが今は不思議に想える。
もちろん異動は警察官になった時から当然覚悟していた、きっと故郷以外の場所に住むことも愉しめるだろう。
それでも馴染んだ「山」から遠退くことは体の一部を剥がれるようで、この初めてが途惑っている。

この向こうに穏やかな未来があるの?
今の向うには悲しくない未来がある?

『ずっと俺は傍にいていいかな、一緒に山に生きたいんだ。本当に俺が生きたい世界は光一と同じ、山だから』

その言葉を信じてもいいの?

―英二、北壁で言ってくれたコト信じて良いワケ?

そう本当は運転席に訊きたくて、けれど訊けない。
ふたつの北壁で英二が言ってくれた言葉たち、あの全てが真実と想って良いの?
この問いかけに途惑う迷いは帰国の朝からずっと、本当は隠して笑っている。
それとも本音は答など欲しくないから訊けないのかもしれない。

『光一は俺の憧れで、俺が生きていたい世界の全てだ』

自分の世界の全てが誰かになる、それは怖くて痛くて、けれど幸福。
その甘さも傷みも苦しさも自分は知っている、喪う絶望すら知っている。
だから英二の言葉が真実か虚妄なのか?その答えを暈して正視したくない。
こんな自分の臆病に笑った視界、見慣れた建物の駐車場に四駆は停まった。

「おつかれさん、運転ありがとね、」
「ああ、光一こそな?」

笑い合ってシートベルトを外し、扉を開く。
ばたんと閉めた音に見上げる建物は、過ごした毎日の6年を迎える。
ここを明日に発てば暫く帰らない、そんな近い未来に笑ってパートナーにねだった。

「このまんま、診察室に寄ってイイよね?」
「警察手帳とか保管に戻してからな、」
「あ、だね?」

綺麗な低い声に納得と頷いて、通用扉から携行品の保管に行く。
すぐ手続きを終えてロビーに戻ると、いつものベンチに白衣姿が座っていた。
ずっと見慣れた横顔、けれどロマンスグレーの髪には白い霜が増えている。
もう超えてきた年月を想いながら、親しい山ヤの医師に笑いかけた。

「吉村先生、ただいま戻りました、」
「おかえりなさい、今日は隊服姿なんですね?」

穏やかな声が笑ってベンチから立ってくれる。
その笑顔に大切な俤を見つめた隣、綺麗な低い声が微笑んだ。

「はい、携行品だけとってすぐ直行しました。なので駐在所で今日は着替えて、」
「そうでしたか、帰国早々にお疲れさまでした。時差ボケは大丈夫ですか?」

話ながら歩いて行く廊下、医師の貌は笑顔に明るい。
この遠征訓練中も心配してくれた、そんな様子が安堵の眼差しに温かい。
きっと吉村は息子を想いながら待っていた、その愛惜に開いた扉の向こう警察医のデスクを見た。
そこにある写真の微笑に、心臓ごと掴まれた心が泣き笑いに微笑んだ。

―ただいま、雅樹さん。今日も別嬪だね?

青いウェア姿の笑顔は写真の中でK2山頂に生きている。
この姿を追いかけて自分は北壁を登った、あの瞬間たちが愛おしい。
冷厳の時を想いながら椅子に座る、その向かいから吉村医師は笑ってくれた。

「光一くん、雅樹の墓参りをありがとう、」

今は青梅署内、けれど名前で呼んでくれた。
警察医ではなく雅樹の父として向き合っている、その空間にコーヒーの香が流れだす。

―英二、コーヒー淹れて席を外してくれてるね?

きっと吉村と二人で話す時間をくれようとしている。
この気遣い素直に微笑んで、光一は口を開いた。

「やっぱり先生には、俺が来たって解かっちゃうんだね?」
「ええ、あの桔梗がありましたから。とても綺麗でした、」

あの桔梗、そう微笑んだ吉村の眼差しは懐旧に温かい。
薄紅ぼかしの桔梗は森深く、雅樹と自分だけが知る場所だけに咲く。
そんな花だから吉村が見たのは16年ぶりだったろう、そう気がつかされた心が痛い。

―あの花を雅樹さんは毎年摘んで帰ってた、家族みんなが好きだからって…それなのに俺だけしか見ていなかったね、

きっと花に息子の俤を見たかったはず、それを思い遣らず自分は16年の花を独り占めに泣いていた。
哀しみ囚われるまま花一輪も思い遣れなかった、その悔いに唇を噛んでしまう。
けれど呼吸ひとつ微笑んで亡き人の心を抱いて想いを伝えた。

「あの花は秋まで咲くからね、今度コッチに帰ってきた時に摘んできます、」

大切な人の想いを繋いで生きていたい。

どうせ生きなくてはいけないのなら、愛する人の遺志を辿りたい。
ひとつでも多く、すこしでも色濃く雅樹の願いを叶えて鮮やかに輝かせたい。
そんな想いごと約束しながら笑った向かい、愛しい俤の笑顔は嬉しそうに言ってくれた。

「ああ、それは嬉しいですね?ありがとう、光一くん、」
「こっちこそ、ありがとうございます。いつも勝手にお邪魔して、好きにさせてもらって、」

あの森で好きに過ごす自由を、雅樹の祖父は自分にも与えてくれた。
それと同じに吉村医師も許してくれる、その感謝に笑った先で雅樹の父は微笑んだ。

「いつでも何度でも来て下さい。あの森を光一くんが護ってくれること、本当に感謝しています。ありがとう、」

いつでも何度でも来てほしい、そう願ってくれる。
この願いに父親としての想いを見つめて、綺麗に笑いかけた。

「異動しても休みには俺、ちゃんと帰ってきますからね?そうしたらまた樹のお守りさせて下さい、」
「ぜひお願いします、私だと要領を得なくてね。だから元気で帰ってきてください、雅樹と森の為にもね、」

雅樹と森の為に帰ってきてほしい、そう雅樹の父が笑ってくれる。
こんな願いを貰える自分は幸せだ、嬉しくて笑う前へとマグカップが3つ置かれた。

「お待たせしました、熱いうちにどうぞ?」
「ありがとう、やっぱり宮田くんが淹れると香が良いですね、ご馳走になります、」

ゆるやかな芳香の燻らす湯気に、吉村医師は嬉しそうに微笑んでくれる。
その笑顔には英二への愛情が温かで、16年前の絶望は影をまた薄くしていく。

―あのとき先生は一挙に老け込んだね、あっという間に髪が今みたいに灰色になってさ…

晩秋の夜、息子の遺体と帰ってきた医師の髪は色を変えていた。

まだ48歳の髪は豊かに黒かった、けれど奥多摩に戻った時には白髪が目立っていた。
葬儀が終わり、それから四十九日法要で再会した時には今の様、半白のロマンスグレーだった。
そんな吉村医師の姿に深い悲しみを知らされて尚更に、雅樹との一夜と十年の約束を秘めようと決めた。
きっと知れば雅樹の父として光一の傷に気付く、そして医師の視点から癒えない傷を哀しませてしまう。
だから言えない、けれどそれで良い。

―この秘密は俺と雅樹さんだけのものだね、桔梗の咲く場所と同じに、

そっと秘密に微笑んでマグカップに口付ける、その唇に芳香は熱く温かい。
ほろ苦く甘い香の熱を啜りながら見た医師の貌は今、幸せに笑って愛弟子と話している。

「北壁は気温が低いでしょう?けれど記録の時間だと、相当に体は温まったんじゃありませんか?」
「はい、山頂に着いた時は暑かったです。でも標高が上がると気温も下がるので、思ったよりは汗かかなくて、」

いま64歳の吉村医師は、髪が半白でも表情は若い。
まだ奥多摩に戻った時は疲れの翳りがあった、けれど英二と話す貌は16年前と似ている。
いつも愛息と山に医学に笑っていた誇らしい幸せ、あの頃の明るさがロマンスグレーに微笑む。
こんな笑顔から吉村の英二に見つめる想いが解かるようで、この青年が抱く傷に祈りたい。

―英二は気づくべきだね、愛されてるってさ?吉村先生と後藤のおじさんの気持ちを信じるべきだ、おまえなら出来るだろ?

どうか気づいてほしい「今」与えられている愛情に。

天使で魔王の貌した美しく優しい男、けれど解っていない。
どんなに自分が真心に包まれ生きるのか、まだ心底には気づいていない。
気づかないから餓えるまま冷酷な貌は終わらない、この孤独が根源の哀しみに傷む。
それを知っているから周太は英二を独りに出来なくて、恋愛までも光一に委ねる決意をしてしまった。

この愛情たちに気づき満たされる瞬間、どんな貌を英二は見せるのだろう?

それを見たくてアイガーの夜も、この体ごと自分を英二に委ねた。
もう16年前に喪った「約束」を蘇らせたい願いと、英二の支えになりたい願い。
この2つの想いに英二との夜を選んで、雅樹がくれた「十年後の約束」を待つ時間と別れた。
けれど夜明けに自分が見た夢は本音の願いだけで、そして雅樹への想いは尚更あざやかでいる。

―雅樹さんを忘れるなんて出来るワケ無いね、ほんの欠片でも消すことなんて出来ない。でも、英二のことも本気だから…泣きたいね

本当はずっと泣きたい、グリンデルワルトが終わった瞬間から。
アイガー北壁の窓辺、あの部屋の扉を開いて帰国の現実に戻った時から想っている。
英二との夜を選んだことが正しいのか、間違っているのか解からなくて、途惑いが迷う。
こんな迷いは誰に言っても答なんか見つからない、ただ雅樹だけには聴いてほしくて今日も墓参した。
いつも一緒に雅樹は居てくれるだろう、それでも墓と向きあうことで諦めと始まりが欲しかった。

―逢いたいよ、だから俺が約束を終わらせたら迎えに来てほしい…そう約束してくれたら英二と生きること、始められるから、

英二と一緒に生きていく時間。

それは雅樹と生きた時間とは違う、互いに結局は「二番」でいることだから。
お互いに大切な唯ひとりがいる、その隣は帰りたいと願っている、そんな共通点があるから解かりあえる。
お互いに最高峰へ夢を駈ける、この同じ夢を見つめる唯一のアンザイレンパートナーだから、共にいられる。
警察の世界でも「山」でも公認されるパートナーとして英二と生きていく、それが雅樹との夢を叶える道になる。

そう信じているから英二と確かめ合ってみたかった。
いま自分が持っている体も心も感覚も、全てを懸けて知りたかった。
だからグリンデルワルトで肌を交わす瞬間を受容れて、ふたり秘密を共有することを選んだ。
そうして戻ってきた現実の立ち位置に、この隣への想いが整理つかないままでも「明日」を見つめられる。

―どうなってもアンザイレンパートナーなことは変わらないね、えっちしたって親友って言いたいよ?

グリンデルワルトの時間を英二は「恋人」として大切にしてくれた。
けれど自分の想いは親友が強くなった、肌を交わした「違い」が現実を教えたから。
英二との夜も昼も幸せだった、体ごと愛される幸福を肌から想いださせられて温もりに酔えた。
それでも目覚めた瞬間いつも、懐かしい体温と香への想いが尚更に募らされて、呼吸するごと思い知らされる。

そんな自分に気付かされる、もう自分の恋愛は唯一人しか見つめられない。

―英二、おまえに惚れてるよ。でもね…やっぱり雅樹さんは特別なんだ、それでも言ってくれたコト信じてイイの?

いま隣に座る横顔に心問いかけながら、雅樹の父と向かい合いコーヒーを飲んでいる。
グリンデルワルトのベッドで見た英二の貌と今見つめる貌は、別人のようにすら感じてしまう。
そして解からなくなる、今の現実と恋人の夜は地続きになっているのか、英二が告げた言葉が現実だったのか?

『ずっと俺は傍にいていいかな、一緒に山に生きたいんだ。本当に俺が生きたい世界は光一と同じ、山だから』

あの言葉を信じても良いの?
信じて明日へ踏み出したなら、穏かな未来はあるの?
その向こうには哀しくない未来へと、自分は辿りつけるのだろうか?

―ね、雅樹さん…あいつと色んな山を登ってみたいよ、でもそれが正しいコトかな、

問いかけと見た診察室のデスク、大好きな笑顔は変ることなく英明なままに優しい。
生まれた瞬間から愛してくれた人、夢を懸けた名前を贈ってくれた人、今も感情の全てが繋がれる相手。
きっと今も隣に佇んでくれている、その信頼に微笑んで光一は温かなマグカップに口付けた。









【歌詞引用:L’Arc~en~Ciel「TRAST」】

(to be continued)

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