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旧唐書 蘇定方列伝-1-

2006年01月21日 22時18分55秒 | 世界@名無史楽家
以前こちらでも書いた中国の正史で興味の有る列伝の翻訳にチャレンジ。
と言う事だったのですが、全部終えるまで待つと時間が掛かりそうなので、
序盤部分だけでも終えた物を公開します。

 漢和辞典片手に頑張ってみたので、間違いも多々有ると思います。
指摘出きる方居ればして欲しいですね。

 でも一応読んで意味は通って居る感じなので、自分的には大丈夫かな?
少なくともHPの資料としては問題無い感じです。

訳文

蘇定方、冀州は武邑出身の人。父の名は”邕”。
大業年間末期、郷里の者達数千人を率いて、地元の郡に現われた賊を討った。
蘇定方は驍悍で力強く、膽気は絶倫、年は十余歳で、父に従い討捕した。
先制し登り陣を陥れた。父が卒した。郡守は又定方に命令して領兵させた。
郡南の賊首、張金稱を破る。金稱の手を斬る。又、楊公卿を郡西で破る。
追奔する事二十餘里。獲えて殺す事甚し、郷党は之をる。後に竇建に仕える。
建の將、高雅賢が甚だ之を愛す。以、養子と為す。
又、俄かに雅賢は劉闥の城邑を攻め陷すを為す。
定方は毎に戰功が有り、闥に及び、雅賢死す。定方は郷里に歸す。
 貞觀初め、府の道を匡す折衝を為す。李靖に隨い 突厥の頡利を磧口にて襲いに行った。
李靖は定方を使い二百騎を率いさせ前鋒と為す。霧に乘じて行く、賊が去るのを一里許す。
忽然と霧が止み、其の牙帳が望み見えた。馳せ掩(おお)い十百人を殺し數いた。
頡利及び隋公主は狼狽して散走した。餘は俯伏し、靖軍は既に至る。遂に悉く降った。
軍は還り、左武候中郎將を授かった。

原文

蘇 定 方 , 冀 州 武 邑 人 也 . 父 邕 , 大 業 末 , 率 郷 閭 數 千 人 為 本 郡 討 賊 .
定 方 驍 悍 多 力 , 膽 氣 絶 倫 , 年 十 餘 歳 , 隨 父 討 捕 , 先 登 陷 陣 . 父 卒 ,
郡 守 又 令 定 方 領 兵 , 破 賊 首 張 金 稱 于 郡 南 , 手 斬 金 稱 , 又 破 楊 公 卿 于 郡 西 ,
追 奔 二 十 餘 里 , 殺 獲 甚 , 郷 黨  之 . 後 仕 竇 建  , 建  將 高 雅 賢 甚 愛 之 ,
養 以 為 子 . 雅 賢 俄 又 為 劉  闥 攻 陷 城 邑 , 定 方 毎 有 戰 功 . 及  闥 、 雅 賢 死 ,
定 方 歸 郷 里 .貞 觀 初 , 為 匡 道 府 折 衝 , 隨 李 靖 襲 突 厥 頡 利 于 磧 口 .
靖 使 定 方 率 二 百 騎 為 前 鋒 , 乘 霧 而 行 , 去 賊 一 里 許 , 忽 然 霧 歇 , 望 見 其 牙 帳 ,
馳 掩 殺 數 十 百 人 . 頡 利 及 隋 公 主 狼 狽 散 走 , 餘 俯 伏 , 靖 軍 既 至 , 遂 悉 降 之 .
軍 還 , 授 左 武 候 中 郎 將 .


 この序盤だけ読んでも、郷里の者達と群盗討伐した段階でも、
名の有る群盗勢力を破って居るのが、正史で解ります。
 それにこの時代の代表的群雄で有る竇建徳に仕えた事も書かれ、
彼の部下、高雅賢に特に可愛がられた事も解ります。
更にこの頃、後に竇建徳に降伏後は、彼に心酔して、
竇建徳勢力滅亡後は、彼の残党を率いて、その勢力を継いだ劉闥とも闘い、
彼も破っています。凄いですね。
竇建徳滅亡後は郷里に帰った様ですが、その後北方騎馬民族の
突厥族の族長、頡利可汗の討伐戦で、唐王朝に仕え手柄を立てて、
官職を得た。と言う所まで解りました。

 彼はこの後、唐の将軍として次々と活躍し、後には我が日本軍とも戦います。
面白い人物です。

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