猪崎城(いざき)は京都府福知山市猪崎にあります。
猪崎城地図
地方道55号線(舞鶴福知山線)からアクセスすれば分かりやすいかと思います。
現在は城山公園となっています。
城郭の説明が詳しくされています。
縄張り図
縄張り図の現在地とあるところから、古墳のような形の郭から南に登ります。
南第一曲輪
南第一曲輪から階段状の城壁を見ています。
南第一曲輪の西下の腰曲輪
南第二曲輪と上段の城壁
南第三曲輪(二の丸でしょうか)
この上は本丸の周囲を土塁と空堀によって固めています。圧巻ですが次回とします。
歴史
猪崎城は、明智光秀が福知山城を築くまで、この地の拠点的な城郭であったといわれている。天正期目前の、中世城郭の姿を今に留めている城郭であるといえる。
城主は当地の豪族であった横山一族の塩見氏であった。天文7(1538)年4月、塩見利勝は、赤井氏との戦いに戦功を上げて、管領細川氏から感状を得ている。
その後、丹波地方は波多野氏やその一族の赤井氏らに支配されるようになったため、塩見氏もそうした勢力に組み込まれていったものと思われる。天正7年(1579)、明智光秀による丹波攻略は着々と進められていた。8月19日、黒井城が攻め落とされると、その余勢を買って、当地域も明智軍の侵攻にさらされた。当時の城主塩見播磨守家利は、衆寡敵せず、城を焼いて落ち延びようとしたが、その途中で明智軍と遭遇し、奮戦して討死したと伝えられる。城はそれ以降、廃城となったものであろう。「余湖くんのお城のページ」サイトより
猪崎城地図
地方道55号線(舞鶴福知山線)からアクセスすれば分かりやすいかと思います。
現在は城山公園となっています。
城郭の説明が詳しくされています。
縄張り図
縄張り図の現在地とあるところから、古墳のような形の郭から南に登ります。
南第一曲輪
南第一曲輪から階段状の城壁を見ています。
南第一曲輪の西下の腰曲輪
南第二曲輪と上段の城壁
南第三曲輪(二の丸でしょうか)
この上は本丸の周囲を土塁と空堀によって固めています。圧巻ですが次回とします。
歴史
猪崎城は、明智光秀が福知山城を築くまで、この地の拠点的な城郭であったといわれている。天正期目前の、中世城郭の姿を今に留めている城郭であるといえる。
城主は当地の豪族であった横山一族の塩見氏であった。天文7(1538)年4月、塩見利勝は、赤井氏との戦いに戦功を上げて、管領細川氏から感状を得ている。
その後、丹波地方は波多野氏やその一族の赤井氏らに支配されるようになったため、塩見氏もそうした勢力に組み込まれていったものと思われる。天正7年(1579)、明智光秀による丹波攻略は着々と進められていた。8月19日、黒井城が攻め落とされると、その余勢を買って、当地域も明智軍の侵攻にさらされた。当時の城主塩見播磨守家利は、衆寡敵せず、城を焼いて落ち延びようとしたが、その途中で明智軍と遭遇し、奮戦して討死したと伝えられる。城はそれ以降、廃城となったものであろう。「余湖くんのお城のページ」サイトより