快読日記

日々の読書記録

「紫式部の欲望」酒井順子

2014年08月31日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《8/3読了 集英社文庫 2014年刊(単行本2011年集英社刊) 【日本の古典 平安文学】 さかい・じゅんこ(1966~)》

30歳を過ぎてから原文で「源氏物語」を読み始め、これって少女漫画なんではないか、という発想から“欲望”というキーワードをつかみ、読み解く源氏論。

筆者が指摘する、作品に込められた紫式部の欲望は「連れ去られたい」「ブスを笑いたい」「頭がいいと思われたい」「待っていてほしい」「秘密をばらしたい」など20。

感心するのはどの欲望も「あー、あるわ」と思わせるもので、それが読者にも筆者にも紫式部の中にもある、という変な連帯感が生まれること。
“女子あるある”のオンパレードと言っても言い過ぎではない。

「源氏物語を書いた時、紫式部は既にそう若くはなかったはずです。自分が若くないからこそ、年をとった人の、年相応ではない行動が我慢ならなかった。そこで登場させたのが、エロババア役の源典侍だったのではないでしょうか。
末摘花や源典侍に関する記述を読むと、女が女を見る目の厳しさを知る私。しかし、その厳しさはもちろん自分も持っているものであって、「言い過ぎ、書き過ぎには気を付けなくては……」と、自戒の念が湧いてくるのでした」(36p)

もし、わたしが男でこの本を読んだら、女ってなんてややこしい生き物なんだろう!と、ちょっとうんざりするかも。
つっぱったり勘ぐったり、かと思えば愛されたいとかぬかしやがって(失礼)、めんどくさい。
そのめんどくさいところを、酒井順子はかなり丁寧に説明してくれて、読者が女であればそれらの“欲望”に必ず心当たりがあるので、紫式部にかなり親近感を持つこと間違いなしです。

駒尺喜美の源氏論もグイグイくる名著でしたが、この酒井本の方がよりベイシックかつ根源的な解釈と言えると思います。

「はじめに」で展開する清少納言との比較からすでにおもしろいもん。

「源氏物語を読むということは、私にとって、作者の欲望と自分の欲望を照らし合わせる作業であり、その符合を見るにつけ、千年前を生きた女性と自分とは同じ生身の人間であるという確信を、強くするのでした」(206p)

/「紫式部の欲望」酒井順子