快読日記

日々の読書記録

「お言葉ですが…」高島俊男

2013年02月03日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《2/2読了 文春文庫 1999年刊(単行本1996年文藝春秋刊) 【日本語】 たかしま・としお(1937~)》

外は ふーゆのーあめ~ ま~だやーまぬ♪

ああ「氷雨」か、と思う人は40すぎかもしれませんが、それはともかく。
「氷雨」って夏の季語なんだそうです、ご存知でした?
わたしはもちろん知りませんでした。
さらに受け売りを続ければ、氷雨は雹(ひょう)のことで夏に降るもの。同じ氷の塊でも冬に降るのが霰(あられ)。

こんな調子で日本語に関する講義がたっぷり楽しめる(そしてためになる…けど忘れちゃう)名著です、オススメです。

例えば「美智子さま雅子さま」と題された文章ではこんな話が読めます。
大河ドラマの予告で、徳川幕府の家臣の「家康様の後遺言に…」というセリフが聞こえた。
たとえ“様”をいくつ付けようと江戸時代の人が「家康」なんて言うはずがない。
今の皇族が明治天皇を「睦仁さま」と呼ぶわけないのと同じだ。
島崎藤村「夜明け前」では幕末の人が「徳川様の御威光で…」と発言する場面が何度もある。
これに対し、三田村鳶魚が「あの時代の人が『徳川』などと口にすることがあろうか。『公儀』と言うのだ。そんなことも知らずに小説を書くな」と叱ったんだそうです。
そして、こう続きます。
「なにも皇族や将軍家にかぎったことではない。名はその人自身であるから、名を呼ぶのはその人の体に触れるのと同じことで、非常な失礼である。だから誰であれ、自分より上の者の名を呼ぶことはない。(略)下の者に対しては名を呼ぶ。日本語で、兄と姉には『兄上』『姉上』『にいさん』『ねえさん』と名を避けるための呼びかたがあるのに、弟と妹にはそれにあたる語がないのは、名を呼ぶからである」(79p)
さらに、「人の名を呼ぶことはその人の体に触れることであるから、特に女の名は呼ばない。むしろ秘匿される。万葉集開巻冒頭、雄略天皇が野で会った娘に『家聞かな、名告(の)らさね』、名前を教えてちょうだい、と言っているのは、お前を抱きたいというにひとしかろう。抱かれたければ名を告げる。(略)小野小町も紫式部も清少納言も常盤御前も名はわからない」(80p)
そして、「美智子さま」「雅子さま」という呼び方に「日本人の生理にあわない。非常にいやな感じがする。なぜ『皇后』『皇太子妃』と言わないのか」(81p)と訴えています。

どちらかと言えばわたしは言葉に気を使う方だと思っていました(どちらかと言えば、です)が、
高島俊男や呉智英を読むと、自分のあまりの無知と誤解の多さに恥ずかしくなってきます。
でも、これだけの知識や考察を、ふんぞり返ったり読者を叱り飛ばしたりしないで、親しみやすく書いてくれるので、気がつくといい生徒になっちゃってますね。

→「漢字と日本人」高島俊男

→「本が好き、悪口言うのはもっと好き」高島俊男

/「お言葉ですが…」高島俊男