快読日記

日々の読書記録

「癒しのチャペル」辛酸なめ子

2021年08月11日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
8月10日(火)

癒しを求めたさまざまな体験記「癒しのチャペル」辛酸なめ子(白夜書房 2003年)を読了。

ここ数年来のにわかなめ子ファンのわたしですが、
18年も前の辛酸なめ子は期待以上にエグかったです。

ボランティア体験では「プロの障害者」の強靭な精神力に打ちのめされ、
ジョン・レノン・ミュージアムでは、「ジョンはヨーコの囚われの身であった」と確信、
80歳の森光子が18歳の少女を演じた舞台上の姿を描いたイラストは悪意に満ち、
正月の一般参賀では当時の天皇陛下の前立腺に思いを馳せる…。

特に、女子アナや中森明菜とファンとの込み入った関係を看破する辛酸なめ子には敬服しました。

偏狭な今の日本だと、確実に各方面に謝罪しなきゃ収まらないものもある気がします。
とりあえず、辛酸なめ子が今回の東京オリンピック開会式に関係してなくてよかった…と胸を撫で下ろしました。

「バカに唾をかけろ」呉智英

2021年07月27日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
7月24日(土)

「バカに唾をかけろ」呉智英(小学館新書 2021年)を読了。

いくらバカでも唾かけないでほしいけど、
その博覧強記ぶりと一貫した正論すぎる主張には感心を通り越して笑ってしまいます。

絶対音感を持つ人は狂った音程にイライラするとよく言うけど、
それに似た感覚なのかもしれません。
ストレスたまりそうです。

かれこれ30年くらい呉智英の本を愛読していますが、
昔は爽快だったのに、最近は切なさを感じるようになりました。

たとえば、「何ともおかしい『歴史的仮名遣い』」の項のこんなところ。

「何十年も前『古事記』を読んでいて気づいた。皇祖神たちは初めから日本語を話している。ああ、皇祖神より日本語の方が先なのだと知った。日本語こそ日本文化の基礎であり核である」(41p)

言葉の誤用や無知 (←特に似非知識人の) にめちゃくちゃ厳しい呉智英ですが、
正しい思考や論説は正しい言葉の上にしか成り立たないからなんです。たぶん。

「新・人間関係のルール」辛酸なめ子

2021年07月26日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
7月5日(月)

「新・人間関係のルール」辛酸なめ子(光文社新書 2021年)を読了。

たとえばあいづちの仕方、
タクシー運転手やショップ店員との会話、
同窓会や飲み会対策などなど、
ささいなことほど正解がなくて難しいですね、言われてみれば。

辛酸なめ子の何がいいって、
“実はそういうのが苦手な自分は特別な人間なのだ、もちろんいい意味で”みたいな優越感(といっていいと思う)がないところ。
繊細自慢、デリケート自慢、不器用自慢、ああいうのはちょっと、いただけない。


コミュニケーションスキルといえば、
先日終わった名古屋場所で、
北の富士の一言(忘れちゃった)に対して、
テレビの前で「ん?どういう意味?」と思った瞬間、
アナウンサーの吉田さんが「そのココロは?」と返していて、
なるほどー! と膝を打ちました、そう言えばいいのか!
それはどういう意味ですか、じゃあ角が立つもんね、さすがです。

「女ひとりで親を看取る」山口美江

2021年05月08日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
4月30日(金)

認知症のお父さんとの生活をつづった「女ひとりで親を看取る」山口美江(ブックマン社 2008年)を読了。

認知症という病気の“ぶっ壊れていく感”が生々しく伝わります。
どんどん進行していく病気は、本人も辛いけど家族も不安だし恐怖です。
自分だったらあっさり白旗をあげるのか、
それとも、そうなったらそうなったで乗り切れるのか、
うまく想像できません。

しかし、当事者には乗り切れるかどうか悠長に考えてる暇もないわけで、
最終的に「ひとりで介護するには限界」と言われるところまで行ってしまった山口美江には同情するし、
共感もしてしまう。
だけど、もうちょっと早い段階から他人の手を借りてもよかったですよね、って言っても届きませんが。


自分は強いんだ、という認識で生きる人をわたしは好きだけど、
そういう人ほど脆いんだと気づきたい。


かなり悲惨と言われても仕方ない話を、
そう感じさせない冷静な文章に、
山口美江のダンディズムが漂います。

「「原っぱ」という社会がほしい」橋本治

2021年04月18日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
2月27日(土)

「「原っぱ」という社会がほしい」橋本治(河出新書 2021年)を読了。

本当に最後に書かれたものが収められているからか、
読んでると、内容そのものより「なんで今橋本治はいないのか、今生きてたら何を教えてくれたのか」とか考えてしまって、
頭と心がグラグラします。

この喪失感は、志村けんが亡くなったときと似ています。
以前、日本エレキテル連合(だったかな)が、志村けん逝去について「子供のころからさんざん遊んでくれた人がいなくなった」と言っていたのを読んですごく納得したんですが、
それに倣って言えば、橋本治は「若いころからさんざんいろいろ教えてくれた人がいなくなった」ということです。
この不安は、亡くなって2年経ったらさらに増している。

「ぐるぐる博物館」三浦しをん

2021年02月08日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
1月27日(水)

「ぐるぐる博物館」三浦しをん(実業之日本社 2020年)を読了。

見に行った博物館は約10箇所。
まず、そのチョイスがおもしろかったです。
ちょっとマイナーだったり、ニッチだったり、だからこその“熱い思い”が確実にあるところをしっかり選んでいる。
そして、筆者は聞き上手で説明上手。
反応や表現も各方面に配慮(たまに、そこまで気を遣わなくても…というところもある)して、おもしろさはキープしながら誠実な印象です。

そう言えば、この1年ほど「不要不急」って言葉をよく聞きますが、
これらの博物館はその代表みたいなもので、
そう考えると、
「不要不急」がたっぷり容認される社会や時代こそが“豊か”ってことなんですよね~。
とにかく、新型コロナおさまってほしい。

「アンソロジー カレーライス!!」

2021年02月08日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
1月26日(火)

「アンソロジー カレーライス!!」(PARCO出版)を読了。

同シリーズ「お弁当。」に比べたらあんまりおもしろくないのは、
「お弁当。」にはある“含羞”が、カレーライスにはないからかもしれません。

“自分の”カレーライスについて語るとき、みんな客観性を失ってる。

そこがまさに、カレーライスの恐ろしさ。要注意。

「みんなとちがっていいんだよ キミに届け!セミの法則」ROLLY

2021年02月08日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
1月13日(水)

「みんなとちがっていいんだよ キミに届け!セミの法則」ROLLY(株式会社PHP研究所 2011年)を読了。

特に、自らをマイノリティと認識するあたりがとても興味深く読めました。
小学校高学年から中高生くらいがターゲットの本みたいで、
たしかに、自分と他人を比べたり、劣等感に苛まれたりの悩み多き世代にオススメしたいです。
もっと読まれてもいい、何なら夏休みの課題図書にしてもいい。

でも、この本、本の作りからして弱い気がするんですよー。
なんでローリーのビジュアルを表紙に使わないんだろう。
せめて口絵でもいいから、たぶんローリー寺西を知らないだろう世代のみなさんに見ていただいて、手にとっていただきたい。
そうしてこそ「みんなとちがっていい」というメッセージは届くと思います。

「ひとりサイズで、気ままに暮らす」阿部絢子

2021年02月08日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
1月10日(日)

「ひとりサイズで、気ままに暮らす」阿部絢子(大和書房 2018年)を読了。

こういう、「女単身者の生き方」系の本は実に多いけど、
「家族を持ってすったもんだしながらワイワイ生きる」というタイプの本は少ない気がします。

たぶん需要がないんだろうと。

前者は本を読む人間、後者は読書必要ない人間だからかなあ。

どう考えても、本なんか読まない人の方が幸せってかんじがする……けど、気づかなかったことにしたいです。

「白蛇教異端審問」桐野夏生

2021年01月07日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
1月5日(火)

「白蛇教異端審問」桐野夏生(2005年 文藝春秋)を読了。

エッセイや掌編小説が収まるなかで、強烈なのが最後の「白蛇教異端審問」。

話の端緒は、「髭」を名乗る匿名書評や、関口苑生の文章(どちらも迂闊に書かれた人格批判で、なおかつ差別的)に対する反論ですが、
自らが信じるものを、自分自身の尊厳を、軽々しい言葉で傷つけられた人が、血みどろになりながら闘う姿に、読んでるこちらの胸が潰れそうになります。

この本が出てからもう15年経ちます。
その後いくつもの圧倒的傑作を残した桐野夏生について、彼らはどう考えているのか知りたい気もしますが、やっぱりどうでもいいかもしれないです。
勝敗は火を見るより明らかだから。

「人生は驚きに充ちている」中原昌也

2021年01月07日 | エッセイ・自叙伝・手記・紀行
1月4日(月)

「人生は驚きに充ちている」中原昌也(新潮社 2020年)を読了。

例えば、なんだか面白そうな人だけど、同じクラスにいたら接点なさそうな人、というのがいて、わたしにとって中原昌也はまさにそういうタイプでした。

図書館でこの本借りたんですが(購入しなくてごめんなさい)、
まずは装丁がいいのにつられてパラパラめくってみたら、
“秋元康がもし東京オリンピック開会式の演出家に任命されたら最悪だ、阻止したい、という話”(もちろん野村萬斎に決まるずーっと前。別に秋元が候補に上がっているわけでもない段階で先回りして反対しているのもおもしろい)が目に入って、そこでの秋元批判に溜飲が下がる思いがしたから。

エッセイ以外にも、震災から2年めの被災地や、殺人事件の現場、ショッピングモールなどに出掛けていく話もあって、
全体的には、ピチピチとイキのいい文章を味わい、
“とにかくこの国はいやだ、腐ってる”みたいな嘆きや苛立ちに共感する、という読書でした。