快読日記

日々の読書記録

「電車のおじさん」辛酸なめ子

2021年08月11日 | 日本の小説
8月8日(日)

「電車のおじさん」辛酸なめ子(小学館 2021年)を読了。

リアルな恋愛の煩わしさやリスクを避けつつ、
でも女性ホルモンの分泌は促したい、という欲望をかなえるとなれば、
もう、この主人公・玉恵(20代OL・ 男性を“好きかキモいか”で分けている )のように「妄想プラトニック推しおじさん」しかないかもしれません。

最後に出てくる「プラトニック介護」までくると、手が届かない領域です。

「小説8050」林真理子

2021年07月27日 | 日本の小説
7月22日(木)

「小説8050」林真理子(新潮社 2021年)を読了。

そのまんま、いわゆる“8050問題”の話。
うまいタイトルです。

話の展開は早いし、
語り口は読ませるし、
虚実の織り混ぜ方が巧妙でグイグイ引き付けられます、すごくおもしろかったです。

表現には、独特のデリカシーのなさがあって、
それが読み手を強く引っ張る力になっているところが魅力だ。

「記憶の盆をどり」町田康

2021年07月25日 | 日本の小説
6月30日(水)

短編集「記憶の盆をどり」町田康(講談社 2019年)を読了。

この前読んだ短編集「ゴランノスポン」に比べると熟したかんじというか、コクがある印象。
大人が書いた、というか。

ちょっと教訓ぽいところがアレだけど「百万円もらった男」がじんときました。

「帽子」吉村昭

2021年06月30日 | 日本の小説
6月10日(木)

「帽子」吉村昭(中公文庫 2003年)を読了。

短編集。
すべて男女の訳ありな話で、
松本清張ほど性悪説でもなく、
基本は普通の人たちの話。
だからこその機微というか、
ううわー、そこに着地か~!とか、
え?それで終わり?みたいな終わり方とか、
人生のひとコマを切り取ってうまく盛り付ける作家の手腕を堪能しました。
おとなの話だ~。
大満足。

「ロンリネス」桐野夏生

2021年06月09日 | 日本の小説
5月27日(木)

「ロンリネス」桐野夏生(光文社 2018年)を読了。

「ハピネス」の続編。
乱暴に言ってしまえば不倫の話。
そこが地獄と分かりつつのめり込んでしまう様子がすごい説得力です。
もう、テレビで土屋アンナを見るとおおっ!とか思ってしまう。
(ここに出てくる洋子という人の異名が「江東区の土屋アンナ」なので)

例えばこの前出た「日没」みたいな作品と比べると、こういう話の方が桐野夏生の小説家としての技みたいなものが味わえておもしろいです。

「ジャックポット」筒井康隆

2021年06月09日 | 日本の小説
5月14日(金)

「ジャックポット」筒井康隆(新潮社 2021年)を読了。

短編集。
天才の妙技に笑ったり、気持ち悪くなったり、不安になったりして、
たどり着いた最後の「川のほとり」を繰り返し読みました。

亡くなった息子に夢の中で会う短い話。

そこでの息子の言葉がじーんとくるんだけど、語り手の作家が、その息子のセリフも自分が考えてるんだ、おれの夢の中だからな、と夢の中で考えている、その悲しみは深い深い池の底にある。

夢の中のまま話が終わるのも印象的でした。

「つまらない住宅地のすべての家」津村記久子

2021年06月09日 | 日本の小説
5月4日(火)

「つまらない住宅地のすべての家」津村記久子(双葉社 2021年)を読了。

普通の町の普通の住宅地に並ぶ10軒の家の話。

そう聞くと「ディス・イズ・ザ・デイ」みたいなのを想像しますが、
それより初期の「とにかく家に帰りたい」が近い感じがしました。

人と人とのつながり(一般的にいう“つながり”に加えて、ゆるいつながりも濃すぎるつながりも。“断絶”さえもつながりの一形態だという意味で)が、
このあたりに来ているかもしれない“逃走犯”という補助線によってみごとに描かれています。
この補助線は、「とにかく…」では“大雨”でした。


中でもすごいと思ったのは、ある家の家長的立場にいるおばあさんの描かれ方です。
人を見下したり利用したり踏みつけたりしながら生きてきて、そのまま石みたいに固まって死んでいく人。
それを孫娘の目線から見るので、単純に批判的にというよりは、そういう人間に対する諦念や悲しみが感じられました。
こうやって何十年も生きてきた人にいまさら何を言っても無駄だ、という絶望と、だからといって完全に切り離せない“この人も家族なんだ”という絶望も。

出番は少ないけど、このおばあさんの娘というのが、全ての判断を放棄しておばあさん(彼女にとっては母親)に依存している人で、めっちゃリアルです。
おばあさんよりむしろこの娘が怖かった。

「乙女の密告」赤染晶子

2021年05月07日 | 日本の小説
4月15日(木)

「乙女の密告」赤染晶子(新潮社 2010年)を読了。

「うつつ・うつら」を読んだときにも感じたことですが、
赤染晶子の笑いのセンスはすばらしい。

昔、M1で見た「変ホ長調」っていう女性コンビを思い出します。
独特のおっとりした雰囲気でかなりな毒を吐く2人にげらげら笑いながら、
ふと、「あ、なんかストレートに笑える!」と思ったんです。
つまり、今までは男からみた男の笑いを一回翻訳して「ああ、そういう意味ね」と解釈して初めて笑える、という作業を脳内でしていたんだと。

いわゆる“女芸人”と呼ばれる人たちの多くも、
“男文脈の笑い”や“男の価値観からくる笑い”からなかなか逃れられない。
(そこから脱出する“女芸人”たちにはもう“女性議員”みたいな枠は与えられず、男と同じ“普通の人生”が待ってるんだ、という話を橋本治は「幸いは降る星のごとく」でしています)

例えば、手話は一般的な日本語とは文法から違うし、別言語であると認めろ、という話がありますが、“女の笑い”もそんなかんじかな。

“女の笑い”の独自性は、
感性とか生理的なものよりも、
社会的な要因に基づくところが大きいと思います。
つねにサブ的で、男社会の中心から外れたところに視点がある。
そこから生まれる笑い。
だから、声高に“ジェンダーフリー!”とか叫ぶのはちょっと違うんです、そういう話ではない。

で、赤染晶子の何がすごいかに戻ると、
頑強な男中心社会に抵抗も迎合もせず、
彼らが見向きもしなかったスペースに毅然と(でも、パッと見たところおっとりと)立ち、
自分が芯から面白いと思ってることでとことん勝負しているところ、だと思います。
しかも、ちょっととぼけた涼しい顔で。

「ハピネス」桐野夏生

2021年05月07日 | 日本の小説
4月11日(日)

「ハピネス」桐野夏生(光文社文庫 2016年)を読了。

東京東部のタワーマンションに住む女たちの話。

共感できる人物がひとりも出てこないのに、
読み始めると止まらなくなるってすごくない?(若者風に言ってみた)

あと、着ているものや身につけるものからその人間を推察する目が鋭い。

「午前0時の忘れもの」赤川次郎

2021年05月07日 | 日本の小説
4月9日(金)

「午前0時の忘れもの」赤川次郎(集英社文庫 1997年)を読了。

バス事故で亡くなった人たちが午前0時に帰ってくる、という話。

過不足なし!(いい意味で。)
いろんな要素がちょうどいいです、安心して読める。

さらによかったのが三木卓の解説。
赤川次郎が“大人”であることのよさ。
つまり、視野の広さや人間を把握する能力やバランス感覚に優れているところ。
赤川作品の価値にあらためて気づかされる名解説でした。

「うつつ・うつら」赤染晶子

2021年05月07日 | 日本の小説
4月2日(金)

「うつつ・うつら」赤染晶子(文藝春秋 2007年)を読了。

初子さん(「初子さん」)も、
マドモアゼル鶴子(「うつつ・うつら」)も、
重苦しさや息苦しさに耐えているのに、
つねに基調に“笑い”がある。

ボケる実力が半端じゃないところが最高だと思いました。

「日没」桐野夏生

2021年05月07日 | 日本の小説
3月26日(金)

「日没」桐野夏生(岩波書店 2020年)を読了。

桐野夏生にとって「書く」という衝動や行為は、
おぞましい腫瘍のように体内に芽生えて大きくなってきたもので、
でも、どういうわけかそれが作家を生かしていて、
切り離してしまえば作家本人の命も尽きてしまうので、
だから、それを抱えたまま生きていくしかない、っていうかんじなんだろうか。
そんな苦悩と愉悦と誇りを抱え、それを繰り返し描いている気がします。
その行為は作家自身の心身を削りえぐることになるのに、
それでも作家は書くのを止めない。
どんな手を使って阻止されたとしても。

そういう覚悟が読み手をビビらせる傑作だと思いました。


この作品、小説家が読むとどう感じるんでしょう、聞いてみたいです。
特に「読んだ人に元気を与えたい」系の作家からみたら。
「作家」を名乗ってはいても別物だからいいのか。それはそれで需要があるから問題ないのかな。


じゃあ、読者側から何が言えるかといえば①「読む覚悟」。
“わたしはこれだけ腹をくくって書いてる。お前はどうだ。”
そんな何かを突きつけられるので、読む側にも相応の覚悟が強いられます。
②「だから読解力をつけねば大変なことになる」です。
学校で教える「国語」教材が実用文中心になるそうで、
この国がどういう人間を作っていきたいのかがわかります。
読解力のない、思考力や判断力や想像力、洞察力、共感のない人間、
その先になにがあるのか、と考えると、
つい「明日の日本を見たくない」という言葉を思い出してしまいます。

「ゴランノスポン」町田康

2021年05月06日 | 日本の小説
3月15日(月)

「ゴランノスポン」町田康(新潮社 2011年)を読了。短編集。

「ゴランノスポン」や「一般の魔力」は、わ~!いるいる!こういうやつ!みたいに読めるんだけど、
読後、あれ?これ自分?自分もこうなってる?っていうかいつかなる?気づいてないだけ?という“毒”がじんわ~り回ってきて本当に怖い。苦しくなってくる。

あんまり怖いので再読、再々読してしまいました。

「庭」小山田浩子

2021年04月18日 | 日本の小説
3月13日(土)

「庭」小山田浩子(新潮文庫 2021年)を読了。

半径1mくらいのことがちまちま(って表現は悪いけど、刺繍や編み物のイメージ)描かれてるのに、いつの間にか後戻りできない怖い場所に引きずり込まれてます。

土のにおいがする。

そう。ちょっと吉田知子みたい。

…と思ったら、解説が吉田知子でした(笑)
でも、吉田知子にある「凄み」みたいなものはない。