快読日記

日々の読書記録

「70年目の告白~毒とペン~ 1」高階良子

2021年04月18日 | 漫画とそれに関するもの
2月23日(火)

「70年目の告白~毒とペン~ 1」高階良子(秋田書店 2021年)を読了。

帯の「引退作」の文字はかなりショックですが、
漫画家人生の最後を自伝で締め括ろうという覚悟が伝わります。

とにかく、幼少時からの実母による心身への虐待は凄まじいです。
これでもか!これでもか!というかんじ。
この1巻は、主人公・涼が絶望の淵から脱出しかかるあたりで終わりますが、
現在の作者が語り手となり、涼(過去の作者自身)の心情を代弁しながら話が進むという構成が心に染みます。
大人の自分が当時の幼い自分に寄り添う場面が何度もあり、これを絵で見せられるところが漫画っていいですね。

高階良子マニアとしては、
高階作品に登場するパーフェクトな男性たちの原型がこの実父にあるとか、
語り手の作家自身の髪形が「交換日記殺人事件」の圭みたいでうれしいとか(笑)
見所いっぱいです。

ここ数年の高階作品で描かれる、児童虐待・親からの支配や攻撃の根っこにはこういう生い立ちがあったのか、と思ったんだけど、
よく考えてみると、昭和40・50年代の作品からずっとそうでした。
両親不在(登場しないor死んでる)の主人公が多い気がするし、いても無力で主人公を困難から救ってはくれない。(助けてくれるのは、“万能な男性”か“孤独な姉御”)
親に対しての絶望や親子の縁の薄さが目立ちます。


あぁ、高階作品全体を振り返るのはまだ早い!現在進行中ですからね。

2巻めが待ち遠しい。

「マンガの深読み、大人読み」夏目房之介

2020年05月05日 | 漫画とそれに関するもの
5月5日(火)

「マンガの深読み、大人読み」夏目房之介(イースト・プレス)を読みました。

梶原一騎が好きなので、「巨人の星」論と「あしたのジョー」論はそれぞれ2回ずつ精読。
とくに「ジョー」論は読みごたえありました。

当時の担当編集者や、ちばてつや本人へのインタビューは、
読んでるだけでも汗ばむような熱量でした。

さらに、夏目房之介の「ジョー」分析!
漫画家兼評論家のよさが遺憾なく発揮されていて、
例えば、亡くなった力石をみんながかこむ場面の“影”に注目したところ(部屋の光源はなんと力石の遺体!)、
さらに、登場人物を“梶原側”と“ちば側”に分け、
ちばてつやが受け入れにくい“梶原側”の人物が、連載が進むにつれてどんどん“ちば側”に獲得されていく様子(と、それにつれて当初の“ちば側”の人物が描かれなくなっていく様子)の指摘には大納得!!
「深読み」が決して見当違いにならず、作者自身も気づいていない作品の“キモ”をグイとつかみきっていて爽快でした。


このステイホーム期間に「あしたのジョー」まとめ読みっていう選択肢もいいかもしれないです。

再読『塔にふる雪』坂田靖子

2016年07月14日 | 漫画とそれに関するもの
7月13日(水)

坂田靖子『塔にふる雪』(潮漫画文庫)を再読。

読後、「象牙飾りの窓」だけもう一度読み直す。
ひやっとするほど怖くて、ドキドキして、最後は悲しい。

こういう話を思いつく坂田靖子の頭の中ってどうなってるんだろう。

ほんとにすごいほんとにすごいと呟きながら、さらにもう一回読んで寝る。

読了『大人の少女マンガ手帖 オカルト・怪奇ロマン』「このマンガがすごい!」編集部

2016年07月09日 | 漫画とそれに関するもの
7月8日(金)

本屋で偶然『大人の少女マンガ手帖 オカルト・怪奇ロマン』(「このマンガがすごい!」編集部編/宝島社)を見つけた。
高階良子(一番好きな漫画家をひとりだけ挙げよ、という拷問のような質問を受けたら、この人の名前を叫ぶ)、楳図かずお、山岸凉子、あしべゆうほ、わたなべまさこ、美内すずえ…って、好物ばっかりじゃん!

さらに感動したのは、菊川近子や成毛厚子が取り上げられていること、高階良子先生のインタビューがあること、そして、あの『東京マグニチュード8.2』!
小学生のころ、おばあさんの家に転がっていた雑誌で1度読んだだけなのに、あれから30年以上、ずーっと脳裏から離れない超こわいやつだ!
覚えているのは自分くらいだと思っていたけど、そういう人がいっぱいいたんだ、と思って興奮し、すっかり忘れていた作者は「中森清子」という人で1981年にコミックスも出てると知り感涙。

B級の匂いが怖さを一層引き立てた「ひばり書房」と「立風書房」の怪奇マンガの記事もあって(小さいけど)、この本作った人が目の前にいたら何かご馳走したいくらいだ。

「オカルト・怪奇ロマン」というタイトルのおかげで、自分が物心つく頃からずーっっと好きだったもののジャンルの呼称が知れてうれしい。

読了『定本 消されたマンガ』赤田祐一+ばるぼら

2016年06月16日 | 漫画とそれに関するもの
6月15日(水)

『定本 消されたマンガ』(赤田祐一+ばるぼら/彩図社)を読了。

1990年代、2000年代になると「自主規制」というのが出てくる。
でも、これが「誰かを傷つけるから」ではなく、「誰かにクレームつけられる→もめるから」を恐れての先回りであるうちは、「表現の自由」は難しいような気がする。

ていうか、そもそも「表現の自由」ってなんだろう。
近頃は、例のヘイトスピーチの一団までが口にする「表現の自由」。
「攻撃」を「表現」というなら、殺人だって窃盗だって何だって「表現」だ。
そんなわけあるか。

…と考え出すと、じゃあ「表現」って何だっていうところで行き詰まってしまう。難しい。

それから、
取り上げられているのはいわゆる少年・青年マンガばかりなので、少女マンガについての考察も読みたいものだ。

読書中『定本 消されたマンガ』赤田祐一+ばるぼら

2016年06月13日 | 漫画とそれに関するもの
6月10日(金)

ぬ~すんだば~いくでは~しりーだす~♪と歌うのは、犯罪を助長するんだそうで、夜の校舎窓ガラス壊して回ったり、15歳がおぼえたてのタバコをふかして自由を求めたりするのもだめなんだろう。
バカも休み休み言え、と言いたい、いや、そういう人たちと関わるのも遠慮したいかんじ。

非寛容社会という言葉があるけど、何がそんなに許せないのかなあ。
でも、赤田祐一+ばるぼら『定本 消されたマンガ』を読むと、そういう「許せない」感覚は今に始まったことでもなく、ずっと昔からあるみたい。

1940年代(!)から現在までの「消された」マンガ作品が羅列してある。
「定本」を名乗るだけあって、データベースとしても信用できる。
ひとつの作品が「消される」には様々な理由があるが、どこまでが事実で、どこからが未確認が、というしっかりした表記もいい。

読了『総特集 坂田靖子~ふしぎの国のマンガ描き~』

2016年03月19日 | 漫画とそれに関するもの
3月18日(金)

坂田靖子の作品を「紅茶の味」と表現していたのは高橋源一郎だった。
今の漫画家はコーラだったりアンバサ(懐かしい)だったりする、すっきりかつ深みがある坂田靖子は紅茶だ、みたいな話だった。
なるほど~と激しく同感して、以来、印象が変わらない。
じわじわ好きになって、飽きがこない。

昨年がデビュー40周年なんだそうで、『総特集 坂田靖子~ふしぎの国のマンガ描き~』(河出書房新社)を読み終わる。

大島弓子同様「一度姿を見てみたい漫画家」だったんだけど、なんと若かりしころ萩尾望都と並んで撮った写真がでていてドキドキする。
確かに自画像に似ている。

驚くのは伝説の同人誌『ラヴリ』の話。
仕事云々関係なく、とにかく漫画を書く!というのがすごい。

萩尾望都の「誰にでも描けそうで描けない」とは坂田靖子の特徴をズバリ言い当てたいい表現だと思う。

坂田靖子の漫画でいつもハッとするのが、広い空間の描き方だ。
本当に視野いっぱいに広がる。
あれは一体なんだろうとかねがね思っていた。
海外旅行なんかによく行くんだろうなあ、という予想は大はずれ。
一度も行ったことがないんだって。
あのイギリスもあのアジアもイマジネーションで描いている!
だからこその名場面なんだなあとうっとりする。

萩尾望都にあてたファンレターや作品リスト、坂田作品を取り上げた批評の再録なども充実。

カバー外すと現れる表紙もめちゃくちゃいい。

読了『幻想夜話』『よろず幻夜館1・2巻』高階良子

2016年03月11日 | 漫画とそれに関するもの
3月10日(木)

子供のころから双子に憧れている。
自分に双子の姉か妹がいたらいいのに!と母に訴えたら「お前なんか一人でたくさんだ。二人もいたら気が狂う」と真顔で言われたことも今となってはいい思い出だ。
他人には理解してもらえない心情も双子ならわかってくれるかもしれないし、自分と自分だったらさぞかし気が合うだろう、と思っていた。
ダメな自分、しっかりした自分、冷静な自分、明るい自分、暗い自分、そんなのが大集合したらそりゃあ心強いに違いない。
双子、というより、もう一人自分が欲しいということだ。

そういう使い慣れた毛布の中で自分自身の体臭にくるまれるような“安定感”を求める気持ちを『幻想夜話』『よろず幻夜館1・2巻』(高階良子/秋田書店)を読みながら思い出した。

これは「多重人格モノ」ではあるんだけど、他と違うのは、いろんな人格が実体化して(本人を入れると4人)一緒に暮らし、探偵のような便利屋のような商売を始めるというところ。

高階良子はもう70歳くらいになるのかな。
萩尾望都あたりと並び称されても全然不思議じゃない作家なのに、なんだかいまいち正当に評価されていない気がする。
一時期、昔の自作の焼き直しみたいな作品が続いて「あれ?」と思ったことが、ほんの一時期だけあったけど、近年はコメディや児童虐待みたいな社会性のあるテーマなんかにも取り組んで、何がすごいって新しいテーマであってもその高濃度で独特な高階良子ワールドをキープし、何なら進化させているタフさ。

戦後の日本漫画史や少女漫画史的な本でもほぼ無視されている(被害妄想か)高階良子だけど、じゃあここらで大注目されちゃったりしたらうれしいかと問われれば、それはそれで複雑なファン心理でモヤモヤするなあ…と妄想しながら就寝。

読了『「ベルサイユのばら」 その謎と真実』池田理代子/監修

2016年02月06日 | 漫画とそれに関するもの
2月5日(金)

図書館で見かけたこの『「ベルサイユのばら」 その謎と真実』(池田理代子/監修 JTB)が2002年刊(!)だったのに驚いて借りた。
21世紀になっても関連本がでるなんて。

で、読んでみた。
「磯野家の謎」系な本であることは確か。
作品自体から徹底的に読み解きたい、という本。
でも、普通その手の本で結局突き当たっちゃうのが“制作側はそこまで考えていない”っていう“作品そのものの綻び”で、たいていは“そりゃそうだ~”という軽いがっかりとともに本を閉じることになる。
ところが、この本はそういうところがない。
「ベルサイユのばら」が徹底的に作り込まれ、史実とフィクションがうま~く練り込まれた傑作であるという証拠だと思った。

それを弱冠23歳くらいで書き上げた池田理代子って本当にすごい!っていうことを再認識させる本だった。

キャラクターの分析では、デュ・バリー夫人(実在してた)の話が印象的。
ちょっと同情する。
男性キャラ分析では、アランがとりあげられていなかった。
ベルばら男性登場人物の中で、一番市井の感覚を持った常識人で、なおかつワイルドなアランなのに。
ジェローデルの項だってあるのに!

読了『レベレーション(啓示)1』山岸凉子

2016年01月28日 | 漫画とそれに関するもの
1月27日(水)

山岸凉子の新作『レベレーション(啓示)1』(講談社)を読んだ。

主人公はジャンヌ・ダルク。
処刑されるジャンヌが過去を回想する形で語られる。
ややこしい歴史事項に関する簡潔な説明がわかりやすくてうれしい。

そして、なによりいいのは、要所要所に“現代の視点”が入るところ。
例えば、啓示を受けたというジャンヌの告解に対し、司祭が「神の声やお姿を見たという(略)者たちには共通した面がある/“逃げたい現実”…/を持っていた!」と語る場面。
引きが強い神憑りの場面なんて特にグイグイ行ってしまいそうなところを、こういう冷静で分析的なセリフがぽんと入る。
そうすると物語が多面的かつ立体的になって、味も複雑に、さらにコクがでる。
ただの“歴史物”ではなくなる。
山岸凉子のうまいところでもあるし、漫画ってこういう表現に向いてるメディアだなあ、と感服しながら就寝。

再読『週末、森で』益田ミリ

2016年01月02日 | 漫画とそれに関するもの
1月1日(金)

処分予定本を詰めた箱の中の『週末、森で』(益田ミリ/幻冬舎)を開く。
益田ミリ、エッセイはイマイチ好きになれなかったけど、漫画作品はついつい読んでしまう。
絵がかわいいせいか。

『週末、森で』は早川さんという登場人物が“いかにもいいことを言う”のが鼻につく一方、トイレの相田みつをのように心のスキマにスッと入り込む変な力は確かにあると思う。
ところどころで「なるほど~」とうなずき、でも、やっぱり何か決定的に受け付けないものを感じて箱に戻す。
自分は何に引っ掛かっているのかなあ。

達観したかに見える早川さんに比べて、友達2人(せっちゃん マユミちゃん)の職場や日常でのイライラ・不満は手に取るように分かる。
わたしはこういうとき、その不快な相手にはっきり言ってしまう(結果嫌われる)タイプだったのに、年をとってからはうま~く避ける方法をとるようになった。
ギスギス摩擦する体力がなくなった証拠だ。
そういうのを「知恵」というのかもしれない。
「考え方を変えてみる」「視点を変えてみる」というのがそれだ。
そして、早川さんの「格言」のほとんどもそれだ。
だけど本当にそれでいいのかな、とたまに思う。
そうやって自分をうまく言いくるめて逃がすのってどうなの。
独りよがりな上に卑怯なのではないか。

結局、わたしが早川さんに抱く「嫌な感じ」は、そういう「自己欺瞞」に対する「自己嫌悪」なんだろうなあ、というところまで考えて就寝。


そろそろ濃いものが読みたくなってくる。

「楳図かずお論 マンガ表現と想像力の恐怖」高橋明彦

2015年09月10日 | 漫画とそれに関するもの
《☆☆☆ 8/26読了 青弓社 2015年刊 【漫画研究 楳図かずお】 たかはし・あきひこ(1964~)》

楳図かずおとその作品に対する“愛”と“批評精神”のバランスが絶妙で、これがこの本の勝因。
「あら探し」的なテキスト論を乗り越えて、楳図作品をどう読むか、という真っ正面からの挑戦に満ちていてワクワクします。

本作は、愛読者にとっては“あるある”なテーマ、例えば「わたしは真悟」の「…といいます」という不思議なナレーションや、「洗礼」のすごいオチ(わたしは読後2、3日はボーっとしてました。あんなショックを受けたのは他に「日出処の天子」(山岸凉子)だけ)とも真っ向から格闘し、粘り強く結論まで導きます。

作品が抱える矛盾をどこまで信じるか。
そう。この本がいいのは「楳図作品への信頼」が根底にあるところ。

だから、タマミちゃんのことだってこの筆者になら託せます。
(楳図かずおが書いたという「タマミは女の子です」には胸を撃ち抜かれました)
本当は葉子がタマミをいじめてたんだ、ってことは、あの時代に読んでた子供はみんなわかってたと思う。
この本のおかげでタマミちゃんは成仏できたはずです。

「イアラ」の分析もよかったです。
あのラスト、正直なところ「え?どういうこと?」なままだったんですが、「あー、そういうことか~」と膝を打つと同時に自分の読解力のなさを痛感。

それにしても、漫画を論ずるって、考えてみればとてつもなく難しいことですよね。
ネームやストーリーだけだって大変なのに「絵」まで読み解かなきゃならない。
厚くて重くて(寝転んで読んでたら、本を支えた腕が筋肉痛)高い(3600円+税)本だけど、読めば安いとすら思ってしまうこの仕事。
今後、楳図作品を論ずる人が必ずふまえる本になると思いました。

著者のサイト「半漁文庫 hangyo's archives」

/「楳図かずお論 マンガ表現と想像力の恐怖」高橋明彦

「日本まんが 第参巻 きらめく少女の瞳」荒俣宏

2015年08月09日 | 漫画とそれに関するもの
《☆☆ 8/9読了 東海大学出版部 2015年刊 【漫画 評論 対談】 あらまた・ひろし(1947~)》

登場する漫画家:里中満智子/竹宮惠子/萩尾望都/高橋真琴/楳図かずお


まず驚いたのが荒俣宏自身が少女漫画家を目指してたってことです。
もちろん作品の投稿もしていて、その選考で選ばれたのが里中満智子「ピアの肖像」だったんだそうです。

荒俣宏には、内田樹や高橋源一郎といった少女漫画の優れた読み手たちよりさらにディープなものを感じました。

読みの深さと知識の豊かさ、これだけの大物漫画家たちを相手にした聞き手として荒俣宏以上の人はなかなかいないのではないか。
漫画家に対する敬意と、“とにかく聞き出したい!”というマニア心のバランスが素晴らしいです。

この本、楳図かずお目当てで読んだんですが(その戦略性がよくわかる名インタビュー)、萩尾望都がやっぱりすごいですね。
漫画界の美空ひばりみたいな人だと思いました。

でもこういう本を読むたびに、どうして高階良子を取り上げてくれないのか、と思います。
少女漫画に新しい形式をガンガン持ち込んだ功績者のひとりだし、“裏・萩尾望都”みたいな存在だと思うんだけどなあ。

/「日本まんが 第参巻 きらめく少女の瞳」荒俣宏

「レジより愛をこめて~レジノ星子~」曽根富美子

2015年03月21日 | 漫画とそれに関するもの
《☆☆ 3/12読了 講談社 2015年刊 【漫画】 そね・ふみこ》

曽根富美子がスーパーのレジ打ちをしているってことより、仕事がない、持ち込みがみんなボツになってるっていうことに愕然とした。
だって、曽根富美子だよ!!
どんだけ名作を書いてると思ってるんだ!
そこらへんの愚にもつかない漫画家ならともかく、こういう人が仕事できないなんて、どういうことだ!
なんだか嫌になる。

気を取り直して内容を紹介すると、計算や段取りといった実務的な能力がいまひとつ(そこがおもしろいんですが)な当人と、周りのパートたちの仕事に対する打ち込みっぷりにはちょっと胸を打たれました。
どんな職業でも真剣に取り組んで、技術を磨き、経験を積んでいくと、イキイキと働ける。
当たり前といえばそれまでですが、その大事なことをたまに忘れちゃう自分を思い出す。

スーパーに来るお客さんたちに接しながら彼らの人生に思いを馳せ、そして自身を省みて、“私は私だ。私だって幸せだ。”とかみしめるような場面がちらちらとあって、激しく共感してしまいました。

ギャグっぽい作品のせいか、絵柄も今までと違っていて、それはそれで新鮮でした。
でも、やっぱり本業で活躍してほしいよー!
新作読みたいです。

/「レジより愛をこめて~レジノ星子~」曽根富美子