快読日記

日々の読書記録

「伊藤若冲 よみがえる天才1」辻惟雄

2020年05月20日 | アート・映画など
5月20日(水)

伊藤若冲を“発見”した人、辻惟雄の「伊藤若冲 よみがえる天才1」(ちくまプリマー新書)を読了。

1970年刊の「奇想の系譜」には挫折したままのわたしですが、こっちはわかりやすかったです。
めっちゃおもしろい講義をたっぷり聞いた、という読後感。

ふんだんに掲載された図版(しかもカラー!しかも1,000円というお買い得!)のおかげで、絵をじっくり見ながらお話を読めます。

「若冲絵画のおもしろさは、(中略)対象をどんなに精密に写実的に写生したとしても、決してその客観的な再現にはなっていないところ」(56p)というところで、ああ!わたしも若冲の絵のそういうところが好きなんだと気づかされました。

後半では医師・赤須孝之氏の若冲作品におけるフラクタルの分析や、自閉スペクトラムと若冲の関係を指摘した華園力氏の論文を取り上げて解説しています。

その内容がおもしろいのはもちろん、“若冲研究の元祖であり第一人者”である筆者が、新しい視点で若冲をとらえようとする人たちの論説を無視したり拒否したりせず、しっかり取り入れて解釈するその姿勢がかっこいいわ~と惚れ惚れしたのでした。

「最後の付き人が見た 渥美清最後の日々」篠原靖治

2020年03月27日 | アート・映画など
3月27日(金)

たとえば職場で、Aさんがミスをしたとして、
それを指摘してカバーするBさん、
Aさんを責めるCさん、
見ていても言葉にも態度にも出さないDさんがいたとして、
3人のうちAさんを一番嫌っているのはDさんなんではないかと思うんです。
Aさんなんてミスしようが何だろうがどうでもいいし関わりたくもない、
はっきり言えばそんな感じではないか。

で、なにが言いたいのかというと、
昔のスターや偉人の評伝を読むと、
とにかく周囲の人に優しかったと書いてある。
同僚はもちろん、下働きの者の失敗にまで寛容だったと。
でも上の人には毅然としていたと。

でもこれ、許していたというより絶望していたんじゃないかと思うんです。
その個人に対してというより、他人に対して、他人に何かを要求して(期待して)しまうことに対して。
絶望が言い過ぎならあきらめていた、でもいい。
そしてそれは、彼らがとてつもなく孤独だった証拠なんじゃないかと。

「最後の付き人が見た 渥美清最後の日々」(篠原靖治 祥伝社文庫)を読みながらそんなことを考えたのでした。

「アウトサイドで生きている」櫛野展正

2020年03月05日 | アート・映画など
3月2日(月)

とにかく描いたり作ったりせずにいられない人たち18人を取材した「アウトサイドで生きている」(櫛野展正 タバブックス)を読み終わりました。

それが金にならなくても(材料費だってかかるから、経済的にはむしろマイナス)、誰にも頼まれなくても、
彼らはセルフポートレートを撮り、気の遠くなるような数の昆虫の死骸で仏像を作り、家中に絵を描き、大きな紙に細密な迷路を書き、怪獣を描き、毎日食べたものの絵を描き、家中をピンクにします。

彼らはコミュニケーションや承認を求める「表現系」と求めない「記録系」に分けられると思います。

特に胸を打たれたのは、誰かに見せようという気を全く持たないまま何年も数十年も創作を続ける後者のタイプで、
なんというか、もう「やりたいからやってる」を超えて「やめられない」「やめるきっかけを見失っている」、なんなら誰かに止めてほしいけどそうもいかない、みたいな雰囲気。

もしかしたら創作の原点ってこんなかんじなんですかね、何かに突き動かされて、やらずにおれない、っていう。
よくわかりませんが。


そして、筆者の態度も、バカにせず、媚びず、変に持ち上げることもなくて好感が持てました。

都築響一にもこの“演歌版”のような著書がありますが、都築の方が「アート側」からのアプローチが強め、という印象です。

「黒澤明「生きる」言葉」黒澤和子

2020年02月27日 | アート・映画など
2月26日(水)

ずっと前にテレビで、人間国宝かなにかの竹細工作家を見ました。

そのおじいさんの作る籠や花器は皇室に収められている、というすごい人で、
納得行かないものは庭先にポイと捨ててあるのに、
奥さんが「ちょうどいいザルがある」とばかりに拾って、みかんを入れたりするんだそうです。おいおい。

そのとき、一緒に見ていた父が「人間国宝だろうがなんだろうが、ばばあからみたらただのじじいだ」と言ったのを、「黒澤明「生きる」言葉」(黒澤和子 PHP研究所)を読みながら思い出しました。
口が悪くてすみません。


「巨匠」「天皇」と呼ばれ、なんだか尊大でワンマンな世間の印象を、「うちのお父さんはそんなんじゃない、かわいくて温かい人なんだよ」と長女が覆そうとするエッセイ集です。


どんな有名人でも、えらい人でも、犯罪者であっても、
家族にとってはただの夫やお父さんだ、というのは、
当たり前だけどつい忘れてしまうことです。
(もちろん、妻やお母さんでも子供でも、じいさんばあさんでも)

だから、人間国宝が作ったザルも、
奥さんにとっては「うちのお父さんが作ったやつ」でしかない、という温かさ。


本の話はというと、
100の名言が並んでいて、
とくに80歳のときの「映画のことは、まだよく分からない」がおもしろかったです。

仕事でも芸事でもそうですが、
やらないうちの方が分かったような気になっていて、
やり始めると「あれ?」ってなって、
やればやるほど分からなくなる、
確かにそういうものかもなあ、とぼんやり思いました。

読了『なるほどデザイン』筒井美希

2016年05月23日 | アート・映画など
5月21日(土)

最近、頼まれごとでイベントのプログラムやDMを作ることがあって、パラパラと『なるほどデザイン』(筒井美希/エムディエヌコーポレーション)を読む。

ほんとにちょっとした配置やフォントや色なんかで、見やすくなったり伝わったりするものなんだなあ、と実感。
読めば納得、見るだけでもおもしろい。

筆者は、デザインとは「愛」である、と言っている。
内容への愛と、届ける相手への愛。

まあ、どんな仕事でもおんなじだよなーと思いながら就寝。

読了『車寅次郎の不思議』江戸川橋寅さん研究会

2015年12月26日 | アート・映画など
12月25日(金)

犬と散歩をしていたら、日本兵みたいな帽子をかぶった園児(と保育士)の集団に遭遇した。
「わー!わんわんかわいい!わんわん!わんわん!」の絶叫に、「ばいばーい!」と手を振りながら追い越し(犬は子供に見向きもしない)て進むと、後方から「お散歩?お散歩してるの?」「がんばれ~!お散歩がんばれ~!」「おーい!おーい!がんばれ~!」という力強いエールが聞こえた。

帰宅して「車寅次郎の不思議」(江戸川橋寅さん研究会/双葉社)を読了。
「磯野家の謎」がヒットした当時の類似便乗本。
特に発見もないし、なるほど~とうなるような記述もなかった。
でも、BSジャパンの「土曜は寅さん」の二巡めも終わり、軽い「寅さんロス」な今、余韻をかみしめるよすがにはなった。

夜、「寄る年波には平泳ぎ」(群ようこ/幻冬舎)を読み始める。
わたしも正しいおばちゃんになりたいが、“正義の味方はいつも怒っていて、悪役の方がいつも笑っている”という話を思い出して、しばらく悩む。

「頭の中身が漏れ出る日々」(北大路公子/毎日新聞社)を再読しながら就寝。

「もぎりよ今夜もありがとう」片桐はいり

2015年08月03日 | アート・映画など
《☆☆ 8/2読了 幻冬舎文庫 2014年刊(2010年にキネマ旬報社から刊行された単行本を文庫化) 【日本のエッセイ 映画 映画館】 かたぎり・はいり(1963~)》

マイペース(って実は悪口で言われることが多い気がするけど、ここは100%褒めてる)で、フットワークがよくて、文章は装飾過多気味だけどそこもおもしろいし、こういう親戚のお姉さんがいたら最高。

何度も出てくる学生時代のもぎりのバイトの話、同僚のもぎりたちとの思い出もクスクス笑いながら読みました。
その場面を想像すると、片桐はいりって単独より“みんな”の中にいる方がおもしろさが増す人だなあ、と思いました。

笑ったり驚いたりする話ばかりでなく「ハウスダスト・メモリー」に登場するアラガキさんのエピソードみたいな鼻の奥がツンとする切ないものもあって、映画や映画館に対する熱く暑苦しい思いも伝わって、胸がザワザワする1冊です。

「帰りの電車の中、過ぎる車窓をながめていたら、なるほど、行きと帰りじゃ逆向きの景色を見ることになるのだな、と当たり前のことに気がついた」(94p)

この前、ピース又吉をくどいて小説を書かせた編集者のお手柄!みたいな話がありましたが、次はぜひ片桐はいりに小説を書かせてほしい。
絶対読む!

/「もぎりよ今夜も有難う」片桐はいり

「世界初 写実絵画専門美術館 「ホキ美術館」に見る 写実絵画の魅力」安田茂美 松井文恵

2015年07月04日 | アート・映画など
《☆☆ 5/17読了 世界文化社 2013年刊 【絵画 美術】 やすだ・しげみ(1951~)》

登場する画家:野田弘志/大矢英雄/五味文彦/大畑稔浩/石黒賢一郎/小尾修/永山優子/森本草介/島村信之/藤原秀一/塩谷亮/青木敏郎/生島浩/原雅幸


4月の終わりころ、行ってきましたよ、ホキ美術館。
ずっと行きたかった写実専門の美術館。
もううっとりですわ。
また行きますわ。

そんなわけで、ミュージアムショップで絵はがき数枚と一緒に買ったこの本。

現在の「写実」は、昔流行った「スーパーリアリズム」とは違う、むしろダ・ヴィンチやレンブラントといった王道の画家の系譜なんですね。
わたしは数年前に初めて見た磯江毅の虜になりまして、そこから野田弘志を知り、この美術館に行ったのですが、単純に言えば“見たままをそのまま写す”ことこそ絵画の基本であり、究極なんではないかと思いました。
主義主張や思想がゼロに近づくほど写実美が際立って、見るものを圧倒する。
例えば、鬱蒼とした森に立って景色を見るのと、それを徹底的に写し取った絵画を見るのと、どちらに感動するでしょう。
わたしはあきらかに後者です。
そこに理由があるのか、前者を選ぶ人とはどんな違いがあるのか、わたしは一体何に感動してるのか、全然わかりません(それもどうなのか)。

「ものを見ることと描くということは主観と客観の共存した姿だというので、そのなかにある「解釈」や「理解」、「認識」という部分においてはできるだけ透明な自分でいたい。だからそれが描く姿勢としての写実のあり方なのかと思ったりしています。(略)「祈り」とか「念い」で描いているところがすごくあります」(77p)

小学生のとき、世界美術全集みたいなやつで一番好きだったのが「ベルギー・オランダ」の巻でした。
まだ半分お猿さんみたいな子供をもうっとりさせる写実!おそるべし。
そんな作品を生み出す画家の話を読めば、その魅力の根源がわかるかも…と思ったけど、よくわかりませんでした。

まあ、わからないからこその「うっとり」だから、それでいいんだけど。

/「世界初 写実絵画専門美術館 「ホキ美術館」に見る 写実絵画の魅力」安田茂美 松井文恵

「シネマ坊主2」松本人志

2015年05月08日 | アート・映画など
《☆☆ 4/30読了 日経BP社 2005年刊 【映画評】 まつもと・ひとし》

1の後3読んじゃって、うっかり飛ばしてた2。
もう10年も経ってしまった。
まだ自分で映画を撮る前の、鼻っ柱が強い松本がちょっと懐かしい気がします。
あーこんな感じ。こんな感じだったわ~!

この映画の見方は、素人にもわかりやすくていい。
特殊な、いかにも映画の人っていう見方じゃなくていい。

こういう“普通の人”の感覚を持ち続けながら、“普通”じゃないことをしてるってすごい。
想像できない。

作る側と観る側、両方の立場を自由に行き来しながら語る映画評って、ありそうでないですよね。
また再開してほしいです。

/「シネマ坊主2」松本人志

「ヘンな日本美術史」山口晃

2015年01月15日 | アート・映画など
《☆☆☆ 1/5読了 祥伝社 2013年刊 【美術】 やまぐち・あきら(1969~)》

国宝「彦根屏風」を“浄瑠璃人形”に見立てたり、下手くそな絵の愛で方を指南してくれたり。

“描く人ならではの見方”が惜しげもなく展開されて、あーもっと読みたいよぉと思ってる間に読了です。

昔の絵師たちの試行錯誤の跡や好奇心の方向が手に取るようにわかる解説で、絵を見る楽しみ・絵を描く楽しみをがぶ飲みできました。

例えば、3つの「洛中洛外図屏風」を比較した目から鱗の分析、ファンキーな「光明本尊」の見過ごされがちなすごさ、アウトサイダーアートや月岡芳年の妙味など、“日本人はこれまでどう描いてきたか”がこんなにおもしろく読める本って、ちょっとないんじゃないかと思います。
もし続編が出たら絶対読む!

/「ヘンな日本美術史」山口晃

「謎解きフェルメール」小林子 朽木ゆり子

2014年09月01日 | アート・映画など
《7/28読了 とんぼの本(新潮社) 2013年刊 【絵画 フェルメール】 こばやし・よりこ(1948~) くちき・ゆりこ》

フェルメールの生涯、その作風の特徴と変遷、作品解説、未だ真贋がはっきりしないいくつかの絵ついての考察など、カラー図版も豊富で、これ1冊で充分いける入門書だと思います。

ところどころちょっと感情的な表現があって、しかし、それがかえって本書に熱意と説得力を与える効果があって驚きました。
「好き」があまりにも前面に出ちゃってムキになって評論ってどうよ、と思うところですが、これが不思議なくらい好感を持ってしまいました。

巻末で触れられている贋作事件にも興味津々です。

/「謎解きフェルメール」小林子 朽木ゆり子

「ウォルト・ディズニーの功罪」F・C・セイヤーズ

2013年10月18日 | アート・映画など
《10/17読了 C・M・ワイゼンバーグ/聞き手 山本まつよ/訳 子ども文庫の会 1967年刊 【総記 図書】 F・C・Sayers》

1965年の春、カリフォルニア州の教育長がウォルト・ディズニーを「偉大な教育者」と絶賛した文章がロサンゼルスタイムズ紙上に発表されました。
それを「笑うべきめがねちがい」と真っ向から批判したのがF・C・セイヤーズ。
同年、彼女をインタビューした記事が雑誌に掲載され、その全文を再録したのがこの本です。
20ページあまりの、冊子と言った方がふさわしいくらいの本です。

彼女が批判しているのは、もともとある児童文学作品をディズニーが改竄し、単純化・卑俗化していること。

「ディズニーは、傑作をとりあげて、ほしいままに縮めます。途方もない短かさにするために、とてつもない単純化を強行します。そこで、なにもかも、アッという間に起こってしまい、それも、実に陳腐なことばで表現されています。子どもたちに考えさせ、感じさせ、想像させるものはなにもありません」(7p)

「わたしが憤慨に耐えないのは、ディズニー版の本が、本の読めない子どもたちの想像力をこれっぽっちも尊重せず、また、本の読める子どもたちの能力に対しても、これっぽっちの配慮もしていないということなのです」(10p)

「つまるところウォルト・ディズニーは、これまで一度も子どもの方に向いて仕事をしたことはないのです」(14p)

とにかくえらいおかんむりです。
そんなに怒らなくても。

…と言いつつ、でも、共感してしまいました。

あらゆるものが甘ったるく薄っぺらく改竄されていく。
考える必要がないように想像しなくてもいいように。


今だって、例えば、テレビを見れば、うるさいほどのテロップと解説のつもりのイラスト画像。
「児童・生徒向け」という名目で、実際は子供に媚びている(ふりをして能力を奪っている?)だけの絵本みたいな教科書。
少し前から、国語の教科書から近代文学作品が徐々に消えています。
代わりにタレントのエッセイみたいなふやけた文章を載せるのは、歯が生えている子に流動食を与えるようなもの。
噛む力は永遠に身につかないでしょう。
みんながばかになる。

そんなわけで、セイヤーズさんのお怒りは痛いほどわかるんですが、残念ながらこの主張は受け入れられないまま50年が過ぎようとしています。

みんながばかになって得するのは、為政者と資本家くらいでしょうか。


/「ウォルト・ディズニーの功罪」F・C・セイヤーズ

「福田繁雄のトリックアート・トリップ」福田繁雄

2013年07月01日 | アート・映画など
《6/28読了 毎日新聞社 2000年刊 【その他 アート】 ふくだ・しげお(1932~)》

平面立体問わず、「見る人を驚かせたい」「楽しませたい」作品っていいですよね。
作った人の鬱々とした内面なんか表現されても困るもん。
下手に共鳴したくないし、タイミング悪く自分が弱ってるときなんか呑まれちゃうし。

アートに関しては、エンタメ支持です。

さて、福田繁雄はトリックアートを「ビジュアルコミュニケーション」と位置づけていて、
ああ、だからこんなに世界中の誰が見ても楽しめる、人なつっこい作品を生み出せるんだ!と大納得。
福田以外の作家の作品や公募作品も紹介され、解説する文章も穏やかなんだけど活気があっていい。

読むとわくわくする、気晴らしに最適な本でした。

/「福田繁雄のトリックアート・トリップ」福田繁雄

「映画にまつわるxについて」西川美和

2013年04月26日 | アート・映画など
《4/14読了 実業之日本社 2013年刊 【日本のエッセイ】 にしかわ・みわ(1974~)》

映画にまつわる“x”は“裸”“オーディション”“音”などなど。

“ヒーロー”の項では、かの暴れん坊横綱・朝青龍について「彼のことを「ヒール」と感じたことはなかった。野生の世界が物語などで描かれる時、ハイエナやジャッカルやシャチなどを当たり前のように悪役に回すことへの違和感と似ている。ジャッカルを生きたこともない私たちに、いったい何がわかるだろう?」(8p)と思いを馳せ、さらにこう続きます。

「朝青龍関の存在はまさに、しんねりと草をはむばかりの大人しい草食動物の国に、一頭だけ紛れ込んだ肉食恐竜の如くであった」(9p)

わかってるなあ、西川美和。

…と、えらそうに評してみましたが、映画をタイトルにしたエッセイのわりに、それ以外の話題の方がおもしろかったです。
映画だと、そこに謙遜や遠慮、いわゆる「配慮」ってやつが見え隠れするからかな。

でも、好きです。
あんまり器用じゃなくて、ピリピリした天才じゃないところがいいと思います。

昨年公開された「夢売るふたり」にウェイトリフティング選手の役で出ている女優が、役作りの指導を受けるうちにどんどんそっちの才能を開花させ、コーチが「リオを目指す」と言い出すエピソードがよかった。
人生、何が何のきっかけになるかわからないものです。

あ、香川照之(西川監督「ゆれる」に出演)のバケモノっぷり(褒めてます。絶賛してます)もすごいです。予想以上だ。

/「映画にまつわるxについて」西川美和

「ベスト・オブ・映画欠席裁判」町山智浩 柳下毅一郎

2012年07月11日 | アート・映画など
《7/10読了 文春文庫 2012年刊(「ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判(1~3)」(2002・2004・2007年 洋泉社刊)を再編集) 【映画評論】 まちやま・ともひろ(1962~) やなした・きいちろう(1963~)》

超絶活字漫才。
1冊で、鋭く的を射た映画評論と大笑いのハリウッドゴシップとキレのいい漫談が楽しめるお得本でした。

ちょうど、「千と千尋の神隠し」の湯屋とは郭のことである、という指摘にハッとした次の日にテレビでやってまして、もうワクワクしながら見てしまいました。(後半だけだったけど。)
赤い柱と赤い提灯、湯婆婆の衣装、そしてカオナシが意味するものなどなど、ほんとに二人の言うとおりじゃん!
全編寝ずに見られたのが「火垂るの墓」と「もののけ姫」くらいのジブリ音痴のわたしがこんなに楽しめたのはこの本のおかげです。

◆「ギャング・オブ・ニューヨーク」の歌は詞の訳もひどくてね。「♪この薄汚れた町は~触れる者すべてをよごす~」みたいな。
◇浜省かよ!
◆字幕、戸田奈津子ですから。大天使ミカエルのことを「大天使聖マイケル」とか訳してるし。
◇聖マイケルって、自分の赤ん坊に白い頭巾かぶせて二階からぶらさげる人だろ?(204p)

二人の評価が一致しているのはもちろん、真っ向から対立しててもおもしろい。
読みながら、読み終わりたくないよ~!と心が叫び声をあげる1冊でした。

ちょっと意外なのは、ここで話題になっている映画を見てみようという気にならなかったこと。
もともとそんなに映画を見る方ではないわたしにとっては、映画よりおもしろいこの本で充分ってかんじです。

/「ベスト・オブ・映画欠席裁判」町山智浩 柳下毅一郎
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