金子みすずさんの詩『わたしと小鳥とすずと』。
小学三年生の息子は、この詩が好きだと言います。
そんなことをボソッと口にしたのは、学校の社会見学で視覚支援学校と障害者の作業所(どっちも近所)に行った後のことでした。
目が見えない人もいれば耳が聞こえない人もいる。息子のように病気を抱えて外見が普通と違う人もいる。
「いろんな人がいてもいいんだよ」と自分の違いを肯定してくれる……そんな共感を息子は覚えたのかもしれません。
魚鱗癬で肌が黒ずみ、ひび割れる乾燥した冬。息子の外見は「みんなと違う」ピークを迎えています。
クラスのみんなに「汚い」と言われたり、「どうせ僕なんて」と落ち込んだり、それでいじめの対象になったり、「学校に行きたくない」と朝に言い出したり。
小学三年生にもなれば色々出てきます。
人それぞれの違いなんかが分かってきて「みんなと違う=排他 」という動きが出てくる年齢なんでしょうね。
この病気を持つ以上は避けて通れない道だと思っていましたが、「遂にその時期が来たか」というのが正直な感想です。
息子は明るく振る舞う性格で声も大きく、はっきり意見を言う子です。友達を作るのも早いし(年齢も人種もTPOも関係なく声かけます)、分からないことはすぐ人に聞きます。
存在感が強いので、真っ先に顔を覚えるタイプです(談:小学校教諭の妹)。
それでも心の奥底は繊細なので、ヘコむ時はヘコみます。
「子供達は、目が見えない人、耳が聞こえない人には、実は優しくしてあげられるんです。でもユウ君の場合は、目も耳も頭も普通で、病気が子供達の目からは見えにくいんですよ。それで子供達は、自分達と違うからって攻撃対象にしてしまうんだと思います」
担任の先生はそんな風におっしゃいました。 私が先生に話しかけられたのは、社会見学からしばらく経った後のことでした。
「ユウ君の肌が人と違う理由、喘息が出る理由をきちんと話せば、今の子供達なら受け入れて理解できると思うんです。ユウ君を見る目も変わると思います。だから、クラスのみんなにユウ君の病気のことをきちんと話したいんですけど、いいですか?」
素晴らしい担任の先生に巡り合えてよかったな、とこの時私は思ったものです。
「お願いします。その方が、あの子自身も楽になると思うので」
先生は、クラスの子供達に息子のことを話して下さいました。
私は、息子を通じてそのことを知りました。
懇談会の時に先生は、やはり子供達の息子を見る目が変わってきたことを教えて下さいました。
「みんなの目が優しくなった分、今度はユウ君が頑張る番だよ、と話をしています。自分の意見は言えるけど、人の意見は聞けないので」
……その通りです、はい(^ ^;-)。
「ユウ君は好きで病気になってるわけじゃない。いろんな人がいてもいいんだよってことを、クラスの子供達やユウ君本人が学ぶいい機会になっています。今後も暖かい目で見守っていきたいと思います」
先生はそう言って微笑みました。
かゆそうにしている息子に私は言います。
「肌にクリーム塗ったらかゆみも見かけもマシになるで。風邪も引きにくくなるやろし」
「塗らない。絶対に嫌や」
息子はキッパリと言い切りました。
肌がみんなと違うことで精神的に苦しかった時は「塗る」と言ったのに、楽になったらまた保湿剤を拒絶しますかね……。
みんなちがって、みんないい。
「僕の肌はみんなと違ってガサガサやし喘息も出るけど、それは駄目なことじゃないねんな」
ふと、息子がそう語ったように感じました。