ときぐろ日記

●ときぐろの育児日記。主に、アトピー+魚鱗癬を持つ「うちの王様」ユウの日々を書き留めています。

魚鱗癬の息子が高校受験……( ;´Д`)オロオロ、とりあえず塾

2018年12月10日 00時40分28秒 | アトピー・魚鱗癬

 皮膚のトラブルやアトピー・喘息、そして数々の感染症。
 魚鱗癬の息子が生まれてから色々振り回されてきましたが、気がつけば中学3年生の冬になってるじゃありませんか!

 提出物は出さないし、ノートは人間に理解できない宇宙語がちょろちょろ。本人いわく「面倒くさい」。テストの点もよくないけど内申点は輪をかけて低いという現実。
 しかも息子は魚鱗癬と喘息で病弱なので、1年間あたり総合計1ヶ月以上は確実に学校を欠席しています。
「あ、ここの単元習ってないねん。休んでる間に終わったみたいやな。教科書読んでおいたわー」
 こんなことザラですよ、ええ。
「どうする?この状態……公立高校目指してほしいんだけど……」
 中学3年間に積もり積もって、高校入試を前に青ざめる日がやってこようとは!

 ひとまず、塾代助成費の制度を利用して息子が塾に通い始めたのが中学3年生の夏(それまで塾に行くのを嫌がっていました)。
 個別指導でどの教科でも教えてもらう事が可能な「アップ学習会」を本人が気に入ったので、ここに決めました。チャレンジみたいに「ポイントためたらプレゼントゲット!」っていう制度があったのも大きいですね。
「習ってない単元で教科書読んでも分からんところはな、先生に言ったら教えてくれるねん」
「ほほう」
「テストの前日とかもな、理科やりたいって言ったら教科を変更してくれたわ」
「ほほほう」
 英語と数学しか教科選択してないけど、柔軟な対応だなっ!

 息子のように病弱で学校を休みがちな子供には、「アップ学習会」のような学習スタイルが合っているのかもしれませんね。

 ちなみに毎回のテスト結果は、同じ教科でも30点代が70点代になって再び30点代に戻ったりします。かと思うと次は60点代だったり。
「いっつも点差が激しすぎやろ。何コレ……」
「ほら、テスト範囲によって得意不得意があるやん?」
 そうかもしれんけど…息子よ、君の実力は一体どこを基準にしたらいいんだ?
 点数だと分からないので偏差値で確認。
「うん、中の下か! 多分ねっ!!」

 おい。公立大丈夫か?

 塾の効果があるのかないのか分からないし、学校の提出物も出さないなら塾はやめさせようかと思ったのですが。
「家では全然勉強せえへんからな。塾に行ってる間だけでも勉強するから、塾は続けた方がええんとちゃう? 学校の課題優先やけど」
 主人のお母さんがそうおっしゃるので、塾は続けることになりました!

 よく考えたら、息子の高校受験に対するモチベーションが上がったり、テスト結果に対する焦りが生まれたのは、塾に行き始めてからなんですよね。心理面では特にいい効果を得ていることに気づきました。
 それに塾でも個別面談があって、あくまでも本人の意思尊重ですが、偏差値や内申点を元に高校選びもサポートしてくれます。その後で学校の進路個別面談に出かけたらスムーズでした。



 点数どうこう、偏差値や内申点どうこう。色々ありますけども。
「つーか試験当日、元気に試験が受けられるのか?」
 これが一番の心配事です。
 息子は春と秋に体調を崩しやすいので、3月に実施される公立高校試験日はヤバいのです。はらはら。
 やむを得ない場合は別の日に受験可能(大阪府)ですが、一般試験より問題が難しくなるそうです。
 そ、それは避けたい。低い点数が更に低く……ひょぇぇぇっ!

 息子よ。
 ゲームしながら、落屑しかけの皮膚をむしってる場合じゃないぞ。

 って、そんなことしたら皮膚の割れ目から菌が入ってまた感染症にかかるやん。「あっ、血出た」とか平然と言ってる場合じゃない。やめて〜!! 

 息子は今日もマイペースです。 


 
 


母の身長、遂に越す

2017年08月29日 00時35分02秒 | アトピー・魚鱗癬

 息子は現在中学二年生、尋常性魚鱗癬を持っています。
 皮膚がツルツルのスベスベになるので、息子は「夏が好き」と言います。

「お母さん、もう皮膚がザラザラになりかけてるわ」
 夏休みの終わり頃、息子はTシャツの袖をめくって上腕を突き出しました。
 鼓笛隊の練習に本番、キャンプと炎天下の中で動き回っていた為、皮膚は別の意味で真っ黒。健康的な色で何よりですが、皮膚には魚鱗がうっすら浮き出ていました。
「涼しくなってきた証拠やなぁ」
 相変わらず、息子の肌の調子で季節を感じる母です。

 余談ですが、おばあちゃんにもらったやずやのプルーンぷるーんコラーゲン
「ユウには内緒ね。これは女の子だけ」
 そう言われてこっそりもらったのですが、冷蔵庫で冷やした瞬間、息子にバレてしまいました。
「ふんふん、一日三本か」
 説明書(?)を読んだ息子は、その日から律儀に一日三本「やずやのプルーンぷるーんコラーゲン」を食べ始めました。
「オイッッ、それは母がもらった物やで。なんであんたが食べとるんやっっ」
 心の狭い私はもちろん突っ込みます。
「でもお母さん、この肌見て! これ食べ始めたら急にツルツルになったわ。凄いで! このゼリー」
 自分の腕を撫でながら、目をキラキラさせて効果の実感を語る息子……。
「まっ、いいけどさ。食べすぎたらあかんで」
「ちゃんと一日三本守っとるで」
 ……それ以上何も言えない私でした、はい。 




 最近、息子に身長を追い抜かれました。
「ちょっと待って、俺の方が高くない?」
 夕方家の中で立ち上がった時、息子がふっと気づいたのです。
「ウソ〜ッ」
 なかなか身長が伸びなくて心配していたのですが、ま、まさか本当に?!
「お母さん、ちょっと背筋伸ばしてや」
「うん」
 息子に言われるままピンと背筋を伸ばすと、息子も同じように立ちました。
「ほら、ちょっと俺の方が高い」
 ドヤ顔で息子は笑いました。本人が一番低身長を気にしていたので、よっぽど嬉しかったみたいです。
「大きくなったなぁ」
 しみじみ息子の頭を撫でると、息子は私の手をすり抜けてしまいました。
「やめてや〜。自分より身長高い奴の頭、撫でるとかさぁ」
 おっ、なんか照れてる…… 。
「でもお母さんは小さい方やからなぁ。お父さんくらい大きくなれるといいなぁ」
 次の目標を提示すると、息子は首を傾げました。
「お父さんは…大っきいからなぁ」 
 あ、無理って思ったな。こりゃ。
「偏食なくせば大きくなれるで。タンパク質取りやタンパク質」
 ここぞとばかりに言う私。
 というのも、息子は小食な上に肉も魚もあまり食べないからです。ウィンナーさえ拒否。そして味噌をつけたきゅうりとマヨネーズをかけたキャベツの千切りをモリモリ食べるという……。もちろん炭水化物系も大好きです。
 時々視界がザーッと砂嵐になって目が見えなくなるのも低栄養が原因のようで、最近は栄養状態の改善を意識しています。だから身長が伸びたのかもしれません。

 仲のいい同級生は現在178cm(保育園時代は小柄な子でした)。息子は156cmちょい。
 同じ目線で話せる日が来るといいですね(希望)。


海に帰れ

2017年06月08日 04時06分35秒 | アトピー・魚鱗癬

 かなり久し振りの投稿になります。
 何をしていたかというと……。

 はい、『ゾウリムシとミドリムシ』という下手くそな(学習できるようなできないような)漫画を描いておりました。微生物にちょっと詳しくなれるかもしれません。
 そっちが完結したので、現在は中学二年生の息子とコラボって別の漫画を鋭意(??)制作中です。


「漫画描いて漫画描いてって言われてもなぁ。もう自分で描いたら? 十四歳で少女漫画誌デビューした子もおるし」
キッカケは、私が息子に放ったこの一言。

「俺、絵描かれへん。美術苦手やし」
「そう? じゃあネーム描いてくれたら作画するけど」
 私がそう言うと、息子はガゼンやる気を出しました。
 やっぱり無理だの何だの言いながら上がってきたネームは……。
「文字ちっさ。画面もちっさ。女子か。こんなんで分かるかぁぁぁぁっ!!」 
「見えるやろお母さん。あっ、そこはそうじゃないって」
 親子でしのごの言いながら制作。 


「ユウ、できたで〜」
「うわ、お母さんすごい!」
「ほなcomicoに投稿しよか。読者さんに読んでもらえるといいな」
 そして縦読み漫画のサイトcomicoに、いざ投稿!

 タイトルは『トキトリケラ』
 実は我が家にトキとトリケラトプスの小柄なぬいぐるみがあって、息子はそこからネタを思いついたようです。

 
 しかして気になる読者さんの反応ですが……。


「お母さん、どう?」
 読者数は多くない。評価も全然。
 けど、何百人って方に読んでもらってコメントを頂いたことに、息子は小躍りして喜びました。
 日頃は読者という受け身の立場なので、こういうクリエイティブ体験で得る物もあったんじゃないかと思います。
 作り手になると物の見方も色々変わるでしょうし。

 それにしても。
「読者はユウの同世代か親世代。見事に読者層が分かれたなぁ。そして私には理解できないこのギャグセンス。同世代には共感できるんだ。へぇぇ」
 私としても色々発見でした。 








 こんな事をのほほんとしておりますが、息子の体調が絶好調だったかと言うとそうでもありません。

 喘息がしょっちゅう出て夜中に起きてくるし、魚鱗せんで皮膚も相変わらず黒ずんでボロボロ。
 中学校は体育がキツイので、マラソンする度に喘息が出るようです。
 職場にも喘息持ちの方がいて体育を時々見学してたそうなので、私は息子に言いました。
「しんどい時は先生に言って、体育休ませてもらいや」
 持病があっても皆と同じように頑張って欲しい。自分は特別だと思わないで欲しい。
 そんな気持ちはあるけど、無理しすぎて倒れたら学校側に迷惑かけてしまいますもんね。
「大丈夫やって。すぐに治るから」
 息子は自覚症状に欠けるので、いつもこんな感じ。
「大丈夫大丈夫言ってる奴が一番危ないんや」
 私は、 いっつもこんな感じ。
 この会話、息子が小学生の時からしてるような……。
 まあ、本当にしんどくてたまらない時は休ませてもらってるようなので問題はないかな? 

 小学生の頃は、担任の先生からクラスの子に魚鱗せんの説明をしてもらっていました。おかげで割と息子の病気を理解してくれてたんですが、進学した中学校は別校区。また一からの説明です。

 中学生ともなれば露骨なもので、同級生にいじられることも多いと息子は言います。

 先日おばあちゃん宅から歩いて帰る途中、息子はポロっと私に話しました。
「俺の皮膚こんなんやから、クラスの奴に『お前海に帰れ』って言われたわ」
 私は不安になって息子の顔を覗き込みました。
「いじめられてるん?」
 息子の表情は変わりませんでした。
「そういうんじゃないねん。俺いじられキャラやねん」
 すぐに否定して、息子は話を続けます。
「前はそんなん言われたらカッとムキになってたけど、最近は一緒に笑って受け流せるようになってん。『お前も○○に帰れ』って言ってやったら『あはははっ』で終わり」 
 言葉の額面通り受け取っていいのか、奥に何かあるのか。
「笑って終われるのが一番いいな」
 私はただ、そう返事をしました。

「それよりお母さん」
 息子はニッと口の端を緩めました。夕日の中、私の顔を見上げてきます。
「ん?」
 何かと思えば。
「『トキトリケラ』の続きのネタ、考えてんねん」 

 

 


喘息と魚鱗癬と中一ユウの一学期

2016年07月24日 14時30分01秒 | アトピー・魚鱗癬

 あっという間に夏休みです。


 一学期は喘息も比較的おとなしく息を潜め、大きな発作もなく、息子は学校を一日欠席しただけで済みました。
 また、新しい学校で「魚鱗癬という持病を一からみんなに理解してもらう」という使命もあったのですが、「一泊移住でお風呂をどうするか」という問題以外は特に何もありませんでした。
「一泊移住の風呂は、基本みんなと一緒に入るんですけどね

 相談すると、体育会系バリバリの若い担任の先生は表情を曇らせました。受け持ちは体育で、担任を持つのは今年が初めてだそうです。
「魚鱗癬で皮膚の屑が落ちてくるし、この子がお風呂に入るとお湯が真っ白に濁ってしまうんです。六年生の修学旅行では、みんなと別で個室のお風呂に入れて頂きました」
 私が先生に説明すると、隣にいた息子も横から口を出しました。
「俺の皮膚ザラザラやから、みんなが俺の全身見たらびっくりするで」 
「何か言ってくるやつがおったら、先生が守ったる」 
 先生は息子から私に視線を移し、一呼吸おいて口を開きました。
「風呂と言っても、ゆっくり入る時間はないんですよ。体をさっと洗うくらいで終わりですわ」
「……はぁ」
「ですから、風呂はみんなと一緒でいいですかね?」
 先生の押しに、私は息子の顔を見ました。
「ユウはどうなん?」
「じゃあ、それでいい。みんなと一緒にお風呂に入るわ。シャワーだけにしてお風呂には浸からへん」 
 実際、何の問題もなく一泊移住を終え、息子は楽しそうに帰ってきました。
「カヌーとカヤックは違うんやで」
 そこから息子の話が始まって、青少年自然の家であったことや体験したことを生き生きと語ってくれました。




 暑くなってくると息子の肌のひび割れや黒ずみはなりを潜め、肌は焼けて別の意味で真っ黒になっていきました。
 なのでよく聞かれます。
「運動部?」
 ……と。
「いえ、科学部です」
 科学部は室内活動で週に一回あるかないか。……なのですが、別で活動している鼓笛隊のマーチング練習が外練なので、運動部に負けないくらい日焼けしているのでした、はい。

 問題は学力の方です。

 中学校は放課後に面倒を見てもらえる施設がなく、主人のはからいで、学校から徒歩三分のおばあちゃん宅で放課後お世話になっています。
「全く勉強せぇへんねんけど」
 仕事帰り。息子を迎えに行くと、おばあちゃんは心配そうに言いました。 
「いつも通りですね」
 と返す私。
「宿題が終わったか聞いても、『今日は宿題ないねん』とか『休み時間に全部終わらせた』とか言うねん」
「ユウは家でもそんな感じです。どこまで本当なんだか……ねぇ」
 語尾を強調しながら息子を振り向くと、顔を真っ赤にして「本当やもん」と憤慨するばかり。
 中間テストも期末テストも息子が勉強している姿は全く見受けられず、それでも息子は「テスト勉強してるもん!!」と主張するのでした。
 そしてテスト結果は、平均点。
「やることやってんのかやってないのか分からん……」
 口うるさく息子に「勉強しろ」と言うのは逆効果。
 私もどこまで信じていいのか分からないので、ひとまず追求することをやめました。

 ……そう、三者面談の時までは。
 


 クーラーの効いた教室で、担任の熱血体育会系先生と向き合う息子と私。
 目の前に広げられる、通知表とテスト結果のグラフ。
 緊張の雷が走ります。
「各教科に共通して言えることは」
 担任の先生は指折り数えながらゆっくりと話し始めました。 
「忘れ物に課題提出物忘れ、プリントやノートの管理ができていない。あと字が汚い」 
 ……やっぱりですか⁉︎
「小学生の時も同じことを言われていました」
 私の隣に座る息子はうなだれています。この三者面談を嫌がっているのは明白。
 先生は息子と私の顔を交互に見て言い切りました。
「これだけ忘れ物して提出物を出さずに平均点取ってる子、はっきり言って他にいないですわ」
  絶句。
 コウはミドリにしてトリはいよいよシロくヤマはアオくしてハナはモえんとホッす……じゃなくて。ショックで言葉が出てこない方の絶句です。
「へぇ?」
 今のセリフを古印体にしたい勢いで、私は息子の顔を見ました。 
「あはーっ」
 気まずそうに笑う息子。 
「通知表がこの数字なのは、忘れ物や態度なんかも加味されているからです」
 先生がダメ出しして、息子は背を丸め小さくなりました。
「お前、この成績見てどう思う?」
「はい、悪いと思います」
 先生に話を振られた息子は、蚊の鳴くような声で答えました。
「忘れ物したり提出物を出さない子って、正直それ相応の点しか取れないものです。だから頭は悪くない…普通だと思いますけどね」
 先生、フォローありがとうございます。
 しかし、そおいう問題ではないのです。
「『宿題終わった』とか『宿題ない』とか、騙したなおいっ‼︎」
 私は目で息子に訴えました。伝わっているのかいないのか、息子は相変わらず身を縮めるばかりで。


 とりあえず。
 息子は家で宿題ができない子なので(小学生の頃は、放課後のいきいき教室で宿題をしていた)、中学校で申し込みしているけどほとんど行ってない「元気アップ学習会」 で宿題させたいという話を先生にしました。
 でも先生の反応はイマイチ。
「あれは、勉強できない子が行く場所なんですよ。ユウはどうせ行っても○○君と喧嘩するだけやろ」 
 息子は沈黙したままでした。一方の私は、脳内にハテナマークが飛び散るばかり。
「……はい? いや、ユウは宿題できないし勉強できないんですが」
「この子は元気アップ学習会に行かなくてもいいですよ。おばあちゃん宅で宿題した方がいいです」
 何気にサラッと断られました。 
 そして先生、今度は息子に向かって言いました。
「ユウ、おばあちゃん宅で宿題しぃや」
「はい」
 ……解せない…………。
 小学校でもそうだったけど、息子は人間関係でつまずいているみたいです。これも大きな課題だなぁ……。
 仕方ないので、今後、息子には宿題を自己管理してもらわないといけませんね。 

 そして手渡された夏休みの宿題一覧表。
「なくすやろ? 三枚渡しとくわ」 
 三枚いただきました(笑)。
 宿題多いっっ‼︎ しかも二学期は八月二十五日から。
 大丈夫かこれ? 自己管理して宿題全部クリアできるのか息子よ⁉︎
 おまけに夏休みは鼓笛隊が忙しすぎて、ほとんど家にいない状態。向こうの勉強会で宿題を終わらせないとピンチだぞ、これ。

 後日、息子なりのペースで宿題をやってはいましたが、鼓笛隊の他の子の親は「うちの子はずーっと宿題やってる。もうほぼ終わりやで」と言っていました。
 我が家の息子はずーっと延々本を読んでいて(主にラノベ。最近『キノの旅』にはまっている)、その合間に宿題するレベル。
 いや、比べたら駄目なんですが、親としては焦ってしまいますよね。


 はて、息子はおばあちゃん宅で毎日何をやってるんだろう。
 おばあちゃんに聞いてみました。
 宿題や勉強は……相変わらずやってないようで。あ、でも時々ノートやプリントを広げているようで。
 英語の宿題やってたって? おお、懇談会でちょっとは反省したのかな??
「ユウは帰ってきたら、おじいちゃんに『ただいま帰りました』ってあいさつするねん。一緒に買い物に行ったら『おばあちゃん重いやろ』って荷物持ってくれるし、『肩こってない?』って肩揉んでくれるよ」
 そこは、おばあちゃん嬉しそうに言ってくださいました。
「神社の夏祭りにユウと行ってきたよ。クジ引いたけど、福袋の中身は小さい子向けのおもちゃばっかりやったわ。かき氷は落としてしまって」
 ちゃっかり、おじいちゃんおばあちゃんに甘えているようです。


 中学生になってもまだまだ子供の息子。
 友達のS君(小学五年生)に身長も体格も負けていたのですが、最近ようやく縦に伸びてきました。
「なぁなぁ、ユウのお母さん。どっちが身長高い?」
 この前、息子とS君が二人並んでいる時、S君に声をかけられました。今まで何度も聞かれ、いつも「S君の方が高いね」と言っていたのですが、今回は違いました。
「ユウの方が少し高くなってるね」
「やったぁ! よっしゃっ」 
 息子は思わずガッツポーズ。ずっと気にしてたもんね……身長。
 一方のS君は苦笑い。君は多分、もっと身長が伸びると思うよ。


 そんなこんなで息子の中学一年生一学期は過ぎていき、夏休みに突入しました。


 「お母さん、行ってきます」
 大きな荷物を背負った息子は、玄関で私を振り返りました。
「喘息の薬は持った? 日焼け止めは? 帽子は?」 
「うん、全部入れた」 
 決して身体が丈夫とは言えない息子ですが、真っ黒な顔でうなずき、走って鼓笛隊の強化合宿に飛び出して行ったのでした。 


一から始める中学生!

2016年04月10日 11時11分26秒 | アトピー・魚鱗癬

 四月五日は中学校入学式。
 校舎で満開に咲きこぼれる桜が美しい快晴の元、息子は晴れて中学生になりました。

 冬休みに引越して小・中学校校区が変わってしまい、校区外通学で小学校を卒業した息子。
 全く新しい校区の中学校に通学する為、残念ながら小学生時の友達は一人もいません。
 もちろん、息子の持つ遺伝性の皮膚疾患を理解してくれる先生や生徒もいません。

 また、全部一からのスタートです。

 同じ保育園に通っていた同級生は何人かいますが、果たして息子やその病気の事を覚えているかどうか……。



「あれ、入学式ですか? うちもなんです」
 朝、息子とマンション階下に降りた時。同じエレベーターに乗っていたスーツの似合う長身の女性が、にっこり気さくに話しかけてきました。
「あれ、お子さんはどこにいらっしゃるんですか?」
 入学式は保護者同伴なのですが、女性は一人でした。
「先に行くわって言われたんです」
 というわけで、私たちは一緒に学校へ。
「野球やってるんですか?」
 息子の丸坊主頭に、女性は質問してきました。
 返事しようとすると、息子の言葉が横から私を追い抜いて行きました。
「野球はやってへん」
 ……おい、ため口。
「へぇ。焼けてるから野球やってるのかと思ったわぁ」
「鼓笛はやってるで。お父さんに『この髪型にしなさい』って言われたからこの髪型やねん」
 誰に対してもオープンにしゃべる息子は、ここでも本領を発揮。私たちは和やかに中学校に向かい、途中で祖父母と赤ちゃん(年の離れた下の子だそうな)に合流した女性と別れました。
 


「あーあ。俺、あっちの中学校に通いたかったのに…」
 入学式に向かう途中、また息子がぼやきました。
「引きずるね……」
 まあ無理もありません。一旦は「あっちの中学校」に進学が決まっていたのですから。
 でも引越後の校区は「こっちの中学校」です。学校選択制になったとはいえ公立で他校区に進学する子は少なく、周りの子は皆「こっちの中学校」に通うのです。
 おまけに、私たちより先に引越したおばあちゃん宅は「こっちの中学校」から徒歩三分。「あっちの中学校」からだと数十分です。「あっちの中学校」はお父さんの出身校ではありますが、「こっちの中学校」に行った方がおばあちゃん宅に顔を出しやすいし、祖父母も嬉しいかなーって。
 ……うーん、「あっち」「こっち」書いてて頭がこんがらがってきました。



 気を取り直して中学校の門をくぐり、グランドへ。クラス分けの看板が五つ並んでいて、息子は五組に名前がありました。
「ガーン」
 クラス分けの看板で自分の名前を見つけた息子は、がっくり肩を落としました。
「どないしたん?」
「入学前の実力テスト、簡単やったし自信あったのに……点数悪かったんかなぁ?」
 ああ。
 テストの点数順にクラス分けされると思っているわけね。で、一組は頭がよくて五組は頭が悪いと。
「五組が点数よくって、一組が悪いのかもしれへんよ?」
 そう言うと、息子は「へへっ」と微笑して立ち直りました。
「まぁ、どのクラスもまんべんなく振り分けてるんじゃない?」
 私は付け加えましたが息子は聞いちゃいませんでした。
「あっ、もう集まらなあかん」
 気分をよくして、私の隣から消えるようにいなくなってしまいました。


 入学式は親バカよろしく息子の写真を撮りまくり、式後のクラス懇談会では教室の後ろから息子の丸坊主頭を眺めていた私。
 息子は後ろの席の子ともうしゃべっていました。
 さすがは口から生まれた子。「恥ずかしくて話しかけられない」という世界からは無縁なので、この調子なら大丈夫そうかな?
 担任は元気そうな保健体育の先生で、担任を持つのは初めてという方。副担任が二人もついていました。一組・二組は二クラスで副担任が一人なんですけどね。

 本日は慌ただしいので、息子の魚鱗癬については後日先生に話す事にしました。

 息子と教室を出る時、ある若いお母さんに声をかけられました。
「息子さん、野球やってはるんですか?」
「いいえ~。お子さんは野球してはるんですか?」
「そうなんですよ。野球部に入るって言ってます。息子さんはこれから野球するの?」
 ここで息子が会話に割り込んできました。
「野球はせえへんで。俺は吹奏楽部かパソコン部がいいなぁ。でも吹奏楽部は男が一人しかおらんかったから、ちょっと嫌やなぁ」



 この後は物品販売です。

「うわっ久しぶり」
「久しぶり。えっ、この子があの子~! 大きくなったなぁ」
「その頭、野球してるん?」
「してへんよ」
 保育園の同級生親子に久しぶりに会って、母親同士で盛り上がりました。
「懐かしいなぁ」
「三組にTちゃんおるで~」
「そうなんやぁ!」
 が、息子は。
「え…誰やったっけ……」
 はい、こんな調子でした。
 六年間も会わないと、やっぱり分からなくなっちゃうものなんですね。

 おしゃべりもそこそこに、息子と私は物品販売の行列に並びました。
「よし。アルトリコーダーは注文したしデザインセットも買った。後は体操服諸々やな」
 息子の通っていた小学校では「あっちの中学校」の申込用紙しかもらっていなかったので、「こっちの中学校」の体操服やらシューズやらサブバックやらは今日購入する事にしていました。
 他の子は小学校で事前に申込んでいて、本日は引き渡し。
 で、うちの場合は本日申込みから。

 ところが。
「お引き渡ししかしてないんですわ。注文用紙、小学校でもらってませんか?」
 はいい? 引き渡しオンリーですって??
 もちろん「こっちの中学校」の申込用紙どころかお知らせ類一切もらっておりません。入学説明会の案内はもらいましたが。
 だから中学校に電話して「体操服やサブバックの販売が今日ある」っていうから買いにきたのです。でも引き渡しオンリーだなんて、これっぽっちも聞いておりません。しくしく。
「注文用紙もらってないです。下さい」
「じゃあ、これを持って店に来て下さい。採寸後ネーム入れをしてからお渡しします」
「分かりました」
 頷きながら注文用紙の店舗案内図を見ると。
「……ちょっと遠い…」
 でもサブバックは翌々日の登校に必要だし、翌日は仕事で動けないので、何が何でも今日お店に行かなくてはっ!

 このように、校区外の小学校から進学すると公立は色々不便です。
 自分で進学先の中学校に問い合わせたり、同じ中学校に進学するお母さんに聞いたり、制服の採寸等もそれぞれの店に自分で行って注文。
 仕事を持つ身としては大変です。

 でもファイト!



「じーちゃ~ん、ばーちゃ~ん。中学生になったよ~」

 入学式の帰り、中学校から徒歩三分。
 真新しい教科書の入った重いバックを引きずって、息子と私はおばあちゃん宅に顔を出しました。
「おめでとう~、ユウ」
「これから頑張らなあかんな!」
 暖かい激励の言葉をもらい、息子は照れながらおばあちゃん宅を後にしたのでした。



 それにしても、入学式一日で四回は「野球やってるの?」と聞かれました。体操服を買いに行ったスポーツ店でも同様です。
 世の中「丸坊主頭=野球」という公式でも成り立っているのかもしれません。

 それに対して「皮膚ガサガサだけどどうしたの?」とは一回も尋ねられませんでした。
 全身に症状が出ていて見えないはずはないのですが、ほとんどの方が初対面だし、気になるけど質問を遠慮していたのかもしれません。
 最も息子本人に尋ねたら、堂々と明るく、マシンガンのように早口で教えてくれるでしょう。

「俺の皮膚? これ尋常性魚鱗癬っていって、全身こんなんやねん。でも移らへんから大丈夫やで。安心してな。秋から冬にかけて黒くなってひび割れてくるけど、夏はつるっつるで普通の皮膚になるねん。だから俺は夏の方が好きかなぁ。ほんでな、富山のばあちゃんにもらったクリーム塗ったらな、塗った所だけ翌日スベスベで普通の皮膚になってんねん。びっくりしたわ。あ、なんていう名前のクリームやったかな。ちょっと忘れたけど」

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【掲載写真解説】
「お母さん。遅刻して門が閉まってたら、この壁超えて入ったらいいんやんな?」
「それマンガのお約束。実際にやったらあかんやろ。てゆうか遅刻したらあかんって」
「俺十メートル級…いや五十メートル級!」
「なんか混じっとるなぁ」
 (花壇の隅でしゃがみ、目を輝かせてこちらに走ってくる息子)
「見てみて! 十円玉落ちとった。めっちゃ錆びとる」
「ほんまやねぇ……元の場所に戻しといで」
「ちぇっ」
「ちぇっ、じゃないし」


結局ただの風邪

2016年01月28日 05時26分07秒 | アトピー・魚鱗癬

 また、息子が学校で熱を出しました。
 今まで、何回保健室に迎えに行ったか分かりません。

 魚鱗癬で皮膚のバリア機能が働かないということは、感染症にかかりやすいということ。
 私自身も体が丈夫な方ではなく、年に二~三回は学校を休んでいたのですが、魚鱗癬の息子はその比ではありません。
 この秋から冬にかけて、熱や喘息で何度休んだことか……いちいち数えていられないくらいです。

 今回は熱が急激に上がり、頭痛や腹痛、食欲不振に関節痛といった症状がありました。
「腰や太ももが痛いんです。ぶつかったとかそういう痛みではなくて、内側から弾けそうな感じの痛みです」
 府立病院の時間外窓口で、小学六年生の息子はハキハキと若い医者に症状を訴えました。それまでは待合室の椅子で横になっていたのですが、診察室では打って変わってシャキッと雄弁でした。
「咳も少しありますが、ぜーぜーは出てないです。腹痛は治まりました」
 息子の隣でただ頷くだけの私。
 ……なんか、この場に私いらなくない?
 そう思えるほど、息子は自分で全部しゃべりました。

 インフルエンザの検査は陰性。でも発症二十四時間以内ということもあり、結果の信憑性には疑問がありました。
「明日は学校に行かない方がいいですね。インフルエンザの初期の初期かもしれません。もしくは怖い病気が隠れている恐れもあります」
 息子が待合室の長椅子で再び横になっている間、私は一人医者に呼ばれてそのように前振りされました。
 嫌な予感に思わず生唾を呑む私。
「正直、この後の説明を聞くのが怖いんですけど」
 心の中でつっこみを入れている間にも、医者の話はどんどん進んでいきます。
「今のお子さんの症状に加えて紫の斑点が出てきたら、紫斑病です。この年代のお子さんに多いんです」

 ……紫・斑・病………………。

 はい、私の頭は真っ白に。

 病名は耳にしたことがありますけど、具体的な症状や予後は知りません。「確かに怖い病気だ」とだけ認識しました。

 帰宅後、目を血眼にして「紫斑病」なるものをググり続けたのですが、一口に紫斑病といっても種類が分かれていて、原因や治療法なども違っているようでした。
 紫斑病は、紫斑を主な症状とした病気全般のこと。紫斑とは、出血しやすくなってしまい、血管から皮膚や粘膜に内出血が現れて紫色になったあざの部分。腎炎を合併する場合も多いみたいです。

 魚鱗癬で褐色にひび割れた息子の足を視診して、医者は言いました。
「紫斑は出ていないようですね」
 そして医者は息子にも問いかけました。
「紫色の斑点が皮膚に現れたことはない?」
「ないです」
 息子が即答すると、若い医者は私の顔を見て言いました。
「恐らくただの感染症だとは思いますが、念のために注意して観察して下さいね」
「はい、分かりました」
 何とも複雑な気分で「ただの感染症で済みますように」と内心祈りながら私は返事をしました。

 そういうわけで、この日は解熱剤のみ処方してもらって帰宅しました。

 翌日。
「ユウ、ちょっと腕と足見せてや」
 息子の両腕両足を確認する自分がおりました。
 しかし、相変わらず地肌がザラザラで、水分が枯渇した褐色のひび割れた大地に白い粉の吹いた両腕両足。
 おまけに、ひび割れの一つ一つの中に、核のような褐色の粒が入っていたり入ってなかったりします。掻き壊したのか、ひび割れに赤紫のかさぶたが混じっている箇所もあります。
「……………………えっと……」
「お母さん、どう? 紫の斑点出てへん?」
 息子の恐る恐るの質問に、私はちゃぶ台をひっくり返したい心境で叫びました。
「こんな状態の皮膚で分かるかいやー! 肌にクリーム塗ってこいっっ」

 いつもは肌にクリームを塗るのを嫌がる息子も、さすがに素直にクリームを塗り、再度私の目前に細腕を突き出しました。
「これでどう?」
 クリームを塗った部分の肌は、白い粉がなりを潜めて褐色の大地が露になっていました。核のような濃い褐色の粒は健在で、これが紫斑の斑点なのかそうでないのか、判断がつきません。
「やっぱり分からへんわ」

 素人には魚鱗癬の肌の更なる異常を発見することが難しいと気づいた私は、小児科の権威に聞くことにしました。
 かかりつけ医なんですが、元府立病院勤務、独立して小児科医院を開業された先生で、テレビや新聞の取材なんかもたまに来ています。

 もう一度インフルエンザの検査をして陰性反応が出て、診察の時私は小児科の権威に聞きました。
「昨日、府立病院で紫斑病の恐れがあるって言われたんですけど」
「ぶわっはっはっ」
 小児科の権威は吹き出して、私の心配を笑い飛ばしました。
「紫斑病は熱出ぇへんで? 何でそないなこと言ったんやろな。まぁ、症状は確かに似てるけどな」
 そしてズバリ一言。
「ただの風邪や」

 結局、一服の薬を処方されることもなく(抗生物質すらなし!)、私たち親子は小児科医院を去ったのでした。

 

「よかった」
 帰り際、息子がホッとした表情で呟きました。

 息子はアレルギー体質だし、魚鱗癬・喘息・片目は近眼で黒目の端が一部見えてない。
「これ以上病気が増えたらたまらないよ……」
 私も安堵しながら内心呟きました。


子供に薬を自己管理させる方法

2015年09月26日 10時02分29秒 | アトピー・魚鱗癬

 前回も書きましたが、息子は自分で飲む薬の管理が全くできません。
 発作がない時は全然薬を飲もうとしない。発作が出たら、楽になりたいが為に必要以上に飲んでしまう。
 そんな悲惨な状態でした。
 もう小学六年生も半ばを過ぎたというのに……。

 こ、このままではいかん。

 いい加減焦りを感じるようになってきました。
 息子は一人で外泊する機会が増えたので、薬を自己管理できるようになる必要が出てきました。それに、私が末永くつきっきりで、息子の薬の面倒を見ることはできませんからね。

 まず、本人に「薬を飲まなければ喘息発作が出て苦しくなる」という自覚を持たせるべきだと思いました。
 こんこんと説明しても「はいはい」と適当に聞き流すだけの息子。
「喘息は死ぬ病気なんやで」
「……うん」
 目を合わせて真剣に言うと、さすがに息子はこくりとうなずきました。
「息ができなくなって死ぬんやで」
 ごちゃごちゃ言わずに、私は短く言い切りました。
「喘息の薬を飲みすぎて死んだ子もおるで。薬は適切に飲まんと毒になるんや」
 息子は首を傾げました。
「何で薬が毒になるん?」
「麻薬は、ちょっと使えば薬になるけど、たくさん使ったら廃人になるやろ?」
「へぇ」
「喘息の薬も一緒や。ちょっと使えば体が楽になるけど、たくさん使ったら死んでしまう」
 この説明で息子は納得しました。
 でも、それでは一時的に理解したにすぎません。今度は、実行する為のツールを用意することにしました。



 翌日、私は息子を連れてダイソーに行きました。
 以前、一ヶ月分のポケットがついた壁掛けを見かけたことがあったからです。その壁掛けに一日分の薬を入れておけば、飲み忘れても自分で気づくことができます。
 思った通り、その壁掛けはダイソーに吊ってありました。
 しかし。
「一日分の薬は入れられるけど、朝・晩とか分けられへんしなぁ」
 う~ん、息子レベルでは難しいかもなぁ。
 悩みながら、私は他の商品も見て回りました。
 すると。
「おっ、これいいやん」
 ダイソーの医療用品コーナーに置いてあったお薬BOXが、ペッカーンとまばゆく輝いて見えました。
 それは一週間分のお薬BOX。
 一日分が「朝・昼・晩・寝る前」と印字の入ったBOX四つ×七日分です。一日分ずつBOXの取り外しができるので、外泊時にも簡単に持ち運びできます。サイズも壁掛けに比べてコンパクトだし、申し分ありませんでした。
「これや!」
 速攻で、違う商品を見ていた息子を呼び寄せました。
「これ買ってあげる」
「俺に?」
「うん」
「やった! 買って」
 自分専用というのが嬉しかったのか、お薬BOX購入(108円の出費なり)で息子のやる気がUPしました。

 その日は私がBOXに薬を入れましたが、数日後、自分でBOXに薬を入れる息子の姿がありました。
 錠剤を一錠ずつハサミで切って、BOXにポンポンポンッ!
 …この作業、地味に楽しいです……。

 朝と晩と寝る前。このお薬BOXは薬の場所が細かく分かれて印字が入っているので、以降、息子は薬を飲み忘れなくなりました。
 飲み忘れかける時もありますが、他人でも一目で分かるので「薬残ってるよ」とすぐ声をかけることができます。
「あ、忘れてたわ」
 気づくと息子はすぐに立ち上がって、「今日何曜日やったっけ?」とか言いながら薬を飲むようになりました。
 吸入器はお薬BOXに入らないので、BOXの横にセットしています。

 お薬BOXは、たかが108円されど108円。
 この商品を考えた方に感謝感謝です。


また入院→あっという間に退院

2015年09月20日 10時52分19秒 | アトピー・魚鱗癬

「ぜいめいが酷い。吸入しても症状があまり改善されないので、入院が必要です」
 駆け込んだ府立病院の時間外窓口で、私と息子は若い医師にそう宣言されました。
「え~、また?」
 マルコメ君よろしく髪型チェンジしたばかりの息子は、露骨なしかめっ面で溜め息をつきました。
 呼吸する度に胸が陥没し、しゃべる度に息が切れる。明らかにいつもより強い発作で、来院前から何となく覚悟はしていました。


 はい、恒例の喘息です。
 平成二十六年十一月に入院したので、今回の入院は十ヶ月振りになります。去年は息子の入院拒絶反応が激しくて困らされましたが、今回は割とすんなり受け入れてくれました。
 よかった。
「季節の変わり目ですからね。今、入院する三人に一人が喘息のお子さんですよ」
 医師は息子の胸に聴診器を当てながら言いました。
「喘息児って、そんなにたくさんいるんですね」
 ホント、びっくりしました。

 息子は吸入と点滴の処置をしてもらい、取り敢えず空いたベッドのある病室に移動しました。
 そこは小児科のナースステーション直近の部屋で、三人の小さな重病患者が静かに寝ていました。全然動かなくって、しゃべらなくって、酸素送って食事もチューブで……そんな子供達の部屋は異常なくらい静かでした。
 処置する看護師さんも数人がかりだったり、ちょっとした体調の変化にも気を遣っていたり。

「魚鱗癬や喘息を抱えて病弱だけど、ユウは学校に通って笑って走り回れるだけありがたいわ」
 病室を眺め回しながら、私はそう思いました。

 静かな部屋なので、息を切らしながら一人ベラベラしゃべる息子の声は目立ちました。看護師さんに注意されるどころか、むしろ話し相手になってくれました。
 あれ、静かにしなくていいのかな?



 今までは完全看護か親が付き添うかを選べたのですが、今回は違いました。
「もう六年生だし、一人で大丈夫やね?」
 呼吸の落ち着いた息子に看護師さんが当然のごとく尋ねました。
「うん」
 あっけらかんと即答する息子。どこか寂寥感を感じる私。
 ……いや、ここは息子の成長を喜ぶべきところなんですけどね。ああ、子離れできてないことを実感………。

 息子の入院に必要な荷物を取りに自宅へ戻ると、主人まで風邪で寝込んでいました。
「ダブルパンチや!」
 こちらも放ってはおけないので、ご飯食べてもらって薬飲んでもらって、ひとしきり終わってから病院に戻りました。面会時間終了まぎわで小児科病棟に滑り込んだのですが、「時間オーバーしても大丈夫ですよ」と看護師さんに言われていたので焦らずに済みました(私、焦るとドジするもので……)。

「遅い!」
 喘息の子供達が集う部屋のベッドに移動していた息子は、私を見上げて唇を尖らせました。
「お母さんのこと、めっちゃ待ってましたよ」
 奥のベッドで小さな娘に付き添う若いママさんが、声を立てて笑います。
「色々しゃべってくれて、面白い子やね」
 息子よ、いつの間にか同室のママさんと仲よくなってますやん。誰とでも仲よくなれるなんて、人見知りの激しい私からすれば羨ましい限りですわ。
 それにしても、お母さんを「めっちゃ待ってた」と聞いて嬉しいのは何故でしょうねぇ~。



 去年の入院と比較すると、息子の回復は目覚ましく、四日で退院することができました。
 その間におばあちゃんがお見舞いに来てくれたり、宿題を(嫌々)こなしたり、プレイルームのマンガを読みあさったりして、息子なりに入院ライフをエンジョイ(?)していたみたいです。
「ひまひまひまひま~」
 仕事帰りに面会に行くと、決まってそう連呼していましたけどね。
 私は仕事があったので、退院手続きと息子の迎えはおばあちゃんが行ってくれました。いつも助けて下さってホント感謝しかありません。

 今後の課題は、薬での喘息発作コントロール。
 退院翌日から息子は学校に行くことを許されました。

 そして退院翌日の朝。
「ご飯食べたら、壁掛けに入ってる薬を飲んで吸入するんやで」
 私が息子に声をかけると、「分かってる」というふてぶてしい生意気な返事が返ってきました。

 快晴の陽が差し込む玄関で、久々にランドセルを背負った息子は靴を履きゴミを持って家を出ました(保育園の頃からゴミ出し担当です)。
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」
 バタバタ動きながら私は息子を見送り、ふと薬を入れている壁掛けに視線を向けました。
 すると……残っていました。喘息の薬が。
「なぬっ! 『分かってる』と言いながら分かってないやん。さっそく薬飲んでないやんけ!」
 叫んでも時既に遅し。息子の姿はどこにも見えませんでした。

 その日の夜。
「はい、薬。今ここで飲んで」
 食後息子に薬を手渡し、目の前で飲ませたことは言うまでもありません。


お店か携帯か。

2014年12月28日 09時07分19秒 | アトピー・魚鱗癬

 息子は十一月に喘息で入院しました。退院以来、大きな発作はありませんが、息が切れる時はあります。
 おまけに小学校はインフルエンザや風邪が蔓延し、学級閉鎖と学年閉鎖が相次ぐ中で冬休みに突入してしまいました。
 息子のクラスは元気。でも、息子自身は真っ先に風邪を引いてしまいました。
 皮膚が割れていて抵抗力が弱いので、すぐに感染してしまうんです。


 十二月十三日(土)「妖怪ウォッチ2 真打ち」発売当日。
 とある大型家電店ゲームコーナー所属書籍担当の私は、ゲームと同時発売する「妖怪ウォッチまるごとともだちファンブック4」と「月刊コロコロ1月号(限定妖怪メダル付)」の準備で大忙しでした。通常より一時間早く出勤しました。
「昼ご飯はそこ、おやつはそこに置いてるからね」
「うん。お母さん、行ってらっしゃーい」
 学校が休日の息子は、手を振って私を見送ってくれました。
 職場では、ゲームの販売が早朝から行われていました。書籍は当日の決まった時間にしか搬入のトラックが来ないので、そこに合わせて出勤、いざ勝負です。
 さすが妖怪ウォッチ。
 凄まじい来客、次々と売れていく商品。
 品出しと商品管理、問い合わせ対応。
 そして、入ったら中々抜け出せないレジ。
 お昼休憩にも行けないまま、あっという間に夕方がきてしまいました。しかも定時で帰れない……。
 修羅場の中、もちろん、誰も「帰っていいよ」とは言ってくれません。
 逃げるように小走りで売場から離れ、やっと職場から出られた私。一日振りで携帯をチェックしました。
 すると。
「何これ。自宅から着信が六件も?」
 息子に違いありません。
「何かあったのかな?」
 嫌な予感を胸に抱きながら、私は携帯を耳にあてました。
「もしもし、お母さん?」
 ぼーっとした感じの声が聞こえてきます。
「うん、お母さんやで」
「やっとつながったわ」
 どこかホッとしたような息子の声。何だか、しんどそうだなと思いました。
「どうしたん?」
「熱が三十九度もあんねん」
 な、何やてぇ!
「いつから?」
「昼から。ずっと寝とった」
「ご飯は?」
「え、食欲ないし食べてない。お母さん、携帯全然つながらへんもん、焦ったわ」
 ……まぁ、そらそうです。仕事中は携帯持参禁止ですもん。だから、いざという時のために「何かあったらお店に電話ちょうだい」と名刺まで渡しているのですが、何があっても私の携帯にしか掛けてこない息子…………。
 親の職場に電話するのは抵抗があるのかな? 特にうちの店は、まずコールセンター対応だし、あらゆる問い合わせが殺到するから電話つながりにくい時もあるし(この時期は特に)。 
「よう頑張ったなぁ。すぐ帰るからな。暖かくして寝ときよ」
「うん」


 私が帰宅すると同時に息子は目を覚ましました。急いで熱を計ると、やはり三十九度台。
「病院に連れて行かないと……」
 時計を見ると、夜の七時過ぎ。しかも土曜日です。
 私は、市販の風邪薬と頓服の熱冷ましで様子を見ることにしました。
 三十分も経たないうちに、息子の熱は三十八度、三十七度と下がっていきました。
「お母さんの顔見たら楽になったわ」
 幾分元気そうな顔色で、息子はニコッと笑いました。
「薬が効いて熱が下がったから楽になったんじゃないの?」
「ちゃうで。だって、薬飲む前に楽になったし」
 そんなこと言われたら……う、嬉しい…………。


 息子は、一人でぶっ倒れて不安だったんだろうなと思います。
 私の顔を見たら、緊張が解けて精神的に楽になったのかもしれません。
 落ち着いてから、私は息子に言いました。
「今度からはお店に電話しいや。そしたら早退させてもらうから」
 息子は顔をしかめました。
「ええ?」
 あ、ちっとも懲りてないな、こりゃ。
 おまけにこんなことをつけ加えてきます。
「でもお母さん、今日妖怪ウォッチの発売日やろ? 途中で帰られへんのちゃう?」
 あ……うーん? いや、どうかな……。
 でも、それはそれ。
「無理にでも帰らせてもらうわ。ユウの身体の方が大事やしな」
 私は、布団にもぐっている息子に言いました。
 それと。
「喘息発作がなかったからよかったものの、下手したら一人でぶっ倒れて死ぬところやで。今度から、携帯じゃなくてお店に電話してや。携帯はつながらへんから」
「ええぇぇ?」
 やっぱり懲りんか、息子よ。
「それができへんのやったら、いきいき(学校内の児童保育)に行ってもらうで。何かあっても先生がおったら安心や」
 これが止めの一撃になったようで。
「……お店に電話する」
 布団の中から息子はぼそりと返事しました。
 そうかそうか。休日までいきいきに行く方が嫌だったか。


 翌週。
 休憩中に、私はまた携帯をチェックしました。
「着信が三件? 今度は一体何があったんや??」
 また体調が悪くなったのかもしれない、と私は不安に襲われました。
 ……もう、あれだけお店に電話してって言ったのに…。
 ハラハラしながら自宅に電話すると。
「もしもし、お母さん?」
 息子の元気な声が携帯に飛び込んできました。
「どうしたんや? しんどいんか?」
「大丈夫」
 私が心配で尋ねると、息子はあっけらかんと言いました。
「クリスマスプレゼントな」
 は?
「3DSのスマブラ、在庫あった? 買えそう? 忘れんといてや」
 …………ガクッ!
 今回の電話は、クリスマスプレゼントの(しつこい)催促と念押しでした。
 お店に掛かってこなくてよかったぁ。


【1】また低体温。 【2】宿題しない&遅刻から息子が立ち直った理由。

2014年12月18日 01時03分19秒 | アトピー・魚鱗癬

【1】また低体温。


 朝、息子が起きてきませんでした。

「寝るのが遅いからやで~」
 ぶつぶつ言いながら起こしにいくと。
「おあよー」
 布団から起きてきてコタツに入り、息子はまた寝転がってしまいました。
 なんだコレ?
「お母さん、お腹痛いよー」
「うんこしてきぃや」
「うんこちゃうねん」
 ひょっとして不登校?
 いや、土・日に高熱を出して寝込んだところなので、そうとも言い切れません。
「ちょっと熱測るわー」
 息子はのろのろと体温計を脇の下に挟みました。調子が悪い時は、すぐ熱を測ろうとします。
 結果は……ドキドキ。
「34.5度や」
 ボソッと言って体温計を畳に転がし、息子はまた寝てしまいました。

 昨日みたいに寒風がびゅうびゅう吹くような寒い日、たまに息子は低体温に陥ってしまいます。魚鱗癬で全身の皮膚がひび割れているせいか、体内に熱を保持できないようなのです。体温調節が難しく、夏の場合だと、簡単に37度台に上がってしまいます。
 体温が34度台になると、息子はしんどがって起き上がらなくなってしまいます。体調が悪いのも引きずっていたのかもしれません。夜中に布団を蹴飛ばしていたせいかもしれません。
 こんな時は、とにかく温めて温めて温めまくります。
 湯たんぽやカイロを準備していなかったので、今回はガスストーブをつけ、分厚い服に着替えさせ、首にタオルを巻いて靴下を履かせました。
「コタツに寝かせると水分が飛んでNGやで。大量に水分補給せなあかんし」
 先輩ママにはそう言われ、布団に寝かせました。
 朝は食欲がなく、スープで体内から温まった後ひたすら眠り続けた息子。体調も悪かったのかもしれません。
 午後三時頃に起き上がってきた時、息子はすっきりした顔をしていました。
「ああ、よく寝た」
 体温は36.0度まで上がり、食欲も戻っていました。

 よかった、よかった。

 息子に食事をさせ、安心して外出した私。帰宅して愕然としました。
 冷蔵庫を埋めていたはずの食品が幾つか消えていたのです。
「肉まんとチョコパンは一体どこへ?」
 息子に聞きかけて、私はコタツ上で残骸(つまり空のパッケージ)を発見しました。
「勝手に食べたやろ! お母さんも食べたかったのにぃ」←心が狭い私。
 思わず大声を上げると、息子はぺろっと笑いました。
「はっはっはー。げぷ」

 いや、「はっはっはー。げぷ」じゃないし。
 反省の色ゼロやん。




【2】遅刻と宿題忘れから息子が立ち直った理由。


 ちなみに外出の理由は、息子の学期末懇談会。
 相変わらず生活態度の悪さを指摘されました。
 うう……。
 またコミュニケーション能力が低いせいで、グループ分けの際、ポツンと一人になったりすることも多いようです。ただ以前と違うのは、「一緒にやろうで」と声をかけてくれる子がいるということ。
「九~十月頃に比べると格段によくなっています。集団登校で来ることも宿題をやってくることも、本人は凄く頑張っていますよ。周り(クラスの子供達)のユウ君を見る目が全然違いますもん。前は遅刻したら『またか。どうせ寝坊やろ』と馬鹿にされていたのが、今回遅かった時『遅刻なんて珍しいやん』と、ある子供が言いましたからね」
「いや、先生方が引っ張って下さってるおかげです」
 本当に。まじで。
 ウダウダな息子を、熱意を持って引っ張って下さる担任の先生には感謝しかありません。素晴らしい先生です。
「本人も頑張っていますよ。ただ…完全に偏見がなくなったわけではありません。時間はかかると思います」
 先生は比較的明るい口調でそうおっしゃいました。

 私がどんなに言い聞かしても宥めても怒鳴っても、息子の遅刻癖はなかなか直りませんでした。息子自身、九月頃は学校での立場が悪くなりすぎて、学校が嫌になっていたのだと思います。
 ただ、どんなに遅くなっても学校を休むことだけはしませんでした。
「そこはある意味凄いですよね。遅刻して皆に注目される中、堂々と教室に入れるなんて。おかげで安心して本人に説教できるんですけどね。だけど中学校に行ったら苦労するのは目に見えています」
 運動会前に先生に言われた言葉を思い出します。私自身、かなり気にしていた部分でした。
「このままじゃ運動会に差し支えるんです。騎馬戦もあるし、皆がユウ君と組むのを嫌がっている現在の状況では、一丸となって学年目標に向かうことができません。だから皆の前で、誰にだって長所と短所があることを話したんです。皆納得してくれて、中には『一緒に組もう』とすぐユウ君に声をかけた子もいます。今度はユウ君が頑張る番ですよ。せめて運動会が終わるまでの二週間だけでも、宿題と無遅刻を努力してほしいんです。これができなかったらもう終わりです。僕らがどんなに説得しても、子供達は聞いてくれませんし、そこまで僕達も言えないですよ」
 いわゆる背水の陣。
 そして。
 息子は二週間頑張りました。騎馬戦もソーラン節も格好よく決めて、楽しそうに運動会を過ごしました。
 その後は息子の意識が変わったようで、私が物言わずとも宿題を広げ(夜遅いですが…)、自分で時計を見て登校するようになりました。

「あと褒めない方がいいと思うんですけど」
 懇談会の最中、先生は意味深な前置きをしました。
 今度は、な…なんだろう?
 今までが今までなので、ヒヤヒヤものです。
「成績のことなんですが」
 成績? 家で宿題するのがやっとやっとで、勉強の「ベ」の字もしません……。「褒めない方がいい」ってどういうことでせうか、先生??
「テストは平均点より遥かにいいです。正直、頭『は』いいです」
 晴天の霹靂でした。息子の普段の態度はグッダグダで、常識なんかは言っても言っても身につかないだけに、「こんなに言うこと聞かないんじゃ授業受けても実にならへんやろ」と思っていた私。おまけに手が遅くて作品展に間に合わせるために居残りしたり、学校に宿題忘れて翌日居残りしたり。そんなことの繰り返しです。
 まあ、矢継ぎ早にしゃべりまくるので「頭の回転速いね」とはよく言われますが。
「そうなんですかぁ」
 内心「うっそー」と思いながらも、やっぱり嬉しい私。「頭がいい」じゃなくて「頭はいい」って言われるのは、やっぱり普段の幼稚な態度のせいでした(;汗)。
 どんなに勉強ができても、人間関係が築けないんじゃ…ね。社会に出た時困ってしまいます。苦しい思いをして行き詰まるのは明らかです。
 息子の一番の課題は、そこを克服することだと私は思っています。

 その他、手を挙げまくって「ユウ君はちょっと待ち。もう当てへんで」とか「他の子が考えてる時に手も挙げずにポンと答えを言ったらあかん」とか、息子は相変わらず同じことを先生に注意され続けている様子。
 この息子に物を教えるのは本当に根気が必要です。
 めげずに向き合ってくれる先生の熱意と心意気には頭が下がります。息子が立ち直ってきたのは、その根気と愛情のおかげです。

 本当にありがとうございます!