北海道 十勝の深掘り 陸別の赤ひげ
全国の読者の皆様に、「北海道十勝ってどんなところ?」の疑問に深掘りしてお伝えしてまいります。
陸別の赤ひげ 勝山稔
陸別の開祖として知られる関寛斎には意外な過去がある。それが感染症対策である。
彼が新米医師の時、日本ではコレラが大流行し、全国で数十万人が死亡した。しかし彼はコレラ対策に奔走し、彼の町では、死者を一人も出さなかった。
当時は疫病の原因がわからなかった。そのため民間では魔除けや邪気払いにすがるしかなかった。節分に行われる豆まきもその名残である。「鬼は外」の鬼は疫病神のことで、感染症は出ていけという意味である。
人々がパニックに陥る中、彼はさまざまな医学書を読み、ある対策を実行している。それが、病人と健康な人とを分けよ、という「隔離」であった。
コレラの原因が細菌であることが判明したのは、その20年後だ。いかに人を救うことに情熱を燃やしたかがよくわかる。
幕末のパンデミック(世界的大流行)、その後の戊辰戦争の救護活動、徳島の医療活動、そして陸別での開拓。波乱に富んだ人生であるが、彼の行為は、人を救うことで一貫している。
それゆえに陸別で「神」と祀られ、司馬遼太郎の小説で主人公の一人として登場している。
江戸の学者・貝原益軒は「医術は仁術である、思いやりの心で、人を救うことを第一とすべきである」という。彼はまさにそれを具現化した人物である。
人は何を成したかで評価が決まる。そして歴史はそれを如実に証明している。
(東北大学大学院教授・仙台)