集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

岩国の隠れた?忘れられた?名将

2015-10-28 20:31:12 | 集成・兵隊芸白兵雑記
 かつて「高校野球の山口県代表」=「宇部商業」だった時代がありました。その期間は、昭和50年代終盤から平成17年夏(全国ベスト4)までの、実に20年強。「ミラクル宇部商」の演じた数々の名勝負は高校野球ファンの記憶に残るところです。
 さて、その宇部商時代の終焉とともに、現在山口県の高校野球の強豪として名乗りを上げたのは、山口県立岩国高校です。
 名将河口雅雄監督率いる、小粒でもピリっと辛い選手で成り立つ非常に緻密な野球は、山口県屈指の進学校らしい、すばらしい野球です。

 さてそんな岩国高校の甲子園初出場は、河口監督によってなされたもの・・・ではないのです。
 岩国高校の甲子園初出場は昭和46年春のセンバツ。監督は岡村寿さんといいました。

 私の手元に1冊の本があります。
「青春・神宮くずれ異聞」(防長新聞社)。
 著者は「大島遼」とありますが、巻末の著者紹介欄に「本名・岡村寿」とありますので、間違いなくこれは、岡村さんの著書です。裏表紙に「昭和46年、甲子園で岩国高校の指揮を執る著者」なんて写真もありますので、モロバレです(笑)。
 この「青春・神宮くずれ異聞」は、今や廃刊となった、岩国市のローカル新聞・防長新聞(現在は「日刊いわくに」となっている)に掲載されたものをまとめたものですが、本自体の販路が岩国市と、となりの柳井市だけであり、私も大阪在勤時である平成18年夏、たまたま柳井に帰省した時、「郷土の本コーナー」にポツンと置かれていたものを偶然発見しただけです。
 しかし、何気なしにパラパラめくったこの本には、実に驚くべきことが記載されていました!!!!

・終戦直後、当時の岩国高校の監督は杉田屋守(戦前の大学野球・職業野球のスター選手。柳井中学-早稲田-後楽園イーグルス)だった。
・岩国高校のキャッチャーの先輩は、井上茂(昭和30年代、日本石油[現・JX-ENEOS]不動の捕手。その後日本石油監督として、都市対抗優勝も経験)だった。
・著者(キャッチャー)は、杉田屋監督のめがねに叶ったため、僚友の投手「狂介」とともに東京六大学に送られられたが、ともにその理不尽な生活に嫌気がさし逃走。「狂介」が立教大学にいたことは、著書に明記。
・その後、「神宮崩れ」として東京界隈をフラフラしたのち、埼玉県の永幸工場(チームの存在時期・昭和29~38年)で都市対抗を目指す。監督は元西鉄の綱島新八。
・予選で敗れるも、補強選手として専売千葉に「狂介」とともに助っ人(都市対抗独自の制度・補強選手。1チーム3人まで、予選で負けたチームの選手を入れられるという制度)に。そこにいた監督は、戦前の六大学のスーパースター、宮武三郎だった。
・都市対抗本戦では、「山静の暴れん坊」と言われた大昭和製紙に敗北。北川という選手にホームランを打たれた。

 すごい、すごい、あまりにも凄すぎる若き日の逸話です。

 とにかくあまりにも面白く、あまりにも泣けてしょうがない男と野球の話の数々。中年の汚い涙を振るい、興味を持って、この記載内容をネットで検索しましたところ、いろいろとこの話を裏付ける資料が出てきました。
 まず、岡村さんが中退した「六大学の名門」。著書には「戦後に新設された大学・・・」などと書いていましたが、「野球人国記」というブログによりますと、なんと早大野球部だったそうです。だから著書に、「杉田屋のオッチャンの推薦状は、葵の印籠のようだった・・・」とか書いていたのか・・・。ナットク。
 また、岡村さんが一時所属した永幸工場のメンバーを、これまた「野球人国記」で調べますと、またまたビックリなことが。
 まず、著書にでてくる、立教大学での「狂介」の友人、池上善郎投手が確認できます。監督の綱島新八さんも確認できます。
 ほかにこの永幸工場のメンバーでびっくりしたのが、「相沢進」と「山縣正」です。
 「相沢進」は、戦前のトラック諸島出身の投手。こののち、昭和29年から3年だけ存在したプロ野球球団・高橋ユニオンズの投手となりました。野球選手をやめた後は国に帰り、驚くことに大統領にまでなっています。詳しくは「最弱球団・高橋ユニオンズ青春記」(長谷川晶一著)をお読みください。
 「山縣正」は、山口県柳井市の高校野球を語る上で、なくてはならない名物おじさんです。
 山口県立柳井商業高校(現・柳井商工)。昭和50年代初頭に山口県の強豪として鳴らしましたが、その監督だった人です。甲子園出場は、選手として1回、監督して2回。永幸工場の選手だったとは知らなかった・・・!

 ちなみに、この作品のもうひとりの主人公である、盟友の「狂介」の本名は残念ながら、作中には出ていません。
 ともに専売千葉の助っ人バッテリーとして出場した昭和30年(第26回)都市対抗の記録を見ますと、大昭和製紙-専売千葉戦の負け投手は「小宮」と書かれています。これが「狂介」さんの本名なのでしょうか。

 本作の最後は、不遇の時代の著者をかくまってくれていた野球好きのヤクザ五郎丸、杉田屋監督、「狂介」と、立て続けに死んでいくところで終わっています。
 そして実は、この連載終了直後、著者の岡村さん自身も亡くなっておられるそうです。
 今は閉鎖されたどこかのブログにありましたが、岡村さんの縁者らしき人がそんなことを書いていました。
 晩年は、野球の話だけをひとつ語りとして、酒を飲んで生きていたとか・・・。

 以上、なんともまとまりのつかないことを書いてすみませんが、弊ブログでは、岩国の隠れた名選手であり、名監督であった岡村寿さんの業績を、広く知ってほしい、もっと多くの方の証言が欲しいと思っているところです。
 
 戦後に吹き荒れた野球狂想曲を知る上で、この上なく優れた資料である「青春・神宮くずれ異聞」は、中央のでかい出版社から何万部か刷っても絶対売れると思います。
 
 

17 コメント

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Unknown (還暦過ぎ武道オヤジ)
2015-10-30 09:46:49
コメントが無いのは少々寂しいので記述します。ひとつ前の記事「内航船」については私の一番下の弟(叔父)が40代はじめまで、まさにその船長をやっており、私が小学生のころ呉から大阪に向かう“夜行船”に乗せてもらった記憶があります。真っ暗な海、目印はお互いの船の明かりばかりで子供からすると少々おっかない体験でした。叔父はその仕事で稼いだお金を元手に陸に上がって商売を始めて成功し、もうとっくに引退しましたが・・野球の埋もれたサムライ達のお話、興味深く拝読しました。今はマスコミ、さてはインターネットなどでリアルタイムで今どきのスーパースターの話題にことかきませんが、「俺たちはこんなことをやったんだぞ!」と自らの“軌跡”を第三者に書き留めて残すこと・・そんな誇らしい人生を送れることは幸せなことと思います。ありがとうございました。
Unknown (還暦過ぎ武道オヤジ)
2015-10-30 09:49:41
誤記がありました。内航船の船長をやっていたのは“母の”一番下の弟(叔父)です、失敬!
ありがとうございます (周防平民珍山)
2015-10-31 10:15:31
 還暦過ぎ武道オヤジさま、いつもありがとうございます。特に弊ブログのなかで一番コメがつきにくい、山口県の話題と船の話題に触れていただき、感謝でございます。
 内航船、大きさは100トンないものから数千トンまで様々ですが、いずれも凄腕の操船技術を持ち、昼夜分かたず走る姿に感動を覚えます。後継者の安定供給の確立が待たれます。
 岩国高校野球部元監督であり、東洋紡岩国の名選手でもあった岡村寿さんは、なぜかその業績評価がまったくできていない、謎と不思議の野球人です。これからも調べていきたいと思っています。
 岩国市の「くるとん」という地域情報誌があり、そこに調査を依頼したこともありましたが、なんか興味なさそうだったので自分でコツコツ調べます(^_^;)。
Unknown (ロープ)
2015-11-02 18:40:02
以前のブログ
とはん、渡過の方を読ませていただき投稿させていただきました。
九州で消防職員をしています

よろしければとはんについて色々聞きたいのですが
はじめまして (周防平民珍山)
2015-11-02 19:36:40
ロープ様
 はじめまして。弊ブログ管理人・周防平民珍山です。
 前ブログでの登はんに関する記事…たしか「クマが登るぞ!登攀訓練!」ですかね?
 消防の方にこういうお話をするのは、釈迦に説法のようで大変恐縮なのですが…私の拙い登はん・渡河の経験でお話できるのは「体重は関係ない」と、「ロープ上りやロープ渡りは汗に血に、ゲロにやる気にといろんなものが出てきた」ということだけです。
 競技会で勝てるような鋭いテクや、競技タイムなどは聞かないでください(涙)。語ることもおこがましい身分です。
 それでもよろしければ、またその手の記事を書きますので、その際にはまたご意見よろしくお願い申し上げます。
Unknown (ロープ)
2015-11-02 22:34:39
体重は関係ない!ですか!すごいです!
私も80キロ以上あってとはんが苦手です
とりあえず30秒で登れるようにがんばります!

主さんが何秒ほどで登れるようになったのか
どんなトレーニング、登り方をしたのか
未熟なわたしにアドバイスやら何やらしていただきたいです!
御礼 (T)
2016-09-15 00:03:05
周防平民珍山 様
初めまして、寿の長男Tと申します。父のことに興味をもっていただき、また出版本のお褒めをいただきまして心より御礼申し上げます。このブログを私の長男(大4年・寿の孫)が見つけて連絡がありました。まだこのブログを全てを読んでいませんがこれからゆっくり拝見させていただきます。(文章が完結で解りやすく、興味津々です!)私自信も岩国高校で野球をしておりました。現役時代は河口監督とバッテリーを組み甲子園を目指しておりました。父はひとことで言うと「奇人変人」で、周りの人にご迷惑をかけていたかと思います。
追々その奇人変人ぶりをご紹介させてください。また、無二の親友河口監督についてもご紹介させて下さい。 T 拝
こちらこそ御礼申し上げます! (周防平民珍山)
2016-09-15 06:06:16
T様
 まさか、まさか岡村監督のご縁者、しかも実の息子さんから直接コメ頂くとは…恐縮と驚きでいっぱいです!
 私が勝手に岡村監督のことを調べて、勝手に雑文化しているだけなのに、丁寧なお礼の言葉を頂き、こちらこそありがとうございます!
 しかし、息子さんがこのブログを発見なさるとは…ネットとはどこでつながっているかわからないものです。

 「青春・神宮くずれ異聞」を発見した経緯はお話しした通りです。
 個人的に調べるかたわら、最初は「岩国の名将を、ぜひ取り上げてほしい」と、岩国を根城にする季刊誌「くるとん」に話を持ちかけましたが、あまり興味のなさそうな返信がありましたので、「もうこうなったら、個人的にまずは文献をあたろう」と、岩国市中央図書館に出向いて岩国高校野球部史の関連個所を手書きで書き写したり(禁帯出の本であるもので…(;^ω^))、現在住んでいる周南市中央図書館で、こんどは徳山高校の野球部史を引っ張り出してきて、戦績の確認をしたり…ということをしておるさなかでございました。

 もし差し支えなければ、岩国高校監督時代、あるいは東洋紡時代のお話など頂ければ、これに勝る幸せはありません。
 こちらこそ、重ねてよろしくお願い申し上げます!
 あと、弊ブログは目が腐るような雑文が多いですので、お読みになられる際はお気を付けくださいませ。
おはようございます。 (T)
2016-09-15 07:23:22
早々にレスをありがとうございます。
今から会社ですが、早く帰ってブログを
読もうと思います。。。昨夜も拝見し少々寝不足ですが。
謹慎処分 (T)
2016-09-17 22:46:23
こんばんは、Tです。今朝のスポーツ新聞に私の親友k監督が体罰により高野連から3ヶ月の謹慎処分と掲載されました。今月始めに知り合いのお通夜で会って話は聞いていたのですが。
さて、父の話ですが専売千葉で都市対抗に出場後地元岩国に戻り東洋紡でも都市対抗へ出場できました。当時中日からの誘いもあったそうです。引退後は働きながら小説を書き、第1回太宰治賞の最終選考まで残ったのですが、そのときは「受賞該当者無し」だったそうです。本人は相当ショックを受けて悄気げていたところ岩国高校野球部の監督にと推薦を受け小説家になることをあきらめたみたいです。
私は太宰治賞に出した小説は読んでいないのですが、おそらく「老人と海」あたりをモチーフにしたのでは?と想像します。http://prizesworld.com/prizes/novel/dzai.htm

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