集成・兵隊芸白兵

 平成21年開設の「兵隊芸白兵」というブログのリニューアル。
 旧ブログ同様、昔の話、兵隊の道の話を続行します!

以上終了?もっと進化?フルコンの役割(その2)

2018-10-06 08:15:13 | 格闘技のお話
フルコンの次なる役割は「最強幻想の担い手」としての役割。今回はこれについてお話しします。

 「チャンプルー」の話でもちょっと触れましたが、「空手バカ一代」を嚆矢としたいわゆる極真ブームは、昭和の終わりごろに入ると今度は「フルコンカラテブーム」、それに基づく「フルコン最強伝説」へと姿を変えます。
 極真の大山総裁はことあるごとに、「空手は格闘技最強、その中でも極真カラテは地上最強なんタヨー!キミイ!」とよく仰っておられましたし、その当時、フルコン最強信者の鼻息も、地上最大に荒かったですね(-_-;)。
 フルコン最強派の言い分は、要約するとこうです。
「フルコンは素手、素足で相手を殴ったり蹴ったりすることが通常なので、グローブをつけないとダメなキックやボクシングより撃力(殴る蹴るの力)があり、相手に当てない寸止めより実戦性が高い。ましてやグラップラーなんか、組まれる前に殴ってしまえばいい。だからフルコンは最も実戦的なルールであり、他の格闘技と比べても最強だ」

 …弊ブログをお読みの賢明な皆様は、この理屈、すぐに「???」と感じたと思います。おそらく、最も違和感を感じたのは「フルコンは実戦的、実戦に供与しても最強だ」という箇所でしょう。
 まず格闘スポーツというのは、多くの人が安全に練習できる形態を持ち、整備されたルールの下できちんと大会が開かれている時点で、既に「実戦」からは遊離してます。
 弊ブログでは幾度か話題として取り上げていますが、実戦で使える技とは、周囲の環境を存分に生かし、自分が「技の起こり」を支配し、相手へのエネルギー投射を極限まで高めた、極めて単純なものだけ。
 逆に格闘スポーツはルールを厳密に定め、禁止行為を明らかにし、ルール内でのみ有効な洗練された技を競うもの。実戦性からはどんどんかけ離れていって、当然なのです。
 そういえばこの時期、フルコンはフルコンという呼称とは別に「実戦空手」なる呼称も持っていました。今から考えると大風呂敷も甚だしい!のですが、当時はまだまだ、その程度の理解だったのです。

 また、極真の大山倍達総裁はことあるごとに「文句があるなら、極真の大会に出てこい!そこで勝ってから極真に文句を言え!」「極真は後ろを見せない!」という意味合いのことを言っていました。これは総裁の名前で書かれた数々の著書にたいがい書かれていることなので、十分にウラがとれています。
 この言葉は永く、フルコン最強幻想信者をシビレさせ、その心の拠り所でもあったわけですが…いくら同じ打撃系格闘技にカテゴライズされるものであっても、ルールが違えば技術がまるで異なってくるわけですから、極真の大会に出場するのであれば、そのルールに慣れている極真の選手が最も有利なのは自明の理。だから「他の格闘競技の練習しかしていない選手が極真ルールの大会で負けたから、その格闘競技は極真より弱い」なんて単純な比較論には決してならないはずなのですが…考えれば考えるほど、矛盾だらけですね(;^ω^)。
 ちなみに現在、ネットの格闘技掲示板あたりで、その手の「フルコンは最強だ!」みたいな問題提起をすれば「もの知らず、情弱www m9(^Д^)プギャー」とバカにされること必至です。

 しかし、当時はそうした事実が格闘技人口に膾炙していませんでしたし、また、格闘技マスコミが「格闘技はルールが違えばテクニックが変わる。フルコンルールが格闘技トップ最強だなんてナンセンス」という問題提起をわざと避けて通っていたという点も見逃してはいけません。
 当時、格闘技雑誌は極真を取り上げれば部数が伸びることを十分認識していました。ただ、極真の心証を害するような記事を書けば当然出禁を食らいます(けっこうチェックが厳しかったと仄聞します)。だから、ヤミの部分にあえて目をつぶり、格闘マスコミ全体が「極真のスポークスマン」と化していた。それが中身の脆弱な最強幻想を一層書き立てたわけですが…実に罪深い話です。

 ただ、その「最強幻想」の崩壊はあっけないものでした。
 まず、大山倍達総裁の死去により極真が子別れ、孫別れして組織が細分化してしまったこと。
 これまで自ら最強を謳い続け、フルコン最強幻想を支えた最大の担い手がバラバラになってしまったことは、「フルコン最強」を謳う人たちの心の拠り所を大きく削減し、混乱を招いたことは想像に難くありません。
 フルコン最強の看板凋落にさらに拍車をかけたのが、平成フタケタの初め頃、極真勢がK-1に参戦し、凡戦に終始したこと。
 前回も紹介した「吉田豪の空手☆バカ一代」(白夜書房)には、「K-1参戦極真勢」の一角を担ったニコラス・ペタス先生がK-1に出場した際の内幕が暴露されております。
 とある空手の先生(誰かはなんとなく察しが付くが、確信がないので言いません(~_~;))がペタス選手(当時)のコーチになったようですが、「『コンディションをよくしないとダメだ』と言って、走り込みや水泳をガンガンやらされたけど、スパーリングは直前に2回しかしていない。グローブ対策なんてあってない状態だった」という、大変お粗末な練習内容であったそうです(-_-;)。
 弊ブログをお読みの賢明な皆様は「フルコンでのKOのしかた」「ボクシンググローブ等のKOのしかた」「オープンフィンガーでのKOのしかた」が、それぞれ全く違うことをよくご存じのことと思います。これはもう、全く違うスポーツと言って過言ではないレベルで違います。
 K-1を主宰していた正道会館には湊谷コーチという、キックに精通した名伯楽がいたので、選手がグローブに移行するに際し特段の支障はなかったのですが、極真にはそれが全くなかった。わからんもの同士が「わからん、わからん」と言いつつ適当なことをやるのは、何事にもよらず、一番の負けパターンです(-_-;)。
 なんの研究や対策もなく、最強幻想に自らが幻惑された状態のまま、安易な多角化を目指したことが、「最強幻想の担い手」としてのフルコンを地に落としてしまったことになります。
 また、時を同じくしてネット社会が急速に進み、格闘技の好みも多様化。フルコンさえやっとけばいい、フルコンさえ押さえておけば最強幻想は健在、という時代はあっという間に終結してしまいました。

 ワタクシもフルコン最強幻想が生きていた時代に、いちおうフルコンに分類される芦原カラテをやっておりましたので、当時の息吹はなんとなく覚えておりまして…それだけに「フルコン最強幻想」は思い出すだけで懐かしく、そして現在、モノが分かるようになってから分析すると、ちょっぴり物悲しくなってしまいます。