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東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

JR奈良線沿線歩き旅 (2) 平城山駅 ー> 木津駅

2023年06月22日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 (2) 平城山駅 ー> 木津駅 3.2JR営業キロ
2023年5月24日(水)


平城山駅を後にして歩いていく、風はないが陽が傾いてひんやりとしてきた。

線路の向こうに大きなショッピングセンターが見えている。





あれがガーデンモール木津川だろう。



木津川のマンホールに描かれているのは渡し舟のようだ。



大きな鳥居を右手に見て歩いていくと木津川駅への案内が見えてきた。







駅舎はなかなかモダンなデザイン。







自由通路はがらーんとしていた。







時刻は午後5時を回った、今日も同じホテルに泊まるので新今宮駅までのきっぷを買う。






新今宮駅で降りて、、、さて夕食はなんにしようか。

ジャンジャン町へと行ってみる。








寿司にしようかなと店内を見ると込み合っていて座れそうにない。



串カツ屋も並んで待っている人がいるし、









170円のうどんというのも魅力的だが、、、



と、、通天閣の方まで歩いてみたが決められないままぶらつき



「宮本むなし」という食堂を見つけた。





おろしカツ定食が700円という安さにつられて店内へと入る。



味は悪くないし御飯がお代わりできるというのもよい。

食事を終えて外へ出るとすっかり暗くなっていた。



ホテルへ戻り、まずはシャワーで汗を流してからテレビの天気予報を見ると明日は曇りの予報だった。
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JR奈良線沿線歩き旅 (1) 奈良駅 ー> 平城山駅 3.8JR営業キロ

2023年06月21日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 (1) 奈良駅 ー> 平城山駅 3.8JR営業キロ
2023年5月24日(水)

古墳巡りを終えた。


古代エジプトのピラミッドもそうだがどの国でもどの時代でも権力の座にあるものは死してなお力を誇示しなくてはならないんだなあ。


いまマイナンバーカードが話題だ。
他人の顔写真が貼られていたとかミスもかなりあるようだ。
どんなことでも導入期はトラブルが重なるものだ。


わたしが仕事をしていたころコンピュータを各県の支店と繋ぎ、本部にデータを送るということができるようにするという作業があった。
まだインターネット回線が一般的でなくて電話モデムを使っての送信だった。

開発時に当時の本部のオエライサンがこう言ったものだ。

「いいか、プリンとアウトは1回だけできるように設定しろ。」
「え? それでは何かあったときデータをプリントできなくなりますよ。」
「そいう甘い考えはだめだ! 事前に用紙、インクリボンカセットなどチェックしてから行う癖をつけることが大事なのだ!」

で、、、どうなったかというと、、、

案の定うまくいかなかった。
どんなに事前に確認をしてもプリンターの紙詰まりや通信切れなどで再印刷しなければならなくなることが出てくるのだ。

そのオエライサンはぶつぶつ言いながらも再プリントできる仕様に同意したものだった。

彼も確か「戦後生まれ」なはずだが日本人の特性として安全策を講じておくということがキライだったんだと思う。



さて、、

自転車で坂道を登ったりしたので疲れはあるのだがJR奈良線に沿って歩くことにする。

だが、まずは腹ごしらえだ。
奈良駅内に「うどん・そば 三条坊」というお店があった。





値段も手ごろなので鶏天うどんをいただく。





さっぱりとした味でとてもおいしい。

食べ終えたら歩き出す。
時刻は午後3時半。 太陽が西に傾いてきている。
できれば木津駅までの7キロメートルを歩きたいのだが、、、

もう下校の時間なのか、観光をしていると時間のたつのを忘れてしまうなあ。



国道24号線を歩いていく。



日本初の図書館の地という碑があった。



驚くことに1200年以上も前に自宅の一部を図書館として開放していたのだそうだ。



文化というのはこういうところから発展していくんだな。

進んでいくと「ならクル」という標識があった。



「奈良まほろばサイクリング」ということでコースが整備されているとのこと。
自転車の休憩所というのもあるんだそうだ。


さらにいくと電気機関車の頭部分を発見。



電車のロングシートや運転台などもある。





看板には「鉄道部品店」とあるから鉄道用品を扱っているお店なんだろう。

平城山駅に到着。

わたしはこの駅を「へいじょうやま」とばかり思っていたぞ。
どうやったら「平城山」と書いて「ならやま」と読ませるのか、ほんとうに日本地名は読み方が難解だ。

駅前には電柱に時計を括り付けたような物が建っている。





駅前広場にはチェスの駒・・・と思ったら十二支の像だった。





長屋王の歌碑もある。





ふーん、奈良はその昔は「寧楽」とも書いたのか。

そしてこんなものも、春分秋分の日はこの隙間から太陽が昇るんだな。







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JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光編(6) 明日香古墳群 その2

2023年06月20日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光編(6) 明日香古墳群 その2
2023年5月24日(水)


こんどは高松塚古墳へと向かう。

まず「高松塚壁画館」で複製された壁画を見る。







日本で初めて発見された壁画なのだ。
当時(昭和47年)ニュースで大きく取り上げられたものだった。

この絵を見ると日本は朝鮮半島から渡ってきた人が大勢いたんだなと想像できる。







この高松塚は建造当時の形に復元したものだとのこと。



近くで見ると思いのほか小さい、大き目の一里塚という感じである。









ゆるやかな山の中腹にあり下のほうに畑、民家が見えるところだ。





次はキトラ古墳へと向かう。



この道も坂道なのでペダルを漕ぐのが少々つらい。

キトラ古墳も高松塚と同じように小高い山の中腹にあった。





いまは草刈りもされ道も整備されているから古墳だとわかるようなものの、
これが古墳ですよ、と言われなければわからないほど目立たない。





数百年の間に古墳は自然と同化してしまったに違いない。

高松塚古墳が発見されて話題になったところ、うちの裏山にも同じようなものがあるとの話が出て発見に至ったという。





この古墳もまた集落、畑を見下ろすようなところにあるのが印象的だ。

神戸の五色塚古墳は瀬戸内海を見下ろすような位置にあったが、これらの古墳も同じように被葬者が自分の支配地を見ているかのようだ。



見学を終えたら古い町並みの狭い道を通って、













高松塚、キトラとは向かい側の山へと向かう。



マルコ山古墳は観光客のいない忘れられたような古墳だった。



このマルコ山古墳も山の中腹にある。



いくら電動アシスト自転車とはいえ老いた足にはかなりの負担だ。

ここも、こんもりと盛り上がっていて草刈りもされているから古墳だとわかるようなもので、、、

どうして古墳時代の人たちは古墳に「〇〇王の墓」とかの石碑を建てなかったんだろうか。
まったく文字のない時代とは思えないし、文字でなくてもなんらかの記号や絵でもヒントを残してくれたらよかったのになあ。



もしかしたら木の柱を建てたのかな、そうだとしたら残らないよなあ。

古代エジプトでも古代中国でも永遠に残るからと石碑に刻んだのだが、日本人は思いつかなかったのかそれとも・・・


さて最後は牽牛子塚古墳だ。





またしても急な坂道を登ったり下ったり。





おまけに道を間違えて全く違うほうへ行ってしまったりだった。

この牽牛子塚古墳も他の古墳と同じように丘の中腹にある。





やはり被葬者(天皇?)は一段と高いところから自分の支配地を見ているのだ。

八角形というのが興味深い。古代天皇家を象徴する形だそうだ。
斉明天皇の墓というのが通説だとある。





ピラミッド型で白い石で覆われているから遠くからでも目立つ。





中は大きな石室があったそうだ。



遠くの山からこのような巨石を運んできたということにも驚かされる。
坂道を歩いて登ってくるだけでも大変なのに巨石をどうやって運んだのか不思議だな。

もともとの石室も残されている。



おや?足元にはマンホールもあるぞ、古代の人はハイテクだったんだなあ(笑)



古墳のカット模型もあるので内部がどのようになっていたのかがよくわかる。







今日は朝の9時から自転車をこいで坂を登ったりしたからかなり疲れた。
ということで古墳巡りはこれで終了だ。





自転車を返却して、電車で奈良駅まで行く。





明日から奈良駅から京都駅まで沿線を歩く予定だが、今日のうちに2駅歩いておきたい。
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JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光編(5) 明日香古墳群 その1

2023年06月19日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光編(5) 明日香古墳群 その1
2023年5月24日(水)

今日も良い天気だ、予報では快晴、最高気温も22度ほど。


わたしにとって今回の旅のメインの観光は古墳を見ることである。
そのなかでも明日香村周辺にある古墳群は魅力的だ。

有名な高松塚古墳、キトラ古墳、最近話題の牽牛子塚古墳など見どころが多い。


JRで畝傍駅まで行く。





この駅名もまず読めないな「うね」はよいとして「傍」を「び」と読むのはむつかしい。

漢字変換でも一発では出てこない。

畝傍駅は無人駅だったがなかなか趣のある駅舎だった。





プラットホームへの階段の手すりが木製というのはいまでは貴重だと思う。



ベニヤ板で閉じられてしまった窓口に哀愁を感じるなあ。



待合室には売店だったと思われるところもある。



それにしても読めない駅名が多いのに驚く。





JR和歌山線の 掖上駅(わきがみえき) 中飯降駅(なかいぶりえき) 布施屋駅(ほしやえき)など難しい駅名が多い。





往路のきっぷはここで使い切った。



途中下車もしたので無駄がなかったな。








畝傍駅から近鉄橿原線の八木西口駅へと移動する。



途中に以前は六十八銀行だったビルがあった。





趣があっていい建物だな。
ここはいまはレストランとして営業しているそうだ。
このように活用されると地域の活性化にもなるね。










電車には屋根に登るための梯子がついていた(笑)



連結部に人が入らないようにとバリアしているのだが、どうしてもハシゴに見えてしまう。



終点の、といっても2駅目だけど、、橿原神宮前駅で下車する。





駅前にあるレンタル店で自転車を借りて回るのだ。



明日香の古墳について事前にネットで調べたらかなり坂が多いらしい。
ということで電動アシスト自転車を借りることにした。



割引クーポンを使って1300円だった。



運転免許証を持ってきているのでバイクをレンタルすればよかったと気づいたのはしばらく走ってからのことだ。

電動アシストだから平地はすいすいと進む、だが坂道ではかなり漕がなければならなかった。
たしかにアシスト機能が無いよりはラクだが、やはり坂道はしんどいのだ。
一日中坂道を上り下りしたら午後にはへとへとになってしまった。

観光客の多い町だから道案内はしっかりとされている、道に迷う心配はない。









観光客には便利な「かめバス」というのもある。



「亀」というからにはすごく遅いのではないだろうか(笑)



飛鳥川のほとりには「聖徳太子誕生の地」の碑。



その道向かいには産直施設「あすか夢の楽市」があった。



特産のイチゴを買おうかなと思ったが1人で食べるには多いし、ディパックへ入れておいたら潰れるだろうし。

飛鳥寺の方を目指して進んでいく。





とても絵になるお屋敷があって、写真を撮っていると小学生の一団がやってきた。





オリエンティーリングなのだろうか、地図を見ながら「あっちかな、たぶんあっちだ」とか言っている。




ほどなく飛鳥寺へと到着。









大型バスからは中学生の一団が降りてきて急ににぎやかになる。



今度は小学生がバスでやってきた。



まわりは畑でのどかな風景が広がる。





すぐ近くには古い町並みがあり散策するには楽しいところだ。







奈良県は外国人観光客に人気の地だがここまで来る外国人は少ないだろうと思う。

石舞台古墳へと向かう。
このあたりは坂道で電動アシストとはいえ結構きつい。

途中、徒歩で古墳巡りをしている方らしき人を数人見かけた。





ここでは共通券を購入。



ちょうど草刈り作業をしているところでビーン、バリバリという音が雰囲気を壊しているが我慢しなければ。

青空に石舞台古墳が映える。



あの大きな岩をいったいどこから? どうやって?
古代の人たちの岩にかける情念はすごいものがあるな。
坂の多い場所だけにコロで運ぶというのも無理だろうし・・



完成まで何年かかったのだろうか。大王様とかが亡くなってから造り始めたら完成までに遺体が骨になってしまうだろうし。
古代エジプトでは王の即位と同時にピラミッドを造り始めたという説があるけど、同じようにしたのかなあ。
やっと王に即位出来たんだけど、まずは自分の墓を造らなきゃ・・・なんてちょっと悲しいような気がする。



石室に入ってみる。





ちゃんと排水溝を作ってあるところはエライな。

いまではがらんどうになってしまった石室はどのような装飾がされていたんだろうか。
絵とかは全く残っていないが、当時の人は何かしらの絵を描いたのではないかと思う。

石室内部の岩の上にはたくさんの小銭、1円だったり10円硬貨だったり。





なにかのおまじないなのか、願いを込めたものなのか。




まわりは農地でいちご狩りの案内もあった。
風景はわたしの住む岩手の農村とまったく同じように見える。



これが日本の原風景というものなんだな。
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JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光編(4) 奈良国立博物館、興福寺

2023年06月18日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光編(5) 奈良国立博物館、興福寺
2023年5月23日(火)

時刻は午後2時半になってしまった。

見学に夢中で朝7時から休みなしで歩き続けている。
さすがに疲れた。

昼食も食べていない、腹ペコだ。


それなのに国立博物館へと向かう。
われながら困った性格だな~。





入館料は700円、残念だがここもシニア割引がなかった。



館内は基本撮影禁止なのだが、一部だけ撮影OKというのがあった。

この金剛力士立像は撮影可能だ。





おお! でかい。
近くでみるとかなりの迫力だ。

685年の時を経ても力強さが伝わってくる。

十一面観音菩薩像も素晴らしい。





ああ、仏教というのはインドから伝わってきたんだなと納得させてくれる。

屋外には古墳時代の石棺の展示もある。





パネルを読むと個人からの寄贈だとのことだ。

「あなた、庭にあるあの石棺じゃまよ。あれは棺なんでしょ気味が悪いわ捨てちゃってくださいな。」
「えー、、あれは我が家の家宝なんだぞ捨てるわけにはいかないよ。」
「それなら博物館に寄贈したらいいんじゃない。」
「じゃあ、そうするか。」

とか家庭の事情があったんだろうか(笑)


博物館の庭園にもたくさんの鹿がいた。



修学旅行生がいると鹿が寄ってくる。
中には鹿に追いかけられて逃げ出す高校生もいる。



お隣は興福寺なのだが歩き疲れてしまい五重塔をおざなりに撮影しただけでとおりすぎてしまった。







やはり奈良を観光をしようと思うなら3日間は必要だなあ。

奈良駅へと向かう。
今日の宿は大阪市内の予定だ。

駅への途中によもぎ餅で有名な店があって修学旅行生が群がっていた。





全員が鹿の角カチューシャをつけているのが面白いな。

こちらのフルーツ大福のお店には若い外国人。



外国には大福なんてないだろうからなあ。
どこの国でも女性はスイーツが好きなんだね。



奈良駅前まで来た。



駅前にはシンプルな時計塔。



郵便ポストには大仏殿のようなものがのっかっている。



まだ午後3時過ぎだが、奈良市内の観光はこれでおしまいにする。

朝7時からずーっと歩きっぱなしだから足が痛い。

JR大和路線で大阪の新今宮駅へと向かう。









通天閣が近い新今宮駅のあたりには安い宿が集中している。







いまでもさほど治安のよいところではないようだが、以前はあいりん地区と呼ばれるドヤ街だったところだ。
ホームレスがたむろしている地区だったから、ひと昔まえなら決して近づかなかったろう。

現在は外国人旅行者向けの安いホテルが立ち並んでいる。
安いところでは1泊500円から泊まれるところがあるのだという。
わたしはその中でも高級?といわれているホテルに泊まる予定だ。



高級といっても2泊で4700円と昨夜泊まったホテルの1泊分の料金よりも安い。
奈良からの往復電車賃を考えても安上りだ。
だが部屋は狭いしトイレ、風呂は共同だ。安いのだからそこは我慢しなければならない。





わたしは東南アジアの安いゲストハウスを泊まり歩いたことがあるので気にならないが、女性の一人旅なら躊躇するだろうと思う。

1階には共用のテーブル、電子レンジ、電気ポットだけでなく調理設備もあり自炊もできる。



若い外国人数人がテレワークなのかノマドなのかノートパソコンに向かっていた。

部屋は狭いが清潔でシーツもきれいだ、バスタオルは無く温泉宿でくれるような小さいタオルだけ。





わたしはタオル、洗面用具は持ってきている。
洗濯洗剤も持ってきたので共同の風呂で洗濯をした。



今夜は通天閣近くで串カツを食べる予定である。

昨年大阪を通ったときはたこ焼きを食べただけだった。
やはり名物の串焼きを食べねば!



夕暮れ時の通天閣は外国人観光客で賑わっていた。

大阪といえばなんといってもこのど派手な看板。



青森のねぶたもあるぞ、そしてイヤというほど目にするビリケンさん。





串カツはどれを選べばいいのかよくわからずセット品を注文した。





サクサクして美味い。



だが串カツだけではおなか一杯にはならない、うどんも食べようかなと思ったがなぜか品切れとのこと。

仕方がないのでコンビニでカップ麺を買って部屋で夜食にした。

今日も9時半には寝てしまう。
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JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光編(3) 東大寺と春日大社

2023年06月17日 | JR奈良線沿線歩き旅

JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光編(4) 東大寺と春日大社
2023年5月23日(火)

わたしの高校の修学旅行は日本海側を普通列車で大阪へ、そこからフェリーとバスで高知へ行き、戻って奈良と京都を見学してさらに東海道本線で東京へ。
最後は東京見物もして帰るというとんでもなくハードなコースだった。
東大寺や金閣寺でも写真を撮ったはずだがどこへ行ってしまったのか残っていない。

東大寺とか金閣寺を見たはずなんだがなあ。

なーんにも記憶にない。


つぎは東大寺へ行こう。



「ぐるっとバス」で市内を回ったほうが効率よく観光できるらしい。







近鉄の新大宮駅で近鉄奈良駅行きに乗る。





1区間だけでも乗車は楽しい。





観光客の乗車率はかなり高めのようだな。



やはりというか近鉄奈良駅の駅名表には鹿が描かれていた。







地上へと出ると、円錐形のてっぺんにお坊さんの姿がある。



行基の像だった。



このかたは奈良の大仏の建立にも携わったのだという。
撮影が下手なものだから俗世まるだしの写真になってしまった。

さて、東大寺はどちらの方角だろう。



地図を見ながら歩き出す。



鹿の飛び出しに注意の交通標識もある。
鹿は交通事故で年に30頭ほど死亡しているんだそうだ。

鹿の専用押しボタンがあればいいのにね。



バス停が古都奈良の雰囲気を壊さないデザインになっているのはいいな。



進んでいくと、いました鹿、鹿、鹿。



ついカメラを向けてしまう。



「なんだよー、お尻を写すんじゃないよー」と睨まれてしまった。

東大寺へ抜けていく道にもたくさんの鹿がいる。









カメラを向けるとちゃんとポーズをとってくれる、モデル代は鹿せんべいだな。



それにしても修学旅行生と外国人観光客の多いことに驚いてしまう。





中国からの観光客はまだ少ないはずだから、これで中国から大量の観光客が来るようになったらいったいどうなるんだろうか。



大仏殿の入場料600円なり。



シニア割引を設定してほしいなあ。

自撮り棒で撮影する人が大勢いいるのにも驚いた。



YouTuberだろうか撮影しながらカメラに向かってしゃべり続ける人もいて、にぎやかなことこの上なしで寺院の静寂はここには無かった。
YouTubeとかTicTokなどで誰でもリアルタイムで世界中に情報を発信できるという時代だからなあ。



修学旅行生が途切れることなくやってくる、まるで渋谷か原宿のようなにぎやかさ。





この子たちが60歳になったとき「あー、確か奈良の大仏を見たよね。新型コロナが流行していたんだよね。」とか思い出すんだろうな。





いまの大仏殿は江戸時代のもので3代目とのこと、前2回のものに比べ3分の2の大きさだという。





いまの大仏殿も大きいが昔はもっと大きかったのか、すごいな。

見上げる大仏様は威厳があって、いかめしさを感じる。






日本の仏教は中国大陸からわたってきたという。
ビルマ(現ミャンマー)から、タイ、カンボジアなどの南方仏教(小乗仏教)のお寺、仏陀像とはかなり違う。

タイのスコータイ遺跡にある仏陀像などは表情が穏やかな感じでわたしは好きだけどね。







【↑ 3枚はタイのスコータイ遺跡】



花瓶には蝶がとまっている。



あとで調べるとこの蝶は足が8本あるとのこと、そんなことも知らずにシャッターを押していた。
蝶の意味として平家の霊を鎮めるためとかあるようだが、わたしは遊び心で作ってみたんじゃないかと思うのだが。


御朱印、お守り売り場は行列ができていた。





ここも外国人が列を作っていた。
もしかして日本のお守りは世界中で人気なのかな。


外へ出ると外国人観光客が休んでいた、歩き疲れたんだろうなあ。





鹿も観光客から鹿せんべいをもらおうと寄ってくる。
「うん、この人はせんべいを買ってくれそうだな」と見極めるとしつこくついて来るのだった。







鹿せんべい200円を買うと、、、



その様子を見ていた鹿がススッと近づいてくる。



1頭にせんべいをあげていると次から次と鹿が集まってくる。

「もっとくれー」と頭突きするのもいる。
もう無いよというとガブッと噛まれてしまった。
暴力的な鹿もいるので油断できないのだった。



鹿って折り畳み式になっていたんだな。枕はいらないね。


こんどは春日大社を見に行く。

春日大社も広い。











一言主神社の絵馬には外国語のものがかなりあった。







タイ語で書いてあるのもある。



Google翻訳で訳してみると家族の健康を願っているようである。
どの国でも家族の健康、平和な生活を願う気持ちは変わらないんだな。

中には「ガンを治してほしい」という切実な願いもあって胸が痛くなる。








そうかと思えば「ずっと尻に敷けますように」という夫にとっては恐ろしい願いもあったりする。

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JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光(2) 平城宮歴史公園

2023年06月16日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光(2) 平城宮歴史公園
2023年5月23日(火)

平城宮へとやってきた。



おお! 広いなあ。
小雨模様ということもあるが向こうがかすんでいるほどだ。


目の前には第一次大極殿がそびえていた。



高さが27メートルもあるので遠くからでもよく見えただろうな。
資料を見ると奈良時代の大極殿を復元したものだとある。



開館は9時ということでしばらく外観を見て回る。





屋根の鴟下(しび)の形がよい。





開館と同時に中を見学する。



高欄(欄干)には香蘭宝珠という飾り物。





もしかして当時はこの中に電球が入っていて光ったとか(笑)



内部はわりと質素というかそっけない。ギラギラと派手じゃないところが日本風だなと思う。





ベルサイユ宮殿などあまりにも金ぴかギラギラで目がチカチカしてしまうが、この落ち着いた自然な感じが日本の美なのだ。



中央には高御座が据えられている。





天皇の玉座なのだがこれまた実にシンプルな感じ。
玉座の椅子など「え? こんなに簡素なの?」となんども見直してしまったほど。

中国なら龍を、西洋ならライオンをあしらって権力を誇示するのだがそんなところが全くない。

それなのに高御座全体を見ると尊厳を感じてしまうというのが不思議ではある。





大極殿の前には復元中の南門がある。







つぎは復元事業情報館へと向かう。

復元模型あり鬼瓦あり、当時使っていただろう工具の展示もあって興味深い。







重機などなかった時代によくまあこのような建物を作ったものだなあと感心しきり。





見学を終えたら朱雀門へと歩いていく。

広大な庭園のなかを近鉄奈良線が走っている。





電車が来るとどうしても写真を撮ることになってしまう。パブロフの犬状態だなこりゃ。



朱雀門を抜けて「平城宮いざない館」と歩いていく。







雨があがって日が差してきた。





「平城宮いざない館」では平城宮の全体像を見ることができる。



歴史公園として整備される前はここは広大な田んぼだったのだそうだ。




平城宮のあったころはきっちりと碁盤の目のように区画整理されていたのだ。
うーむ、都市計画は最初が肝心だからな。






これは大極殿の模型かな? なかなか迫力がある。それにしてもこの木組みの精巧さはすごいものだ。







当時の食事を再現したものもある。
上流階級の食事は現代ととあまり変わらないようだ。



でも一般庶民はこんな食事はできなかったんだろうな。

木簡の展示もある。





メシがまずいとか文句を書き込んでいるところも現代と同じだな、いつの時代も人の考えることは同じなんだなあ。


お土産売り場には大量の大仏頭部、「ありがたい、ありがたい」と言いながら食べなければ。






屋外には復元された遣唐使船が展示されている。





おお、スモークで雰囲気を出しているぞ。



当時の錨は石を結び付けた木製だったのか。



帆は布ではなく竹を薄く削ったものを使ったとある、網代帆というのだそうだ。







これはかなり重いのではないか。
布が貴重だったので竹を使ったということなんだろうかと想像してみる。



部屋は大使だけが個室であとは雑魚寝だったそうだ。

それにしてもこの小さな船で日本海を渡っていくとは、想像するだけで恐ろしい。
現在なら月へ向かうロケットみたいなものかもしれないな、たどり着けたらラッキー。



司馬遼太郎さんの「空海の風景」を読むと当時の航海は風待ちで何日も足止めされたり、嵐でまったく別の地にたどり着いたりと本当に命がけだったということがわかる。

遠足だろうか小学生の一団がやってきた。



平城宮歴史公園の見学を終えたらつぎは東大寺へと向かう。
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JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光 (1) ウワナベ古墳

2023年06月15日 | JR奈良線沿線歩き旅
JR奈良線沿線歩き旅 奈良観光 (1) ウワナベ古墳
2023年5月23日(火)

朝5時半には目が覚めた。

外を見ると予報通りの雨模様だ。
さいわい小雨程度のようで傘を差さずに歩いている人もいる。

朝食はコンビニのサンドイッチで済ます。

今日は奈良市内の観光をする予定だ。
奈良は観光名所が多すぎるので主要なところを回るだけで数日かかりそうである。

観光は徒歩で回れるところだけにしよう。

東大寺、春日大社、国立博物館、興福寺、平城宮跡を見て回ろう、そしてこの旅の目的である古墳も見なくては、、、
GooglMapで見ると平城宮跡から春日大社までは直線で6Kmほどだ、これなら歩いても回れるだろう。

シャワーしてのんびりしていたら7時を過ぎてしまった。





こじんまりとして清潔な良いホテルだった。
なにより静かなのがよかったな。
外観がビジネスホテル風でないのでちょっととまどったが、、



チェックアウトして外へ出ると小雨模様だ、レインパーカーを出して羽織る。



まだ朝早いので観光施設は開いていない、そこで古墳を先に見ておこうと歩き出した。

佐保川に架かる大宮橋は欄干が木製に似せたコンクリート製だった。







悪くはないんだけどなあ、できれば木製のほうが好きだな。

おお! さすがは奈良だね、マンホールには鹿が描かれている。





古墳まで2Km。ゆっくりと歩いていく。



民家の塀には大黒様、いいですねえ。



駐車場のことを関西ではモータープールというんだな。





奈良市のバス路線は結構複雑だ、乗りこなすのは大変そうだな。





海龍王寺の前を通る。





この塀がいいなあ。





その先にあった墓地の前には丸い石がたくさん並んでいた。







取っ手を付けたらカーリングに使えそうだなあ(笑)



ウワナベ古墳まで来た。



墳墓だけで280メートルもあるという巨大な古墳だ。



周りは池になっているので遠くから眺めるしかないのが残念だ。





ぐるりと一周してみたが大きすぎて実感がわかない。
「これが古墳ですよ」と言われなければ小山にしか見えないのだ。





隣にはコナベ古墳がある。



こちらも墳丘の長さが200メートルもあるという。

これも遠くから見ただけでは古墳とは思えないな。
古墳とは知らずに畑にしたり宅地にされたりというようなことは数えきれないほどあったんだろうな。



その隣には市庭古墳(平城天皇陵)があるので狭い自転車道を進ん行く。



この古墳も墳墓長が250メートルもあったのだそうだ。
いま残っているのは後円部の一部分だけだそうだが鬱蒼とした森にしか見えない。





帰宅してから近所を散歩していて少し盛り上がった雑木林をみると「もしかしてあれも古墳かな」とつい思ってしまうのだった。







近くには見に行かなかったが佐紀陵山古墳、左記石塚山古墳、佐紀高塚古墳もあるのだ。





このあたりは古墳時代にはどちらを向いても古墳だらけという状況だったのでは?
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