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東北本線,東海道本線沿線 全線全駅歩き旅のブログ

旧東北本線と田沢湖線,花輪線,釜石線,八戸線,山田線、北上線、東海道本線、奈良線、大船渡線沿線歩き旅の記録。

東海道本線全線全駅歩き旅 続編(83) 大阪駅 ―> 塚本駅

2022年08月24日 | 東海道本線 京都駅から神戸駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(83)

2022年(R4)5月31日(火) 大阪駅 ―> 塚本駅 JR営業キロ3.4Km

大阪駅からの道もややこしい。
JR神戸線(東海道線)、JR宝塚線、大阪環状線、東西線などあって間違えるととんでもないほうへと行ってしまう。
大阪駅前にはヒルトンホテルがあるし、ザ・リッツ・カールトン、インターコンチネンタルなど超高級ホテルが並ぶ。
ヒルトンを横目に見ながら歩いていくと、、



猫がビルをすり抜けていた。





うーん、さすがは黒猫、魔術の使い手だ。

と、思ったらこんどは高速道路がビルを突き抜けていた。



これは何度かテレビで紹介されていたので見たことがある、あの有名なビルはこんなところに建っていたのか。
このようなアート作品も街中にある。



でも、こっちのほうが好きだな。グーンと庶民的!








大阪らしく商売繁盛ということだな。
この通りは「売れても占い商店街」という、ユニークな商店街だった。





正式には福島聖天通商店街というのだ、「今夜は占ナイト」というイベントもやっているそうだ。
狭い道に商店がぎっしり並ぶ人気の街なんだろう。





道には「大和田街道・梅田街道」の案内があるが、都会のなかだからどれがその道路なのか判別できない。





歩いていくと青空が出てきた。



おお!わたしは晴れ男。
この辺りも巨大なマンション、アパート群が立ち並んでいる。





途中のイオンでひと休みする。
「そよら」って変わった名前だなあ。



土地の名前かなと調べてみると「そら・寄って・イオン」ということだった。
え? それなら「そよい」じゃないのかい?

淀川を渡る。



淀川大橋を渡ろうと歩いていくと通行止めだった。
歩行者も通れないという、道反対側の歩行者通路へは200メートルも戻らなくてはならなかった。
この「歩行者も通れない」と書いてある標識をよく読まなかったわたしが悪いのだが、、、



長大な淀川大橋を渡り切り住宅街を歩いていくと、







「ここは海抜―0.3m」の表示、その先には「―0.9m」の表示があった。





え? ここは海面よりも低いのか。
と、突然不安になる。
パニック映画ならここで堤防のひび割れたところから海水が、、、となる場面だ。
地震、津波だけでなく高潮などあるわけで住民は毎日が緊張の連続、、かも。



「サンリバー柏里」商店街の前を通る。







なかなかの混雑ぶりだ、ここも人気の商店街なんだな。
このような庶民的な店は大好きだ。



関西ではマスクをしていない人が多いという噂を旅行前に聞いていたのだが、まったくでたらめだった。
道行く人の全員がマスク姿だった。
わたしは鼻づまりがつらいので人のいないところではマスクをしないのだが、遠くから「ほら、あの人マスクしてないよ」と冷ややかな目で見られるほどだ。
なにしろ周囲100メートル以内に人の姿が無くてもマスクは外さない、一軒家に一人住まいなにの家の中でマスクをするというのが今の日本だからなあ。
そのくせ仕事帰りの飲み屋ではマスクをせず大声で話し、カラオケでもマスクなしで歌う、、そんな様子を見るとどこか間違っているんじゃないかと思うのだが。
ちなみにわたしは人のいるところ、電車の中などでは常にマスクをしている。
そのためマスクの予備は大量に持ってきたのだ。



塚本駅に到着。






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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(82) 新大阪駅 ―> 大阪駅

2022年08月23日 | 東海道本線 京都駅から神戸駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(82)

2022年(R4)5月31日(火) 新大阪駅 ―> 大阪駅 JR営業キロ3.8Km

大阪駅を目指して進んでいく。



大型のパチンコ店があった。
外観がなんとも派手。



これくらいでないと大阪ではインパクトがないんだろうな。



阪急南方駅があった。
「阪急 南方駅 きた西改札口」と書いてある、「東」が足りないな。



このカフェには「モチっとナンピザ」というメニューがあるぞ。





餅とナンとピザの組み合わせなのかと勘違いしてしまった。
ピザの生地にナンを使っているんだろう。味はどう“ナン”だろうか?



淀川を渡っていく。



通勤時間帯だから大渋滞だ。





冬季凍結スリップ注意の標識があった。大阪でも道路が凍ることもあるのか、知らなかったな。



橋を拡張するのだろう橋脚の基礎部分を造っている。



上から見るとかなりの迫力だ。





新淀川大橋を渡るといよいよ大阪の中心部へと入っていく。





恐れ多いので平民は頭を下げて入場しなければならない。



なにしろ高さ1.4メートルだからね。
言ってみれば茶室の入り口が小さいのと同じ、誰もが頭を下げるのだ。



朝から降るぞ降るぞといっていた空から雨粒が落ちてきた。





大阪駅はすぐそこだ、多少の雨ならこらえて歩く。



大阪駅に到着。



大阪駅近辺はとんでもなくわかりにくい。
阪急の「大阪梅田駅」の存在感が強すぎるのだ、おまけに「大阪梅田駅」とか地下鉄の「梅田駅」などがあり「JR大阪駅」は影が薄い、、ように思える。
プラットホームがきれいに色分けされているのはわかりやすくて良いな。



やや地味な感じの駅看板を背に記念写真。






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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(81) 東淀川駅 ―> 新大阪駅

2022年08月23日 | 東海道本線 京都駅から神戸駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(81)

2022年(R4)5月31日(火) 東淀川駅 ―> 新大阪駅 JR営業キロ0.7Km

起きたら部屋の外から外を見る「おお、さすが大阪は大都会だ」



ほかのホテルもそうだがフロントは最小限の人数で回しているようだ。
チェックインもセルフサービスで端末で行うようになっているのだ。





わたしは慣れてしまったが外国人だとシステムがわからず困ることもあるのではないかと思う。

駅へと歩いていく、空模様はどんよりとした曇り空でもしかすると雨が降るかもしれない。













東淀川駅で降りたら新大阪駅方面へと歩く。





その距離はたったの700メートル!
我が家から近所のスーパーへ行くよりも近いのだ。



なんとも殺風景な新大阪駅東口。







それでも記念の写真は撮る。




新幹線駅の前でも撮る。







これまで東京駅からの歩き旅ではすべての駅で写真を撮ってきたのだ。





駅前の歩道には小学生の描いた「自転車駐輪禁止」の絵があるのだが、、





やはり無視する人がいるんだなあ。





駅前には石を積み上げたように見えるモニュメントがあった。




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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(80) 吹田駅 ―> 東淀川駅

2022年08月22日 | 東海道本線 京都駅から神戸駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(80)

2022年(R4)5月30日(月) 吹田駅 ―> 東淀川駅 JR営業キロ3.1Km

吹田駅から歩いていくと片山神社があって「方位除け」と大きく書いてある。



なんでも自分の星が凶方にあるのをお祓いをして厄災を避けるものらしい。
科学がどれほど進んでも人間の力ではどうにもできないことがあるから、厄除けなどにすがりたくなるんだろうな、、とバチあたりな老人は思うのだった。

こちらではランドセルのお祓いというのを行っている。





わたしは知識がなかったので「え? ランドセルになにかの霊が憑りつくのか」と勘違いしたのだが、どうやら学校生活で事故の無いようにと入学前にお祓いをするもののようである。
なるほどねえ、神様って商売上手なんだなあ。

吹田駅近くにはアサヒビールの工場がある。





巨大なタンクが見えている。この工場でも見学ツアーがあるのだが例によって事前予約が必要とのこと、計画性のないわたしは見学をあきらめるしかない。



そこを過ぎると阪急千里線の吹田駅だ。



ちらっとだけ見て通り過ぎる。





「ライフ」という大きなスーパーマーケットを横目に見て歩いていくと、





「さわやか ジャパン」というディスカウントストアがあった。



社長の似顔絵がインパクトあるなあ。「お客様に幸せを!」というキャッチフレーズもなかなか良いぞ。



この付近で大阪湾から15キロメートルほどあるのだが海抜はたったの2メートルだ。



空がどんよりとして暗くなってきた、いまにも雨が降りそうな感じ。



上空を見ると大阪伊丹空港へと飛行機が次々と降りていく。



マンホールには大阪城、とうとう大阪か!



カラー版もあった。



神崎川を渡っていくと雨が降り出してきた。





慌ててディパックからレインパーカーを出す。

すこしすると雨脚が強くなってきて歩くのがしんどくなってきた。





東淀川駅に到着。



今日はこの駅までとしよう。ずぶぬれになる前に駅に着けたのはラッキーだった。







予約しておいた大阪梅田のイビス・バジェット・ホテルへと向かう。





大阪駅で電車を降りて、、、迷ってしまった。



駅からの出口がわからないのだ。
おれってこんなに方向音痴だっけかな。
間違えて阪急梅田駅の方へ行ってしまうし、、、うろうろ歩き回る。
Googleマップで見ても自分がどこにいるのかわからない「わたしは誰? ここはどこ?」
それでもなんとかホテルに到着。

バジェットという名前からわかるようにイビス・ホテルのグループ中では安いビジネスホテルだ。
部屋はやや狭めだが設備は十分に良い、セーフティボックスもあるのだ。



バスタブも大き目だし電気ポット、冷蔵庫、USB端子もある。







ベッドのサイズが大きいので寝相の悪いわたしには最適。







シャワーで汗を流したら夕食へと出かける。

ホテルから3分ほど歩くと梅田のアーケード街があって、飲み屋、レストラン、カラオケが連なっている。



時刻は午後7時過ぎ、どの店も大勢の客で混雑していた。
コロナがどうこうという以前にわたしは混雑した店、並ばなければならない店は苦手だ。
そこから少し離れたラーメン屋で食べることにした。





ちょっと濃い目の味だが冷えた身体に熱いスープが浸みていく。



ホテルの近くにスーパーマーケットがあったので買い物をしてから部屋へ戻る。



割引品があってラッキー。



午後9時過ぎには寝てしまう。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(79) 岸辺駅 ―> 吹田駅

2022年08月21日 | 東海道本線 京都駅から神戸駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(79)

2022年(R4)5月30日(月) 岸辺駅 ―> 吹田駅 JR営業キロ2.4Km

岸辺駅から歩いていくと狭い道には昔からの街並みがあった。



こういう街を見るとなんかほっとする。



マンホールにはカラーで桜とつつじ。





吹田市のホームページを見ると市の花は「つつじ」だった。桜はついでに描いたのかも。







吹田駅に近いところは居酒屋、食堂が連なっている。





この食堂のメニューがすごかった。





壁に貼り切れず、地面にメニューが立てかけてあるほどだ。



うーむ、、 全部読むのは大変だ。
ラーメン系、どんぶり系、鍋物、うどん類、、、、早い話なんでもありだな。
いいなあ、こんな店。毎日通っても飽きがこないだろう。

駅前には電車の車輪が展示してあった。



ただ、置いとくだけでなくちょっと芸術っぽいところに好感が持てる。







駅の自由通路にあるイラストでは吹田の歴史が学べる。









駅前にはメロード吹田という高層ビルがありその巨大さに圧倒されてしまう。



しかしなぜ「吹(ふく)田」と書いて「すいた」と読ませるのだろう。



わたしは知らずに「ふった」と読んでいたぞ。
で、、、ネットで調べていたら「吹奏楽(すいそうがく)」というんだから「すい」でいいんじゃないか?
という書き込みがあった。
そういやそうだなと妙に納得。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(78) 千里丘駅 ―> 岸辺駅

2022年08月21日 | 東海道本線 京都駅から神戸駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(78)

2022年(R4)5月30日(月) 千里丘駅 ―> 岸辺駅 JR営業キロ1.7Km

千里丘駅からの道はまさに大都会の道だ。



よく整備された広い道路、大きな公園もある。



とんでもなく巨大なアパート群があった。



すごいなあ、このアパート群だけでひとつの町が出来てしまいそうだ。
しかもその道路向かいでも建設中だ。



利便性が良いから土地代は高いのだろう住宅も3階建てのものが目立つ。





地価が高く、狭い土地だけど快適に暮らすかが工夫の見せ所だ。



1階部分がガレージになっているお宅もかなりある。



岸部駅付近には国立循環器病研究センターや吹田市市民病院、大阪学院大学などの施設が集中している。





国立循環器病研究センターと駅は長い通路でつながっていた。







駅付近は路上でも禁煙になっている。





これはよいことだと思う、吸い殻などのゴミも出ないし受動喫煙も減らせるし。

路線図を見ると読めない駅名がいっぱいある。



「胡麻」は「ごま」と読んでいいのかと迷う。なにか別の読み方をするんじゃないのか?と疑いたくなるのだ。
これは「ごま」だった。
「安栖里」(あせり)もすっと読めないな。「アンシェイリー」と中国風に読んでしまいそう。
「放出」(はなてん)なぞはまさにクイズ。
そんなだからわたしは「下山」(しもやま)を「オルサン」と韓国語風に読んでしまうのであった。


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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(77) 茨木駅 ―> 千里丘駅

2022年08月20日 | 東海道本線 京都駅から神戸駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(77)

2022年(R4)5月30日(月) 茨木駅 ―> 千里丘駅 JR営業キロ2.9Km

茨木駅から続く道は「エキスポロード」という名だ。





いやー、思い出すなあ、大阪万博。
当時の大阪は岩手県からはかなり遠い所だったが、会社ぐるみで見学に行ったものだった。
岡本太郎さんの「太陽の塔」を見たときは、なんじゃこれはという印象だったっけ。
わたしのような俗物人に芸術は理解するのがむずかしい。
興味があったのはやはり「月の石」だったな、ずいぶんと並んで見た記憶がある。
数年前だが乗り物好きのわたしは大阪まで来たついでにモノレールに乗ったのだった。
万博記念公園駅で降りて太陽の塔を見に行った、50年以上も経っているから汚れも目立つけどなかなかの迫力だった。



歩いていくと道の向こうにピエロの人形が見えた。



ああ、先ほど公園で見たピエロのシーソー、駅にあった人形。ということはこの町はピエロをモチーフにしているのか。
イオンモールのほうへと歩いていくと歩道に「徒歩帰宅者支援ルート」のシールを見つけた。





阪神淡路大震災の記憶も東日本大震災の記憶でさえも忘れされようとしているが大災害はいつ襲ってくるかわからない。
わたしの住む田舎町ならともかく大阪のような大都会で鉄道、バスが動かなくなったら大変だ。
徒歩で帰宅するしかないというとき何かと支援してくれれば助かるのだ。
そのような時の備えとして会社のロッカーにスニーカーを置いている人もいるという。
ここでもイオンモールを見に行く。





頭上をモノレールが走っている。ここから太陽の塔まで直線距離で2.5キロメートルだがわたしの歩く方向とは違っている。



日世会社の前を通る、会社の壁には見慣れたアイスクリームの絵がある。





おお、ここで作っていたのか。

このラーメン屋さんは人気なんだな、昼食時間帯は過ぎたが店の外まで行列ができていた。



歩いていくと大きな門があった。



近寄ってみると幼稚園の門だった。



大きく造ってあるのは偉そうに見せるため? まさかね、子供たちが入りやすいようにとの気持ちを込めたんだろうな。



おお、ここにも業務スーパーがあった。



買い物はしないがちょっとだけ見ていこう。



野菜が充実しているね。



お、なんと中央に太陽の塔が、さすが万博の街だ。





駅にほど近いこのレストランはメニューに工夫を凝らしている。





ローストビーフユッケバーガーなどなかなかユニーク、一度食べてみようかなという気にさせることが重要。







千里丘駅まで来た。







「せんりがおか」ではなくて「せんりおか」だったのか、知らなかった。







なんと駅構内の広いこと。




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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(76) 総持寺駅 ―> 茨木駅

2022年08月20日 | 東海道本線 京都駅から神戸駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(76)

2022年(R4)5月30日(月) 総持寺駅 ―> 茨木駅 JR営業キロ3.7Km

終戦の日で思い出したことを。
わたしが最初に勤めた会社の社長は太平洋戦争中は予科練生だったそうだ。
かれはわたしに「オレは予科練だったんだ。ところが卒業する直前に終戦になってしまったんだ。ああ、あのときオレが戦場へ行けたならばあの戦争に勝てたはずなのだが、、、」と話してくれたものだ。
わたしは「あなたひとりが戦場へ出て行ったところで戦況は全く変わらなかったはずですよ」と言いたかったがぐっとこらえた。

かれの家庭は根っからの軍国主義者だったらしく兄弟の名前も戦争に関する勇ましいものばかりだった。
いまの平和な日本では考えられないが太平洋戦争当時の若者は戦場にいくことを誇りに思い楽しみにしていたんだろうと思う。
軍人、政治家だけでなく日本全体が完全に軍国主義、戦争遂行に向かっていた時代だ。
最近の小説、映画で「僕は愛する家族を守るために戦場へ行く」というよう表現をすることがあるが、当時は家族より「お国のため」というのが多かったんだろうと思う。

前線から遠く離れ、戦場の悲惨さも伝わらないところでは戦争はかっこよく見えてしまう。
とくに若い人たちは「ああ、おれも敵と戦いたい」と考えるだろう。
もし戦場から無事帰ってきても「戦場は恐ろしかった、もう二度と戦争は嫌だ」とは言い出せない。
周りから意気地なしだとかお前は逃げ回っていたんだろうと叩かれるのがオチだ。
グアム島で生き延びた横井正一さんがそのよい例だ。
彼は「恥ずかしながら帰ってまいりました」と言ったのだった。生還するのが恥ずかしいと言わなければならないなんて、あまりにも情けないではないか。
政府や独裁者は自分たちに都合の良い情報しか国民に伝えないはずだし。

戦争の無い社会のほうがどの国も繁栄すると思うのだが、いまの世界を見ると難しそうだなあ。

総持寺駅から歩いて行き安威川を渡る。



そうして住宅地の狭い道を進んでいく。



この公園には滑り台と、、、えええ?





見ればシーソーだとわかるのだが、このデザインは、、
ユニークではあるな。





道端で立ち話をしているふたりのお婆さんがいた。



ふたりともそこに立ったままじっと動かず、話を続けている。
このように路上で立ち話をしているお婆さんというのはときどき見かける。
特徴的なのはどちらもその位置から動かないということだ。
なにしろ「動いたら負け」という暗黙のルールがあるのだ(笑)



わたしがじーっと見ているあいだ、このふたりも全く動かなかった。
なかなか勝負がつかない、ときには1時間以上もその場を動かずに話続けることがあるくらいだからなあ。
とうとう見ているわたしのほうが根負けして歩き出してしまった。



お店の前に人形が置いてある。





関西の「粉もん文化」を担う若者の姿だ、なかなか凛々しい。



時刻は12時を回ってしまった。
どこかで昼食をときょろきょろしながら歩いていくと「やよい軒」があった。



迷わず入店したものの券売機の前でなにを食べようかとさんざん迷う。わたしは優柔不断な迷惑客だな。



店内は満席、店員さんは大忙しのようだ。
味のほうは無難なファミレスの味という感じだが十分においしい。



食べ終えてから駅へと行く。



大都会の駅だからこの時間でも大勢の人がいる。







駅の東口には時計と人形がある、おもちゃの国を表しているんだろうな。





夜はイルミネーションでライトアップされるらしい。
で、西口はというといたって地味だった。





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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(75) 摂津富田駅 ―> 総持寺駅

2022年08月19日 | 東海道本線 京都駅から神戸駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(75)

2022年(R4)5月30日(月) 摂津富田駅 ―> 総持寺駅 JR営業キロ3.7Km

8月15日は終戦記念日だった。

日本は無条件降伏したので敗戦記念日としてもよかっただろうが、さすがにそういう表現は嫌だったんだろうな。

ロシアのプーチン大統領がウクライナに仕掛けた戦争で世界は一気に緊張感が高まっている。
中国は台湾への侵攻を隠そうともせず、場合によってはアメリカも巻き込んででも戦争してやるぞと意気込んでいるように見える。

戦争は為政者、特に独裁者にとっては自分の権力を最大限使えるのが魅力なんだろう。
建設的な戦争などありえない、戦争は常に破壊だけだ。
破壊された戦車、航空機を再利用するということはない、常に新しい兵器を投入していかなければならない。
それは企業、特に軍需産業にとってはとてつもない儲けになるわけで、軍需産業とともにある独裁者や政治家にとってもおいしい話である。
だれもが平和を望んでいると言うが、、、実際のところはロシアはプーチン大統領の望む平和、中国は習近平主席の望む平和、アメリカも同じくアメリカに都合の良い平和を望んでいるわけで、、、
そんなふうだから戦争の無い平和な世界というのは未来永劫に実現しないだろうなと、つい悲観的になってしまう。

摂津富田駅でも休憩なしで歩き続ける。

摂津富田駅前にたこ焼き屋があった。
たこ焼き、ぺちゃ焼きとあって店名が「あほや」だった。



「あほや」という店名がすごいなあ。なにもそこまでとも思うが(笑)





駅から狭い路地を歩いていく。







この踏切には「南行優先」とあった。はてどちらが南の方角だっけかな。



住宅街を歩いていくと、夏ミカンの木があった。







おいしそうな夏ミカンがたくさん実っている。夏ミカンの収穫時期は4-5月なんだそうだ、なるほどそれで「夏」ミカンだったのか。



路地が入り組んでいるのでGoogleマップがなければ完全に迷っていただろう。
公園に変なカタチのものがある。
タコの形に見えるが吸盤のついている位置はタコの足ではなく胴体部分のようだぞ。



滑り台なんだろう、タコの足が作りにくかったのであの位置に吸盤を付けたんだな。
真っ赤だから茹でたてのタコということか。

総持寺駅の近くに昔の暗渠の遺構があった。





すっかり埋められてしまっているが今でも線路をけなげに支えている。









総持寺駅には記念スタンプがあった。



そういえば他の駅で記念スタンプを見なかったな。
わざと見つかりにくいところに置くとは思えないし、なぜこの駅だけにあるのだろう。




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東海道本線全線全駅歩き旅 続編(74) 高槻駅 ―> 摂津富田駅

2022年08月18日 | 東海道本線 京都駅から神戸駅
東海道本線全線全駅歩き旅 続編(74)

2022年(R4)5月30日(月) 高槻駅 ―> 摂津富田駅 JR営業キロ2.9Km

通勤時間帯ということもあるが高槻駅は混雑していた。



駅を後に古墳目指して歩き出す。
駅前にあった体育すわりの石像には「相生地蔵尊 2004年3月」とあった。と、いうことは新作のお地蔵さんということだろうな。



地蔵様も時代に合わせて変化をしているんだね。



駅前のアーケード街には芥川一里塚の案内があった。











おお、ここにも50円の自動販売機がある。





西国街道を歩き芥川を渡る。





水車うどんとあるが、水車という名のお店だろう。





マンホールには大阪府水道局とある、もう大阪まで来たのか。



これには「あんしん給水栓」とある、災害時に利用するものだろうな。



今城塚古墳まで来た。





説明のパネルを読むと継体大王の墓で濠を含む全長は354メートルとのこと。







すごい!なんとも巨大な墓だな、これだけの墓を造る権力者とはどんな人物だったのだろうか。
ピラミッドのような高さはないけれど面積では負けていないな。



登ってみると、ずらーっと並ぶ埴輪の列、壮観である。





馬はいいとして、なぜアヒルなんだろう? 大事な家畜だったのか。



「大王様バンザイ」をしている巫女さんのような埴輪や、ニワトリ、お相撲さんのようなものもある。









兵士は刀に手をかけているが表情は穏やかな感じ。



6世紀に造られたそうだが意外と平和な暮らしだったのかも。
砦の塀や門を見ると古代中東のものと勘違いしそうだ。



埴輪のサイズはわたしの腰のあたりまでしかない。



中国の兵馬俑抗の武士俑は成人男性の等身大だからつい小さいなあと思ってしまった。
整備されているところ以外は自然のままで緑濃い丘でしかない。



考古学者でないければここ古墳だとはわからないだろう。



古墳を見終えたら歩き旅に戻る。
飛び出しガールを見ながら住宅地を抜けていく。







ほどなく摂津富田駅に到着。









わたしはこの駅を「せっつとみたえき」と思っていたが「せっつとんだえき」だった。” とんだ ”間違いだった。





しかしなぜ「富田」を「とんだ」と読ませるのだろうか。
「とみた」でいいじゃないかと、ぶつぶつ言ったりする。
この駅にも「はにたん」が立っていた。







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