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私的コラム&雑記(&メモ)

日本の外側より:ヴェジタリアン vs ヴィーガン(2019-06-07)

2019-06-07 | 旅行 / カルチャー

 近頃、何かと話題のヴィーガンであるが、ネットで見かける日本語記事と私の理解とでズレが感じられるので書いておきたい。

 ネットで出回っている通り、厳密な定義で分類すると十種類を超えるタイプが定義されているが、欧米で一般人が日常生活の会話で使うのは「ヴェジタリアン」と「ヴィーガン」の二種類の区別だけである。そしてヴェジタリアンとヴィーガンの違いは動物製品の使用の可否である。
 日本でヴィーガンというと完全菜食主義(ダイエタリー・ヴィーガニズム)が主流であるが、欧米人と会話をする場合は「ヴェジタリアン」と表現することを強く御勧めする。確かに厳格な定義では〇〇ヴィーガンなのだが、まず間違いなく誤解を生むからである。

 ちなみに、日本ヴェジタリアン協会もヴィーガンを以下のように定義している

ビーガンは動物に苦みを与えることへの嫌悪から、動物の肉(鳥肉・魚肉・その他の魚介類)と卵・乳製品を食べず、また動物製品(皮製品・シルク・ウール・羊毛油・ゼラチンなど)を身につけたりしない人たち

 私は欧州在住ということもあり、知人にヴェジタリアンは何人かいるが、背景となっている動機はさまざまである。動物性の脂が嫌いという食の好みに基づく人もいれば、動物が可愛そうという倫理に基づく人や、宗教的な道義に基づく人もいる。ちなみに、ハラル肉しか食べないイスラム教徒の場合、日本や英国のようにハラルが入手困難な環境ではヴェジタリアンを名乗る場合もある。そして食べるもの/食べないものの範囲もさまざまである。倫理・宗教に基づく場合は本人の意思と無関係に範囲が決まってくるが、食の好みに基づく場合は魚は大丈夫だったり卵やチーズが大丈夫だったりする。

 私の周りにヴェジタリアンの知人は何人もいるが、ヴィーガンの知人はひとりもいない。それは「周りに動物好きの知人はいるが、グリーンピースメンバーの知人はひとりもいない」と言っているのと同じで、レベルに極端な差があるためである。
 ヴィーガン(※エチカル・ヴィーガニズム)は動物由来の製品全般を否定するため、食肉だけでなく毛皮・皮革・ウール・シルク・フェザーなどの動物から採取される物質でできた製品全般が否定される。こう言うと簡単そうに聞こえるかもしれないが、とんでもない。私がケンブリッジで英語の先生から聞いた話では、デジタルカメラが普及した際にヴィーガンは好意的に受け容れたという。というのも、写真フィルムに動物由来の材料が使われていたからだというのである(※伝聞なので真偽は不明)。医薬品のカプセルなどもゼラチンを用いているから当然避けられるものである。

 このレベルになると、個人の趣向の範疇というよりは信仰に近く、実際、英国ではヴィーガニズムを信仰と認めるか法案が審議されている。私の知人のヴェジタリアンたちが「自分はヴェジタリアンである(ヴィーガンではない)」と名乗っているのもこの明確な差異によるということは容易に理解できる。私にはヴィーガンの友人はいないが、彼らと価値観を共有できないことも原因のひとつであろう。
 Wikipediaのヴィーガニズムの歴史の項を見てもヴェジタリアンと同一視・混同されつつも区別しようという動きが読み取れるが、完全菜食主義(ダイエタリー・ヴィーガニズム)はどこまで行ってもヴェジタリアンの延長に過ぎず、わざわざ名称を区別する必要性が無い。エチカル・ヴィーガニズムがあるからヴェジタリアンとヴィーガンに区別が必要なのである。英国や米国でヴェジタリアン協会とヴィーガン協会が別々に存在する理由も容易に理解できよう。

 日本でヴィーガンというと、なぜか完全菜食主義者が主流のためどうも論点がずれる。
 先日、渋谷でヴィーガンを名乗るアニマルライツセンターがデモを行った際に、これを嫌悪して「ヴィーガンと動物愛護は違う」という主張がネットで散見されたが、欧米で一般的にはこの主張は誤りである。上述の通り欧米で一般的にはヴェジタリアニズムと区別するヴィーガニズムとはエチカル・ヴィーガニズムのことで、動物愛護が原点にあるからである。

# ちなみに筆者はヴェジタリアンでもなければ、過剰な動物愛護も理解できないのでヴィーガンの主張は理解できない

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