「オレは…アンタを…酔狂な人だと思ってた」
「でも…今ならオレにもわかる
強盗でも死神でも
独りになるくらいなら側にいてほしい…って」
――『雪女と蟹を食う』
本作を読んでいて脳裏をよぎったのは映画『Leaving Las Vegas』だった。もう20年ほども昔に一度観たきりなのでうろ覚えだがテーマや画面は強烈に印象に残っている。本作中には幾度となく宮沢賢治『銀河鉄道の夜』からの引用が登場するが私見では『Leaving~』の方が近いように思われる。
逝ける男を介抱する女というモチーフは『ピエタ』まで辿れば500年以上の歴史があるわけだが、そんな中で 本作と『Leaving~』とで共通するのは人生に絶望した男を介抱するのが行き摺りの女という点だろう。ピエタの場合はただでさえ神格化されている聖母マリアが介抱しているわけだが、本作でも『Leaving~』でも聖母からはほど遠い、よく知らない女が介抱している点が共通している。余談だが映画を観ている短い間だけとはいえ『Leaving~』でヒロインを演じたElizabeth Sueがまるで女神のように思えたのも無関係ではないように思われる。
「惹かれ合った男女が一緒にいることにした」といえば甘美で明るい未来を予感させるが、本作に限って言えば冒頭から既に主人公は自死を決めているので、作中で描かれる旅や食や景色の楽しみも、儚く歪んだロマンスも、すべては終着点に向かう演出に過ぎないのである。物語の結末が決まっているというのはエンターテインメントとして欠陥があるようにも思えるが、その分、途中経過の心理描写に集中できる構成ともいえる。
もっとも、矛盾するようだが、途中経過を追っていて思うのは「本当にその結末=心中まで辿り着くのだろうか?」と不安に感じてしまうのも事実である。『Leaving~』の場合は酷い自暴自棄ぶりでリアリティーがあったが、本作のそれは本気度が感じられないからである。
私事で恐縮だが、私は十代の頃から自殺願望があり実行手段も把握しているが、そんな私からすると作中の心中計画(というか、そもそも具体的な計画が無い)は不確実だと思う。もし、本気で計画するならば越えるべき後戻りできない一線(The Point of No Return)を認識する必要があると思うのだ。喩えるならリストカットでは致命傷が曖昧かつ手段≒自傷が実行不可能に近いが、服毒であればLC50(50%致死量)以上を摂取することで一線を越えられる。
ところが本作の場合、予算と期日を決めて残りの人生を楽しむというのは良いアイデアだが、それが魅力的な異性と15日間旅行というのは未練を生みやすく計画の不確実性につながるように思う。例えば(作中で本人は否定しているとはいえ)主人公の女=彩女は裕福なので心中旅行の道中で気が変わっても自宅に帰ればやり直すことができてしまう。
そう考えると、第話34~49話の実に15話にも渡って展開される、主人公の男=北が旅先で知り合った女と親交を深めつつも振り切って心中旅行を継続するエピソードは、もしかすると未練を断ち切る様子が具体的に描かれたものだったのかもしれない。しかし、個人的にはたった数日間の友人の引き留め程度では未練とも言い難く致命的でもなく蛇足な感が否めなかった。
こういった不確実性は、主人公二人が無意識に残してしまったものなのか、作者による伏線なのかは分からないが、読者としては嫌な予感しかしない。
ところで、作者が意図したかどうかは分からないが、私には宗教との繋がりを感じてしまう。
そもそも「死の前のX日間」というのは復活祭前に演奏される受難曲で見られるほか、キリスト教圏の作品で見られるモチーフだと思う。と言っても特定の宗教への信仰が見られるという意味ではなく、本作の場合は、むしろ逆に宗教的な体裁を取るからこそ信仰の無さが際立っているのだ。これはゲーテ『ファウスト』でいう「なるほど福音の詞は聞える。しかし私には信仰がない」という状況に似ている。宗教的モチーフが出てきて、それにも関わらず一瞥もくれずに通り過ぎるからこそ信仰の無さが際立つわけである。
私には地獄から天国への救済であれ死から生への復活であれ信仰≒救済ということのように思われるが、信仰が無いということは救済を求めていないということのように思われる。キリスト教で神による救済のことを英語ではsalvationというが、salvageは沈没した船などを引き揚げるような場合に使われる言葉で、私には何か規格外の力が混沌とした深い底から明るい場所へ引き揚げてくれる印象を受ける(英語ネイティブはどう感じるのか分からないが)。ところが、本作でも『Leaving~』でも主人公が神に救済を求める様子は描かれていない。作中には十字架や教会といった宗教的モチーフも登場したかもしれないが、信仰を失った主人公にとっては救いの無いものなのだろう。
現時点で作中では16日間の旅行の概ね2/3が過ぎたところのはずで、今後の展開にもよるが20~25話前後で完結するものと思われる(途中までは概ね25話あたり5日間前後)。
今後の展開が楽しみであるが、一方で私にはまったく主人公に共感することができないでいる。これは太宰治が妻ですらない女と心中自殺したと知った時と同じぐらいリアリティーに欠け、同じ世界の出来事とは思えないからかもしれない。
これは、思うに作者は純文学作品を漫画で書こうとしているのではないか。上述した通り主人公は自死を決めているのだから結末は第1話から既に決まっており、物語はその道中の具体的なエピソードを土台にした心理描写がメインのはずで、途中、読者からすれば「なぜそうなる?」疑問に思う部分もあるが、純文学なのだと考えれば納得できる。だからこそ、個人的には物語にスパイスを加える葛藤はともかく結末の部分はブレさせてほしくないと思う。一線を越えるか越えないか読者をヤキモキさせるのは進行上必要不可欠とはいえ、これで最終盤で「心が折れちゃったんでやめます(・ω≦) テヘペロ」とされてしまうと色々と台無しでシラけてしまう。
あと残り20~25話前後だと思われるが、作者には最後まで駆け抜けて頂きたいものである。