ROSALIND凸ヤマ翁の『Wスタな日々』

みちのくの御長寿旅バンド・ロザリンドの随想録。

WISHBONE ASHの巻

2009-08-29 22:59:00 | 70年代HARD ROCK奇譚

WISHBONE ASH
来たッスよ、真弓ちゃん(>_<)!


2年ぶりの九州ツアーも目前で、
ブログ書いてる暇もあらばこそ
連日の“スタジオロザリ”
モードな訳だが、ようやく2曲バックトラックが仕上がって
ここらで少しProToolsから離れないと死ヌ( ゚Д゚)!
とオモテ、筆を採りましたのよ(^_^;)


たぶんそれは、昭和50年の早春。

別に普通に地元の公立高校に行けば良いものを

6つ違いの兄が入った大学が、兄の入学翌年から
受験科目に数学を増設、

( ゚Д゚)それぢゃ小生は兄貴の大学には
入れないってコト??
と焦った結果、
(数学を勉強すりゃイイんぢゃね?とも思うが
 中学生の時点で既に小生にその選択肢は無かったw)
画期的プランBとして
エスカレーター式にその大学に入学可能な
超難関付属高校を受験するコトに決めた凸ヤマは、意外に
嬉々として田舎町で受験勉強に勤しんで居りましたとさw
(そもなんで兄と同じ大学に行かねばならんのか、
 って根拠も甚だ曖昧だった)

まあ、結果は惨敗だったワケだがw
別に最初からバクチだったので
幸いそれで自尊心が傷つく
コトも無く。挫折感も無く。
(・・・だから駄目なのか、小生という人間?w)

まあ、その経験から、ひいては娘に仇を討ってもらう
顛末となって・・・
それはそれで色々とまた(^_^;)イイだか悪ィだかww

んで、恒例長い長い前フリだったワケだが。

実はこの高校受験に向けて
既に中学校でカーマイン・アピシー風(自分はそのつもりw)
ドラムを叩きまくって居た小生は
ナゼかその時点で
『東京(正確には神奈川w)の高校に
 受かったらベーシストに転向する!』

と決めて居たのだったw

なにせ大学受験の予行演習とか記念受験的な
色彩が濃かったので
周囲の誰も・・・本人すら真剣に受かるとは思っておらず、
『…(-_-;)父よ、貴方は小生が高校受かったら
 GibsonのサンダーバードBassとマーシャルの
 ベース・アンプ買ってくれるか?』
『( ゜∀゜)アハハハハ八八ノヽ買ってやる買ってやる!』
『…(-_-;)グレコのモデルぢゃないぞ、ホンモノだぞ?』
『( ゜∀゜)アハハハハ八八ノヽ、ナンボでも買ってやる!

受かったらなw』

今より随分と輸入楽器の高い頃で、当時で40万ぐらいしてた
ハズ。それを父が確約してくれる位、受かりそうに無かったワケだがw
(今にして思えば、もし受かってたら金がかかってかかって、
 絶対楽器どころでは無かったハズだ、とオトナになってから
 実感するハメに陥った凸ヤマだった(T_T))

閑話休題、クシ君がサンダーバード・ベース
売りたがってますが
誰か買わない?…(-_-;)特殊な楽器だからなあ・・・

んで、小生がサンダーバード・ベースとマーシャル・アンプで
ベーシストを目指そうと思い立った原因がこのアルバム
WISHBONE ASH
 『THERE'S The RUB』

彼等の通算5枚目に当たる本作は
ナッカさんもその名前の
発音に着目するBILL SZYMCZYKをプロデューサーに
迎えた
初の米国市場対策アルバムにして大傑作。
んでもって邦題は『永遠の不安』w

おそらく『ツイン・リード』のアンサンブルを
“売り物”として前面に押し出した世界初のバンドだった
彼らはしかし、その一翼を担ったオリジナル・メンバーの
テッド・ターナーが脱退し、
ローリー・ワイズフィールド
加入しての初アルバムとなるのが本作だ。

元来、『イギリスのベンチャーズ』等と
陰口を叩かれた程にギター・アンサンブル主体で
Vocalの陰が薄かった彼等な訳だが、
米国進出の野望と初の米国録音と云った刺激が
効奏し、実に楽曲力が充実した作品となって居る。

WISHBONE ASH加入前はカントリーを演る
BANDに居たと云うローリーが奏でる
バンジョーに導かれて始まるオープニング
『SILVER SHOES』
続く『Don't Come Back』での
マーティン・ターナー
のベースの主張っぷりは、怪異ですらある。
取り立ててテクニシャンって訳でもない彼だが、
その音の存在感が凄い。
ゴリゴリに歪んでる上にTONEもやたらキツい。
ボトムを支える、と言うには余りに硬質な音。
“YESのクリス・スクワィアが音像の
 混んでないバンドで弾いてる状態”

とでも言えば伝わり易いだろうか?

ブリティッシュ・ロッカーとはとても信じられない程
固苦しいリズムの持ち主のイマイチなドラマー、
スティーヴ・アプトン
のドラミングでありながらも『Don't Come Back』
がハードロックの名曲として成立したのは
ほとんど奇跡に近く、
マーティンのBassの存在感が
在ればこそだった。

60~70年代ROCKは概ねそうなのだが、
絶対にギターよりベース
のほうが歪んで居る

のがデフォだ。
それがハードロック~ヘヴィ・メタル
~スラッシュやデス、ドゥーム
と進むにつれてどんどんベースが聞こえなくなり、
ギターがジャリジャリに歪み始めると云った
誤謬が、
果たして
どの時点で発生し、誤った形で伝播し始めたのか
研究してみるのも一興かもw

楽器やBANDを志した当初から作曲やアレンジに
明確な色気を見せて居た“ませガキ”凸ヤマは、
ドラマーの派手さや
ワクワク感にも魅力を感じて居たものの、
当時の機材環境や周囲のメンバーとの
兼ね合いで
“ドラマーとして楽曲に携わる”不便を感じ
(第一、練習中に『ソコはさァ・・・』と
 ギターやベースのメンバーに説明する為に
 ドラム・セットから立ち上がって行くのが
 超メンドクサイw)
このマーティン・ターナーの
“そんなに難しくないのにやたらと目立つ”
Bassに魅せられ、
当時ベーシスト転向を思い立ったのだった。
(だが、名門私学受験失敗と共にナゼか
 ベーシスト転向も3年遅れる結果となったのが
 ・・・オモシロスw別に釜石で公立高校入学時
 にスグ転向しても・・・良くね?ナゼ
 “東京行ったら”に固執したのかは謎w)

また前フリに戻っちゃうのが心苦しい
(…(-_-;)ホントに思ってるか?)
のだが・・・当時、
受験で神奈川行った際、宿泊は兄の入っていた
学生ハイムだった。

そこは真上から見ると
三ツ矢サイダーのマーク型な8階建て
ビルが二棟並んで在り、
屋上同士が細い鉄製の橋で繋がれて居た。

その屋上からは遠く富士山が見え、
一方には未だ知らぬ大都会が霞んで見え、
間近に明日の受験会場の校舎が迫って見えた。

2月の受験期だったので神奈川とは言え
雪がチラつく中
ダッフル・コートのポケットのカセット・
ウォークマン
(小生のはステレオ録音機能付き、なw
 再生専用機ぢゃ無かったのが誇りw)で
この『THERE'S The RUB』JethroTullを聴いていた
あの時間、確かに未だ観ぬ未来と
可能性と漠たる不安にもみくちゃにされてる
小生が居て

生涯忘れ得ぬ瞬間となった。
未だに『SILVER SHOES』
イントロを聴くと、いつ何時でも
あの日、あの屋上の橋の上に戻れる
凸ヤマであります。

何やら今回
『70年代HARD ROCK奇談』なのか
『Wスタな日々』なのか
ボーダーが曖昧な内容だケド・・・
( ゚Д゚)イイんだ!オレの
ブログだw


結局、神奈川出奔の夢は適わず
ふつーに釜石の公立高校1年生
となった小生は
・・・ナゼか前述の通り、未だ
ドラマーを続けて居り、先輩に雇われた格好の
ヘヴィ・ブルース?BANDで参加したバンド・
コンテストにより、県都・盛岡で岩手県大会を
戦って居た。
場所は現住所のメッチャ近所、
岩手県民会館であるw
(その際のゲストが、当時沖縄が誇る『紫』
 で、チビこと宮永さんの見事な
 ドラミングには舌を巻いた)
その際、主催地・盛岡の地元高校生BANDが
拙いながらも
WISHBONE ASH『Don't Come Back』
を演って居り、小生の果たせなかった着眼を
実践する彼等に
『( ゚Д゚)やっぱし都会モンは凄ェぜ!』
と感心したのを覚えて居る。
((^_^;)当時、釜石から観たら盛岡ですら
 県庁所在地で大都会だったのなw)

75年ぐらいだったと思うが、上記の体験から
かなり経て後、このアルバムのメンバーでの
WISHBONE ASH実物の来日公演を観た。
非常に良く纏まって居るが、いづれアリーナ、
ホール級のBANDと云うより
クラブ、ライブハウス向きのコンパクトさだなあ、
と感じた印象在り。

ブリティッシュ勢の中に在って、
WISHBONE ASH
は音楽性も完全にオリジナルで在るし、
知名度も支持も高く、現に彼等のアルバムも
未だに容易に入手可能なメジャーなものなのだが、
当時からいかんせん
良くも悪くも“ローカル・バンド”っぽさが
漂って居た。『絶対ロンドンぢゃねえだろ?』
的な牧歌感と言うかノンビリおっとりした雰囲気が、
どの時期にも・・・アメリカ主体活動期ですら、
付いて回ったBANDで在った気がする。

日本公演で観た彼等も、スターとかカリスマ
と云った雰囲気とは無縁の、ロックンローラー臭が
全く感じられない
イギリス片田舎の気のいい青年団、的風情。

だがこの素朴な青年達は、この遥か以前、
3作目の時点で
『Argus』 

と云うダントツぶっち切り、
おそらく古今東西の
『ROCK名盤百選』から
漏れるコトは金輪際在るまい、

とすら断言出来る超傑作を遺して居る。
(邦題は『百眼の巨人アーガス』なw)



凸ヤマなればこそ個人的感慨も含めて
『THERE'S The RUB』
をTOPに取り上げただけであって、
実際世評でもWISHBONE ASH
と聞いてこのアルバムを揚げない人は
余程のへそ曲がりか変人であろうw

百人が聴いて百人が『名作』と感じるモノなんざ
小生に言わせればロクなもんでは無いハズなのだが、
この『Argus』に限っては、
そうとばかりも言ってらんない雰囲気に
満ちて居る。
一体何ほどの集中とタイミング、
幾つの偶然と天啓に導かれたら
これ程の傑作がモノに出来るのだろう?

程度の違いこそあれ、画家さんとかと違って
BANDは数人の共同作業である。たとえ
天の啓示が独りに降って来たとて、
それが全員のテンションを左右する
には、もう一段ハードルが在る。
ましてやWISHBONE ASH
は独裁的なリーダー・シップの存在を
感じ辛いBANDなだけに、一体このアルバム製作時期に
彼等4人に何が起こったのか、非常に興味深い。

無論、メンバー同士の相互作用とか化学変化
と云った潜在力も見逃せないが、
彼等がBeatlesほどに、その手の
TPOに恵まれたとも思えない。


このアルバムの一番恐ろしい所は、
『これで売れてやろう』とか
『話題になってやろう』
と云った作意や気負いが
全く伝わって来ない点に在る。

作風的には、彼等のデビュー作~2作目
からの正常進化系でしか無く、

無理矢理権威付けをすれば
マイケル・シェンカーがこの人のplayに
あこがれてフライング・Vを持ったとする
説もある名手
アンディ・パウエル
が見事にブリティッシュ・リードの教本的
名人振りを発揮し、独特の引っ掛かりと
ハネたフレージングは
確かにシェンカー氏に影響を与えてる。
(スキャットが印象的スギル名曲
 『Time Was』
 のソロとかに顕著。)
さりとて、神懸り的ギター・ヒーローと
云う訳でもナシ、
当時の相棒テッド・ターナー
圧倒的個性主張が無いし、
二人してやけにクリーンな音で
スカスカとツインのハモリや
アコースティックな響きを
リヴァーヴの霞の彼方で奏でるばかり。

この頃から既に歪んで硬質な
マーティンのBassも、
前述の通りベーシスト10傑に入る程の
テクニックで無し、
スティーブ・アプトンのDrumは
結構残念な感じだし・・・(^_^;)
いわんや、マーティンを中心に
皆で分け合うVocalパートに至っては
『イギリスのベンチャーズ』なのだから・・・

そんな4人には、
かつてFREEに見られた様な
どんな奇跡的偶然で
その4人だったのだ( ゚Д゚)??ってな

組合わせの妙、天の配材マジックも感じられない。
・・・だのに
『Argus』
はROCK史上に燦然と輝く
金字塔なのだった(>_<)b

単に音楽を愛した素朴な若者達が
淡々と自分達の音楽を追求した結果が、
こうした奇跡的結実を
見せる場合も在るのだ・・・

いあ、そんな奇跡が起こり得る時代だったのだ、と
言うべきか?


『ローカル・バンド色』『牧歌的』『素朴』
ってファクターが、
このアルバムに限っては中世風のイメージとも相俟って
相乗効果を産んだ、ってのも在ったのかなァ・・・?


当時、釜石の電波状況では深夜にしか
中央のラジオ放送が
受信出来ず、夜中にラジオを縦に斜めに傾けて
微かに聞こえる
『ラジオ関東』は貴重な情報源。
((^_^;)何せ40年も前の記憶で
 曖昧極まりないが、 
 大貫さんだか渋谷さんがやって居られた
 『BBCライヴfromロンドン』
 だか言う枠が特に圧倒的で
 ThinLizzy
 BLODWYN PIG
 あまつさえ、アラン・ホールズワース
 とオリー・ハルソル
 ツイン・ギター体制時のネ申TEMPEST
 に至るまでをその放送で耳にし、布団の中の小生は
 鳥肌が止まらなかったw)
その頃この『Argus』
販促CMが流れ『Warrior』のサビ
が使われて居たのだが、実際聴くとテレっとした
クリーン・サウンドなのに、そのラジオから聞こえた
時のこの曲は史上空前のハードロック・サウンドに
聞こえた不思議が、今でも強く印象に残ってマスw

凸ヤマが取り上げたにしては珍しく、
安全確実に皆様にお勧め出来る
名アルバム。
マスター・ピースかつエバー・グリーンで
ございましてよ?w

トコロが・・・だ(-_-;)

3枚目にして歴史的名作
『Argus』、
米国進出を果たした5枚目
『THERE'S The RUB』
・・・の狭間に・・・在るのよ、
問題作

絶望的欠落、空白の黒歴史、
凸ヤマ史上最強の『駄作の愛聴盤』
『WISHBONE FOUR』がw

どうすれば『Argus』
次作でこんなに緩んでしまうのか?
この完璧にネジが一本抜けてしまった
脱力感は何処から来たのだろう?
そのふぬけさ加減が当時は全く信じられず、
『認めたくない、そんなハズは無い!(>_<)』って
気持ちから、何度も何度も針を落としたこのアルバム。
(前にも書いたケド、LPレコード買うのは当時
 大変な投資だったので、原則入念なリサーチと逡巡を
 繰り返した結果でしか、アルバムは買えなかった。
 だが『Argus』の続作で
 在るこの『WISHBONE FOUR』
 限っては、ハズレであろうはずが無い、
 と云う全幅の信頼の下、一切躊躇無く購入したケース
 であった為、そのショックも甚大w)
更にはその後、小生にベーシスト転向を
決意させた程の『THERE'S The RUB』
に接し、
『その前段階に在るこのアルバムが
 悪かろう訳が無い(>_<)!』と
またまた確かめまくった、って経緯まで
オマケに付く運びとなるw

余りに聴き込み過ぎて、実はこのアルバムに
正常な判断が下せない程
全曲大好きになってしまった小生が居る訳だが。

これだけの年数を経て、こうして駄文を
こねくり回して振り返れば、『WISHBONE FOUR』
では彼等の持ち味であり、一面として
確実に在った
『ローカル・バンド色』『牧歌的』『素朴』
が前面に浮かび上がった
だけのコトで、楽曲自体は確かに
WISHBONE ASH
そのものでしか無く、『Argus』
の突然の大成功から一夜明けた虚脱感は
在ったにもせよ、
格別に当時幼少の凸ヤマが感じた程の
テンションの下落や変貌が発生して居た訳でも
無く、当人達は意外と淡々とマイペースを
貫いて居ただけなのかも知れないなァ、と
受け止められる程、

大人になった自分を感じた秋の夜長のツアー前w

(^_^;)いやあ、ホンットこのアルバムだけは
もはやイイだか悪ィだか皆目ワカランw
・・・大好きだケドw

他のWISHBONE ASH作品
としましては、
ナント、
この時期ギャラさえ弾めば何でも演った(爆
ジョン・ウエットン
迎えて、あろう事か
WISHBONE ASH
RARE EARTH
『GET READY』のカバーを
大真面目にブチかます、と云う
なかなか噴飯モノの無茶振りを
こなしたアルバム
『Number the Brave』
もナカナカの出来映えで、
アンディローリー
“歪まないクリーン・トーンで
HARD ROCKやっちゃうもんね”

方法論もかなり堂に入って参ります。


コメント (9)
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