釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

雑談:或る猫の思い出

2012-11-15 09:34:21 | その他の雑談

上の写真は、ありし日のトッチャンの写真である。(アナログ写真をデジカメで撮りなおしたので少しぼやけている)

私がトッチャンと初めて出会ったのは、もう10年以上前になる。

私が、いつもの犬( この犬も今や亡くなっていないが )との散歩道-そこは、あまり人気の無い曲がった小道だったが、そこを通りかかったとき道ぎわの草むらから、なき声が聞こえた。犬が気付かなかったなら分からなかったほど、かすかな声だった。

近づいて、よく見ると子猫が草むらの中にいた。抱き上げてみると、なんと両後足が全く萎えていた。しかし幸いにも両前足は異常はないようだった。

生後数ヶ月程と思われる大きさだったので、事故か何かで両後足が動かなくなってしまったらしい・・・しかし事故直後にしては、それらしい傷は両後足にはなかったし、又その人気のない小道の草むらまで独力で歩いてこられるはずもないし・・・・・・。

飼い主に捨てられてたのかどうか・・・そこらの事情は分からなかったが、そのまま見捨てていくわけにはいかず、家内を携帯電話で呼び出し家に連れて帰った。

その頃は私は大変な時期だった。
近くに住んでいた父は脳梗塞で倒れ右半身は完全麻痺。言語能力も完全失墜。そして入院。父と同居していた母は、比較的軽度ではあるけれども自活は不能なアルツハイイマー病の状態。

そのため、その頃は私は、昼飯のみは自宅で済ますことにし、その他の時間は母宅の二階で過ごすことになった。自宅と母宅との距離は自転車で数分程だったので、自宅と母宅との通いには別に問題はなかった。夕方には家内が夕飯を母宅に持参し、そこで食事し、家内は自宅に帰る。その繰り返しの日々ーーー。

そのような両親の介護状態時でのトッチャンとの出会いだった。
ともかく、トッチャンを近くの動物病院で診てもらった。両後足の不自由な猫は、前足でイザッて歩くため、尻を擦るためか腎臓系統が病んで長くは生きられないとのことだった。しかし、ともあれ、尻に塗る薬をもらって母宅に連れて帰った。

それから母宅でのトッチャンと私との生活が始まった。下の写真でトッチャンが『着ている』赤色の布きれは、実は『おむつ』なのだ。尻にティッシュ・ペーパーを当てて『おむつ』を、はかせて家の中を自由に遊ばせていた。

尿等で『おむつ』は直ぐ汚れてしまうため、家内の手製の数枚の『おむつ』を用意して、それを順次はかせていた。

その汚れた『おむつ』はトッチャン専用の、庭の小さな物干しで乾かしていたのだが、通行人がその奇妙な布切れを見たら、さぞかし不思議に思ったことだろう。それを思いだすと今でも一人笑えてくる。

前輪駆動で動き回るトッチャンは、両足の不自由さにも関わらず実に闊達だった。チョコチョコと動き回る、その速さときたら流石に猫だなと思ったものだ。二階への階段は、上がるのは、やはり無理だったが、降りるときはコロゲ落ちるようにして自力で降りていったものだった。

そして、父が亡くなった年の初夏の或る日。
トッチャンとの生活が始まってから三年目を過ぎた或る日。

私が自宅で昼飯を済まし、母宅に戻ってみるとトッチャンの様子が変だった。
朝は何も常と変わらず元気だったが・・・・・・。
思いも因らない全くの急変で私は驚き、トッチャンと声をかけるとニャッと小さな声を出したと思った瞬間、トッチャンの頭がガクと垂れ、それきりの最期だった。

何か小説や映画のようなアッと言う間もない幕切れだった。
やはり腎臓系統の疾病が徐々に進行していたのだろう。

その後、その小さな体を、私は庭に埋めてやった。
***
今迄、私は何匹かの猫との出会いと別れがあった。しかし、このトッチャンとの出会いと別れは、私にとって、いろいろな意味で忘れることのできないのものとなっている。

PS: この子猫は、いわゆる体の模様がトラ猫に似ているということで家内がトッチャンと名づけたのだった。

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