碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

めくら千人めあき千人

2012-04-14 18:58:56 | 日記風雑感
モノを見る目というのは、千差万別で、人によって違うのは当たり前なんですけど、いちおう共通の認識というか、世間の評価というものがある。特に骨董品などの評価は、時間的空間的評価に晒されてきたものですから、評価の基準をそこに置くようなことになる。しかし、それが正当なものであるとは限らない。全く別のコードで見なければならないことがある。事実は即真実であるとは限らないのだ。冒頭の画像を見ていただきたい。これは何かというと、花台なんです自分としては、しかし本来つまり世間の評価は古い糸巻きです。それは事実なんですけど、真実ではない。糸巻きであり花台あるのが真実だと自分は思っているわけです。しかし、使い方によってはいろいろ考えることができますが、コードとしては一つなんです、つまりモノの使用価値を云々しているのですから。ところが、別のコードでみると、とんでもないことになるのです。それは、記号としてのコードで見ていた人がいたのです。そのコードで見るとどうなるか、驚くなかれ、これは十字架だったんですね。昔、隠れキリシタンが亡くなったときに、遺体に十字架をかけることはできなかったので、変わりに、遺体の胸にこれを載せたんだそうです。彼らにとっては、糸巻きは神聖なる十字架の記号だったわけです。彼らにとっては事実は糸巻きですが真実は十字架なんです。弾圧されたキリシタンが歴史の裏で生き続けるための秘密の記号だったんですね。知りませんでした。これはダヴィンチコードの世界ですね。当時のキリシタンの実態というのは歴史の裏に隠されてしまって、今ではよくわからないのですが、武士階級にもかなりの信者がいたらしい。加賀藩主の前田利家もキリスト教に傾倒していて、クリスチャンネームをオーギュスチンといい、高山右近はユストという名をもっていた。利家の四女豪姫はマリアというように、前田家のキリスト教にたいするシンパシーは深いものがあったらしい。金沢のカトリック教会に高山右近の像がありますが、彼が昔、広坂あたりに屋敷を与えられていたという話も聞いたことがある。その後秀吉のバテレン禁止令により、表立っての信仰はできなくなって、いわゆる隠れキリシタンとなっていくのですが、その時代に加賀の前田家三代利常による古九谷窯が築かれるのです。このあとの話は『古九谷の神秘』久藤豊治著に詳しく載っておりますが、古九谷の謎の一つの手がかりとして、キリシタンの影響を推測できるというのです。つまりあの独特のちょっと日本離れしたデザインは、秘密のキリシタンコードによってつくられているというのです。石川県立美術館に所蔵されている古九谷の作品を参考にしますと例えば、色絵鶴かるた文古九谷写平鉢(松本佐平作)ですが、長寿の象徴である鶴と王の王(キリスト)を象徴するスペードを十字に配しその中に9個のハートを内包している。これは愛の贖いによる永遠の生命を象徴するそうです。それから青手桜花散文平鉢は地紋に聖母マリアの標章であるデージー(ひなぎく)を配し同じく聖母に関連付けされる桜花を復活や女神を象徴する数にちなみ8個散らす。緑や紺青も純潔をしめす聖母のマントに由来するそうです。また色絵布袋図平鉢は王権を象徴する杖を持つ布袋は「一粒の麦」を暗示する稗とともに描かれていることから、豊かな恵みをもたらす贖い主キリストを象徴するという。それに青手樹木図平鉢は90度右に回転し樹木の絵柄を塗りつぶしてみると、黄色の地紋が欧州の地図の形状とよく似ている。逆さまにして黄色い地模様を塗りつぶしてみると樹木が葡萄の房のように見える。そして、青手葡萄図平鉢はまさに「私は葡萄の木であり、あなたがたはその枝である」との聖書の記述に基づき、葡萄はキリスト自身であり永遠の生命を象徴する。(以上『古九谷の神秘』より)私見ながら付け加えればこの図のモチーフは3枚の葡萄の葉です。葡萄の3枚の葉は相似形であり、これは三位一体(父=神と子=キリストと聖霊)を表すのではないでしょうか、実が小さく不自然なのは、葉を強調するためだろう。ことほどさように、まだまだ他の作品にも隠し絵が潜んでいるわけですが、ワシはクリスチャンではないので、詳しくはわかりません。だれかクリスチャンの方で、別の解釈があれば隠し絵か否かを含めて教えていただければ幸いです。そんなわけで、犬も歩けば棒に当たると申しますか、たまたま、散歩に出たばかりに、たまたま遠くまで足を延ばしたばかりに、たまたま骨董市を覗いたばかりに、たまたま、糸車を買ったばかりに、そしてたまたま図書館で『古九谷の神秘』を手にとったばかりに、キリスト教の網にいや恩寵に?引っ掛けられたわけです。これは神の啓示として受け止めておくべきか。それとも、悪魔のいたずらか、キリストの血である葡萄酒をのみながら考えます。
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