碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

宮崎勤は

2006-01-17 22:54:34 | 日記風雑感
少女の連続殺人犯の宮崎勤にとって、
現実とは何か、そもそも、現実
と虚構の区別があるのかどうかさえ
解らないような認識しかもっていない
ような気がするのですが、観念的な
認識は人間はだれでも持っているし
それこそ人間の本質的なものである
のですが、つまり主観ですが、
それが肥大すると、世界は主観で
染め上げられてしまう。
是は、宮崎勤という個人の領域を越えて人間全体の問題として
存在すると思うのです。養老猛氏のいう『バカの壁』のなかに
閉じこもっている人間のことがイメージされるのですが、
宗教的原理主義者を持ち出すことも無くらい、あなたも
私も充分に宮崎勤なのです。彼と私の違いは、わずかです。
たまたま彼は彼の無意識が殺人をなんとも思わないほど
荒れていたのです。なぜ荒れていたのかを説明できれば
彼は恐らく、殺人はしなかったと思いますが、
精神鑑定をしたのであれば、その内容を明らかにすること
が、重要だとおもいますが、裁判所は法律論で死刑にする
ことで、それを隠蔽するのは、許されないのではないか
と考えるのです。げすな言い方ですが親の顔を見てみたいのです。
つまり、親子関係がどのようになっていたのかを、また
宮崎勤の幼時からの生活が、どのようなものであったか
明らかにしてもらうことが、よほど、重要なことでは
ないかと思います。親は責任を少しでも感じていれば
そこのところを、あきらかにする義務があると考えます。
子供の被害がふえてきている昨今です。いろいろな研究者
がいるはずなので、総力あげて解明していただきたいものです。



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