碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

スポーツは政治そのもの

2008-01-30 17:23:13 | 日記風雑感
ハンドボールのジャッジの不公平に端を発した
やり直し試合に、アジア連盟から除名と
東京オリンピックへの反対をちらつかせての脅しをかけてくる
アラブ人のものの考え方が理解できない人が多いのではないでしょうか
素朴にスポーツは政治や宗教や人種を超えたところにあるという人は
今回のことに、いきどうりを感じているかもしれませんが、それは
まったく正しいのです。しかし、現実は、スポーツこそ政治のひとつの
表現になっていることに無関心でいるわけにはいきません。
戦争をするよりはいいのですが、勝つためには、何でもやるのが愛国心?
になっている国では当たり前のことなのだと思います。
ルールを変えたり、審判を買収するのはいくらでもあることなのです。
比較的クリーンな日本でもそんなことはやっています。
サッカーの試合を見れば分ります。
あのドーハの悲劇と言われた試合は、日本が勝つようになっていたのです。
当時アメリカはイランを勝たせたくなかった。審判はアメリカ人であり
日本に有利な判定は、選手たちの前提になっていた、日本に甘い判定
を見越した作戦戦術をとれた。しかし後半ロスタイムのゴールだけは
どうにもならなかったのだ。それゆえ二度とないチャンスを失った
ショックはドーハの悲劇になったのです。野球のワールドカップでも
アメリカの審判は平気でホームタウンデシジョンをやってます。
スポーツの世界ではいまさらいうまでもないことなのです。
だがしかし、誰にも公平なルールがあってこそゲームは成り立つのですから
それが、民主主義の大前提であるのですから、この問題に対しては
ど素人の判断こそが正しいのだ。全ての不正にたいしてNOということ
こそスポーツをする意味だと思うのですが、
石原慎太郎東京都知事は喧嘩を売られたのだ、
すかさずビッシと反論するぐらいのセンスがないと、国際的な競争には
勝てませんわ。


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