碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

表現の問題

2019-07-27 13:30:35 | 日記風雑感

長らくブログを更新できずにいましたが、今日は朝から雨がしとしと降って、チェンマイらしくない天気です。こんな日はどこにも出かけず家でまったりするいい機会ですので、ようやくブログを書ける気になっています。雨安居(パンサー)気分でおります。  

安居とは、雨期を意味する梵語(サンスクリット)の vārsika (または varsa 〈ヴァルシャ〉)、パーリ語での vassa (ヴァッサ(英語版))を漢語に訳したものである[1]。 本来の目的は、雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇などの数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)をやめて1か所に定住することにより、小動物に対する無用な殺生を防ぐことである[1]。後に、雨期のある夏に行うことから、夏安居(げあんご)、雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになった。 釈尊在世中より始められたとされ、その後、仏教の伝来とともに中国や日本に伝わり[1]、夏だけでなく冬も行うようになった(冬安居)。安居の回数が僧侶の仏教界での経験を指すようになると、その後の昇進の基準になるなど、非常に重要視された。 現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い、安居に入る結制から、安居が明ける解夏(げげ)までの間は寺域から一歩も外へは出ずに修行に明け暮れる。

というわけで仏教の教えに従って、外に出ないで、家で修行をしています。殺生もなく、お金も使わず、誠に結構な日であります。ボランティアも今日はお休みです。本来週に2日だけのボランティアだと思って引き受けてしまったのですが、実際にやってみると、なんのなんの、準備や、雑用でかかりっきりになってしまって、おまけに窯は不良で、絵具はない、道具はない中で、学校の協力はまずは期待できないのです。もともと、授業として考えていないのではないかと思っています。クラブ活動、暇つぶし、程度ことなのだと思ったりしています。生温かく付き合うつもりではいますが、それでもイライラが募るのは日本人であるからという理由だけではない。実際にタイの社会ではこのようなルーズさが普通だとは思えないのですが、学校というあまりお金のからまない仕事だとこんなもんなのかもしれません。日本の学校の先生がいかにハードワークしているか実感します。 さて、無駄に?忙しい日々のなかで、自分の創作はあまりというか、ほとんど手に付きません。頭が回らない。無から何かを生み出すにはそれ相当のエネルギーがいるのですけれど、家に帰ると疲れて何もする気が起こらないのと、頭の使い方が違うのだと、思い知った次第です。本当のアーティストはアルバイトや、副業を持っていてはだめだ。たとえ貧乏でも、時間を贅沢に使えなければいい作品はできないのだ。昔はパトロンがいて、(今もいるかもしれないが)製作者の生活の保障をしていたのです。それは、人間的にというか、プライド的にどうなんだろうといつも疑問に思っていたが、そんなことは、たいしたことではない、芸術は余剰なんで、誰のお金であろうと、それが、悪人であろうが、善人であろうが、それが問題であるというのは、倫理的な規範の拡大解釈です。吉本の芸人がヤバい人たちからお金をもらって芸を見せたと言って問題になっているが、本質的な議論はされていない。昔、親鸞上人が言っていた『悪人正機』を持ち出すまでもなく、芥川の小説『地獄變』を読むまでもなく、その時、その場の倫理性によって表現、芸術性を判断することの不可能性を理解していない。逆に言えば、その時その場の倫理性をおもんばかっての表現とか芸術性はつまらない。つまらないと思われてもそのような作品をつくることしかできないのは、表現の問題ではない、それは別の問題で、それを否定するものではないが、やっぱり表現というのは、芸術というのは、結果として、その場その時を超えていこうとする力が働かないと価値がないのではないかと思う。おまえはそんな作品をつくっているのかと言われれば、天を仰ぐばかりですが、つまり、それは、主観的な認識と客観的な認識の差であるというような枠の中で、考えるのではなく、ワシの場合は事件は現場で起こっているのであって、その場その時を超えたと自覚するかしないという意識すらないのが喜ばしいと思っている。何かの力によって導かれ、流され、飛ばされる。それが楽しい。それが快感。それが人生さ。  罪なやつさ ああ~ パシフィ~ク

韓国の政治的表現の射程はボクシングでいうとジャブです。その裏に超ロングのクロスカウンターを秘めているのではないかと期待しておるのですが、その兆候はない。日本の左翼は白けているし右翼は黄金の右フックに喜んでいる。文ちゃんはロープを背にしてノラリクラリと相手が打ち疲れるのを待っているモハメッドアリよろしく起死回生のクロスを狙っているのかね。それともどこかからタオルが飛んでくるのを期待しているのか、場外バトルまでは考えてはいないと思うのですが。いずれにせよジャブだけで勝ったボクサーはいないぞ。もう少しがんばってほしいね文ちゃん。国内戦でチャンピオンになったのは八百長だったと言われるぞ。負けるのは覚悟でやった国外戦なら、意地を見せろ。北にさえ馬鹿にされて悔しくないのか。


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