碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

新年 明けましておめでとうございます

2011-01-03 20:12:57 | 日記風雑感
当ブログをお読みの皆様、今年もよろしく。と言っても何がよろしくか良く判りませんが、昨年は念願のヒマラヤへ行くことができまして、そのあと、燃えつくし症候群よろしく、明日のジョーのように少し白くなってしまって、いまひとつ次のラウンドを闘う気力が湧き上がらないこの頃です。ブログも以前のように書けないので、そういう意味で歳を一つ重ねたという実感があります。さて、この歳になってやっと本を読む時間が多く持てるようになったので、せっせと図書館に行って、手当たりしだいなんでもランダムに借りてきて、読んでおります。昨年の暮れにある詩集をたまたま読んでみたら、その著者が金沢在住の方で記憶に残ったのですけれど、偶然か必然か、ある劇団の案内メールで、その方の詩を朗読する旨の案内があったのです。これは自分を呼んでいるなと思い、出かけてみることにしました。その日はまったくの部外者というか、お客様はワシひとりでした。著者を含め全員で9人です。朗読会というより、小さなパーティーというかサロン的雰囲気の集まりでした。いままで生身の詩人との付き合いは、無いに等しいので、興味がありましたが、詩人と付き合うのは厄介の始まりという人もいるので、不快な話は避けるつもりでおりました。しかし、時間待ちの間に飲んだウイスキーのせいで、ついひとこと、批判めいた言葉が出てしまいました。まずいと思ったのですが、相手はその道の熟達者です、言葉の狩人です。その一言は見逃しませんでした。「言葉以前の何かを表現するというのは幻想かもしれませんね」と言ってしまった。すると「たしかに言葉以前のものを言葉で書くのは矛盾してます」とはき捨てるように言った。そんなつもりではなかったのに、気分よくおしゃべりをしたかっただけなのに、大人の会話がしたかっただけなのに、なんで、こうなるのか。相手を批判しようとか、けちをつけようとかいう気はまったく無かったのだけれど、まして、唯物論者ではないのですが、そんな風に見られてしまった。それで、話を変えようと、あせってしまって、何を思ったか、ワシは癌だということをほのめかして、(実際癌の検査を受けていた)だから何を言っても許されるのだということにしてしまった。三文喜劇の役者のような自分の立場に、いささか自虐的快感を感じてはいたが、他の人達はどう思っていたのだろうか?へんなおっさんが舞い込んだとでも思っていたかもしれません。予期せぬ展開にこの場の亭主(主催者)は、少しもあわてず、会の進行を軌道修正してくれたので、よかったのですけれど、その会のお開きのときに、「この詩が好きですよ、だから、今日聞きに来れてよかったです」と言い訳がましくゴマをすっている自分がいたのでした。普段人と会話をする時間が少ないせいか、ソフィストケーテッドされた会話がもてないようになったのも歳のせいにしております。日本語嫌い(自己嫌悪)がまた出てきそうです。
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