碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

蟋蟀

2005-10-19 21:59:33 | 日記風雑感
蟋蟀(コオロギ)難しい字をあててあります
中国ではどう発音するのか知りませんが、しつそつ?
コオロギはやはり中国です。インターネットで、検索すると
中国語の氾濫です。中国では蟋蟀相撲が盛んで日夜、
蟋蟀の研究にいそしむマニアックな人々が多く、老若男女問わず
強い蟋蟀を求めて、鵜の目鷹の目で、野山を探索しております。
バッタ界の戦闘集団、褐色の戦士、黄金のファイターであります。
雄のコオロギを戦わして、優劣を競うのですが、もちろん
賭けの対象になります。ばくちです。勝ったコオロギには
賞金がでます。それが一桁も二桁も競りあがっていくので
当然、熱くなります。単に虫の闘技ではすみません。
呑む打つ買うは何処の国でも男の心をつかんでおります。
中国4000年の文化は、計り知れない男の血と汗と涙を吸い尽くし
今に至って、ようやく、忘れられた体臭がたち始めてくるのです。
いやはや、中国に行ったわけではないので、
そんな気がするだけの話なんですが、衣食足りて礼節を知る
といったのはかの孔子ですが、中国資本主義のエンジンの
拝金、欲望に火をつけたからには、有史以来の爛熟と退廃への
逆文化革命の道を行くのは、目にみえてます。
アジア的快楽の拡大再生産がはじまります。奥深い
中国の快楽文化がアジアを席捲しそうです。
お父さん元気に長生きしようね。
かつてベトナム戦争が米国の敗北により終結した頃の話ですが
中国人はリアリスチックロマンチスト、日本人はロマンチックリアリスト
米国人はリアリスチックロマンチスト、ベトナム人はリアリスチックリアリスト
という性格分けをしていたのですが、日本人は、この先かつてのベトナム
のように、二つの大国と戦争をした、リアリスチックリアリストに近ずくような
気がしています。アメリカの傘か中国の傘かという不毛な軍事論的選択に
陥らないためには醒めた目で、コオロギの戦いを見たいものです。
こんな話があります。
べトナム戦争が終わり、南ベトナムから多くの避難民が舟で海外へ
逃げた、いわゆる、ボートピープルが日本に流れついたことがありました。
そのニュースを知った一人の中国人がおりました。当時中国は毛沢東
の文化革命の終息の後、小平の改革解放路線がはじまっておりました。
この男漁師で、ばくちで負けて、家も土地もなくし、しかも借金に追い立てられ
何とか借金を返さねばと思っていたところ、ある日漁に出てみると、
ベトナムの難民を乗せた船と出会うのです。
        つづく












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