碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

暑中お見舞い

2011-07-13 15:10:51 | 日記風雑感
窓辺の朝顔のつるも延びまして夏本番です。今年は節電の夏だそうですが、北陸電力まで尻馬にのって節電のお願いをしております。志賀原発の再稼動がなくても、充分電力に余裕があるのに、関電に送る電力が必要だそうです。そのために原発の再稼動を狙っているような按配です。この夏に原発が動かなくても、節電で乗り切ることができたら、もう原発は、再稼動する必要がないのですが、政府の方針はあいまいなまま、結論を引き延ばし、ついでに政権も延命しようとでもいうのでしょうか。もうウザったい話はやめて、原発を廃止するといえば少しは涼しくなる気がします。(今日記者会見で原発廃止を決めたらしい)さて夏をいかにすごすかについてです。いつも夏は緑陰で柿の種でビールを飲みつつ、アンビエントな音楽を聴き、そして、本を読み、それに飽きたら、魚釣りに行き、犬といしょに、渓谷をさまようのがいいなあと思っているのですが、いざ、実行となると、その前にしておかなければならないことを考え、そこまでするのなら、もっと別のところがあるだろうとか考え始め、どこがいいか考えているうちに、結局何もしないで夏が終わるのです。それも夏のすごしかたですが、今年は、少しは、進歩しないと、光陰矢の如しで、2011年の夏を生きている者としては、見過ごしてはもったいないような気分になっております。というわけで、なぜか哲学講座に顔をだすことにしました。哲学といえば、日本で最初の哲学者として知られる西田幾多郎の「善の研究」の出版100周年にあたり、同郷のよしみでその道をたどるべく、河北市の西田幾多郎記念哲学館へ行ってまいりました。この哲学館が建って、だいぶ年がたつのですが、実は暇つぶしにちょっと覗いてみたら、田舎にはにつかわしくない、おもしろい建物で、これを設計したのはあの安藤忠雄であった。ちなみにこの市の市長は高校時代の同窓生で、彼がこんなものを建てるとは当時は夢にも思いませんでした。この日は講演会がありまして、西田幾多郎が「善の研究」を著すに至ったまでを、語っておりました。そこで、ワシは、いままで恥ずかしながら哲学書というものを、マジで読みこんだことがないということに気が付きまして、反省の意味もありまして、この際「善の研究」をテキストにして西田哲学を理解したいと思ったしだいです。哲学書というのは、独りで読んでも面白くない、ついつい文学的な読み方に満足してしまい。理屈が解ったかといえば、そうは問屋がおろさないのです。凡人の頭では簡単なことにつまづいて、次に進めないのが今までの経験です。これは先生がいないと読みきれるものではない。今回、立派な西田幾多郎記念哲学館があることがわかったから、此処を手がかりにして勉強してみようと思い立ったわけです。緑陰のビールは捨てがたいが、哲学館のカフェも飲み応えがあるのではないかと考えております。今月は出版100周年記念事業としまして、記念講演があります。その内容は7月16日17日18日にわたって、びっしりと研究発表が並んでおります。少し紹介しますと、「善の研究」をよむ/米山優 「善の研究」をかたる/氣多雅子 アメリカにおける西田哲学と「善の研究」/遊佐道子 西田幾多郎の「表現」思想/森哲郎 経験と自覚/上田閑照 西田幾多郎におけるハイデッガー「存在と時間」時間と汝の問題を中心に/太田裕信 二つの自己知の概念 論理と生命1936を中心に/小田桐拓志 等々20の研究発表があります。全部顔を出すことはできませんので、適当にみつくろって拝聴したいと思っております。


    
                   西田幾多郎の書斎

一昔前は、歳をとるとお寺参りに行くような人が多かったのですが、現代の消費性向は変わりました。少量多品種というか少数多様な行動がフツーになってきました。自分でも夏の過ごし方に哲学館へ行くというのは考えつきませんでした。本質はお寺参りと変わらないのかも知れませんが、何か発見があればまた報告いたします。
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