碧空の下で

人生の第四コーナーをまわって

酒飲みの言い訳

2009-02-16 22:06:15 | 日記風雑感
世に酒飲みほど、言い訳の天才を発揮するするものはいないというのが
古来の通説です。今日は祭りの日だ、大安吉日だ、仏滅の厄払いだ、
結婚式だ、葬式だ、誕生日だ、犬の出産だ、猫の避妊祝いだ、魚の目がとれた
てなたぐいの理由なき理由から、
  「酒を本当に味ふことがやがて私の証悟であり悟達である」(種田山頭火)  
  「ああ、私は幸せを飲んでいる」(ドン・ペリニヨン)
  「極楽は酒屋の門にあり」(一休)
  「酒は自由と共に進む」(ロバート・バーンズ)
  「一生を洗い流してくれるのは、ただ酒だけだ」(韓愈)
もっと格調高く言うなら
  「魂よ、謎を解くことはお前には出来ない。
   さかしい知者の立場になることは出来ない。
   せめては酒と盃でこの世に楽土をひらこう。
   あの世でお前が楽土に行けるときまってはいない」
 
  「この世に永久にとどまるわれらじゃないぞ、
   愛しい人や美酒(うまざけ)をとり上げるとは罪だぞ。
   いつまで旧慣にとらわれているのか、賢者よ?
   自分が去ってからの世に何の旧慣があろうぞ!」
                 (オマル・ハイヤーム)
オマル・ハイヤームは古代ペルシャの詩人にして学者であり、
当然イスラム教徒ではあったのですが、宗教の掟すら破っていた。
「いつまで旧慣にとらわているのか、賢者よ?」という一言は
酔っ払いの言い訳としては最上級におくべき一言でしょうか。
しかしながら、これが、支配者の理由となると、桁が違ってくる
ロシアのピヨートル大帝といえば、沼地であったネバ川の河口に
サンクト・ペテルブルグを建設しロシアの西欧化に邁進した、
精力絶倫王、ロシア皇帝の典型、一切の制約も無く酒が飲める立場である。
したがって、飲む言い訳ではなく、飲ます言い訳を四六時中考えていたらしい
冠婚葬祭はもとより、週に一度の割で開く宮廷の宴会では、
夜の政治がおこなわれた、気に食わない者は、その場で脅し、
反抗したものは、即刻宴会の場で首を切られて処刑された。
その流れる血をウォッカで割って貴族たちにふるまった。
酒乱、鯨飲馬食、酒池肉林、落花狼藉、を足して3乗したくらいの宴会が続いた。
たまに、皇帝が退席すると、その場の貴族、家臣たちは、床にへたり込んだ
という。したがって、翌日の朝宴会が終わると、1週間ぐらいは、
寝込んでしまう者もいた。この恐怖の宴会が1週間おきにひらかれた
というから、酒を飲みたいとは誰も言い出すはずが無いのです。
そういう意味では、酒飲みの言い訳を聞いているうちは、平和なんです。
先日どこかの国の大臣が言い訳していました。
「たしなんだ程度で、ゴックンはしてなかった」と恥をさらしておりました。
せめて言うなら、
「イタリアの経済の回復に貢献してました。もう一晩あれば回復します」
ぐらい言わないと、ロシアに笑われるのです。世界にバカにされるのです。
もらった泡盛1ダースをあけつつ、ワシも言い訳をしておりますが・・・

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« そして誰もいなくなった | トップ | 酒飲みの言い訳2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記風雑感」カテゴリの最新記事