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鉄道写真の振り返り 2008年 その1

2021-07-04 | 鉄道写真の振り返り
この年のトピックスとしては、待望の望遠ズームレンズであるsmc PENTAX-DA★50-135mmF2.8ED[IF] SDMを購入したこと。*istDSを購入した2006年時点で、デジタルカメラ用望遠ズームレンズとしてsmc PENTAX-DA 50-200mmF4-5.6EDがあったが、せっかくならば・・・と本レンズの発売を待っていた。実際、開発ロードマップ掲載~発表~発売まで、かな~り待った記憶がある。



このレンズのおかげで、撮影がだいぶ楽になった。今もなお、現役バリバリで活躍している(K-3IIとの組み合わせでは、隅の方がちょっと甘い感じも・・・)。
なお、*istDSはレンズへの電源供給用接点が無いので、残念ながらSDM(超音波モーター)は作動しない。しかし、このレンズはボディ内モーター用のカプラーも付いていて、*istDSでもオートフォーカスが機能するのだ。こうした互換性は、何かと過渡期だったこの頃を反映しているのかな。

400系「つばさ」(関根~大沢)

400系「つばさ」(赤岩(現在廃止)~板谷)


719系普通列車(赤岩(現在廃止)~板谷)

ところで、DA★50-135mmはヨドバシカメラで購入したのだが、当時は値引きよりもポイント還元率アップ!?といった雰囲気があり、DA★50-135mmも20%還元であった。そんなこんなで貯まったポイント+αでコンバージョンレンズA2X-Lを入手。このA2X-LはFA☆200mmF2.8ED[IF]との組み合わせが可能で、焦点距離が倍の400mmとなる。



コンバージョンレンズは画質の面で不利と言われるものの、600万画素の*istDSではトリミングする余裕が乏しいので、やはりレンズ側で対処したくなる。実際、A2X-Lは望遠レンズ向け、特にFA☆200mmとの相性は良いようで、画質の面での不安は無かった。惜しむらくはオートフォーカスに対応しないことだが、フォーカスインジケーターは機能するので、これを頼りにピント合わせをがんばる。

FA☆200mm+A2X-Lで撮影した719系普通列車(板谷~赤岩(現在廃止))

ところで、撮影の合間に、ふと思い立って板谷駅からクルマで峠駅に向かってみた。途中「4WD以外進入不可」的な警告看板があったが、セリカGT-FOURは4駆だし、と突入。

峠駅のスノーシェッド
もともとは線路が敷いてあって、この写真の奥側にあるホームへ向かって列車が走っていたのだ。

さて、春になって455系の引退列車が仙山線で運転された。仙山線での定期運用はだいぶ前に終了していたので、久々の登場といったところ。

仙山トンネルから出てきた455系下り臨時列車(面白山高原)

山寺を出て坂を登る455系上り臨時列車(山寺~面白山高原)


仙山トンネルに入る719系普通列車(後追い)(面白山高原)


山寺へと坂を下ってきた719系快速列車(面白山高原~山寺)

運転台後ろのロングシート部に乗って仙山線の前面展望を楽しんだ719系も、過去のものとなってしまった。

鉄道写真の振り返り 2007年 その3

2021-06-19 | 鉄道写真の振り返り
9月初旬、18きっぷでローカル線の旅に出ることにした。
狙いの路線は「只見線」「小海線」「飯田線」の3路線。3泊4日の旅であったが、一番印象に残っているのは初日の只見線。会津若松(13:08発)から越後川口(17:42着)まで、およそ4時間半の旅。ほとんどの交換可能駅で長時間停車しながらのんびりと進むが、明らかに「鉄系」の乗客が多く、誰一人急ぐそぶりは見えなかった。ただ、台風が近づいており、天気の急変に少々不安を抱えながらの旅であった。

会津宮下駅で17分停車


昔ながらの待合室と駅名標

この時点ではタブレット閉塞が現役

伝説の秘境駅、田子倉駅(既に廃止)

大白川駅で上り列車との交換
無事新潟県に入り、何となくほっとした気持ちになった。駅員さん、乗務員さんたちの和やかな雰囲気が良い。

この日の夜は、研究室の同期を訪ねて直江津に泊まる。夜から雨が降り始め、翌朝起きたときには雨風ともに台風通過中といった様相。2日目に予定していた小海線は朝の時点で不通。そんなわけで、長野電鉄に乗りつつ小海線の運転再開を待つことにしたが、結果的に長野電鉄の方が記録、記憶ともに残っている。


長野→須坂で乗車した2000系普通列車
A編成が「マルーンカラー」に塗り替えられている。

須坂駅に入線する2000系特急列車
2005年に訪れたときと、車体の塗り分けが異なっている。調べてみると、直前(8月)に「リンゴカラー」に塗り替えられていたらしい。確かに、全体的に塗装がきれいだ。(※なお、2005年の写真はC編成、上の写真はD編成)

2007年秋の時点で、2000系は4編成中B、C編成が既に引退。これは、老朽化とともに新顔↓の導入が理由。


長野電鉄1000系(元 小田急10000系)
2006年に小田急から譲渡された元ロマンスカー。4両編成という短さが、プラレールっぽくてなんかかわいい。

残ったA、D編成も、2011年に追加投入された新車(?)により、2012年までに引退した。

さて、須坂駅で新旧特急車を見物した後で、屋代線に乗って屋代に向かう。2005年以来2度目、かつ最後の乗車となった。

終点屋代駅に到着
既に廃止となった「木島」の表記も残る。


同じく屋代駅ホーム
木製の古びたホームの柱や待合室の扉が、古びたステンレス車両とよく似合う。


屋代駅の跨線橋
「ここから先ローカル私鉄です」的な格差がわかりやすい。

この後、しなの鉄道線で小諸に向かい、ようやく運転再開した小海線で小淵沢に向かう。ただ、車窓を眺めるのに専念したからか、あまり写真は残っていない。覚えているのは、川を流れる濁流と、初めて見た高原の畑の風景。

3日目は飯田線。上諏訪(9:20)から豊橋(15:54)まで、およそ6時間半の行程である。

上諏訪駅で発車を待つ
JR東海の313系電車。転換式クロスシートで、前向きに座れるのが大変ありがたい。


伊那大島駅
この時11:36、お昼前の伊那谷をゆっくりと進む。何の記憶違いか、この写真を見るたびに飯田線のごく序盤と錯覚しまうのだが、伊那市、駒ヶ根もとっくに過ぎており、むしろ飯田に近い。


平岡で5分停車
この時13:12、出発から4時間になろうとしている。只見線乗車時と同様に「同士」が多く、5分停車の間に皆ホームに出て気分転換。


浦河で特急「伊那路」と交換
この時14:11、時間の感覚は、だいぶ前の時点で無くなっている。

上諏訪を出て以降、飯田前後を除き余裕のある車内であったが、本長篠を過ぎると高校生がたくさん乗ってきて車内の雰囲気は一変。あれよあれよという間に終点豊橋に到着。

三島駅を通過する500系「のぞみ」
旅の帰り道、新幹線で唯一外側に通過線がある三島駅で500系を狙う。

この後、初めての在来線グリーン車で小田原~宇都宮を過ごし、宇都宮からはヒヨって「つばさ」でワープしたのであった。

鉄道写真の振り返り 2007年 その2

2021-06-07 | 鉄道写真の振り返り
季節は進み、春の山形。しかし、2月の房総より冬っぽい。

この年の4月~6月、「やまがた花回廊キャンペーン」が開催された。スタートとなる4月1日には、フラワー長井線、米坂線を直通する快速「花回廊号」や、新潟~米沢で運転された「花回廊オープニング号」など、なかなか多彩な顔ぶれであった。惜しむらくは、黄砂?で視界が悪かったこと。背景が茶色に霞んだ1日であった。

花回廊1号、時庭駅を通過

花回廊2号、塗装塗り立て(?)の野川鉄橋を渡る(羽前成田~あやめ公園)

花回廊3号、松川(最上川)の鉄橋を渡る

花回廊オープニング号、背景がとにかく残念(萩生~今泉)

季節が進み6月、あやめの季節に。今度は「びゅうコースター 風っこ」がやってきた。「風っこ」は窓ガラスを外してトロッコ列車のように風を感じることができる。一時期、恒例行事のように長井線にやってきていたイメージがあるが、最近はすっかりご無沙汰。


新潟色のキハ58に先導され、たんぼ道をすいすいと進む(南長井~時庭)

お祭り中のあやめ公園を過ぎ、野川鉄橋を渡る(あやめ公園~羽前成田)


季節は4月に戻り、前年大騒ぎしたDD53を利用した団体臨時列車が羽越本線を走った。確か雨でダイヤが乱れ何とか撮影はできたものの、編成の後ろが切れてしまい大変残念。

「出羽」のヘッドマークをつけたDD53牽引の臨時列車(西袋)

鉄道写真の振り返り 2007年 その1

2021-05-05 | 鉄道写真の振り返り
一眼レフ2年目となり、写真もレンズも増えていく。前年のsmc PENTAX-FA 77mmF1.8 Limitedに続き、smc PENTAX-DA 21mmF3.2AL Limitedを購入。

DA 21mmF3.2AL Limited +  *ist DS

FA 77mmF1.8 Limited + K-5

どちらもコンパクトなレンズで、気軽に持ち出せるのがお気に入り。この2本のレンズを携えて、2月の千葉へ旅行。


内房線 浜金谷駅に到着した189系特急「新宿さざなみ」
館山方面に向かう列車の最後尾はクハ189-1。懐かしの国鉄特急色に塗られているが、中央の特急シンボルマークが無いのが残念。基本的にグレードアップ車両からなる編成にあって、クハ189-1だけが非施工車で窓が小さい(天地方向が短い)のが特徴?
ところで、駅に降り立った印象として忘れられないのが、ホームはともかく跨線橋に屋根が無かったこと。雪が降らない地域だからかな?山形で屋根無しの跨線橋があったら除雪が大変だろうし、転落事故も心配。


鋸山から保田方面を眺める
実は、この旅では木更津→館山で運行された「SL南房総号」への乗車を狙っていた。一般販売もあるということで、「10時打ち」を敢行したが見事に敗北。大部分が団体向けで、一般席がほとんど無かったという噂も・・・。
そんなわけで、SLの発車を待つ木更津を「新宿さざなみ」で追い越し、鋸山を見物しつつ走行写真を撮ろうかな、などと考えていたが、下山のタイミングを間違えこちらも敗北。
上の写真は鋸山から撮影したものだが、単行のDE10(?)が走り、菜の花畑付近には多くのカメラマンが並んでいる。ううむ、残念。

館山駅に並ぶE257系特急「さざなみ」とD51 498牽引の快速「SL南房総号」
結局、保田から「さざなみ」でSLを追いかけ、館山でようやくSLの写真を撮る。なかなかの賑わいだ。

この後、せっかく房総に来たということで、菜の花やポピーなどを眺めながら暖かい房総の午後を楽しむ。

館山駅で発車を待つ113系普通列車
館山に1泊お泊まりして、翌日は銚子に向かうことにする。「スカ色」の113系電車が発車を待つ。

竹岡駅で「SL南房総号」とのすれ違い
この旅でも土・日きっぷを利用しており、本来であれば館山を9時台に出る特急「さざなみ」で先を急ぎたいところだが(但し、館山→君津は各駅停車)、やはりSLの誘惑には勝てず、窓の開く普通列車に乗ったのであった。


銚子電気鉄道線 犬吠駅に到着する電車
銚子といえば、やはり銚子電鉄は外せない。というか、これしか目的は無い。以前から乗りたい路線のひとつであったが、前年秋に有名な「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」状態となり、焦って乗りに行ったのであった。ちなみに、経営難を救った名物ぬれ煎餅は品薄で現地で購入することはできず、かろうじて1日乗車券のおまけとして1枚もらえたのみ。貴重な1枚を文字通りじっくりと噛みしめた。


さて、寒い東北に戻り、3月初旬にちょっとお出かけ。この年の3月末で営業を終了(4月1日廃止)するくりはら田園鉄道線を訪れる。

沢辺駅で交換列車を待つディーゼルカー
電気運転時代の架線柱も残る。本当なら、電車時代に来たかった・・・。

有人駅の風景
駅員さんもタブレットを肩に到着を待つ。


DA21はコーティングがsmcからHDへ切り替わって久しいが、この春にFA77もHD化された。FA77は1999年の発売なので既に20年以上経過しているが、今もって現役バリバリ&進化するというのはすごい。もちろん買い増しなどはできないけど、先が見通せるというのがうれしい。

鉄道写真の振り返り 1991年 その2(発掘)

2021-04-24 | 鉄道写真の振り返り
1991年は、山形新幹線の工事が真っ盛りであった。以下の写真は記録によれば8月に撮影したもので、工事としては第1ステップ(1990.9.1~1991.8.26)の終わりの頃となる。第1ステップでは、福島~山形の複線区間の一方を閉鎖して標準軌化工事を行うとともに、残った狭軌で単線運行しており、板谷峠を越えるEF71牽引の客車列車が最後の活躍をしていたのだ。

福島駅で発車を待つEF71牽引の普通列車

単線化により旧上り線を走る下り列車が板谷駅到着

板谷駅に停車するEF71+50系客車
スイッチバックは既に廃止され、現在と同じ本線上に停車。もしかして、EF71の性能的にスイッチバックは不要だったのだろうか、と思ったりもする。もっとも、EF71にとって50系客車2両の牽引は軽すぎる仕事だったのかもしれないが。

50系客車の車内
長井線のディーゼルカーに慣れた私にとって、奥羽本線でたまに乗る客車列車は非常に静かで憧れの存在であった。(発車時のショックに慣れは必要であったが。)ちなみに、私にとって客車列車=50系レッドトレインで、旧型客車の記憶は全くない。

赤湯駅で発車を待つ719系0番台の快速列車
私にはこの写真を撮った記憶が全くない。狭軌用の0番台なので第1ステップ期間の撮影であること、列車番号が9430Mなので臨時列車っぽいことは何となくわかるが、詳細がわからず時刻表が欲しい。0番台が福島~山形を走ったのは割とレアらしいのだが。

フラワー長井線との並び
当時の赤湯駅は3面5線であり、この写真の左側は4番線、右側は5番線であった。今は、元の2番線の線路がなくなり、上の写真のホームはそれぞれ3番線、4番線に繰り上がっている。

この後、第2ステップ(1991.8.27~1991.11.2)では関根・米沢~羽前中山をバス代行にしての改軌工事、第3ステップ(1991.11.5~1992.6.30)ではほぼ全区間を標準軌単線で運転しつつ残った線路の改軌工事、の順で進んでいった。
第2ステップの工事そのものの記憶は無いが、ちょうどこの期間に中学校の修学旅行があり、福島までバス、そこから新幹線で東京に移動した。あと1年待てば直通で修学旅行に行けたのに・・・と少々残念な気持ちであった。
第3ステップでは、標準軌仕様の719系5000番台が導入され、私も福島~赤湯で運転された快速列車などでお世話になった。そんなわけで、上の写真も当初は第3ステップと勘違いしたのだが、帯の色が違う!線路やホームも違う!と認識を改めたのであった。