鉄道写真の振り返り 1991年 その2(発掘)

2021-04-24 | 鉄道写真の振り返り
1991年は、山形新幹線の工事が真っ盛りであった。以下の写真は記録によれば8月に撮影したもので、工事としては第1ステップ(1990.9.1~1991.8.26)の終わりの頃となる。第1ステップでは、福島~山形の複線区間の一方を閉鎖して標準軌化工事を行うとともに、残った狭軌で単線運行しており、板谷峠を越えるEF71牽引の客車列車が最後の活躍をしていたのだ。

福島駅で発車を待つEF71牽引の普通列車

単線化により旧上り線を走る下り列車が板谷駅到着

板谷駅に停車するEF71+50系客車
スイッチバックは既に廃止され、現在と同じ本線上に停車。もしかして、EF71の性能的にスイッチバックは不要だったのだろうか、と思ったりもする。もっとも、EF71にとって50系客車2両の牽引は軽すぎる仕事だったのかもしれないが。

50系客車の車内
長井線のディーゼルカーに慣れた私にとって、奥羽本線でたまに乗る客車列車は非常に静かで憧れの存在であった。(発車時のショックに慣れは必要であったが。)ちなみに、私にとって客車列車=50系レッドトレインで、旧型客車の記憶は全くない。

赤湯駅で発車を待つ719系0番台の快速列車
私にはこの写真を撮った記憶が全くない。狭軌用の0番台なので第1ステップ期間の撮影であること、列車番号が9430Mなので臨時列車っぽいことは何となくわかるが、詳細がわからず時刻表が欲しい。0番台が福島~山形を走ったのは割とレアらしいのだが。

フラワー長井線との並び
当時の赤湯駅は3面5線であり、この写真の左側は4番線、右側は5番線であった。今は、元の2番線の線路がなくなり、上の写真のホームはそれぞれ3番線、4番線に繰り上がっている。

この後、第2ステップ(1991.8.27~1991.11.2)では関根・米沢~羽前中山をバス代行にしての改軌工事、第3ステップ(1991.11.5~1992.6.30)ではほぼ全区間を標準軌単線で運転しつつ残った線路の改軌工事、の順で進んでいった。
第2ステップの工事そのものの記憶は無いが、ちょうどこの期間に中学校の修学旅行があり、福島までバス、そこから新幹線で東京に移動した。あと1年待てば直通で修学旅行に行けたのに・・・と少々残念な気持ちであった。
第3ステップでは、標準軌仕様の719系5000番台が導入され、私も福島~赤湯で運転された快速列車などでお世話になった。そんなわけで、上の写真も当初は第3ステップと勘違いしたのだが、帯の色が違う!線路やホームも違う!と認識を改めたのであった。

鉄道写真の振り返り 1991年 その1(発掘)

2021-04-16 | 鉄道写真の振り返り
前回の1989年に引き続き、1991年の写真(プリント)が見つかったので、これまたスキャンしてみた。


長井駅に到着した(?)フラワーライナー
前照灯は点いていないが、かといって尾灯も点いていないようだし、信号も赤なので、おそらく駅に到着するところではないか。今でこそ長井駅は上り下りで乗り場を使い分けているが、この頃は上下列車ともにこの写真の2番線を主に使用していた気がする。国鉄時代からの駅名標も健在。

鮎貝駅舎
既に建て替えられて久しいが、看板以外は国鉄時代のままの風情。


出札窓口も昔のままだ。運賃表の下にある白熱灯がアクセント。

まだ真新しい車両。昼前にまとまった数の乗車があるが、駅近くでなにかあったのだろうか?

ホームは転換時にかさ上げされており、駅舎側と結構な段差がある。確かに、小さい頃は「よいこらしょ」と乗り込んだ記憶がある。


鮎貝駅のお隣、蚕桑駅。この駅も今は建て替えられている。

この写真を見ると両駅とも建て替えが当然との気持ちになるが、今も木造で残っている西大塚駅や羽前成田駅は雰囲気があって残したい気持ちになる。外壁や屋根の手入れ具合で印象が変わるのかもしれない。

鉄道写真の振り返り 1989年 その1のおまけ(発掘)

2021-04-12 | 鉄道写真の振り返り
だいぶ前に投稿した1989年その1時点で見つからなかった四国旅行前半の写真(ただしプリントのみ)が発掘されたので、さっそくスキャンしてみる。


ボンネット型の485計特急「ひたち」、上野駅にて

この頃は東北新幹線の東京開業前で、山手線・京浜東北線に乗り換えるべく上野の地下ホームから登ってきたところで撮ったもの。山形では見られないボンネット型に興味津々だったのかも。

快速「マリンライナー」のグリーン車から運転席を眺める、児島駅かな?

まっすぐな道でさみしい?

この旅では、じいさんが213系「マリンライナー」のグリーン車最前列を予約してくれた。確か、座席は窓側に向けてセットされていたが、せっかくの前面展望がもったいないということで90度回して前向きにしたのではなかったかな。あと、乗車直後におしぼり(確か紙おしぼり)をもらい、飲み物でも出るのか?と期待したが、快速(普通)列車のグリーン車でそこまでのサービスは無いよな。

キハ65系「ゆうトピア和倉」、敦賀駅にて

敦賀で途中下車した際、最後部にぶらさがっていた「ゆうトピア和倉」。その名のとおり、七尾線に乗り入れて和倉温泉に向かう。

敦賀駅を通過する特急「スーパー雷鳥」

私たちが乗ってきた雷鳥の後を追いかけてきた「スーパー雷鳥」。1989年の春は、デビュー直後となる。残念ながら敦賀を通過するダイヤだったため、乗ることはできず。

以上が1989年の発掘写真。ついでに1991年の写真(でもプリントのみ)も見つかったので、次回振り返ってみよう。