1991年は、山形新幹線の工事が真っ盛りであった。以下の写真は記録によれば8月に撮影したもので、工事としては第1ステップ(1990.9.1~1991.8.26)の終わりの頃となる。第1ステップでは、福島~山形の複線区間の一方を閉鎖して標準軌化工事を行うとともに、残った狭軌で単線運行しており、板谷峠を越えるEF71牽引の客車列車が最後の活躍をしていたのだ。
福島駅で発車を待つEF71牽引の普通列車
単線化により旧上り線を走る下り列車が板谷駅到着
板谷駅に停車するEF71+50系客車
スイッチバックは既に廃止され、現在と同じ本線上に停車。もしかして、EF71の性能的にスイッチバックは不要だったのだろうか、と思ったりもする。もっとも、EF71にとって50系客車2両の牽引は軽すぎる仕事だったのかもしれないが。
50系客車の車内
長井線のディーゼルカーに慣れた私にとって、奥羽本線でたまに乗る客車列車は非常に静かで憧れの存在であった。(発車時のショックに慣れは必要であったが。)ちなみに、私にとって客車列車=50系レッドトレインで、旧型客車の記憶は全くない。
赤湯駅で発車を待つ719系0番台の快速列車
私にはこの写真を撮った記憶が全くない。狭軌用の0番台なので第1ステップ期間の撮影であること、列車番号が9430Mなので臨時列車っぽいことは何となくわかるが、詳細がわからず時刻表が欲しい。0番台が福島~山形を走ったのは割とレアらしいのだが。
フラワー長井線との並び
当時の赤湯駅は3面5線であり、この写真の左側は4番線、右側は5番線であった。今は、元の2番線の線路がなくなり、上の写真のホームはそれぞれ3番線、4番線に繰り上がっている。
この後、第2ステップ(1991.8.27~1991.11.2)では関根・米沢~羽前中山をバス代行にしての改軌工事、第3ステップ(1991.11.5~1992.6.30)ではほぼ全区間を標準軌単線で運転しつつ残った線路の改軌工事、の順で進んでいった。
第2ステップの工事そのものの記憶は無いが、ちょうどこの期間に中学校の修学旅行があり、福島までバス、そこから新幹線で東京に移動した。あと1年待てば直通で修学旅行に行けたのに・・・と少々残念な気持ちであった。
第3ステップでは、標準軌仕様の719系5000番台が導入され、私も福島~赤湯で運転された快速列車などでお世話になった。そんなわけで、上の写真も当初は第3ステップと勘違いしたのだが、帯の色が違う!線路やホームも違う!と認識を改めたのであった。