鉄道写真の振り返り 2006年 その3

2021-03-21 | 鉄道写真の振り返り
2006年秋、米坂線の撮影にハマる。


萩生~今泉を行く国鉄色のキハ28+キハ58
小さい頃から見慣れたツートンカラーが、この頃はまだ現役であった。FA★200が活躍。

国鉄色の気動車とサニトラ
上の写真を撮影した後、道の反対側を見ると偶然サニトラが走ってきた。タイムスリップしたような風景。

伊佐領~羽前松岡を行くキハ47+キハ52+キハ47
もう少し田んぼ(稲穂)寄りの構図にした方が良かったかな・・・。3両編成での運行も今は昔。

米坂線とともに、500系の撮影にも着手(?)し始める。ここでもFA★200が大活躍。


熱海駅を通過する500系のぞみ
おそらく*ist DSで500系を撮影した第1号かと。



このころ、頭を悩ませていた仕事に一区切りが着いたので、自分へのご褒美としてsmc PENTAX-FA 77mmF1.8 Limitedを購入。これ以降、いろいろなことを言い訳にしてレンズが増えていくことになる。

ところで、2006年、私の中でのメインイベントは、なんと言っても11月頭に磐越西線を走った「DD53ばんえつ物語号」。通常の牽引機C57 180が検査で使用できないため、代わりにDD51、DD53、D51が牽引することになったのだが、その告知を見た瞬間、とんでもないことが起きた!と思った。実際、とんでもない人出であった。

紅葉の上野尻~野沢を行く

箱形のダイナミックな車体

DD53は基本的に除雪用のディーゼル機関車で、冬期は運転台の前側(この写真の向きの場合、正確には後側)に専用のロータリヘッドを取り付けて除雪作業を行う。夏期はロータリヘッドを外して本線での列車牽引にも使用できる、と小さい頃に読んだ教科書的な本に書いてあったが、実際にその姿を見たことは無かった。それが2000年代に実現するということで、居ても立っても居られず出動!

有名撮影地、一ノ戸川橋梁 (一の戸橋梁)の逆光側から
順光側は大勢のカメラマンが控えており(背後のクルマの列が見えるでしょうか?)、近寄れる雰囲気では無く・・・。


ラストは下り列車を喜多方~山都で狙う。カメラマンの列・列・・・。

夕日に向かって走るDD53ばんえつ物語号

通過時刻となり待ち構えていたところ、踏切待ちをする運転手さんから「何か珍しいのが来るの?SL?」と声をかけられたので、「SLより珍しいの」と回答。通過した後で「おー、かっこいいね」とその運転手さん。私も同感。とにかく格好良かった。

鉄道写真の振り返り 2006年 その2

2021-03-14 | 鉄道写真の振り返り
一眼レフとしてはコンパクトな*ist DS、ちょっとしたお出かけにも気軽に連れ出すことができた。

仙台駅にたたずむ583系 臨時快速「ゲレンデ蔵王」(回送)
仙台駅の東口は、この頃の面影がないほど変貌した。もっとも、1年以上仙台に行ってないので、最新の状況は全くわからない。

おなじみとなった臨時快速「水戸観梅号」、相馬にて


「スーパーひたち1号」とのすれ違い
583系の大きな窓から651系の雄姿を見る。仙台で見る「スーパーひたち」は、基本普通列車ばかりのホームにおいて、風格とスマートさが際立っていた。常磐線が全線復旧した今、もう一度見てみたいものだが、直流区間専用に改造されたとあって夢は叶わないか。


ところで、この時「水戸観梅号」に乗った目的は、もちろん水戸偕楽園の見物もあるのだが、一番は東京に出て望遠レンズを買うこと。無事、アキバのyodobashiでFA★200mmF2.8ED[IF]をゲット。早速試し撮りしてみる。

水戸駅を出発した415系電車

水戸駅に入線する下り「水戸観梅号」(トリミング)

吹浦~女鹿を行く特急「いなほ」
L特急マークの消し方があまりにやっつけ仕事過ぎる・・・。

秋田所属の583系9両編成による「わくわくドリーム号」(トリミング) 
北東北と千葉の夢の国を結ぶ臨時列車。9両での運転としてはほぼ最後のはず。整備された仙台所属車と比較すると車体はぼろぼろで、見ていて痛々しい。

FA★200mmはこの後も主戦レンズとして大いに活躍した。最近は出番が少なくかわいそう。

4月に入り、これまた恒例の「白虎号」で会津へお出かけ。

郡山で折り返し運転


会津若松駅で、455系、583系、12系客車が並ぶ
1番線で「あかべぇ」色の455系が出発待ち、中線では583系が転線待ち、2番線には「SLばんえつ物語号」が入線。

583系とC57 180の一瞬の対面


455系の快速が発車

つい先日のことのような気がするが、15年も前のことなのだな。SLだけが今も走り続けている。

ケータイのこと

2021-03-10 | よもやま
今年の3月11日で東日本大震災から10年。あの日、私はケータイを片手に、おぼつかない手つきで家族や親戚に安否確認のメールを送った。震災前日の2011年3月10日、仕事帰りにケータイの機種変更をしたため、文字入力操作の細かな違い(句読点、文字種切替、同じ行の「かな」の連続入力など)につまずき、メール作成が進まなかったのだ。


SoftBank 842SH(SHARP)
充電端子のカバーが外れてしまったのが残念

あれから使い続けている私のケータイSoftBank 842SH(SHARP)も、今日、2021年3月10日で丸10年になる。
基本的にケータイにはあまりこだわりが無く、特に不都合が無い限り長く使うようにしている。その前に使用していた705NK(Nokia N73)はスケジューラ機能を目的として2006年に購入したもので、故障も無く使用していたのだが、ケータイ版「えきねっと」が利用できない仕様のため出張時に困ることがあって、やむを得ず機種変更することにした。
機種変更にあたり、(1) 機種代が実質無料、(2) おサイフケータイ対応、(3) Bluetooth 搭載の3つを選定条件とした。当時、それを満たすのは842SHだけだったのだ。

705NKと842SH

ところで、842SHには私にとって「おまけ」となる特徴的な装備、ソーラー充電機能が搭載されている。発電能力は最適条件で10分間太陽光に当てると2分の連続通話ができる程度とされており、売り場で眺めながら何かの際には役に立つかもなあ、ぐらいに思っていた。

そして次の日の震災、そして停電。あまりにタイムリーに「何か」が起こってしまった。実際には、電池残量は十分あったし(仕様上残量が75%以下にならないとソーラー充電は機能しない)、震災翌日には停電も復旧したのでソーラー充電のお世話にならずに済んだのは、幸運だったといえるだろう。

842SHは3Gのため、2024年1月には使用できなくなってしまう。SoftBankからは頻繁に機種変更を促す案内が届くが、「何か」が起こらないことを祈りながら、期限ギリギリまで使い続けたいと考えている。