鉄道写真の振り返り 1995年

2020-07-25 | 鉄道写真の振り返り
高校生活も終盤となりあまり遊んでいられなくなったので、写真は2月のSLのみ。
このころ、冬の恒例行事として磐越西線郡山~会津若松間でSL磐梯会津路号(D51 498)が走っていた。SLばんえつ物語(C57 180)の運転は1999年からなので、会津のSLといえばD51のイメージであったのだ。

SL磐梯会津路号 磐梯町駅にて(トリミング)
ビバあいづ号と交換を兼ねた長時間停車か、SLの前には人だかりができている。待ち構えるカメラ集団も、だいぶ線路寄りまで攻め込んでいる感じだが、当時としてはOKの範囲内だったのかもしれない。
ちなみに、この後SLはこちら側に向かってくるわけだが、その写真はきっちりとピントを外し、見られるものではない状態に・・・。

気を取り直して、磐梯山を背景に何枚か。

SL磐梯会津路号
ほとんど転がっているような状態で、煙は全く見えず。

ED75+14系(座席車)?
だいぶ不鮮明なのだが、窓割りからすると14系と思われる。何の臨時列車だったのだろうか。

オリエントサルーン おそらく翁島駅にて
牽引は専用塗装のED75。この3年前(1992年)に郡山で出会ったED77は、すでに磐越西線を去っていた。

こうしてみると、この日の磐越西線は多彩な顔ぶれだったのだなあ。

鉄道写真の振り返り 1994年

2020-07-23 | 鉄道写真の振り返り
予告どおり前回から1年飛ばして1994年。この年はあまり写真がありません。

SL平成奥の細道号 奥羽本線北山形~羽前千歳
馬見ヶ崎川を渡るD51 498+12系客車。1994年9月に山形~新庄で運転されたが、1992年に同区間で運転された「SLべにばな号」ほどの情報が無く、やっとこさネットで見つけた。当時、長井から山形までわざわざ撮影しに行ったのだから、事前にそれなりの情報は得ていたはずなのだが。
この写真、かなりピントを外しており、シャープネスをガンガンかけて低解像度で何とか見られるか、ぐらいのできばえ。山形新幹線新庄延伸後には見ることのできない光景なのだから、もう少し慎重に撮っておけば・・・と悔やまれる。

フラワー長井線 長井~羽前成田 ※当時あやめ公園駅は未開業
野川の鉄橋を渡る下り列車。光線の具合(車両正面の処理)とか、全く考えてなかったんだろうな…。かといって、今ならうまくとれる自信はないけど。

この年は修学旅行で広島・京都・奈良を訪れたのだが、鉄系の写真は皆無。今思えば、16両フル編成の新幹線100系電車(結果的に唯一の乗車機会だった…)や京阪京津線(宿舎が京津三条駅のすぐ前だったのに…)の写真を撮っておくべきだった。京都での自由行動が嵯峨野観光鉄道の運休日である水曜日(日付は忘れたが曜日はしつこく覚えている)だったので、全般的にやる気が起きなかったのかなあ。

鉄道写真の振り返り 1992年

2020-07-18 | 鉄道写真の振り返り
1989年の後は当然1990年、1991年と続くのだが、どうにも写真が見つからない。板谷峠のスイッチバックの乗り納めなどに出かけたはずなのだが・・・。そんなわけで、とりあえず1992年に飛びます。
1992年の写真として、すでに山形新幹線開通直前のつばさ号SLべにばな号の記事をアップしているので、その他の写真をいくつか。(今回の写真は、すべてポジです。)

はじめに、仙山線を走る455系。

作並駅に進入する仙山線下り快速列車

今度は発車シーン?
先頭がぶれてしまって残念。

秋の山寺駅付近を走る

仙山線撤退から20年近くなるが、仙山線=455系のイメージが強い。小学生の頃(概ね東北新幹線上野開業後)、地元の置賜を走る奥羽本線の普通列車はディーゼルカーや電気機関車牽引の客車列車であり、電車は特急でお目にかかるのみであった(はず)。そのため、山形駅で見る455系電車は、「ちょっと違うところに来た感」があって新鮮であった。元急行形の車内は、一部ロングシート化されていたとはいえ、山形~仙台間を通しでのんびり乗るには好適だったように思う。
「のんびり」と書いたところで、この頃はノンストップ快速で仙山間が最速51分、普通の快速でも1時間程度だったことを思い出した。今は昼間のA快速でも1時間10分程度かかってしまう。ある意味、今の方がのんびりしているということか・・・。


お次は陸羽東線堺田駅にて。おそらく、何かのついでに立ち寄ったものと思われる。

堺田駅に進入する上り列車
この頃は、まだ交換設備があった。

新庄方にはキハ23が連結
私はキハ23(キハ45系)を見た記憶が全くなかったのだが、写真が残っていてびっくり!

この翌年、1993年も写真が見つからないので、次回は1994年に飛ぶ予定でございます。

鉄道写真の振り返り 1989年 その2

2020-07-13 | 鉄道写真の振り返り
1989年秋ごろの写真が見つかったので、せっかくだから追加しよう。

長井駅の側線にたたずむYR-880形
フラワー長井線開業1周年のイベントで、綱引き的な何かがあったような・・・。



最上川橋梁を前面展望で
「ミステリートレイン」と称したイベントに当選し、荒砥に向かう車中で撮影したもの。当時は全く意識しなかったが、一応スピード感のある写真になっていたのだな。

ところで、前年(1988年)10月25日のフラワー長井線開業当日、早速荒砥→長井で乗車したが、この時印象的だったのが、運転台が半室構造でデッキが無く、前の景色がよく見えたこと。特に、貫通扉のところから見る前面展望は最高であった。(今はロープが張ってあって入れないみたい。)いずれにせよ、全室運転台の国鉄形ディーゼルカーに慣れた私にとってYR-880は画期的な車両で、左右非対称のドア配置とともに、帰宅後さっそくレゴブロックで真似てみたのだった。

今泉駅にて
何を狙って車両が半分切れた写真を縦位置で撮ったのか、いまいちよく分からない。ただ、米坂線ホームにキオスクがあったことを示す、多少有意義な(?)資料かもしれない・・・

赤湯駅にて、特急つばさを待つ
これもなぜ縦位置で撮ったのかよくわからないが、私がコニカC35で動いている列車を撮った写真では最もまともな一品。4番線(現3番線)には小豆色の50系客車が停まっている。山形方に機関車が連結されていないから、米沢・福島方面行きが特急を待避しているのかな?

いろいろ思い出を振り返る上でも、このころの時刻表が手元に欲しくなる・・・。

鉄道写真の振り返り 1989年 その1

2020-07-11 | 鉄道写真の振り返り
この年のトピックスとしては、まず、祖父母とともに四国まで旅行したこと。4泊5日の旅だったが、実質四国にはほとんど滞在しておらず、往路東海道新幹線・瀬戸大橋経由で一気に四国入りした後、高松→小豆島→赤穂→大阪→敦賀→福井→上越と少しずつ戻ってくる行程であった。

旅のメインは、やはり瀬戸大橋。快速マリンライナーのグリーン車最前列を確保してくれた祖父に感謝か。さらに、初めて乗った東海道新幹線0系の食堂車でハンバーグを食べたことも良い思い出。次の機会は100系の2階建て食堂車!と期待が膨らんだが、チャンスは訪れず食堂車は無くなってしまった。

写真は、フィルム2本分あったと思うのだが、1本目の大阪までの写真が見当たらない(プリント、ネガとも)。ということで、多少残念ではあるが旅の後半(2本目)となる福井からの写真をいくつか。


おそらく475系電車(クハ455)、福井駅にて
当時、東北の電車はクリーム地に緑だったが、北陸は白地に青で、ヘッドマークが付いていることがうらやましかったのかも。

福井駅に入線する485系白鳥13号(これは自信あり)
上沼垂(かみぬったり、現:新潟車両センター )所属のグレードアップ改造車。先頭車は1500番台だったのね。内装も、座席部が1段高くなっていたり、電光案内表示器があったりと、地元を走る同じ485系つばさとの格差にびっくりした記憶がある。

直江津駅で遭遇した485系、(スーパー)かがやき号
旅行の前年(1988年)に運転開始された特急列車。新幹線接続に特化して、長岡~金沢間で運転された。その割り切り感(?)が新鮮に感じられた。

思い返すと、この旅では同じ日に特急雷鳥13号で福井→直江津、特急白鳥で直江津→村上と、2001年以降系統分割・廃止された(すなわち直行できなくなった)列車を効率よく利用している。これは、爺さんさすがと言うべきか、昔はそれが普通だったと言うべきか。


もうひとつのトピックスとしては、転校した友達を訪ねてクラスメート4人で宮城県に出かけたこと。この時、おそらく初めて東北本線に乗ったが、普通列車なのに特急みたいな顔の車両が来た!さすが東北本線!?と興奮。なぜか狭い出入り口や、なぜか2つある(ように見える)トイレなど、当時としても不思議に感じたものだが、これが寝台特急用電車583系を近郊形に「やっつけ改造」した715系(1000番台)であることを知ったのは、だいぶ後のお話。


おそらく大河原駅にて
715系の一ノ関方は大柄な車体断面そのままに運転台を後付けしたため、しょくぱんまんのようなデザイン。


福島駅の新幹線ホーム11番線から見下ろした在来線ホーム
この写真にも715系が2編成写っている。よっぽど印象深かったのだろうか。特急みたいな顔をした黒磯方先頭車の写真が無いのが残念。


最後に、もう1枚。


スイッチバックが健在だったころの板谷駅
奥羽本線名物の4連続スイッチバックの中では、最もアクセスしやすかった板谷駅。かなり広々とした構内だったのだな。後方にはジークライトの工場も見える。

このころのネガはいずれも劣化していて、今回の写真では空がマゼンダ寄りになっているが、これの修正を試みると他のところが・・・と、なかなかうまくいかない。もう少し勉強せねば。

※1989年の写真が追加で発掘されたので、その2に続く・・・